山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2020年3月21日を表示

No.12信貴山奥の院

陸橋を渡って坂道を登ると分岐となる。


ここは道標を見て右下へ。
道標には「→日本最初毘沙門天出現霊場 焼米(やけごめ)の霊地 大和北部八十八ヶ所第45番霊場 汗かきの毘沙門天さん 信貴山 奥之院」と記されていた。
画像の左下に道標を拡大して貼り付けておいた。



クルマで来た時の案内板。
奥の院(米尾山・多聞院)は右下へ。



この先、道は左にカーブしている。
右に続く道は先ほど渡った陸橋が出来る前の旧道と見られる。



旧道との分岐付近に立つ丁石。
「十二丁 伊庭?興吉 大正二年?」と表示。
この後も丁石が幾つか立っている。
目当てに対して数が増えるタイプの丁石。(→十三丁・・)

つづく。



3月21日(土)06:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.11信貴山奥の院

正面に見える道標には「信貴山 奥之院→」と表示。
コースは道なりに右へ。



ところが、左に続く細い道に地蔵堂らしきが建っていたので立ち寄る。
お堂には薬師堂と記された扁額が掲げられていた。



お堂の中には、薬師如来立像が収められていたが、下半身のお姿があまりにも痛々しい。
元はこのようなお姿ではなかったと思われる。
まるで、金属が溶けたように見える。
火事にでも遭われたのだろうか。
しかし、光背は痛んでいないようだ。



このお堂も最近造られたのか新しい。


分岐まで戻って右折。
県道250号に架かる陸橋を渡る。
橋の名前は薬師橋だった。

つづく。



3月21日(土)06:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.10信貴山奥の院

前述の「信貴山畑 樽観音石仏」のサイトによると“明和五年戌子一月吉日”の銘文が刻まれている。
また、十一面観音立像が置かれている台座が、“灯明用の高価な菜種油が尽きないようにと、菜種油の入った樽の上に石仏を乗せている。”と記述されている。

菜種油が尽きないようにと観音様に願いを込めて、石造りの樽をわざわざ造ったのだろうか。
元々、菜種油を貯える樽が石造りで、それを台座として転用したようには思えないが。



十一面観音立像を後にする。


コミュニテイバス 信貴畑集落センターバス停前を通過。


信貴畑自治会の案内板。


道標を見て県道250号から左折。
分岐に立つ道標には「←信貴山 奥之院0.5km」。

この後、画像中央に見える陸橋(跨道橋)を渡ることになる。

つづく。



3月21日(土)06:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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