No.11木津川源流2(新田辺から木津へ) |
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| 木津川らしき堤に登る。 すぐにわかったが、この堤は木津川ではなかった。
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| その支流の普賢寺川。
下草が刈り取ってあったので歩き易い。
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| 方向的には南だが、一旦、下流となる北へ向い、画像に見える橋を渡って南へ歩く。
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| ここから自転車道になっていた。 コースは普賢寺川に架かる橋を渡る。(右折)
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| 自転車道との出合いに立つ「京都八幡木津自転車道線案内図」。 現在地は普賢寺川。 地図によると次のチェックポイントは玉水橋。
つづく。
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5月4日(火)05:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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No.10木津川源流2(新田辺から木津へ) |
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| 草内小学校の東に咋岡(くいおか)神社の社号標とその奥に石鳥居が見えた。
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| 説明板の文字が消えかけており読めない。 下記、京田辺市観光協会のサイトによると、 咋岡神社(草内)
『本殿は春日造。春日造の形式は、中世に奈良興福寺の領地であった場合が多い。 本殿は正面に軒唐破風(のきからはふ)をつけ、各所に蟇股(かえるまた)や虹梁(こうりょう)絵様を配して配色するなど装飾が多く、その細部様式からすると、江戸時代中期の建立と思われ、京都府の登録文化財に指定されている。 また、境内には江戸時代初期に建てられたと思われる末社若宮八幡宮がある。 境内裏手にある奥深い林は、山城国一揆の舞台となった草路城跡で、土塁や堀も残っている。 府の「文化財環境保全地区」に指定されている。』
この日は咋岡神社の境内には立ち寄らず。
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| 草内平和塔と彫られている。
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| 説明板によると、広島原爆病院を慰問、この事が縁となり原爆遺品が送られ、この平和塔に遺品を収納したとある。
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| 草内の集落を離れ木津川方面(東)へ向う。
つづく。
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5月4日(火)05:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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No.9木津川源流2(新田辺から木津へ) |
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| 法泉寺本堂。
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| 三宝荒神笠塔婆
三宝荒神は、如来荒神・鹿乱荒神・忿怒(ふんど)荒神の三神とも、如来荒神・三宝荒神・子島荒神の三種の神とも説かれるが、本来の仏縁には縁のないもので、神仏習合によって生じたものである。 寺院に祭られる例は少なく、とくに関西地方では特異なものである。 この碑は、笠塔婆形であり、明応七年(一四九八)の銘がある。 高さ約一メートルの花崗岩製で、基礎・連座・塔身を一石でつくる。 塔身の上方に三つの宝珠があり、その中に梵字を刻む。 銘はその下にある。 銘文 明応七年戌年 大功徳主法□ 三宝荒神王 □氏梵□敬白 秋七月十二日 京田辺市教育委員会 京田辺市文化財保護委員会
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| 三宝荒神笠塔婆は二つに割れたのを修復した跡がある。 地蔵菩薩が一緒に収まっている。
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| 説明書きにある塔身の上方に三つの宝珠。 その中に梵字が刻まれている。
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| 復元された室町様式の枯山水庭園。
つづく。
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5月4日(火)05:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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No.8木津川源流2(新田辺から木津へ) |
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| 西面は阿弥陀如来。
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| そして北面は弥勒菩薩。
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| マルメロかもしれない。 以前、これと良く似た果実を見たことがあるが、このような名前ではなかった。
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| 逆光になっているが、
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| カイヅカイブキの巨樹。
大阪の貝塚で品種改良したことが、名前の所以という。 推定樹齢 200年。
つづく。
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5月4日(火)05:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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