(続々)大和川を水源地まで遡行3(安堂_王寺) |
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| 「寛政三辛亥年」に奉納された石灯籠。 龍王社にて。
現地に設置された説明板によると、
剣先船仲間奉納の石灯籠 峠・竜王社
江戸時代、大坂市中と河内・大和の村々は、剣先船(けんさきぶね)と呼ばれる大和川を利用した水運によって結ばれていました。 剣先船には、幕府によって公認された年代や働き場の違いによって、正保三年(一六四六)公認の古剣先船二一一艘、延宝二年(一六七五)公認の新剣先船一〇〇艘、在郷剣先船七八艘、井路川剣先船一〇〇艘があり、このうち国分村持ちの古剣先船三五艘を国分船と呼びました。 また、元禄三年(一六九〇)には、船の大きさが長さ五八尺(約一七・六メートル)、幅六尺二寸(約一・九メートル)、深さ一尺四寸(約四二センチ)と定められ、積荷も一艘につき十六駄(約二・二トン)と制限されました。 国境にあたるこの付近は亀瀬と呼ばれ、巨岩が露出していたことから船の通行は困難で、河内側は剣先船、大和側は魚簗船(やなぶね)が航行し、積荷はここで一旦陸揚げされ、再びそれぞれの船に積みかえて運ばれました。 この社には、そうした往時の賑わいをしのばせるように、剣先船の問屋仲間によって寛政三年に奉納された石灯籠が残っています。
二〇〇八年三月 柏原市教育委員会
奈良県河合町のサイト 魚梁船(PDF:374.5KB)
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| 峠八幡神社にて一服。 この日は日傘が重宝した。
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| 美味しいパイナップルを頂戴する。 至極のひととき。
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| 三郷町立野南3丁目、大和川に架かる大正橋北詰付近に立つ道標。 「?龍田川 三室岸 ?信貴山 」。 龍田川の上に小さく彫られているが文字が判読出来ない。
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| 「龍田本宮? 東 法隆寺 南都海道」。 こちらの面にも、小さく彫られた文字が随所に見られる。
つづく。
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Jun.30(Sun)18:51 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin
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