山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年7月を表示

大木の里から犬鳴山の道26

分岐。ここは「右 本堂」へ。


右折して「神宝橋」を渡る。


ちょっとした広場のようなところに出る。案内の絵図を見る皆さん。このような絵図は得てして、誇張されて表現されており、これから訪れる場所や歩く距離には、ほとんど参考にならないので、見もしなかった。


参道から少し離れたところにあった「虚空藏菩薩殿」。立ち寄らず。


燭台。


7月28日(火)20:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道25

「きんたかばし」を渡る。


犬鳴川の渓流で水遊びをする人と犬たち。犬も大喜び。


山門「瑞龍門」が現れる。


「瑞龍門」の門前右に祀られていた不動三十六童子の第四番光網勝童子(こうもうしょうどうじ)。この後も各所に童子像が祀られていた。


犬鳴山(いぬなきさん)は、大阪府史蹟名勝天然記念物になっている。


7月28日(火)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道24

この先、岩場となるが、参道(登山道)は整備されている。


屏風岩を通過。


手摺が設置されている。足元が濡れているので滑りやすい。


「両界の滝」。このあたりから大小幾つかの滝が現れる。

※七宝滝寺(しっぽうりゅうじ)のHPによると、七つの滝の一つで、金胎両部の滝として二瀑があり、これを合わせて両界の滝と呼んでいる。別名、一の滝。



「両界の滝」の上流付近。前方に見える橋は「きんたかばし」。


7月26日(日)20:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道23

道路の中央に一本のスギの木。手前の石標には「大阪みどりの百選」と彫られている。犬鳴川の渓流沿いの山岳景観が「大阪府緑の百選」に選ばれている。


やがて総門が現れる。左に石標が見える。「総門 此れより霊域 /両界の滝 百五十七米 /山門 三百八十一米 /本堂 九百五十九米」。


「二の橋」を渡る。


犬鳴川に沿って歩く。予想以上に涼しく快適。


岩窟に祀られていた役の行者と前鬼(ぜんき)・後鬼(ごき)。


7月26日(日)20:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道22

バス停前に設置されていた「犬鳴山おすすめ!!ハイキングコース」の案内図。現在地「バス停」から「行者の滝」をピストンする。


昔懐かしい郵便ポスト。今でも現役のようだ。


旅館の玄関前に置かれていたハスの花。


二瀬川に架かる橋を渡る。尚、このすぐ先の下流で、二瀬川とこれから歩く犬鳴川が合流し、樫井川となる。


二瀬川の清流で川遊びをする人たち。涼しそう!!


7月26日(日)20:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道21

鳥居を潜ってここに来るまでに、池上龍神、白住大神や神石など、小さな社殿?や祠がいくつかあって神々が祀られていた。そしてこの祠が一番大きくて立派だった清水地蔵尊。右は参拝者の男性。


こちらは地蔵尊。


道路を挟んで反対側にも祠があった。「南無清水地蔵尊」の看板があったが、「水呑清水地蔵」と別なのかどうかわからない。水呑地蔵バス停でバスを待つ。


12時50分発のバスが定刻より少し遅れて到着。


終点、犬鳴山で下車。運賃250円也。


7月25日(土)20:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道20

「水なす漬」を購入したが美味しかった。値段も安い。


かまど。時々使用するとのこと。


これは初めて見たが「しゅろみの」と呼ばれている。シュロの木の皮で作られていた。


縁先で昼食を済ませ、皆さん、和んでいるところ。


旧向井家住宅を出発。この後、犬鳴山バス停までバスに乗ることになった。お昼前頃から、梅雨明けとみられる暑さとなり、急遽、バスに乗ることになったが正解。バスの発車までに少し時間があったので、水呑地蔵に立ち寄る。それにしても、お地蔵さんなのに鳥居がやたら多い。
※「いずみさのなんでも百科」によると、水呑地蔵は、土丸水呑にあり、正式には水呑清水地蔵といいます。昔、この泉には大蛇が住んでいて、高野詣での旅人や近くの住民を苦しめていたところ、ここを通りかかった弘法大師により封じ込められ、以来大蛇は白住龍神王と呼ばれる地蔵の使者となり人々を守護するようになったと伝えられています。泉の水は大師の御加持水として万病や子授け、安産に利益があるとされ、今でも清水が湧きだしています。



7月25日(土)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道19

進行方向左(東方向)、右奥に土丸城跡287mが見える。左に送電線鉄塔が見えるが、ここからの展望も良かった。送電線鉄塔からは激下りと記憶している。


※この画像は2014年3月16日、雨山頂上から土丸城跡に向かう尾根筋から大木(おおぎ)の集落を撮影したもの。


水呑地蔵バス停前の交差点を左折すると古民家が現れる。


旧向井家住宅。泉佐野市指定文化財となっている。
※「いずみさのなんでも百科」によると、旧向井家住宅は、上之郷にあった江戸時代の農家住宅の、復元建造物。土蔵は1802(享和2)年に建てられています。空港連絡道路の建設用地となったため、本市が譲り受け、大阪府の手で平成5年土丸の現在地に移築されました。建築史にとどまらず、泉南地域の農村の様子を知る上で貴重な文化遺産です。土間と食違い4間取りの構造で、江戸時代末に奥座敷や角屋形式のかま屋が増築されていましたが移築にあたって当初の形に復元されました。屋根は茅葺で、棟に大きな独特の形をしたがんぶり瓦が葺かれています。



当初、ここへ立ち寄る予定はなかったようだが、農産物を販売しているので、少しだけお邪魔することになった。その後、係りの人のご好意により、ここで昼食を取らせて頂くことになった。感謝。泉州特産の農産物が格安で購入できた。


7月25日(土)20:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道18

この石仏はお地蔵さんではないように見えた。


クサギの花。満開が近い。


樫井川の流れ。水量は比較的豊か。


やがて阪和道の高架下を潜る。下の道路は府道62号。


新前川橋の交差点を渡って、府道62号に沿って歩く。クルマの往来が多い。


7月25日(土)20:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道17

春日神社を後にする。祠が見えたので立ち寄る。


お地蔵さん。口元が縦に長く表現されているようだ。


暫く歩くと「土丸城の由来」の説明板が設置されていた。ここ春日神社の前から登山道が続いている。
※「いずみさのなんでも百科」によると、土丸城は土丸山(城ノ山)の頂上付近にあり、槌丸城とも書かれる中世の城址。築城年代は不明ですが、南北朝のころに築かれたものと思われます。紀州と和泉を結ぶ往環道に位置し、戦略上重要な土地であったこの城では、楠木正勝や細川頼元、山名義理、橋本正高など、有名な武将が活躍しています。元和年間の土丸城絵図には、本丸、二の丸、三の丸や守備兵の宿泊小屋などが描かれていますが、近世的城郭のイメージで描かれたものといわれています。今も山上には、龍王神社や顕彰碑、古井戸、武者かくしなどが残されています。また、谷をへだてて相対する雨山には雨山城跡(熊取町)があり、土丸城を雨山城の出城と考え、二つ合わせて雨山城と呼ぶ場合があります。



クルマに注意しながら車道を歩く。


ここにも祠があったので立ち寄る。


7月24日(金)19:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道16

春日神社、拝殿の奥に祀られていた摂社。後方にも小さな社殿があり神々が祀られていた。
※この摂社は、「またり社」とみられる。



拝殿の奥の様子。拝殿の奥は鍵が掛かっていなかったので入ることが出来た。


お供えを鳥などの獣害から守る為に金網が掛けてあるのだろう。


春日神社の前の広場に設置されていた「国史跡・日根荘(ひねのしょう)遺跡」の案内板。
※国史跡 日根荘遺跡 泉佐野市歴史文化プロモーション事業のサイト
http://www.hinenosho.com/21.html



「国史跡・日根荘遺跡」の案内板を見る皆さん。後方は春日神社と鎮守の森。左は地元の子供さんたち。


7月24日(金)19:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道15

老人ホーム泉ヶ丘園の駐車場前に置かれていた「昇り竜」。ここから引き返す。


その後も、道迷いがあったが、樫井川に架かる橋を渡って、土丸の集落に入って来た。


前方に巨樹が見える。これから訪れる「春日神社」の鎮守の森。


巨樹はクスノキで何本かあった。ここで小休止となる。


境内に置かれていた道標。「右 またり神 道」。またり神とは?(画像はライトアップしている)
※「いずみさのなんでも百科」によると、疫病退散の神、麻多利(またり)神を祀った民間信仰。地元では麻多利はマタリンさんと呼ばれています。明治時代に流行したコレラやチフスなどの外来の伝染病を退散させようと、大木の人々が仏教の強力な神、麻多利、摩軻迦羅(まかかーら)(大黒天)を迎えて祀ったものです。上大木では今も7月24日に大祭を行います。マタリンさん信仰は土丸や山向こうの貝塚市秬谷、大川でもありますが、開国後に近代文明とともに入ってきたおそろしい伝染病に対してなすすべもなかった山里の人々が、マタリンさんに頼った心情がしのばれます。



7月24日(金)19:50 | トラックバック(0) | コメント(3) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道14

車道を歩く。クルマはほとんど通らない。大井関公園を過ぎたあたりから、泉佐野市日根野から、泉佐野市土丸(つちまる)に変わっていた。前方に阪和道の高架が見える。


今年クリは豊作と聞く。


東方向に見えた美しい二双の山。左のピークが雨山312m、右のこんもりとしたピークが土丸城跡287mだろう。2014年3月に、この日と同じ「おおばこ」で歩いた記憶が甦ってきた。


「たまねぎ小屋」。稲作の裏作として栽培されているので、残念ながら、この時季、たまねぎは見られない。


車道から離れ、樫井川の方向へ歩くが、道が違っていたようで引き返すことに。


7月24日(金)19:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道13

再び細い道となってこれを下る。


「大阪みどりの百選」のひとつになっている「ろじ渓」。ろじ渓の名称は日本書紀の祭神名からつけられたといわれている。


太鼓橋が現れる。


太鼓橋から上流方向の眺め。谷底の清流と迫力ある奇岩が楽しめ一見の価値あり。


橋を渡り坂を登ると視界が開けた。付近は田園地帯となっている。尚、この先樫井川の右岸に井川の取水口があるらしい。正面に見える丘陵は古墳に見えなくもない。


7月23日(木)20:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道12

日根神社、神門前の石段で集合写真の撮影となった。日根神社、慈眼院を後にする。


もと来た参道を戻らずに、日根神社拝殿の右側から、細く続く小道を大井関公園の方向に歩く。


拝殿の右側から続く細い小道。右下に樫井川(かしいかわ)の渓谷が見えた。


摂社の傍らに置かれていた「天保十四癸卯年?春吉日」の銘のある石標。


広場のような場所に出る。サクラが植樹されており、案内板はないが大井関公園なのだろう。


7月23日(木)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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