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2019年10月5日を表示

No.3光陽台_山麓公園_竜間_慈眼寺

龍間神社境内に建つおかげ燈籠。
「大神宮」と彫られている。
下草は綺麗に刈り取られていた。
ごく最近刈り取ったようだ。



イタドリの雄花とみられる。


石仏愛好家の間では、よく知られている一石二段六地蔵板碑。(中央)

現地に立つ説明板によると、
市指定文化財 =第五号= 一石二段六地蔵菩薩立像
当地蔵は、幅八十六センチ・高さ百四十八センチの舟型石に、平均身丈四十六センチ大の地蔵尊が六体半肉彫されている。別石の六地蔵はよく見かけるが、一石六地蔵は稀である。北河内では二基を見出すに過ぎない。
六道のどこにいても救いの手をさしのべてくれるのが六地蔵である。当地蔵の場合、上段右より施無畏印を結ぶ地蔵が餓鬼道、中の宝珠を持つ人間道、左は幡を持つ畜生道、下段右より錫杖を持つ地獄道、中は合掌の阿修羅道、左は香炉を抱いた天上道を示している。なお、正面には、「永禄十年丁卯二月二十三日」「奉造立六地蔵 六斉念佛之供養一結衆五十五人敬白」とある。このことから、永禄十(1567)年二月二十三日の六斉日に、六斉念佛の講衆五十五人が自分達と先祖の供養のために建立したものであろう。

昭和五十八年
大東市教育委員会

また、大東市のサイト龍間を歩くによると、
「永禄十年(1567)二月二十三日の六斎日に六斎念仏の講衆たちが、自身をふくめた世の人々の供養のために建立したもの。
六斎念仏というのは六斎日つまり毎月8・14・15・23・29・30の6日は仏教では生きものを殺したり、悪いことしてはならないとされているので、この日に踊り念仏を行うことをいうのである。
中世の頃になると、この日にはかねや太鼓をたたいて、念仏を唱えながら踊ることがはやり、こうすることによって、人々は来世を祈った。
上に大念仏宗称迎寺(しょうこうじ)があったので、その寺のものであろう。
市指定文化財。」

なお、称迎寺(しょうこうじ)は、近年まで一石二段六地蔵のある右側の道を登り、右に折れて石段を登ったところにあったが、本堂の老朽と地盤崩壊の危険にさらされたため、平成6年に阪奈道路を隔てた反対側(北側)に新築された。
また十三仏も移転された。

地蔵菩薩像をライトアップすると、意外にも微笑んでいるお顔を拝顔することが出来た。(画像右下)
ラッキー。



府道8号阪奈道路の龍間交差点を横断し、龍間公会堂前の西隣、龍間不動尊にお参りする。
ここには、十三重石塔、役行者像、大聖不動王尊、八大竜王尊、不動の滝など石造物が多く見られる。
画像は役行者像。

上述の大東市のサイト「龍間を歩く」によると永禄十年(1567)三月七日の銘。
こちらも同行のNa氏にライトアップして頂いた。
感謝。
なんだか、愛嬌がある?というか、ひょうきんな?というか、滑稽な?お顔をされている。



辻に立つ道標が二基。
左は「右 たハら たかやま きづ いが いせ 道 / 左 経寺山龍光寺 道」。
一方、右の道標は「左 天・・」。

つづく。



10月5日(土)17:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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