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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2019年11月28日を表示

No.9大和川を水源地まで遡行6(桜井_長谷寺)

與喜天満神社参道を歩く。

途中、道標が置かれている。
「飛だり いせミち」と彫られているようだ。
しかし、方向として“ひだり いせみち”は違っている。
元の場所からここへ移されたようだ。



地蔵堂に祀られた石仏群の一つ青面金剛だろう。(ライトアップした石仏)

瞼が腫れているように見える。
そして唇がやけに小さいのも特徴。



「上化粧坂(かみけはいざか)」の説明板。

“化粧”を“けはい”とは知っていなければ読めないだろう。
昔は、嶮坂(けわしいざか)とも書かれていたそうな。
“化粧”は当て字かもしれない。
この説明板では、
「初瀬参りの人々はこの最後の坂で、道中の衣服の乱れや化粧を直したことから名づけられた」としているが・・。



與喜天満宮の社標。
道標も兼ねているようだ。
「本朝菅廟十霊社随一 與喜天満宮 / 本社よ里 観音江 ゆきぬけ」。



慶安三年(1650年)の銘がある手水舎。

【参考】桜井市立図書館
yokitenmangu.pdf

つづく。



11月28日(木)17:22 | トラックバック(0) | コメント(5) | ウォーキング・散策 | 管理

No.8大和川を水源地まで遡行6(桜井_長谷寺)

十二柱神社拝殿。

“十二柱”の名前だが、十二の神様を祀ることからつけられた。
国常立神(くにとこたちのかみ)などの神世七代の神々と、地神五代の神、あわせて十二神を祀る。

その昔、この神社には社殿がなく、古代の出雲集落にあったダンノダイラとよばれる磐座(いわくら)を拝んでいた。
ダンノダイラは三輪山(三諸山)の東、尾根筋にあって、私はかつて訪問したことがある。



昼食後、十二柱神社を後にし、東海自然歩道を長谷寺に向かって歩く。
桜井市立桜井東中学校を右(南)に見て歩き、桜井市立初瀬小学校前から初瀬西交差点へ。

画像は長谷寺参道途中、伊勢辻に立つお馴染みの道標。
「右 いせミち」。



その向いには初瀬町道路元標が埋まっている。
現在の行政区では、初瀬町は存在せず桜井市となっている。

・1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、式上郡 初瀬村、白河村、出雲村、吉穏村、柳村、角柄村が合併し、式上郡初瀬村が成立。
・1892年(明治25年)3月10日 - 町制施行し、初瀬町となる。
・1896年(明治29年)3月29日 - 所属郡を磯城郡に変更する。
・1959年(昭和34年)2月23日 - 桜井市へ編入合併される。同日初瀬町廃止。



画像は「與喜天満神社 切石御旅所」境内に、三百年以上前に植えられた紅梅。
(桜井市指定天然記念物)
紅梅は二本あって、画像は北東角のもの。

説明板によると、
「北東角 紅梅 胸高幹周173cm・樹高9.6m
樹幹は、三度に渡る老化・腐朽によりジグザグに成長し、樹皮の割れ目より直接歯花芽が出て各所に群がって開花している。
樹齢は共に300年以上、花は共に淡紅色中輪の八重咲、結果率は極めて低い。
平成十三年七月指定 桜井市教育委員会」



白髭神社
上記、桜井市のサイトによると、奈良時代の749年(天平勝宝元年)に創建(鎮座)された神社。

つづく。



11月28日(木)17:20 | トラックバック(0) | コメント(4) | ウォーキング・散策 | 管理


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