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2021年6月1日を表示

カティア・ブニアティシヴィリ チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番

カティア・ブニアティシヴィリ チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番を視聴してみよう。
カティア・ブニアティシヴィリ
ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)

Khatia Buniatishvili - Tchaikovsky: Piano Concerto no. 1 Op. 23 in B-flat Minor (OSR & C. Koncz)
カティア・ブニアティシヴィリ(ソリスト)
クリストフ・コンツ(指揮)
スイス・ロマンド管弦楽団 (ヴィクトリア・ホール、ジュネーブ - 2020)


【参考】
No.3カティア・ブニアティシヴィリ
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc62mT601CFC41/1/
No.2カティア・ブニアティシヴィリ
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc61mS5EF86875/1/
カティア・ブニアティシヴィリ
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc5eSZ5CC6EAD0/1/
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc5cih5B49BE02/1/
ソン・ヨルム チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc63OA60A373ED/1/



6月1日(火)16:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.8長尾神社_綿弓塚_史跡の丘_当麻寺

綿弓塚に到着。
綿弓塚のサイトによると、

『松尾芭蕉(まつおばしょう)が門人・苗村千里(なえむらちり)の旧里である竹内に宿泊した時に詠んだ句を記念し、1809年に建てられた句碑です。
句碑の建つ庭と近くの民家を整備して休憩所とし、芭蕉の資料や司馬遼太郎氏の色紙などが置かれています。
芭蕉は、1684年に竹内を訪れ、當麻寺に参詣して諸仏を拝んだと言います。
その後も度々この地を訪れ、孝女伊麻にも会いました。
さまざまな句を残し、中でも「綿弓や 琵琶になぐさむ 竹の奥」という俳句は有名です。』

上記の説明によると、撮影した画像は整備した民家で休憩所になっており、資料などが置かれていた。



整備された民家の梁。
(梁の端部に柱があるので、大梁と呼ばれている)



囲炉裏には化粧石が置かれ、イメージとして整備された舞台装置?になっている。
どうせなら、本物の薪や灰を置いた方がリアルだと思うが。



當麻寺の當麻曼荼羅の解説が掲示されていた。


「芭蕉旧跡 綿弓塚」の説明板。(先の綿弓塚 のサイトの説明と一部重複)

この句碑は、「野ざらし紀行」に「綿弓や琵琶に慰む竹の奥」とあり、この時の好句を記念するため、芭蕉の歿後百十五年を経た、文化六年十月に建てられたものである。
この地は、芭蕉の門人 千里 の郷里で、芭蕉は貞享元年秋 千里の案内でこの地に来り、数日間竹の内興善庵に滞在している。
その間當麻寺に参拝し諸仏を拝んだ。更に元禄元年春再びこの地を訪れ、孝女伊麻に会って、その親を思う美しい心にこの上もなく感激し、「よろづのたつときも、伊麻を見るまでのことにこそあなれ」と友人に手紙を送っている。
俳聖芭蕉は、貞享元年秋、元禄元年春その他数回当地を訪れたと思われ、数々の句文を残している。

つづく。



6月1日(火)05:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.7長尾神社_綿弓塚_史跡の丘_当麻寺

左端、自然石の道標石には「左 たへま 道」。


引き続き竹内街道を西方向へ歩く。
穏やかや傾斜の登り道が続く。



「豆柴~Kichi~」。
カフェ・喫茶の店らしい。

貼り出されていたのは、モーニング350円。
(トースト サラダ コーヒー他)など。
cafe 豆柴~kichi~



国産はちみつが1瓶千円だったら格安なのでは。
日本蜜蜂の巣箱が写っている。



綿弓塚(わたゆみづか)を指す道標。

つづく。



6月1日(火)05:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.6長尾神社_綿弓塚_史跡の丘_当麻寺

県道30号山麓線を横断。


街道の右側に常夜燈を挟んで手前に四角柱の道標石と、向こう側には地蔵堂、そして自然石の道標石(電柱の右横)が立っている。


四角柱の道標石には「右 大峯山 よし能 はせ寺 道 / 左 た以ま 王寺 だるま 道」と彫られている。
“だるま”とは王寺町の達磨寺を指している。



常夜燈。
「大峯山上夜燈」と彫られていた
二つとも大峯山関連のもので、当時、山上参りが盛んだったことが窺える。



地蔵堂には「南無地蔵尊」と彫られた石柱が立ててあったが、これはお地蔵さんの名前ではなさそう。
“子まめ地蔵”又は“子満免地蔵”とも表記されているようだ。
お地蔵さんはほとんど風化しておらず、作りも精巧で、親しみのあるお顔をされている。
出来れば前に置かれた奉納台を横に置いて観たかった。
それにしても、地元の人達によって大切にされていることがわかる。

つづく。



6月1日(火)05:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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