エルヴィン・ジョーンズ ライヴ・アット・ザ・ライトハウス |
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| エルヴィン・ジョーンズ ライヴ・アット・ザ・ライトハウスを視聴してみよう。 エルヴィン・ジョーンズ ライヴ・アット・ザ・ライトハウス
エルヴィン・ジョーンズ ライヴ・アット・ザ・ライトハウス 1.「ファンシーフリー」(ドナルドバード)-21:06 2.「新種」(デイブ・リーブマン)-12:06 3.「サンバ」(ジーン・パーラ)-13:12 4.「私の船」(アイラ・ガーシュウィン、カート・ワイル)-8:52 5.「ハッピーバースデー」-0:50 6.「スウィートママ」(ペルラ)-15:30 7.「子供たち、子供たちを救う」(ドンガルシア)-7:58
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Apr.29(Wed)18:36 | Trackback(0) | Comment(0) | 音楽 | Admin
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No.10岸和田城と周辺散策 |
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| 岸和田城絵図に記された「岸和田城の変遷」。
建武元年(1334年)楠正成の一族和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」の地名の起こりになったといわれています。 その後、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏とかわり、寛永17年(1640年)岡部宣勝が入城、以来13代続き明治を迎えました。 岸和田城の別称は「猪伏山滕城(いぶせやまきりじょう)。「滕」(きり)」とは、機のたて糸をまく器具で、本丸と二の丸を連ねた形が「滕」に似ているところから由来するといわれています。 また、城は「千亀利(ちきり)城」「蟄亀利城」とも書かれます。 文政10年(1827年)、雷火により五層の天守閣が焼失し、昭和29年(1854年)、その後に三層の天守閣が復興されました。 城跡は、昭和18年(1943年)に、大阪府の史跡として指定されました。
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| 大手櫓門(やぐらもん)から入城する。 城内は自由。天守閣拝観料:300円。
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| 大手櫓門を潜ると、いきなりだが大釜が置かれている。
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| 説明書きによると、酒造用に使われていた「甑(こしき)用大釜」。 城内で使われていたものではなさそう。 何故ここに置いてあるのか不明。
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| 国指定名勝 岸和田城庭園(八陣の庭)。
つづく。
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Apr.29(Wed)05:05 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin
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No.9岸和田城と周辺散策 |
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| 野面積の石垣をズームアップ。
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| 岸和田藩薬園跡の説明板。
かつてこの場所には岸和田岡部家第9代藩主岡部長慎が命じて作らせた薬園があった。 【以下割愛】
現在、この場所には説明板が立つのみで駐車場になっていた。
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| 岸和田城、大手櫓門(やぐらもん)へ向う。
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| 画像中央が大手櫓門。 右手に多聞櫓・隅櫓が建つ。
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| 岸和田城絵図。
つづく。
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Apr.29(Wed)05:04 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin
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No.8岸和田城と周辺散策 |
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| 岸和田城天守閣を別のアングルから撮影。 北東→南東。
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| 市指定文化財 五風荘。 現在は回遊式日本庭園を持つ予約制の日本料理レストランとなっている。 五風荘
以前、がんこ寿司が運営している時に利用したことがある。 現在は、グランドホールが運営しているようだ。
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| 五風荘の説明板。
寺田財閥の寺田利吉が旧岸和田藩主の新御茶屋跡などに、昭和12年から3年の歳月をかけて造営した大邸宅である。 【以下割愛】
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| 南正面から撮影。
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| お城の石垣は野面積(のづらづみ)と呼ばれるもので、使用されている石は形も大きさもバラバラ。 大阪城の石垣などと違って精巧に造られていない。 しかし、この光景に素朴で親しみを感じる。
つづく。
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Apr.29(Wed)05:04 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin
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