山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2018年12月を表示

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園27

邑光山 西蓮寺を右に見て南へ。


画像左、谷田川に沿って歩く。


谷田川に架かる谷田橋を渡る。
暗渠になっている。



分岐で東海自然歩道、沓掛方面を西に見送り、直進(南)する。


覆屋の中に石仏群が一ヶ所にまとめて保存されていた。


12月22日(土)18:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園26

浄住寺

浄住寺は、弘長年間(1261~64)に西大寺の叡尊を講じて創建した律宗の寺院と伝える。
応仁の乱後衰微したが、元禄2年(1689)に鉄牛禅師が堂舎を整備し、このとき黄檗宗に改められた。
現存の本堂は、この時期のもので、その後方中軸上に位牌堂、開山堂、寿塔が一列に並んでいる。
本堂は、元禄10年(1697)の造営になり、黄檗様の特色をもちながらも和様の要素も色濃く見られる。
また、内部両側に板敷の床を張って修業の場としており、法堂と僧堂の機能を兼ね備えたものとなっている。
一番後方の寿塔は、方2間、宝形造の小規模なもので、正面のみに設けられた2段の基壇上に建つ。
造営年代は、本堂と同じ元禄10年である。
また、位牌堂、開山堂は江戸時代中期の再建と考えられる。
本堂以下これら一連の建物は、京都市内における数少ない黄檗宗寺院を代表するものとして貴重であり、なかでも開山堂と寿塔は、黄檗宗寺院の特色をよく残しており、昭和59年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。
また、本堂への参道は、途中に石段が設けられたり、両側に樹木かおい茂ったりして、その構成に特色がみられる。
当境内は、この参道を中心として、建物、石段、樹木等周辺の自然と一体となって優れた景観を形成しており、本堂以下の建物の指定と同時に、京都市文化財環境保全地区に指定された。
京都市



浄住寺を後にして、更に南へ歩くと分岐に到着。


東海自然歩道を歩いて沓掛(くつかけ)方面へ進む。


思わず息を飲むほど美しい建築物に出合った。
おそらくヨシ葺き屋根と思われる。



この建物についてネット検索したがヒットしない。個人の住宅では。
ご近所の人が近くに居られたら、尋ねてみるところだが、生憎姿が見えず。



12月22日(土)18:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園25

ここも丁度、紅葉が見頃。


境内自由の数少ない隠れた紅葉スポットだったが、2017年から紅葉の時季(11月17日頃~12月2日頃)のみ拝観料600円徴収。
但し、朝、午前8時までは境内自由。
紅葉目当てではなく、普段お参りをされている信者の人には早朝に限って開放しているようだ。

画像は山門。屋根がなく石柱が立つ。



青空に真っ赤な紅葉。
光が当たると一層鮮やかに。



ここから先は拝観料が必要。


マンリョウだが、クリーム色の実は珍しいのでは。


12月21日(金)18:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園24

地蔵院を後にして南へ歩くと分岐に到着。
このまま南へ進むと浄住寺。



付近の地図。
この地図は上が西を表示。

ここは桂坂・亀岡方面、唐櫃越(からとごえ)への分岐となっている。
この辻から東西と北方向には歩いたことがあるが南方向は初めて。



浄住寺はすぐ。


山門の前に警備員が立っており観光客で賑わっている。
駐輪場も完備。



葉宝山 浄住寺(はむろさん じょうじゅうじ)

八一〇年に開創された嵯峨天皇の勅願寺で、当時は「常住寺」と称した。
「太平記」によると、捷疾鬼(しょうしっき)という鬼神に奪われた釈尊の一本の歯が中国から日本に渡り、嵯峨天皇により当寺の石窟に安置されたと伝えられる。
開山は慈覚大師円仁(天台宗)である。
一二六一年、葉室定嗣により中興されて「淨住寺」と改められた。
中興開山は興正菩薩叡尊(律宗)で、叡尊自叙伝の古写本である「感身覚正記」に当寺が律宗寺院であったことが記されている。
一五六七年に炎上するが、一六八七年、葉室頼孝により再興され、黄檗宗(禅宗)となって現在に至っている。
再興開山は大慈普応禅師鉄牛道機(黄檗宗)である。
釈迦牟尼佛坐像を本尊とし、諸堂宇が整って黄檗宗の有力寺院となった。
方丈は伊達綱村の幼少期の遺館であり、現存する寿塔、開山堂、祠堂、本堂兼禅堂は京都市指定有形文化財である。
また、境内は自然が多く、京都市指定環境保全地区にも指定されている。
寺宝として、後水尾帝御宸翰、興正菩薩再建古伽藍図、開山鉄牛禅師語録、鑑真律師伝来飛行鉢のほか多数の幅物、巻軸、器物及び佛像を蔵する。
 京都市



12月21日(金)18:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

スマホを使ってGPSログを表示3

宛先をパソコンメールに設定して、通常通りメールを送信★画像

【パソコンでの操作】
上記のメールを受信し、任意のフォルダーに保存
ファイルを開く
GPSログが表示される

山旅ロガー を使う場合。
★画像は省略

【スマホでの操作】
アプリを起動
測定開始をタップ

GPSログを記録

測定終了(長押しです)をロングタップ
測定結果の一覧を表示をタップ
(表示させたい)ファイルの機能をタップ
共有・出力(GPX/KML)をタップ
測定結果の出力で、出力先のファイル名(名前:テスト)を入力
デフォルトはGPXを選択
共有をタップ
メーラーを選ぶ
添付ファイルを選択した状態で、メーラーが起動されるので、宛先をパソコンメールに設定して、通常通りメールを送信

【パソコンでの操作】
上記のメールを受信し、任意のフォルダーに保存
ファイルを開く
GPSログが表示される

おしまい



12月20日(木)18:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | PC関連 | 管理

スマホを使ってGPSログを表示2

保存終了をタップ★画像


名前を入力(仮の名前:テスト.GPX)
保存をタップ★画像



メーラーを起動
通常通りメールを作成
添付をタップ★画像



内部ストレージを表示★画像


Gacoolのフォルダー内を表示し、メールに添付させる「テスト.GPX」をタップ★画像


12月20日(木)18:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | PC関連 | 管理

スマホを使ってGPSログを表示1

従来よりGPS端末にソニーのNV-U37を使用。
GPSログを取得しパソコンにデーター(KML)転送して、カシミール3D でこれを表示している。

ところが、NV-U37は数年前に生産完了で、後継モデルも発売される見込みがないことから、将来的にはこれに代わる端末が必要となる。

今回、AndroidスマホのGPS機能を使用し、2種類のアプリケーションソフト(国土地図と山旅ロガー)を使って、GPSログをパソコンにデーター(GPX)転送。
カシミール3Dで表示した。

【比較】
◆国土地図
・歩行中に国土地理院又はGoogleマップ上にトラック(歩いた軌跡)が表示される。
・携帯の電波の届かない場所で使用するには、あらかじめ表示したい範囲の地図を保存する必要がある。
◆山旅ロガー
・GPSログを記録するのみで、歩行しながら地図上で見ることは出来ない。
但し、山旅ロガーGOLD(有料版)は、地図ロイド と連携して、最新のログが地図ロイドの画面に自動的に反映されるようだ。
地図ロイドを開いたままで、移動の軌跡をリアルタイムで確認することが可能となる。
今回、山旅ロガーGOLD(有料版)は使用せず。
【結論】 
・上記2種類のアプリで、現状使用しているNV-U37に近い機能は国土地図。
・国土地図を暫く使ってみることにする。

国土地図 を使う場合。

【スマホでの操作】
アプリ(国土地図)を起動★画像



ログをタップ★画像


ログ記録をタップ★画像


GPS測位間隔(単位秒)を設定 デフォルトは10
OKをタップ★画像


GPSログ記録中



記録終了をタップ★画像


12月20日(木)18:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | PC関連 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園23

地蔵院方面(南)へ向うが、途中、京都市街方面(東)の眺望が得られそうな場所があったので立ち寄る。

正面左、双耳峰のピークは比叡山848.3m。左へ少しおいて右から横高山767m、水井山794.1mと続く。
画像の右に見える山塊は音羽山593.2m、西千頭岳601mなど東山の山々が連なる。



“竹の寺”地蔵院に到着。

地蔵院

衣笠山と号する臨済禅宗の寺で、通称、谷の地蔵、又は、竹の寺とも呼ばれている。
この地には、もと歌人の衣笠内大臣藤原家良の山荘があったが、家良の没後、貞治六年(一三六七)に、管領の細川頼之が、宗鏡禅師に深く帰依して当寺を創建した。
宗鏡は、恩師無窓国師を開山に請じて、自らは第二世となった。
以後、当寺は、細川家の庇護を受け、次々と伽藍を建立し、境内塔頭三院、末寺二三寺を数える一大禅刹となったが、応仁の乱により諸堂悉く焼失してしまった。
その後、江戸時代の貞享三年(一六八六)に、第一四世古霊和尚によって寺観が整えられた。
現在の本堂(地蔵堂)は、昭和十年(一九三五)に再建したもので、堂内には、本尊の延命安産地蔵菩薩のほか、夢窓国師、宗鏡禅師、細川頼之の木像を安置している。
また、方丈前には「十六羅漢の庭」と呼ばれる枯山水庭園があり、本堂南には、宗鏡禅師、細川頼之の墓がある。
尚、一休禅師が幼少の頃修養された寺でもある。  京都市



総門(山門)へ続く参道。
淡い色の紅葉が見られ、また違った趣があって良い感じ。



この語句を読めば、心静かに拝観できそう。


地蔵院全景図。


12月19日(水)18:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園22

「石庭 緑翠庵」の看板が掛かっている。


枯山水の石組を散策できる茶房のようだ。


分岐へ戻り、直進(南)する。

看板に見えるのは、地蔵院で“竹の寺”となっている。
“鈴虫”、“苔”、“石”に続いて今度は“竹”の寺。



分岐には洛西観音霊場 第三十番札所・葉宝山 浄住寺(じょうじゅうじ)の案内板もある。


石段を登る。


12月19日(水)18:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

三大テノール

三大テノールを聴いてみよう。

三大テノールとは、ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの3名のテノール歌手が、共同でコンサート等の活動を行った際に用いた名称「The Three Tenors」が元になっている。

Christmas in Vienna 1999 The Three Tenors L.Pavarotti, J.Carreras,P.Domingo




12月18日(火)19:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園21

分岐の手前、北西角地に「かぐや姫 竹御殿」の建物を見る。
金閣寺を模して造られた竹の御殿とのことだが、何をするところかよくわからない。
かぐや姫 竹御殿 - Wikipedia によると、
竹工の名人・長野清助が27年の歳月をかけて独力で建造した。
現在は占い師をしている親族が管理しており、一般公開されている。
願い事を書いた色紙で折鶴を折って、竹御殿の中に安置されたかぐや姫像に捧げると願い事が叶うという。

コースは分岐を直進だが、寄り道して西芳寺(苔寺)付近を散策することに。
画像は西芳寺の入口。
観光客がレンタサイクルで訪れて観光している。



このお寺を観光するには、往復はがきによる事前申込が必要。


ちなみに参拝冥加料 一人3千円以上。


西芳寺(苔寺)

山号を洪隠山(こういんざん)といい、臨済宗に属する。
平成六年(一一九四)に世界文化遺産に登録された。
奈良時代、聖武天皇の詔(みことのり)により行基が開山した古刹で、平安時代初期には弘法大師が一時住し、鎌倉初期には法然上人が中興して、浄土信仰の道場としたと伝えられている。
兵乱での荒廃の後、暦応二年(一三三九)に後醍醐天皇、足利尊氏の深い帰依をうけた夢窓国師(疎石)により再建され、禅の厳しい修業の道場となった。
夢窓国師自ら作庭した、枯山水石組みの上段の庭と、心の字を形どる黄金池(おうごんち)を中心とした池泉回遊式の下段の庭から成る庭園は、当時既に天下の名園として名高く、足利義満をはじめ、ここを訪れて坐禅に励んだ人も多い。
現在三万五千平方メートルに達する庭園(国の特別名勝及び史跡)は、よく昔の面影を伝える名園とうたわれている。
百二十余種の青苔に一面が覆われ、広く「苔寺」の名で親しまれている。
また、茶室湘南亭(重要文化財)は、千利休の二男少庵が桃山時代に建築したもので、明治維新の際に岩倉具視が一時隠棲したこともある。
 禅寺の 苔をついばむ 小鳥かな  虚子  京都市



西芳寺入口の向い側に置かれていた石。


12月17日(月)18:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園20

ここでも山門前でモミジの紅葉を見られた。


多くの観光客が鈴虫寺を訪れている。


鈴虫寺を後にして、引き続き南へ歩く。


「松室 やすらぎの庭」と呼ばれるエリア。
地元の自治連合会によって管理されている公園らしい。
座って休憩している人がいた。



周辺観光案内図。
この地図は上が南西を示している。
この後、西芳寺(苔寺)方面へ向う。



西芳寺川に架かる橋を渡る。


12月17日(月)18:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園19

このように石垣が積んであると安心。


石垣に変わって擁壁が続く。


茶店の横に来る。


歩いて来た方向を振り返って撮影。
この道は東海自然歩道ではなく抜け道。



鈴虫寺前に到着。

正式には華厳禅寺。(けごんぜんじ)
その名前から華厳宗のお寺かと思ったが、臨済宗の寺院。
鈴虫を四季を通して飼育しているため、通称“鈴虫寺”と呼ばれている。



12月16日(日)20:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園18

「平治 元弘 応仁 元亀の乱 戦火ゆかりの地」と彫られていた。


「さしのべ観音」。


「松尾より 京へ二里」。


「谷ヶ堂 最福寺(延朗堂)」を後にする。
道の右側には山の斜面が迫っている。



かなり危険な状態だと思う。
山肌がどんどん削られているようだ。
大雨が降れば今にも崩れそう。



12月16日(日)20:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ササユリの会予定表

リンクに「ササユリの会予定表(19年1月~9月)」を追加。


12月16日(日)19:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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