山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2019年6月を表示

(続々)大和川を水源地まで遡行3(安堂_王寺)

「寛政三辛亥年」に奉納された石灯籠。
龍王社にて。

現地に設置された説明板によると、

剣先船仲間奉納の石灯籠 峠・竜王社

江戸時代、大坂市中と河内・大和の村々は、剣先船(けんさきぶね)と呼ばれる大和川を利用した水運によって結ばれていました。
剣先船には、幕府によって公認された年代や働き場の違いによって、正保三年(一六四六)公認の古剣先船二一一艘、延宝二年(一六七五)公認の新剣先船一〇〇艘、在郷剣先船七八艘、井路川剣先船一〇〇艘があり、このうち国分村持ちの古剣先船三五艘を国分船と呼びました。
また、元禄三年(一六九〇)には、船の大きさが長さ五八尺(約一七・六メートル)、幅六尺二寸(約一・九メートル)、深さ一尺四寸(約四二センチ)と定められ、積荷も一艘につき十六駄(約二・二トン)と制限されました。
国境にあたるこの付近は亀瀬と呼ばれ、巨岩が露出していたことから船の通行は困難で、河内側は剣先船、大和側は魚簗船(やなぶね)が航行し、積荷はここで一旦陸揚げされ、再びそれぞれの船に積みかえて運ばれました。
この社には、そうした往時の賑わいをしのばせるように、剣先船の問屋仲間によって寛政三年に奉納された石灯籠が残っています。

二〇〇八年三月 柏原市教育委員会

奈良県河合町のサイト
魚梁船(PDF:374.5KB)



峠八幡神社にて一服。
この日は日傘が重宝した。



美味しいパイナップルを頂戴する。
至極のひととき。



三郷町立野南3丁目、大和川に架かる大正橋北詰付近に立つ道標。
「?龍田川 三室岸 ?信貴山 」。
龍田川の上に小さく彫られているが文字が判読出来ない。



「龍田本宮? 東 法隆寺 南都海道」。
こちらの面にも、小さく彫られた文字が随所に見られる。

つづく。



6月30日(日)18:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(続)大和川を水源地まで遡行3(安堂_王寺)

本日の歩きの目玉、夏目茶屋渡し跡の吊橋(川端橋)を渡る。
歩くと想いのほか、吊り橋が揺れる。
特に吊橋の真ん中あたりで、上下左右に大きく揺れた。
一度に大勢で渡ったからかもしれない。
定員は15人。この日の参加者、総勢20人!
定員オーバーだったのかも?



渡り終えた吊橋を振り返って撮影。


こちらは吊橋ではない。
JR大和路線に架かる跨線橋。
クルマは通行不可。



跨線橋を渡ったところの辻に立っていた道標。
磨耗して文字が読めない。
「右 ?? 左 ?? 」。



河内堅上駅前を通過。
これは昔使われていたものだろう。
古めかしいが風情がある。

つづく。



6月29日(土)18:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大和川を水源地まで遡行3(安堂_王寺)

2019年5月5日(日)は、こばこの部に参加した。
タイトルは「大和川を水源地まで遡行するパート3・安堂から王寺まで」。

<概要>
前回歩いた大和川を水源地まで遡行する2(杉本町_安堂)の続きとして、安堂駅から王寺駅まで歩いた。

近鉄大阪線安堂駅を9時半過ぎに出発。
まずは、大和川付替記念碑公園に立ち寄り、大和川河川敷緑地公園へ降りる。
石川合流点付近で野生化したヌートリアと出くわした。

大和川の河口から19.0km地点と表示された石柱を見る。
近鉄大阪線の跨道橋の下を潜り、大和川に架かる国豊橋を渡る。

大和川親水公園を左に見て大和川の堤(左岸)を歩く。
国分神社に立ち寄り休憩。
神社の背後に聳える、国史跡 松岳山(まつおかやま)古墳、今回は訪問せず。
境内に信徒の方が掘り出した筍が置いてあったので有難く頂戴した。
(持ち帰り自由)

やがて、この日のコースの目玉となる、夏目茶屋渡し跡の吊橋(川端橋)に到着。
歩くと想いのほか、吊り橋が揺れる。
わざと揺らした人はいなかったと思うが。
大勢で渡ったからかもしれない。或いは定員オーバー?
定員は15人。この日の参加者、総勢20人!

吊り橋を渡り切ったところが、青谷青少年運動広場(柏原青谷オーエンスフィールド)。
JR大和路線の跨線橋を渡ると分岐に道標が立っているが、磨耗して文字が読めない。
「右 ?? 左 ?? 」。

河内堅上駅前を通過し、青谷踏切を横断。
道標を見て龍王社参道を歩く。

「剣先船仲間奉納の石灯籠」や、「葛城廿八宿修験 第廿八番の宿 亀尾宿の由来と当宿の経塚地」の説明板を見て龍王社に到着。
昼食となる。
食後は峠八幡神社を目指して竜田道を歩く。
神社の前、峠の地蔵堂で小休止。

三郷町に入り、大正橋の北詰付近に立つ道標を見る。
「?龍田川 三室岸 ?信貴山 / ?徳壽軒? / 龍田本宮? 東 法隆寺 南都海道」。
“海道”と彫られているが、昔は、河川に沿って歩く道も“海道”と呼ばれていたと聞く。

磐瀬の杜で万葉歌碑を見て小休止。
「鏡女王 / 神奈備乃 岩瀬乃 杜乃呼ぶ子鳥 痛くな鳴きそ 吾が恋まさる」。

三郷駅前を通過し、大和川に架かる神前橋を渡ってR25に出合い、これを北東へ歩く。
反省会は毎度お馴染み、餃子の王将 王寺店。

更には反省会その2として、「ビアカウンターちょこっと 王寺駅前店」へ向かった。参加者4名。
この日、久方ぶりに顔を見たN氏は、道中でのトラブルの為、残念ながら反省会には不参加。

画像はこの日歩いた安堂駅から、餃子の王将 王寺店までのGPSログを表示している。



<コース>
近鉄大阪線安堂駅9:35_大和川付替記念碑公園・中甚兵衛(なかじんべえ)像_大和川河川敷緑地公園_石川合流点_ヌートリア出没_石柱(やまとがわ 河口から19.0km)_近鉄大阪線の跨道橋を潜る_大和川に架かる国豊橋を渡る_説明板(「風戸堤」について)_大和川親水公園_道標(←松岳山(まつおかやま)古墳(国史跡) 国分神社)_国分神社_説明板(夏目茶屋の渡し)_大和川に架かる夏目茶屋渡し跡の吊橋(川端橋)を渡る_青谷青少年運動広場(柏原青谷オーエンスフィールド)_説明板(青谷遺跡 竹原井頓宮跡)_川端地蔵尊_JR大和路線の跨線橋を渡る_道標(右 ?? 左 ?? )_JR大和路線河内堅上駅前_JR大和路線の青谷踏切を横断_道標(龍王社参道)_説明板(剣先船仲間奉納の石灯籠)_説明板(葛城廿八宿修験 第廿八番の宿 亀尾宿の由来と当宿の経塚地)_11:45龍王社・石灯籠・昼食12:28_道標(峠八幡神社まで600m)_道標(←JR三郷 1.5km / 亀の瀬 500m→ /竜田道)・峠八幡神社・説明板(石造 地蔵菩薩坐像)_道標(?龍田川 三室岸 ?信貴山 / ?徳壽軒? / 龍田本宮? 東 法隆寺 南都海道)_石柱(やまとがわ 河口から25.0km)_磐瀬の杜・万葉歌碑(鏡女王 / 神奈備乃 岩瀬乃 杜乃呼ぶ子鳥 痛くな鳴きそ 吾が恋まさる)_JR大和路線三郷駅前_大和川に架かる神前橋を渡る_R25を北東へ歩く_反省会1:餃子の王将 王寺店_反省会2:ビアカウンターちょこっと 王寺駅前店_近鉄生駒線王寺駅

<メモ>
・参加者総勢: 20名。
・コース歩行 (安堂駅~餃子の王将 王寺店までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約11.6km。
 所要時間: 4時間24分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの歩数と歩行時間及び推測距離)
 歩数: 23,063歩。
 推測距離: 約15.4km。(0.67m×23,063歩=15,452m)
 歩行時間: 3時間44分。
・反省会1: 餃子の王将 王寺店
・反省会2: ビアカウンターちょこっと 王寺駅前店

大和川河川敷、石川との合流地点付近で見たヌートリア
野生化している。
人をあまり怖れない様子だった。



大和川に架かる鉄橋に掛けられた鯉幟。
最近、このような光景をよく見る。



「おひとり様 一かご程度 お持ち下さい」
「お気持ちは 賽銭箱に 入れて下さい」
国分神社境内にて。



大きい方を一つだけ頂戴した。
ザックに入るギリギリ。
二つは無理。

帰宅してから調理して食べたが、美味しかった。
感謝!!

つづく。



6月28日(金)18:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(完)イノラムキ古墳_生駒山_暗峠_躑躅の群生地

昔の登山道らしきを下ると、管理道に出合う。
そこが躑躅の群生地。(ツツジ園)

管理道に降り立ち、下って来た方向を眺めると、「危険」の表示はあったが、通行止めではなかった。
(画像左下)



残念ながら、ツツジの開花は観られず。
見頃の時季は年によって違う。
予定は一ヶ月以上前から決まっており、タイミングよく訪れるのは難しい。



バラの一種。
つる性の一季咲きのバラに見える。
ナニワイバラかもしれない。



この日の反省会場。
この店は土曜会のF宴会部長が開拓した。
満マル 瓢箪山店 東大阪市瓢箪山町2-3 瓢箪山駅から84m
この店はチェーン店で無難。安心して飲食出来る。



串カツも注文した。
美味しくてリーズナブル!!

おしまい。



6月27日(木)18:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ササユリの花

今年、初めてササユリの花を観ることが出来た。
場所は六甲山地の桜谷。
おそらくこれが今年最後?
(2019年6月25日撮影)



桜谷は摩耶山の北西、生田川に注ぐ谷。


6月26日(水)19:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

(続々)イノラムキ古墳_生駒山_暗峠_躑躅の群生地

生駒山頂から暗峠へ下る途中、信貴生駒スカイラインを横断すると眺望地(パノラマ駐車場)が現れる。
画像は大阪平野方向の眺め。
生憎霞んでいる。
画像中央やや右の山塊は六甲山地。



立派な鳥瞰図と一緒に撮影。
この鳥瞰図には、あべのハルカスが示されているので、近年、設置されたもの。



暗峠を示す道標。
生駒山山頂から暗峠へほぼ一直線に下る。
画像の女性は、この後、大発見をした!?



登山道脇で、女性が発見した珍しいキノコ。
アミガサタケとみられる。



府民の森、森のレストハウス横の脇道に取り付き、八代龍王 神感寺の塀に沿って下る。
この道は地図には記載されていない。
昔の登山道だろう。

錆びた鉄の手摺を伝い、足元の悪い階段を下る。(画像)

つづく。



6月25日(火)21:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

(続)イノラムキ古墳_生駒山_暗峠_躑躅の群生地

イノラムキ古墳、南側石室入口部分。
古墳は標高360m、南側の傾斜地に築造されている横穴式石室。
東西15m、南北18mで三段造り、7世紀中頃~後半の築造とされる。



生駒山を歩こう会によるイノラムキ古墳 命名説によると、

この古墳は7世紀中頃から後半(平城京の時代)に築造され、日下部氏?が埋葬されていた説が有ります。
なぜ入り口が南側を向いているのでしょう?
天国へ行ける様、埋葬者自身が太陽に向かって祈る為、南向きに築造されたと考えられます。
祈ると言う行為、言葉は方言で祈らー(イノラー)。
太陽に向かって祈るのが「祈る向き」=「イノラームキ」。
これが「イノラムキ」に成り「イノラムキ古墳」と命名されたものと考えられます。

補足 第三者が埋葬者に“祈らす”「イノラす」・埋葬者、俺が“祈らー”「イノラー」



生駒山山頂に向かって辻子谷(ずしだに)を登る。
何回か管理道を横断すると、通行止めのフェンスが現れる。
フェンスの隙間から自己責任で進入した。
画像は崩落した斜面を登る参加者を振り返って撮影。



斜面が大きく崩落した箇所に出る。
ブルーシートを被せて覆っている。



信貴生駒スカイラインを横断。石段を登ると生駒山上遊園地。
(入園無料)

画像は遊園地の様子。
子供連れのファミリーを多く見かけた。

つづく。



6月24日(月)18:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

イノラムキ古墳_生駒山_暗峠_躑躅の群生地

2019年4月28日(日)は、山を登る会の第1,038回例会に、M氏、Siさん、Hさんと私の四人で参加した。

<概要>
スタートは近鉄奈良線石切駅、ゴールは同線瓢箪山駅。

石切駅北口(標高110m)を9時14分に出発。
太宰治の小説パンドラの匣の舞台となった日下新池を経て、くさか新池ハイキング道に取り付く。
このコースの目玉は「イノラムキ古墳」。

古墳の存在は知っていたが、古墳そのものを見たのは、これが初めて。
というのは、今までは古墳の周辺をウロウロしていただけだった。

古墳は標高360mの傾斜地に築造されている。
東西15m、南北18mで三段築造された方墳で、7世紀中頃~後半築造とされる。

古墳を見た後は、くさかハイキングコースへ合流し、府民の森管理道を南へ歩いた。
分岐で管理道を離れ、左折して辻子谷(ずしだに)ハイキングコースを歩く。

ここからは石畳の道が続き、滑りやすくやや歩き難い。
何回か管理道を横断する。
管理道はクルマが通行出来る勾配で、人が歩くとダラダラ歩きとなる。

何回目かの管理道の横断で、通行止めのフェンスの隙間から入る。
通行止めとなっていたのは、その先で斜面が大きく崩落していた為。
私達は自己責任で注意しながら歩いた。

やがて信貴生駒スカイラインに出てこれを横断。
生駒山上遊園地への石段を登る。

生駒山(641.99m 点名:生駒山)の一等三角点を見て南へ向かう。
分岐で摂河泉コース入口を右に見送り、暗峠近道・僕らの広場・鳴川峠方面へ直進。

途中、信貴生駒スカイラインを横断し、眺望地(パノラマ駐車場)で小休止。
暗峠に出て、人家の間を通り抜け信貴生駒スカイラインに沿って尚も南へ向かう。

分岐で管理道方面直進を見送り、左の山道に取り付く。
黒田緑化事業団の植林記念碑を見てぼくらの広場で昼食。

食後は府民の森・森のレストハウス横の脇道に取り付き、八代龍王 神感寺の塀に沿って下る。
この道を歩くのは初めて。
地図には記載されていない。

錆びた鉄の手摺を伝い、足元の悪い階段を下って管理道に出合う。
そこが躑躅の群生地(ツツジ園)だった。
残念ながら、躑躅はほとんど開花しておらず、蕾も固かった。
年によって開花の時季が異なる。
案内板によると、とうろうゲート広場(=府民の森くさか園地北端)から10.5km地点。

分岐で管理道から離れ右折してイシダタミの路を下る。
水車小屋跡に出て小休止。

その後、すぐにドングリの路分岐を右に見送り直進。
らくらく登山道を横断して こうぎりの道をゴールの瓢箪山駅に向かって歩いた。
宗教法人念仏法眞教 瓢箪山道場前、上四条町第二公園前、大池公園前、空川地蔵尊を経て瓢箪山駅にゴール。
反省会は駅前、満マル 瓢箪山店。

画像はこの日歩いた近鉄奈良線石切駅から同線瓢箪山駅までのGPSログを表示。



<コース>
8:55近鉄奈良線石切駅北口(標高110m)9:14_日下新池_道標(←イノラムキ古墳コース 古墳まで1.0km)_道標(→イノラムキ古墳コース 古墳まで900m くさかハイキングコースへ合流し管理道へ 管理道へ1.5km)_石碑?(三?)_石碑?(三木)_石碑?(三木)_緊急通報板(くさか新池ハイキング道 現在地 ク-36)_道標(→イノラムキ古墳 すぐそこ)_道標(←イノラムキ古墳)_イノラムキ古墳(360m)_緊急通報板(くさか新池ハイキング道 現在地 ク-37)_緊急通報板(くさか新池ハイキング道 現在地 ク-38)_送電線鉄塔の下を潜る_道標(日下直越道分岐を左に見送り 直進)_標点板(C-3-2 関電高圧鉄塔)_緊急通報板(くさか新池ハイキング道 現在地 ク-39)_くさかハイキングコース出合(くさか園地 こぶしの谷直進を見送り くさかハイキングコースへ左折)_緊急通報板(くさかハイキング道 現在地 ク-8)_緊急通報板(くさかハイキング道 現在地 ク-9)_鉄パイプの金網を潜る・府民の森 管理道出合・管理道を南へ歩く_標点板(C-3-3 電源開発鉄塔)_簡易トイレ_分岐で管理道を離れ辻子谷(ずしだに)ハイキングコースを左折_石畳の道_管理道を横断_管理道を横断しフェンスの隙間から入る_石畳の道_斜面崩落地_通行止めのフェンスの横を通り抜ける_信貴生駒スカイラインを横断_生駒山上遊園地へ石段を登る_生駒山(641.99m 一等三角点 点名:生駒山)_分岐で摂河泉コース入口を右に見送り 暗峠近道(足下注意)・僕らの広場・鳴川峠方面へ直進_信貴生駒スカイラインを横断_眺望地・パノラマ駐車場・道標(←生駒山 →暗峠)_暗峠_人家の間を通り抜け信貴生駒スカイラインに沿って南へ_分岐で管理道方面直進を見送り 左の山道に取り付く_記念碑(寄贈 けやき他29種5653本 財団法人 黒田緑化事業団 1979年3月31日)_送電線鉄塔_11:50ぼくらの広場・昼食12:15_府民の森・森のレストハウス脇道に取り付く_八代龍王 神感寺の塀に沿って下る_錆びた鉄の手摺を伝いながら足元の悪い階段を降りる_管理道出合・躑躅の群生地(ツツジ園)_案内板(とうろうゲート広場(=府民の森くさか園地北端)から10.5km地点)_道標(どんぐりの路 南出合)_分岐でぼくらの広場方面左折を見送り直進_分岐で管理道を離れ右折イシダタミの路を下る_水車小屋跡・石碑(八代龍王神感寺)・道標(←ぼくらの広場1.3km)・案内図(府民の森なるかわ園地)_ドングリの路分岐を右に見送り直進_らくらく登山道を横断_道標(こうぎりの道 ←瓢箪山駅2.1km)_らくらく登山道斜面崩落地_宗教法人念仏法眞教 瓢箪山道場前_上四条町第二公園前_大池公園前_空川地蔵尊_13:34反省会:満マル 瓢箪山店14:50_14:53近鉄奈良線瓢箪山駅(10m)

<メモ>
・参加者: 98名。
・リーダー: T氏
・コース歩行 (石切駅~瓢箪山駅までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約12.0km。
 所要時間: 5時間54分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの歩数と歩行時間及び推測距離)
 歩数: 22,707歩。
 推測距離: 約15.2km。(0.67m×22,707歩=15,213m)
 歩行時間: 3時間52分。
・反省会: 満マル 瓢箪山店 東大阪市瓢箪山町2-3 瓢箪山駅から84m

画像は、イノラムキ古墳コースを表示している道標。古墳まで1.0km。
尚、イノラムキ古墳コースは古い名称で、現在はくさか新池ハイキング道と呼ばれているようだ。



自然石に「三木」と彫られている。
その後も、幾つか同じような石碑?を見たが、“三木”の意味は不明。



くさか新池ハイキング道を表す緊急通報板。
この後も、いくつか見られた。



イノラムキ古墳の方向を示す道標。
このような傾斜地に古墳が築造されていた。

つづく。



6月23日(日)20:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

(完)近鉄田原本線沿線(宮古薬師堂~馬見丘陵公園)

川中地蔵尊。
祠の中に説明書きが記されていた。

此地蔵尊は川中地蔵ト曰
大正七年八月當飛鳥川橋下より顕はれし本尊なり
本尊の左右には作製年月日記入あり
大永参年四月貳拾四日とあり (※大永参年=1523年)
今を去四百年前の作製本尊なり

大正八年五月 但馬東方世話人
平成九年九月寫
平成九年九月 御堂建替



但馬・杵築神社の十三重石塔

鎌倉時代元応元年(1319)
石材は花崗岩、高さ約350m、基礎・初軸・屋根の各部材も揃い屋根の一部に欠損があるものの、保存状態は良い。
相輪部は欠損しているが当神社に隣接する西道寺の本堂右前の五重塔の宝珠の代用にされている。
屋根の軒反りは両端で反り上がり、軒裏に一重の垂木型を造り出す。
塔身の初輪には月輪に金剛界四佛の種子を薬研彫され、屋根の軒反と共に鎌倉時代後期の特徴を現している。
基礎は無地で東側一面に、

奉進常福寺
□□□長禄
右為二親息災
元応元己未七
大願主沙弥信仏

と刻銘がある。
元天理市庵治の常福寺に建っていたが、明治初年の廃仏毀釈で廃寺になりここに移された。
この地方最古の年銘のある貴重な石造物である。

金剛界四仏

北 アク(不空成就)
南 タラーク(宝生)
東 ウーン(阿閃)
西 キリーク(阿弥陀)

平成16年12月 三宅町教育委員会
奈良県文化財保護指導委員磯城郡 (田原本町・川西町・三宅町) 担当 中西秀和 寄



旧道の辻に立つ道標。
「右 たつ多 ほりうじ / 但馬村? / すく 田原本 三輪 者(は)せ / 大峯山上三十三度?」。
傍らには地蔵菩薩像が立つ。



今、大人気の草花ネモフィラ
グランドカバーとしても用いられる。



土曜会の宴会部長、F氏が開拓した“昼呑み ビアカウンターちょこっと”
近鉄生駒線王寺駅及びJR王寺駅西出口より北へ55歩。

この店の店長は、“アサヒ樽生シニアクオリティマネージャー”という全国に85人しかいない貴重な資格の持ち主だそうだ。
“アサヒ樽生シニアクオリティマネージャー”でネット検索してもズバリ、ヒットしないのはご愛嬌―笑。

おしまい。



6月21日(金)19:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

金剛山方面の山行、今日で14回

今年の2月下旬から始めたクルマを利用しての金剛山、大和葛城山方面の山行は今日で14回目。

1.2月21日 金剛山(千早本道_千早城跡)
2.2月25日 金剛山(水越峠_ダイトレ)
3.3月08日 金剛山(千早本道)
4.3月13日 大和葛城山(天狗谷道)
5.3月20日 金剛山(水越峠_ダイトレ)
6.3月26日 金剛山(青崩道)
7.4月09日 大和葛城山(水越峠)
8.4月18日 大和葛城山(天狗谷_水越峠)
9.5月07日 金剛山(青崩道)
10. 5月15日 大和葛城山(北尾根_櫛羅の滝)
11. 5月29日 金剛山(黒栂谷)
12. 6月05日 金剛山(ガンドガコバ)
13. 6月13日 金剛山(太尾東尾根)
14. 6月20日 金剛山(太尾西尾根)

反省会は三度目の訪問となる酒と飯スタンドゆうじ 阿倍野店
ま、ええんとちゃいますか~♪



6月20日(木)19:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | グルメ | 管理

(続々)近鉄田原本線沿線(宮古薬師堂~馬見丘陵公園)

キクモモとみられる。

この地は桃太郎伝説発祥の地とされ、これと関連して、“菊桃”があちこちに植栽されているのだろう。

桃太郎伝説発祥の地
「日本書紀」の崇神記によると、四道将軍の一人彦五十挟芹彦命(吉備津彦)は、朝廷から遣わされ西海を平らげ、その後、出雲振根を誅したと言う。
『古事記』の孝霊記では、弟の若日子建と共に吉備を平定したことが伝えられている。
後世の桃太郎の話は、その吉備津彦をモデルにして成立したと考えられる。
『記紀』は共に、吉備津彦の父にあたる第七代の孝霊天皇の都を黒田盧戸宮と記しているが、それはこの黒田・宮古の地に比定しうる。
また田原本町は、川上から男子が流れてきて神様になったという伝説を残し、万葉集に詠まれたように桃の名所でもあった。
現在、岡山・高松・鳥取県日野地方などの各地に、吉備津彦兄弟や孝霊天皇の鬼退治伝説がある。
そういう意味で、田原本町が桃太郎伝説発祥の地と言えるであろう。
二〇〇〇年三月 新千年年紀にむけ、平和への祈りをこめて 
田原本町 田原本町商工会



黒田地蔵堂横に立つ道標。
「すく なら 郡山 / すく たつ多 法里?じ / すく み王(わ) 者(は)セ」。



同じく黒田地蔵堂横に立つ石造物。
石を刳り抜いて石仏が祀られているが、元からあった石仏かどうかは不明。
少なくとも石材は違っている。



手持ちのパンフレットには、川中地蔵として地蔵堂の写真が掲載されているようだが、パンフの写真は黒田地蔵堂である。
地図上の川中地蔵の位置は正しいので、画像が間違っている。



こちらの祠に祀られているのが川中地蔵。

つづく。



6月20日(木)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(続)近鉄田原本線沿線(宮古薬師堂~馬見丘陵公園)

あまり見かけない花だが、ナデシコの仲間かもしれない。
アグロステンマ



旧都村道路元標。
都村は現在の住所表示では田原本町宮古。



魚の形をした手水鉢。
田原本町黒田 孝霊神社 境内にて。



県指定 史跡 黒田大塚古墳
昭和五十八年三月二十日日指定

黒田大塚古墳は、三宅古墳群の南端に位置する古墳時代後期の前方後円墳である。
墳丘は二段築成であり、推定される規模は周濠を含め全長八六メートル、墳丘長七0メートル、後円部径四0メートル、後円部高さ八.二メートル、前方部前端幅四五メートル、前方部高さ七.七メートルである。
また、墳丘の周囲には幅八メートル、深さ約一メートルの周濠がめぐる。
周濠の発掘調査では、墳丘に立てられていた円筒埴輪や蓋形埴輪、蓋形や鳥形の木製品が転落した状態で出土していて、本来墳丘に立てられていたと考えられている。
埋葬施設は未調査のため不明だか、古墳の築造時代は、その形態や出土遺物から六世紀初頭と考えられる。
牛形埴輪が出土した田原本町羽子田一号墳とともに、奈良盆地中央部の数少ない古墳時代後期の大型古墳として、注目すべきものである。
平成七年三月 奈良県教育委員会



地蔵菩薩坐像。室町時代前期とされる。
厨子や天蓋が邪魔をして、地蔵菩薩坐像がよく見えない。
法楽寺地蔵堂にて。

つづく。



6月19日(水)18:43 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理

近鉄田原本線沿線(宮古薬師堂~馬見丘陵公園)

2019年4月27日(土)は土曜会に参加した。
タイトルは「近鉄田原本線沿線を歩く」。

<概要>
スタートは近鉄橿原線田原本駅。ゴールは王寺駅。
池部駅がゴールの予定だったが、オプション(歩き足りない人向け?)に参加し王寺駅まで歩いた。
参加者8名の内、池部駅でゴールしたのは2名だけなので大半の人はOPに参加。

田原本駅を出発し、古い町並みが残る駅前を北へ向かう。
弁天神社前を通過したあたりで、進路を西方向へ変える。

近鉄橿原線と田原本線の踏切を横断。
宮古薬師堂(旧常楽寺)に立ち寄る。
国指定 重要文化財 木像 薬師如来坐像を拝顔したが、坐像までの距離が離れており、よく見えない。
画像の写りもイマイチだった。

都村道路元標を見て京奈和自動車道の高架下を潜ると黒田の集落に入る。
黒田池の堤を歩いて孝霊(こうれい)神社にお参りした。

黒田駅の西に位置する黒田大塚古墳へ立ち寄る。
古墳の上部には三等三角点が埋まっていた。
▲三等三角点 52.02m 点名:黒田。
実は黒田大塚古墳のすぐ近くに母方の伯母の家があって、子供の頃はよく遊びに来たが、古墳付近で遊んだ記憶はない。

法楽寺に立ち寄る。
立派な地蔵堂が建つが、厨子や天蓋が邪魔をして、ここも肝心の地蔵菩薩像がよく見えない。
ややフラストレーション気味。

黒田地蔵堂とその横に道標「すく なら 郡山 / すく たつ多 法里?じ / すく み王(わ) 者(は)セ」が立つ。
手持ちの観光パンフレットによれば、「川中地蔵」として画像が掲載されているが、この画像は黒田地蔵堂の間違い。
この後、すぐに飛鳥川に架かる辰ヶ辻橋の手前で、川中地蔵に出合った。

三宅町が設置した「三宅の原」の案内板を見て「但馬 杵築神社」(たじまきつきじんじゃ)へ立ち寄る。
十三重石塔は鎌倉時代の造営。

暫く歩くと、道標が立つ旧道の辻に出合う。
「右 たつ多 ほりうじ / 但馬村? / すく 田原本 三輪 者せ / 大峯山上三十三度?」。
傍らには地蔵菩薩像が立つ。

曽我川に架かる的場橋を渡ると行政区は三宅町から広陵町に変わる。
大和広陵高校前を通過し、葛城川に架かる枯木橋を渡る。
太神宮の常夜灯などを見ながら、箸尾の集落の中を練り歩き、やがて、通称 箸尾御坊と呼ばれている教行寺(きょうぎょうじ)に立ち寄り休憩。

高田川に架かる寺戸橋を渡り寺戸の集落に入る。
それにしても、このあたりは河川が多い。
同じような川に架かった橋を幾つも渡る。
これらの河川は、この先の河合町で、大和川に合流するが、地名の河合町はこのことに由来する。

寺戸の集落を抜けると、馬見丘陵公園に入り、乙女山古墳前のベンチで昼食。
昼食後は、公園内を北へ横切り、河合町役場前を経て近鉄田原本線池部駅へゴール。
参加者8名中、2名は当初の予定通りここでゴールしたが残りの6名は王寺駅まで歩いた。

王寺駅までは車道に沿った歩道歩きが淡々と続いた。
(新西山橋東詰交差点まで県道132号線、交差点を左折して県道36号天理王寺線を王寺駅方面へ)

反省会は王寺駅前、「ビアカウンターちょこっと 王寺駅前店」参加3名。

画像はこの日歩いた近鉄橿原線田原本駅から王寺駅までのGPSログを表示。



<コース>
近鉄橿原線田原本駅9:42_時計・メガネ・宝石 セイコー堂の辻を左(北)へ_出世地蔵尊の辻を左(北)へ_弁天神社_田原本幼稚園駐車場前_近鉄橿原線の踏切を横断_近鉄田原本線 西田原本第二号踏切を横断_五光温泉前_田原本すこやか保育園前_天理警察署 宮古駐在所前_品川工業所前_道標(↑太子道・黒田大塚古墳を見送り →重要文化財 薬師如来坐像へ)_宮古薬師堂(旧常楽寺)・国指定 重要文化財 木像 薬師如来坐像_都村道路元標_京奈和自動車道の高架下を潜る_田原本町保健センター前_黒田池の堤・キクモモ_孝霊(こうれい)神社_道標(笹鉾山古墳方面直進を見送り 黒田大塚古墳へ左折(西))_教行寺前_黒田大塚古墳・▲三等三角点(52.02m 点名:黒田)_説明板(法楽寺・桃太郎伝説発祥の地)_石碑(孝霊天皇黒田蘆戸(いほどの)宮跡)_田原本浄化センター前_吉谷靴下前_黒田地蔵堂・道標(すく なら 郡山 / すく たつ多 法里?じ / すく み王(わ) 者(は)セ)_川中地蔵_飛鳥川に架かる辰ヶ辻橋を渡る_案内板(三宅の原)_説明板(但馬 杵築神社 /たじまきつきじんじゃ)_説明板(三宅町 町・村の歴史 大字 但馬)_説明板(但馬・杵築神社の十三重石塔)_案内板(多度さん)_西道寺前_道標(右 たつ多 ほりうじ / 但馬村? / すく 田原本 三輪 者せ / 大峯山上三十三度?)・地蔵_奈良県スポーツ用品工業協同組合前_曽我川に架かる的場橋を渡る_野仏_大和広陵高校前バス停前_葛城川に架かる枯木橋を渡る_鈴木薬局箸尾店前_常夜灯(太神宮 村内安全)_教遠寺前_常夜灯(太神宮)_案内板(↑箸尾城跡)_説明板(教行寺)_教行寺_高田川に架かる寺戸橋を渡る_県道5号線大和高田斑鳩線の高架下を潜る_常夜灯_八坂神社_向陽寺_寺戸自警団前_馬見丘陵公園 寺戸入口_道標(→乙女山古墳へ右折)_説明板(乙女山古墳)_12:30ベンチ・昼食13:11_菖蒲園_ネモフィラ(花壇)_県道14号線に架かる「はなえみはし」を渡る_案内図(奈良県営馬見丘陵公園)_河合町役場前_近鉄田原本線池部駅前_河合町総合福祉会館 豆山の郷(まめやまのさと)分岐を左に見送り直進_県道132号線 山坊(やまのぼう)交差点を右折_以後新西山橋東詰交差点まで県道132号線を北へ_新西山橋東詰交差点を左折 県道36号天理王寺線を北西へ_大城橋南詰交差点_西名阪道自動車道に架かる跨道橋を渡る_キャパトル西大和店前_中山台二丁目バス停前_星和台一丁目交差点を横断_西大和学園中学校・高等学校前_白鳳短期大学前_西和警察署前_本町一丁目交差点を右折(北)_和の鐘前_王寺町役場前_王寺東公園_王寺駅前15:11 反省会:ビアカウンターちょこっと 王寺駅前店16:10

<メモ>
・参加者総勢: 8名。
・コース歩行 (田原本駅~王寺駅までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約16.5km。
 所要時間: 5時間37分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの歩数と歩行時間及び推測距離)
 歩数: 29,160歩。
 推測距離: 約19.5km。(0.67m×29,160歩=19,537m)
 歩行時間: 4時間37分。
・反省会: ビアカウンターちょこっと 王寺駅前店 (王寺町久度3-5-1 駒谷ビル1F) 参加3名

画像は民家の玄関先に咲くモッコウバラ
田原本駅近くにて。



近鉄田原本線 西田原本第二号踏切を横断。
田原本線は単線。
西田原本駅を出発した電車は、最初、橿原線とほぼ平行して走るが、この踏切を越えたあたりから左にカーブ。
最初の駅、黒田駅に向かう。



田原本町宮古に建つ薬師堂。
唐招提寺の枝院で、明治七年四月に廃寺となった常楽寺の薬師堂とされる。
現在は画像左の集会所を兼ねた堂内に薬師如来が安置されている。
狭い路地を歩いてここへ辿り着いた。



国指定重要文化財 一木彫像 薬師如来坐像。
説明板によると平安時代前期とされる。

残念ながら上手く撮影出来ず。
目視でもよく見えなかった。

つづく。



6月18日(火)16:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ダイアナ・ナヴァッロ

ダイアナ・ナヴァッロを視聴してみよう。

Diana Navarro canta a Jesús Nazareno y Virgen de las Lágrimas (Campillos, 2004)



Diana Navarro Saeta Cautivo 2012



Diana Navarro Saeta Cautivo 2015



Semana Santa 2017 | Diana Navarro a Jesús Cautivo



Diana Navarro - Saeta a Jesús Cautivo



Saeta Diana Navarro Málaga Dumas188



6月14日(金)21:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

勝貴屋のポン酢

大阪でポン酢と云えば、知らない人がいないほど人気なのが旭食品の旭ポン酢
しかし、大阪のポン酢はこれだけではない。

大阪市平野区平野流町4丁目で、夫婦二人でポン酢を手作りしている勝貴屋(しょうきや)という店がある。
激ウマなポン酢を求めて…大阪の『勝貴屋』

画像がそのポン酢。



日頃、我が家で愛用しているポン酢は、ミツカンのかおりの蔵 丸搾りゆず
これと比較すると、勝貴屋の方が味が濃くて塩辛い感じ。

ちなみに、「勝貴屋」の屋号だけど、夫 勝さんと、妻 貴子さんの名前が由来という。



6月11日(火)19:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | グルメ | 管理


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