山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2013年8月を表示

音羽三山_音羽山展望台16

やがて不動滝に到着。


不動滝から道路を挟んで南に破不動尊(われふどうそん)が祀られている。


不動明王のお姿。磨崖仏。


大石の説明板。この岩が御破裂山の所以ではないだろう。


民家の前、寺川橋のたまとに彫られたお地蔵さん。こちらも磨崖仏。手足は磨耗して形が消えている。


8月27日(火)20:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台15

この草花を林道脇で幾つも見たが名前がわからない。ガクウツギに似ているが、木ではなく草に見える。


こちらはウバユリ。


針道(はりみち)の集落の入口付近から進行方向(西方向)を撮影。


来る9月7日に万葉まつりが開催されるようだ。


ヤブミョウガの群落。この草は日陰に生えていて、群生していることが多い。秋に青い実をつける。


8月27日(火)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台14

当初の予定では、大峠から先、細峠、竜在峠、冬野を経て談山神社まで歩くことも考えていたが、大峠到着が14:20で、皆で相談の結果、この行程を歩くには、3時間程度必要と思われた。よって、この日は細峠へは向わず、林道を下って不動滝バス停からバスに乗ることにした。歩きやすい時季でも、大峠からこのコースを歩くには余裕をみて3時間は必要だろう。大峠到着が13:30迄であれば、上記の行程を歩くことが可能だと思う。画像は大峠から急坂を林道に下るお二方。


左手の斜面が大きく崩れていた。


15時頃に、林道の終点へ降り立ったが、ここからバス停まで普通に歩いて1時間足らずで到着する。不動滝バス停16:41発のバスに乗るまで、まだ十分過ぎるほど時間があった。そこで、N氏が鉱物採取の提案をされた。T氏も私も、最初はよく理解出来なかったが、右に習えで、N氏に教わった通りにやると、出るわ出るわ、じゃかすかと鉱物が採取出来るではないか。画像は童心に返って鉱物採取をするT氏。ご覧のように、特別に何か道具が必要なのではなく、そこらへんに落ちている棒切れで十分だった。


ご覧の通り、黄鉄鉱(おうてっこう)と呼ばれる鉱石が採取出来た。


30分程度、鉱物を採取した後、林道を歩いてバス停へと向う。


8月26日(月)23:03 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台13

出発してすぐ、正面に竜門岳の美しい山容が望める。


反射板から10分ほど急坂を下ると、、


大峠に到着。祠と「女坂伝承地」と彫られた石碑が立っている。


また、桜の古木があって、樹齢はわからないが200年くらいか。


桜の古木を見上げる。


8月26日(月)22:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台12

この先、踏み跡は分岐となる。正しい道は尾根筋を歩く右で、T氏によると左へ行くと谷筋へ下るらしい。(経験者は語る) 樹木に目印のマーキングが付けられていた。


肩のあたりまで、クマザサが生い茂っている。手を挙げて合図する余裕のN氏。


やっとこせ、マイクロウェーブ反射板(近鉄大峠無線反射塔)に到着。小休止。


昨年の年末にも、今日と同じルートを歩いた。この時は、北東方向に青山高原の風力発電がバッチリ見えたが、今日は霞んでいて見えなかった。尚、ここからは西側の展望も得られる。


このピークには四等三角点があって、標高は859m。


8月26日(月)22:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台11

クマザサが生い茂る中、登山道の見当を付けて前へ進む。


熊ヶ岳との鞍部に到着。鞍部には岩場がある。


前へ進むしかないが、足元に倒木があるので、注意しないと転倒する。私はこの日、一度大きくうつぶせに倒れた。


ようやく熊ヶ岳山頂に到着。ここも展望がない。小休止して出発する。ここから先も、クマザサが手ごわい。


強行突破しょうとしたが、トゲのある植物が(おそらくバラ科)、行く手を阻む。


8月26日(月)20:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台10

経ヶ塚は山頂が小さな台地状になっていて、自然のものか、人工的に造られたものかは知らない。石幢(せきどう)が建っている。宝珠と笠が一体の造りで、龕部(がんぶ)と思われる部分と幢身が一体の造りをなしている八角型のもの。(奈良歴史散歩 (著)松本俊吉) 全体のバランスから見て、地中に埋もれているように見える。


経ヶ塚は、この日の山行では唯一自然林が残っている。しかしここも展望はない。


宝珠と笠が一体の造り。


昼食後、熊ヶ岳へ向うが、ここから先は踏み跡が薄くなる。N氏によると、経ヶ塚へは大宇陀の本郷?から年に一度お参りされているとのことで、ここまでは踏み跡が比較的しっかりしているようだ。


経ヶ塚から、徐々に高度を下げる。途中、熊ヶ岳の山容が見渡せる箇所があって撮影ポイントだ。それにしても、見渡す限り植林だ。


8月26日(月)20:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台9

11時17分、音羽山頂に到着。展望なし。相変わらず殺風景な山頂だ。


山頂から北方向へ下る踏み跡があるが、大宇陀の五貫山(ごかんやま)方向へ降りられる。赤テープに五貫山と書かれたマーキングに、何故か赤テープを巻いてあった。


N氏のペースがやや遅かったので、少し心配したが、体調が悪いのではなく、鉱物を探していたとのことだった。画像はこの時N氏が採取された水晶だが素晴らしい。尚、2つの画像は同じ水晶を撮影したもの。


音羽山頂では展望もないので、昼食予定の経ヶ塚を目指して歩く。画像は経ヶ塚への最後の登り。


11時44分、経ヶ塚山頂に到着、ようやくここでゆっくりと腰を下ろすことが出来た。ヤレヤレ。


8月25日(日)22:24 | トラックバック(0) | コメント(4) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台8

展望台で休んだあと、旧道に合流する為、北方向へ下る踏み跡を辿る。この時、N氏が山頂方向へ直に伸びる踏み跡を見つけた。どちらの道を歩くか、一瞬迷ったが、ここは、旧道との合流地点の確認を優先した。


画像はヤマゴボウだが、紅色のヤマゴボウは見たことがない。ネット検索したら、どうやらこれは実が落ちた後のガクだ。まるで花のような綺麗なピンク色なのには驚いた。
夏の花めぐり②~ヤマゴボウ三種 http://blogs.yahoo.co.jp/gotemama7/23293922.html



谷筋を詰める旧登山道に合流した。尚、谷筋は展望が一切ない。


音羽山頂を目指して登る。先程の、灼熱の太陽がウソみたいだ。時折、谷筋から冷たい風が吹いてきて、心地よい。


主稜線に出たと思われた頃、右方向への分岐(画像)があった。位置からして、先程の展望台へと続く踏み跡かもしれないと思ったが、帰宅後、ネット検索したらほぼ確信した。次の機会に歩いてみたい。


8月25日(日)21:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台7

この先、木の階段は設置されておらず。しかし、下草は刈り取られているようなので、前進できるだろう。画像は、あまりの暑さに座り込んでしまったT氏。この後、私も木蔭を探して小休止した。


ロープは登山道を設置するガイドラインだろう。


激登りが続く。そしてメチャクチャ暑い。


ようやく、展望台に到着した。この一角だけが平らになっている。画像の右に見える樹木も伐採すれば、展望は更によくなるのでは。


展望台の後方にある木蔭に入って小休止。


8月25日(日)20:25 | トラックバック(0) | コメント(14) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台6

観音寺を後にする。観音寺の標高は約550m、音羽山頂は851mなので、単純な標高差は約300mとなる。この先、ほとんど下りはないので、単純に高度差を登ると考えればよいだろう。右に見えるのは不動堂で、奥は滝行場となっている。


歩き出して間もなく、右手の斜面に木の階段が設置されている。ここが、住職に教えて頂いた途中までしか完成していない登山道だろう。ここを登ることにした。


下草を刈り取って、まだ日が浅い登山道。木の階段は浮いていて、歩き固められていなかった。おまけに、灼熱の太陽を背中に浴び、徐々に足取りは重くなる。


登山道の設置に使われる資材が置かれていた。


振り返ると、御破裂山から続くと思われる稜線が見える。その後方に薄く見える稜線は金剛山地の山々。


8月25日(日)19:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台5

本堂に到着。下居バス停から、ぶらぶらと歩いて1時間余しかかった。


境内で暫く休憩。画像ではわかりにくいが、右に見える手水鉢は、四人力士で支えられている珍しい脚が作られている。文政十一年(1828年)の寄進。更に、左側に案内板が立っているが、葉に実がなるイチョウ(お葉つき銀杏)で県天然記念物。推定樹齢300年以上。


本堂の入口前には、住職と副住職とみられる人形が置いてあって微笑ましい。


シュウカイドウ。まだ咲き始めだ。


10分程、休憩していたら、住職が出てこられたので、新しく設置された展望台についてお聞きすることが出来た。住職によると、展望台へは2つのルートがあって、従来の谷筋道を登り詰めて、左の支尾根に取り付かず、右の支尾根に取り付くと、すぐに展望台に出られるとのこと。分岐には、小さな案内板が置かれている。もう一つのルートは、この先、寺を出て、すぐに右の斜面に取り付く踏み跡があるが、登山道は途中までしか完成していない、とのことだった。住職にお礼を言って出発しょうとしたら、飴玉を頂戴した。ありがとうございました。


8月25日(日)17:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台4

この日、ご一緒したN氏とT氏。


観音寺へは左の石段を登る。初めて観音寺を訪れた時(2004年9月)と比べ、石段は整備されている。


微笑ましい案内板。


本堂下、石段横(右)に古い石仏や丁石が保存されている。


本堂下、石段横(左)の苔むした台地に、幾つかの自然石が並べられているが、以前、お寺の人に尋ねたら、何の遺物かわからないと話された。


8月25日(日)16:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台3

やがて、祓堂(はらいどう)と呼ばれる場所に出る。祠が見えるが、お祓を行う場所(だったの)かもしれない。


一瞬、何の為に糸が掛けてあるのかと思ったが、丁石の右側にササユリが植栽されていて、不注意に踏み込まないように引かれているのだろう。


前方に無常橋と呼ばれる小さな石橋が見える。また、ここから以前にはなかった荷物運搬用のモノレールが敷かれていた。


無常橋の銘が刻まれている。明治三十九年四月十七日建立。


無常橋を渡ると観音寺は近い。このような案内板を見ると、お寺に親しみを感じる。


8月25日(日)15:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_音羽山展望台2

観音寺までは、丁石が建てられている。「音羽山 十七夜 六丁 永代 施主×× 今井町××」この丁石は火袋のある笠形石塔婆と呼ばれるもの。幕末の天保年間のものだが、観音寺の本堂下の石段横には、これより古い鎌倉時代のものがいくつか保管されているようだ。


分岐。左が観音寺への参道で、音羽山方向。右は百市(もものいち)へ。前方に丁石が見えるが、左方向へ道がある。この道は何処へ繋がっているのか知らない。今度、機会があれば歩いてみたい。


この道標は、東を向いて置かれている。「左 たふのミ祢 音羽山観世音」。裏側には安政二年六月吉日と刻まれている。安政二年は1855年。この道しるべは、これから観音寺へお参りする人に向けられたものではなく、寺から下ってきた人の為に、多武峯・妙楽寺(談山神社)へ行く道を示しているようだ。今はその道はなくここから多武峯へ行くことは出来ない。


地蔵菩薩。「 嘉永三戌年二月×× 音羽村×× 」。


T氏によると、このお地蔵さん、お腹が出ているように見受けられると、そう云われば確かに。気がつかなかった―笑。


8月25日(日)15:32 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理


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