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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2020年1月31日を表示

No.2天保一揆と国宝善水寺

「新海道」と彫られた道標が立つ。
この道標は元あった場所からここへ移されたらしい。

“新海道”とは“東海道”に対する言葉。
元は東海道として利用されていたが、江戸時代に入り東海道を三雲から別れて伊賀に至る道に付け替えられた。
寛保年間(1741-43)には杣海道とよばれ明治時代に入って“新海道”と呼ばれた。
このことはスタッフの人から聞いた。

“杣街道”とも呼ばれる。
杣街道 - Wikipediaによると、杣街道 (そまかいどう) は、江戸時代に滋賀県(近江国)甲賀郡に存在した街道。
杣海道、新海道、伊賀街道、伊勢街道、東海道分間延絵図では杣谷道、一般には杣道とも呼ばれていた。

説明板もなく、こんなところにポツンと置かれても何の意味もない。



ビジネス旅館天保閣前を通過。


この階段を登ったところに碑が立つ。


天保義民之碑。
天保義民之碑(てんぽうぎみんのひ)・・・天保十三年(1842年)、代官の不正な検地に抗議するため、旧甲賀郡、旧野洲郡、旧栗太郡の総勢約4万人の農民がいっせいに蜂起した。
これが、歴史に有名な天保一揆である。
検地を中止させ「十万日延期」の目的を達した。
ただし、一揆のリーダーの庄屋クラスの農民達の払った代償も大きく、このときの一揆で犠牲になった祖先の魂をなぐさめ、その義挙を後世に伝えようと伝芳山(でんぽうざん)に明治三十一年(1898年)に天保義民之碑が立てられた。



説明板。
天保13年(1842)10月14日、幕府の命によって検地を始めた勘定役市野茂三郎以下40余名の苛酷な測量に対して農民の怒りは大きかった。
三上村の庄屋土川平兵衛や甲賀郡の各村の庄屋たちも相談し合って農民らと力を合わせその検地を廃止させた。
「十万日の延べ」の証書を得た一揆の農民は大声をあげて喜んだ。
その後、事件の中心人物としての80余名の取り調べは厳しかった。
ことに土川・田島・黄瀬らの庄屋に加えられた拷問は惨酷そのものであった。
しかし、調べられた者たちは一人として白状しなかった。
獄舎中で次々と死んだ者もあったが首謀者としての11名が江戸送りとなった。
針の文五郎、油日の惣太郎、上野の九兵衛、氏川原の庄五郎、深川の安右衛門、岩根の弥八、松尾の喜兵衛、杣中の平治、宇田の宗兵衛、市原の治兵衛、三上の平兵衛らの11人は檻に入れられて江戸へ送られた。
街道には農民の多くが涙を流しながら見送り、別れを惜しんだ。
うち江戸へ着いたのは8名であった。
遺体はもちろん満足な場所へ埋めなかった。
死ぬまで市野不法を訴え、庶民の正しさを申し立てたという。
その後、明治となり罪人の名を大赦し、相続を認めた。
明治31年5月20日に「天保義民」の碑を現在の地に建立した。
その文字は巌谷修氏の書である。
高さ10mの人造石でその費用は2,900円であった。
毎年10月15日にはこの碑前で郡町村が主として義民の追悼慰霊の例祭が催され、関係の遺族の多くが参列される。
奉納相撲も催される。

つづく。



1月31日(金)06:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.1天保一揆と国宝善水寺

<概要>
2019年10月31日(木)は、JRふれあいハイキングにYo氏と二人で参加した。
タイトルは「ダークツーリズム・天保一揆と国宝善水寺を訪れる」
~大粒自慢針文五郎米と弥平たまごのヘルシー弁当付き~

タイトルにあるダークツーリズム(英語: Dark tourism)とは、災害被災跡地、戦争跡地など、人類の死や悲しみを対象にした観光のこと。
この日のツアーでは、天保一揆を指している。
天保一揆については、近江天保一揆を参照。
ツアーでは「天保義民之碑」を訪問した。
天保義民之碑(てんぽうぎみんのひ)・・・天保十三年(1842年)、代官の不正な検地に抗議するため、旧甲賀郡、旧野洲郡、旧栗太郡の総勢約4万人の農民がいっせいに蜂起した。
これが、歴史に有名な天保一揆である。
検地を中止させ「十万日延期」の目的を達した。
ただし、一揆のリーダーの庄屋クラスの農民達の払った代償も大きく、このときの一揆で犠牲になった祖先の魂をなぐさめ、その義挙を後世に伝えようと伝芳山(でんぽうざん)に明治三十一年(1898年)に天保義民之碑が立てられた。

岩根まちづくりセンターにて昼食。
尚、昼食は「大粒自慢針文五郎米と弥平たまごのヘルシー弁当」で湖南市観光協会から提供頂いた。
(昼食代金の個人負担なし)
針(はり)文五郎米は、天保一揆首謀者の一人針文五郎の名を借りたお米。
弥平たまごは、湖南市伝統野菜弥平とうがらしを食べて育った鶏のたまご。

昼食後は善水寺を訪問した。
善水寺・・・薬師寺のひとつです。奈良時代和銅年間(708~715)元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創され、はじめは善水寺ではなく、「和銅寺」という名前でした。
延暦年間に傳教大師最澄上人が比叡山を開創した際、堂舎建立の用材を甲賀の地に求められました。
材木を切り出し横田川(野洲川)河岸に筏を組み、いざ流し下す段になったときに日照りが続き、河水少なく、思うように材を流すことができなくなりました。
そこで大師が請雨祈祷の為に、浄地を探されたところ、岩根山中腹より一筋の光が目に射し込み、その光りに誘われるまま和銅寺にたどり着きました。
山中に堂があり、その東側に百伝池があり、池中より一寸八分、閻浮檀金(えんぶだごん)の薬師仏を勧請され、その薬師仏を本尊として請雨の祈願を修すること七日間、満願の日に当って大雨一昼夜降り続き、流れの勢いのまま、材は川を下り琵琶湖の対岸比叡の麓に着岸したといわれています。
後に、京の都で桓武天皇御悩の際、大師が霊仏出現の池水を以って薬師仏の宝前にて病気平癒の祈祷、医王善逝(いおうぜんぜい)の秘法を修すること七日、満行なってこの霊水を天皇に献上されたところ、御悩忽ち平癒されたそうです。
この縁に依って岩根山「善水寺」の寺号を賜わったといいます。

<コース>
9:53JR草津線三雲駅10:25_道標(新海道)_ビジネス旅館天保閣前_天保義民之碑・説明板_モニュメント(県民花の森 天保義民の丘)・説明板_JR草津線の踏切を横断_常夜燈(東講中)・説明板(東海道五十三次 石部宿 横田常夜燈)・説明板(東海道五十三次 石部宿 園養寺→)_道標(妙感寺 従是二十二丁 / 微妙大師萬里小路藤房郷墓所)_県道13号高架下を横断_県道13号 野洲川に架かる横田橋を渡る_TOTO 滋賀工場前_朝国円形分水(親水性円筒分水工)前_R1(水口道路)高架下を横断_朝国北交差点を横断_石造物群(五輪塔の一部?他)_岩根東口交差点を横断_思川(おもいがわ)に架かる橋を渡り思川右岸を下る_やまりゅう(懐石料理店)前_11:46湖南市岩根まちづくりセンター・昼食12:43_案内板(岩根の里)_記念碑(開拓道路記念碑)_道標(国宝 善水寺参道 徒歩7分)_説明板(岩根山物語~善水寺と十二坊の歴史を訪ねて~)_観音堂(壱番 岩蔵坊 僧坊跡)_参番 僧坊跡_不動岩・磨崖不動明王_道標(国宝 善水寺 本堂 あとひといきです)_善水寺 駐車場_入山受付(大人500円)_説明板(国宝建造物 善水寺本堂 明治32年4月5日指定)_記念碑(善水寺と善水の由来)_観音堂_磨崖阿弥陀如来坐像_正栄寺前_常夜燈・道標(神?んみち)_高倉神社鳥居前_三叉路で道標(→0.5km 磨崖仏不動明王)を見て右折(北)_道標(←磨崖不動明王)_車谷川砂防堰堤_説明板(県指定文化財 磨崖不動明王尊 花園区)_来た道を三叉路まで戻る_八坂神社前_湖南市立岩根小学校前_三上山(近江富士)/菩提寺山遠望_思川と野洲川に架かる甲西橋を渡る_草津線の踏切手前で右折(北西)_15:44JR草津線甲西駅

<メモ>
・個別参加者: 2名 参加者全員:募集80名(満員)。
・コース歩行 (三雲駅~甲西駅までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約10.3km。
 所要時間: 5時間17分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの歩数と歩行時間及び推測距離)
 歩数: 24,449歩。
 推測距離: 約16.3km。(0.67m×24,449歩=16,380m)
 歩行時間: 4時間0分。
・反省会: 塩小路カフェ(単独参加)

<参考>
おでかけ moa JRふれあいハイキング

画像はこの日歩いた三雲駅から甲西駅までのGPSログを表示。



JRふれあいハイキングのコース案内。
Webサイトにアップされていたもの。
参加費用は500円となっているが、これは善水寺の拝観料に相当する。
よって、参加費は無料同然で、おまけにヘルシー弁当付きというサービス企画。

主催は一般社団法人 湖南市観光協会。
当日、実際には淡海観光ボランティアガイドの人達が運営されていた。
淡海観光ボランティアガイドとは、滋賀県の語り部で、ガイドブックでは得ることのできない、そこに住む人ならではの情報や見どころをご案内するというもの。

滋賀県観光情報観光ボランティアガイドによると、
自分たちが暮らしている地域等を、無料もしくは低廉な料金で、ご案内・ご紹介しています。
訪れる旅行者の方々を温かい心でお迎えし、地域の魅力を発信しています。
近年、全国各地でこのようなガイド活動が活発になっています。
最近では地域の紹介にとどまらず、地域づくりに貢献するなど、観光ボランティアガイド活動が地域の活性化や交流に果たす役割の重要性は、ますます高まってきています。
「おもてなしの心」を大切にしながら、地域を訪れる方々に喜んでいただけることを糧に、日頃から地域を知る努力や、新たな知識の習得に努め、日々活動に取り組んでいます。



JR草津線三雲駅でJRふれあいハイキングの受付をする参加者の皆さん。
この日のハイキングは予約制となっており募集定員80名は満員になったと聞いた。



参加者80名はいくつかのグループに分けて行動することに。
スタッフの人たちから簡単な挨拶とこれからの行程について話を聞く。

最初に訪問するのは、天保義民之碑が立つ天保義民の丘。
前方の丘陵地の左下に建物が建つがその右上に天保義民之碑が立っていた。
三雲駅を10時25分に出発。



天保義民の丘に向う別のグループの皆さんをズーム撮影。
白い建物はビジネス旅館天保閣。

つづく。



1月31日(金)06:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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