No.8長尾神社_綿弓塚_史跡の丘_当麻寺 |
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| 綿弓塚に到着。 綿弓塚のサイトによると、
『松尾芭蕉(まつおばしょう)が門人・苗村千里(なえむらちり)の旧里である竹内に宿泊した時に詠んだ句を記念し、1809年に建てられた句碑です。 句碑の建つ庭と近くの民家を整備して休憩所とし、芭蕉の資料や司馬遼太郎氏の色紙などが置かれています。 芭蕉は、1684年に竹内を訪れ、當麻寺に参詣して諸仏を拝んだと言います。 その後も度々この地を訪れ、孝女伊麻にも会いました。 さまざまな句を残し、中でも「綿弓や 琵琶になぐさむ 竹の奥」という俳句は有名です。』
上記の説明によると、撮影した画像は整備した民家で休憩所になっており、資料などが置かれていた。
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| 整備された民家の梁。 (梁の端部に柱があるので、大梁と呼ばれている)
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| 囲炉裏には化粧石が置かれ、イメージとして整備された舞台装置?になっている。 どうせなら、本物の薪や灰を置いた方がリアルだと思うが。
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| 當麻寺の當麻曼荼羅の解説が掲示されていた。
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| 「芭蕉旧跡 綿弓塚」の説明板。(先の綿弓塚 のサイトの説明と一部重複)
この句碑は、「野ざらし紀行」に「綿弓や琵琶に慰む竹の奥」とあり、この時の好句を記念するため、芭蕉の歿後百十五年を経た、文化六年十月に建てられたものである。 この地は、芭蕉の門人 千里 の郷里で、芭蕉は貞享元年秋 千里の案内でこの地に来り、数日間竹の内興善庵に滞在している。 その間當麻寺に参拝し諸仏を拝んだ。更に元禄元年春再びこの地を訪れ、孝女伊麻に会って、その親を思う美しい心にこの上もなく感激し、「よろづのたつときも、伊麻を見るまでのことにこそあなれ」と友人に手紙を送っている。 俳聖芭蕉は、貞享元年秋、元禄元年春その他数回当地を訪れたと思われ、数々の句文を残している。
つづく。
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Jun.1(Tue)05:52 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin
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No.7長尾神社_綿弓塚_史跡の丘_当麻寺 |
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| 左端、自然石の道標石には「左 たへま 道」。
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| 引き続き竹内街道を西方向へ歩く。 穏やかや傾斜の登り道が続く。
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| 「豆柴~Kichi~」。 カフェ・喫茶の店らしい。
貼り出されていたのは、モーニング350円。 (トースト サラダ コーヒー他)など。 cafe 豆柴~kichi~
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| 国産はちみつが1瓶千円だったら格安なのでは。 日本蜜蜂の巣箱が写っている。
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| 綿弓塚(わたゆみづか)を指す道標。
つづく。
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Jun.1(Tue)05:24 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin
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No.6長尾神社_綿弓塚_史跡の丘_当麻寺 |
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| 県道30号山麓線を横断。
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| 街道の右側に常夜燈を挟んで手前に四角柱の道標石と、向こう側には地蔵堂、そして自然石の道標石(電柱の右横)が立っている。
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| 四角柱の道標石には「右 大峯山 よし能 はせ寺 道 / 左 た以ま 王寺 だるま 道」と彫られている。 “だるま”とは王寺町の達磨寺を指している。
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| 常夜燈。 「大峯山上夜燈」と彫られていた 二つとも大峯山関連のもので、当時、山上参りが盛んだったことが窺える。
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| 地蔵堂には「南無地蔵尊」と彫られた石柱が立ててあったが、これはお地蔵さんの名前ではなさそう。 “子まめ地蔵”又は“子満免地蔵”とも表記されているようだ。 お地蔵さんはほとんど風化しておらず、作りも精巧で、親しみのあるお顔をされている。 出来れば前に置かれた奉納台を横に置いて観たかった。 それにしても、地元の人達によって大切にされていることがわかる。
つづく。
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Jun.1(Tue)05:18 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin
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