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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2019年4月4日を表示

大津宮跡_近江神宮_東海自然歩道_三井寺

2019年3月23日(土)は土曜会に参加した。
タイトルは「大津のまちなかを歩く」。

“まちなかを歩く”となっているが、大津市役所横、弘文天皇陵から三井寺までの区間は、少々荒れた状態の東海自然歩道を歩いた。
この区間は“まちなか”というより“山道”と呼ぶ方がふさわしい。
スニーカーでは歩きにくく、トレッキングシューズが必要。
東海自然歩道はどこでも同じだが、歩く人が少なく荒れている。

“競技かるたの殿堂”近江神宮は、橿原神宮、平安神宮などと同じ近代の創建。
橿原神宮→明治23年 平安神宮→明治28年 近江神宮→昭和15年。

三井寺(みいでら)にお参りするのは初めて。拝観料 600円。
大津祭曳山展示館は一度訪問しており、この日が二回目となった。入館無料。

<主な訪問地>
1.大津宮跡(=近江大津宮 =近江大津宮錦織遺跡)
2.近江神宮
3.園城寺(=三井寺)
4.大津祭曳山展示館

<コース>
JR湖西線大津京駅10:05_案内板(京阪大津京駅↑200m先 高架下左側を直進)・案内板(競技かるたの殿堂 近江神宮 直進後右折)_石碑(蓮如上人御舊跡 大谷派 由緒地 長蓮寺)_説明板(史跡 近江大津宮錦織(にしこうり)遺跡)_京阪パス錦織町バス停前_説明板(史跡 近江大津宮錦織遺跡 第一地点)_説明板(史跡 近江大津宮錦織遺跡 第二地点)_大津錦織郵便局前_大津京シンボル緑地_道標(←むし八まん宮 / 大正元年十月)・道標(宇佐八幡宮まで七〇〇米 徒歩十五分 / 昭和四十五年四月三日)_柳川に架かる柳川橋を渡る_近江神宮 二の鳥居_近江勧学館_大津錦織郵便局前_説明板(史跡 近江大津宮錦織遺跡 第七地点)_説明板(史跡 近江大津宮錦織遺跡 第九地点)_皇子山古墳分岐を右に見送り 県道47号線を直進_市民体育館前_皇子が丘公園_JR大津京駅分岐を左に見送り 三井寺方面へ直進_道標(左 ふと× / 右 さ可な×)_石柱(弘文天皇御陵参拝道)_FURIAN 山ノ上迎賓館前_道標(←弘文天皇長等山前陵0.15km)_石柱(地蔵尊)_石仏_弘文天皇長等山前陵_道標(新羅三郎の墓/三井寺→)_分岐で新羅三郎の墓方面直進を見送り 三井寺方面へ左折_東海自然歩道出合・東海自然歩道道標(←三井寺0.5km 長等公園1.2km)_野仏_案内板・略図(東海自然歩道・逢坂山~夢見ヶ丘)_お知らせ(園城寺(三井寺)事務所は移転しました)_案内図(自然の道・歴史の道)_大津市歴史博物館前_道標(三井寺→0.2km)_大津市伝統芸能会館前_駒札(車石)_円満院庭園前_駒札(重要文化財 建造物 園城寺大門(仁王門)一棟)_案内板(日本遺産 滋賀 園城寺(三井寺))・拝観料(600円)・釈迦堂・三井晩鐘・国宝 園城寺金堂・堂前灯篭・智證大師御廟所前・微妙寺・駒札(天台智者大師)・衆宝観音(しゅうほうかんのん)・百体観音堂・三井寺 観音堂・昼食・琵琶湖ビューポイント_馬神神社(大津馬神社)・長等(ながら)神社_道標(琵琶湖疏水0.1km)_道標(三井寺南別所 / かたヽげんべゑくびのてら)_琵琶湖疏水_大津市長等幼稚園前_北国橋(交差点)_<北国街道>_大津長等郵便局前_滋賀の都こんぶ前_大津絵の店前_長等神社_長等商店街・なかまちまつり_青龍寺前_傳光院前_長等商店街_中央一丁目(交差点)でR161と京阪京津線を横断_丸屋町商店街_大津祭曳山展示館(入館無料)_<旧東海道>・道標(東海道 追分道標まで15km)_京町二丁目(交差点)を南へ_大津駅前商店街_反省会:THE CALENDAR_15:10JR湖西線大津駅

<メモ>
・参加者総勢: 10名。
・コース歩行 (大津京駅~大津駅までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約9.7km。
 所要時間: 4時間9分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの正味歩いた時間と推測距離)
 推測距離: 約15.3km。(0.67m×22,819歩=15,288m)
 歩行時間: 3時間46分。
 歩数: 2万3千歩。
・反省会: THE CALENDAR (大津市春日町1-3 大津駅ビル2F)

画像はこの日歩いたJR湖西線大津京駅から同線大津駅までのGPSログを表示。



「史跡 近江大津宮錦織遺跡」の説明板を見る参加者の人たち。
京阪バス錦織町バス停付近にて。
大津宮跡(近江大津宮/近江大津宮錦織(にしこうり)遺跡)
・近江大津宮は飛鳥時代に天智天皇が近江国滋賀郡に営んだ都。
・天智天皇6年(667年)に飛鳥から近江に遷都した天智天皇はこの宮で正式に即位し、近江令や庚午年籍など律令制の基礎となる施策を実行。
・天皇崩後に朝廷の首班となった大友皇子(弘文天皇)は天武天皇元年(672年)の壬申の乱で大海人皇子に敗れたため、5年余りで廃都となった。
・1974年(昭和49年)以来の発掘調査で、滋賀県大津市錦織の住宅地で宮の一部遺構が確認され、「近江大津宮錦織遺跡」として国の史跡に指定されている。



画像の中央に立つ警備員の後に二基の道標が見えた。
右は「←むし八まん宮 / 大正元年十月」。
左は「宇佐八幡宮まで七〇〇米 徒歩十五分 / 昭和四十五年四月三日」。
“むし八まん宮”は“宇佐八幡宮”を指しているようだ。
近江神宮の南東、柳川に架かる柳川橋の手前にて。



外拝殿とその奥に内拝殿。
近江神宮にて。
近江神宮は、天智天皇6年(667年)に同天皇が当地に近江大津宮を営み、飛鳥から遷都した由緒に因み、紀元2600年の佳節にあたる1940年(昭和15年)の11月7日、同天皇を祭神として創祀。



道標。
「左 ふと× / 右 さ可な×」だろうか。
大津市山上町4にて。

つづく。



4月4日(木)18:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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