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2019年3月19日を表示

百舌鳥古墳群_堺市博物館_百舌鳥八幡宮

2019年2月23日(土)は土曜会に参加した。
タイトルは「百舌鳥古墳群と百舌鳥八幡宮をめぐる」。

<概要>
この日訪れた“百舌鳥古墳群”は下記三つの古墳。
1.反正天皇(はんぜいてんのう)陵古墳。別名:田出井山古墳。

2.仁徳天皇陵古墳(別名:大仙陵古墳)と陪家(ばいちょう)として大安寺山古墳、塚廻(つかまわり)古墳。
 ※陪冢(ばいちょう・ばいづか、陪塚とも)は、日本の古墳時代に築造された古墳の様式。 大型の古墳とともに古墳群をなす小型の古墳であり、なおかつ大型の古墳と同一の時代に、その周囲に計画的に付随するように築造されたとみなされるものを指す。

3.ニサンザイ古墳。(別名:土師ニサンザイ古墳)

<主な訪問地>
1.放違神社(ほうちがいじんじゃ)
・方違え、方災除けの神。
 方違え(かたたがえ、かたちがえ)とは、陰陽道に基づいて平安時代以降に行われていた風習のひとつ。
・社地は摂津、河内、和泉の境の三国山(現在は三国ヶ丘と称される)にあり、三令制国のいずれにも属さない地、方位のない地であるとして、古くから方位、地相、家相などの方災除けの神社として信仰を集めてきた。
・現在でも、転勤、結婚などでの転宅や海外旅行などの際に祈願する参拝者が多い。
 自分の在所からでかけていく先の方位についてのお祓いをしてもらい、清めの御砂を頂いて、自分の家の四方に撒く。

2.堺市博物館
・大仙公園内にある人文科学系の博物館。市制90周年記念事業として1980年に開館。
・博物館の展示構成は、「常設展・スポット展示」と「企画展・特別展」に大別される。
 常設展の展示コンセプトは「堺 -仁徳陵と自由都市-」で、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に代表される百舌鳥古墳群からの出土品、近世の自由都市「堺」の都市史等資料や鉄砲などの交易品、千利休や与謝野晶子、河井酔茗をはじめとする堺出身の著名人の資料などを展示し、古代から近代に至るまでの堺の歴史を紹介。

3.百舌鳥八幡宮
・祭神 応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、住吉大神、春日大神。
・創祀は欽明天皇(532年-571年)の頃、八幡神の宣託をうけてこの地を万代(もず)と称したのがきっかけと伝わる。
・天平元年(729年)、行基によって境内に神宮寺として万代寺が建立され、やがて神仏習合し、万代寺は百舌鳥八幡宮の奥の院となった。
・平安時代には僧坊48ヶ寺、社家360人、神領寺領八百町歩を擁する寺院となるが、保元3年(1158年)時点では石清水八幡宮の別宮となっていた。
・戦国時代や慶長20年(1615年)の大坂夏の陣などで荒廃する。
・江戸時代、大坂城代が替わる度に、この神社に参拝していたという。

<コース>
JR阪和線堺市駅9:51_サンスクエア堺(堺市立勤労者総合福祉センター)前_大阪刑務所前_方違(ほうちがい)神社_反正天皇(はんぜいてんのう)陵古墳_説明板(反正天皇陵古墳)_府立三国丘高校前_けやき通を南へ_AGREEけやき店前_道標(竹内街道)_はや 総本店前_南海高野線に架かる跨線橋を渡る_中央環状線に架かる榎橋歩道橋を渡る_道標(↑西高野街道)_案内板(古代のロマン 仁徳陵周遊路案内)_道標(西高野街道)_説明板(大安寺山古墳)_道標(右 仁徳天皇御陵参拝道)_説明板(塚廻古墳)_大仙公園観光案内所前_仁徳天皇陵古墳 拝所_大仙公園_11:20カフェ イロハ・昼食12:05_千利休像_堺市博物館_南海バスもず駅前バス停前_御陵通りを東へ_もず庵(土産物店)前_JR阪和線百舌鳥駅前_百舌鳥八幡宮一の鳥居_常夜燈(放生會講)_南海バス赤畑町バス停前_道標(百舌鳥八幡宮↑)_説明板(国指定重要文化財 髙林家住宅)_百舌鳥八幡宮・大阪府指定 天然記念物 百舌鳥八幡宮のくす・説明板(百舌鳥八幡宮)_境内に移設された道標(すく かうやさん こん古(こ)う山 道 / 右 いゑ(え)者(は)ら 大鳥一の宮 道 / さ可(か)い神南辺 / 文政十三年×)_案内板(←尾羽根 天満宮 150m)_道標を兼ねた供養塔(天下和順(てんげわじゅん) 日月清明(にちがっしょうみょう) 奉納大乗妙典六十六部供養塔 泉州大鳥郡万代 梅村住宗全 / 天明二年寅八月廾三日 / 右 家原 左 高野山)・道標(左 くろやま 右 いえはら)・五輪塔(永禄十一年 四月廾六日 妙正)・石柱(× 香具問屋 岡村平兵衛)・花立(尾羽根)・石柱(道しるべ 尾羽根)・供養塔?(釋 智玄信女 似泡童子 各霊)_スーパー イケチュー もず店前_夢の樹(社会福祉法人)よろこびの園前_御陵山公園_説明板(ニサンザイ古墳)_14:37地下鉄御堂筋線なかもず駅

<メモ>
・参加者総勢: 7名。
・コース歩行 (JR堺市駅~地下鉄御堂筋線なかもず駅までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約9.4km。
 所要時間: 4時間50分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの正味歩いた時間と推測距離)
 推測距離: 約16.0km。(0.67m×23,949歩=16,045m)
 歩行時間: 3時間47分。
 歩数: 2万4千歩。
・反省会: 串皇 難波店 参加:4名。

画像はJR阪和線堺市駅から地下鉄御堂筋線なかもず駅まで、当日歩いたGPSログを表示。



大阪刑務所。
府中刑務所に次ぐ収容能力を持ち、西日本では最大規模の刑務所。



方違神社の説明板。

方違神社の起源は古く、崇神天皇(すじんてんのう)の勅願により創建されたと伝えられています。
このあたりは、摂津、河内、和泉の三国の境に位置しているため、“三国山”“三国の衢(ちまた)”また“三国丘”と称されていました。
三国の境界にあるため、方角の無い聖地であると考えられ、古来より方災除けの神として参拝者が絶えませんでした。
奈良時代には、行基が布施屋を設け旅人の休憩場所となるなど、人馬往来の中心となり、平安時代には、熊野詣の通過地点でもあったため、人々は旅の安全を祈ったといわれています。
また、明治元年の京都から東京への遷都の際には、17日間の祈祷が行われています。
現在も、引越しや旅行の際に、全国から多くの方が参拝に来られています。
毎年5月31日の例大祭「粽祭」(ちまきまつり)には、悪い方位をはらうという、菰(こも)の葉で埴土(はにつち 境内の土)を包んだ粽を奉納する神事を行っています。



反正天皇(はんぜいてんのう)陵古墳。別名:田出井山古墳
・実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)」として第18代反正天皇の陵に治定されている。
・百舌鳥古墳群の北端に位置し、墳丘長148メートルで百舌鳥古墳群の中では7番目の大きさである。
・墳丘は3段に築かれ、かつては二重濠があったと確認されている。
・墳丘の形態や出土した埴輪より、5世紀中頃に造築されたと考えられている。
・周辺には陪塚と推定される鈴山古墳・天王古墳があり、宮内庁が管理している。



日本マンホール蓋学会のサイトによると、
木製の六角形をした旧堺灯台と、海の上を沢山のカモメが飛んでいるデザイン。
“さかいし”“ごうりゅう”と刻まれており、合流管マンホールの蓋。

つづく



3月19日(火)18:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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