山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2018年3月を表示

神呪寺_甲山_甲山森林公園

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2017年12月20日(水)は、六甲山系、西宮市の甲山(かぶとやま)に登った。
スタートは阪急甲陽線甲陽園駅。
神呪寺(かんのうじ)にお参りし甲山を目指したが、先の台風21号、22号の影響により登山道が崩落、山頂への登山道が通行止になっていた。
せっかく来たので、様子見を兼ねて歩けるところまで行くことにした。
被害は想像以上に大きかったものの、崩落した登山道に注意しながら自己責任で歩いた。
山頂で展望を楽しんだ後、甲山森林公園に下山し昼食。
その後、森林公園内を周回し、仁川ピクニックセンター跡地へと向かった。
かつての面影はまったくなく、ひっそりとしていた。
私が六甲山系へ初めてハイキングに出かけたのが、この仁川ピクニックセンターで、35年くらい前になる。
ゴールは阪急今津線仁川(にがわ)駅。
参加者はY氏、H氏と私の3人。

コース
9:25阪急甲陽線甲陽園駅9:48_ツマガリ(洋菓子)甲陽園本店前_案内板(甲陽園地下壕群)_日之出町桜公園_阪急バス目神山バス停前_道標(大師道 / 大正九年四月建立 / 寄附者 富永組配下 吉田某)_<甲山大師道>_山王町バス停前_東山大師道公園・播半(はりはん)跡地_祠(石仏群)_道標(右 甲山×)・説明板(九想の滝への道標)_説明板(坂口の地蔵)_県立甲山森林公園前バス停前_左折して神呪寺方面歩行者用散策路を歩く_案内板(九想の滝 入口)_分岐を右へ_道標(↑森林公園)_石造物群_十三番大日寺(四国八十八ヶ所巡)_一丁石・説明板(一丁)_桜茶屋_<神呪寺(かんのうじ)・仁王門・説明板(神呪寺仁王門)・一丁石・石人・車道を横断・案内図(西宮市甲山周辺の史跡)・茶筅塚・花塚・盲杖塚・説明板(白色盲人杖由来)・弁天池・俳人塚・不動明王像・役行者像・石仏群・慈母観世音菩薩像・石柱(淳和天皇勅願所)・鐘堂・子育(こそだて)地蔵尊・高雄地蔵大菩薩・本堂・多宝塔>_案内図(甲山園路案内図)_登山規制のお知らせ_登山道崩落箇所(ブルーシート・ロープ)_甲山(二等三角点 309.24m 点名:甲山)_説明板(甲山銅戈(どうか)出土地)_平和の塔_頼朝之塚_道標(←甲山キャンプ場を左に見送り →甲山自然の家へ)_西宮市立甲山自然の家 甲山自然学習館_案内板(甲山湿原)_地図(甲山周辺ハイキングマップ)_掲示板(甲山のなりたち 甲山周辺地図)_地図(甲山森林公園マップ)_愛の像・霧噴水_12:22笠形噴水前・昼食12:51_<彫刻の道>_道標(←展望台を左に見送り →管理事務所方面へ)_時計広場_みくるま池に架かるみどり橋を渡る_管理事務所(工事中)_道標(左 仁川 右 西宮)・説明板(愛嬌のある道標)_説明板(一石五輪卒塔婆)_丁石(梵字 四丁)_甲山森林公園西入口_三番金泉寺(四国八十八ヶ所巡)_自由広場_甲山森林公園北入口_車道(関学道バス停横)を横断_通行止めのお知らせ_道標(←北山貯水池 甲山自然観察池方面へ)_道標(第四湿原)_案内板(立入制限地区)を左に見送る_案内板(甲山湿原保全の取り組み)_道標(←なかよし池 広河原へ)_車道(甲山橋バス停横)を横断_道標(→甲山なかよし池へ)_案内板(甲山の野鳥)_アカメヤナギの巨樹_湿原散策路_廃屋_車道を歩く_展望台をピストン_道標(→関学方面へ)_説明板(甲山大師へ八丁の町石)_道標(大坂城再建築用石材採取跡へ)_大坂城再建築用石材採取跡_説明板(大師本堂へ九丁の町石)_関西学院第4フィールド前_説明板(六十六部供養塔)_上ヶ原浄水場前_甲山調整池前_関西学院構内古墳_関西学院大学教職員仁川百合野住宅前_15:10阪急今津線仁川駅

画像は阪急甲陽線甲陽園駅から阪急今津線仁川(にがわ)駅まで、この日歩いたGPSログを表示。



「甲山 神呪寺 境内 / 四国八十八ヶ所巡拝順」。


笠形噴水前から甲山309m。


アカメヤナギの巨樹。
仁川広河原にて。



甲山森林公園、展望台からの眺望。


3月23日(金)18:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士7

尾根筋に取り付いてすぐ、手作りのベンチが現れる。


鍋蓋山の山頂に辿り着くまで、このような階段を5~6回登ることになった。


左前方に見えるピーク、菊水山だが、この時点ではまだよく分からなかった。


前方にまたしても、同じような階段が現れる。
下を向いて黙々と登るのみ。
この道は下山時に歩いた方が、周りの景色が楽しめると思う。



何回か、上り下りを繰り返す。
平坦なところはほとんどない。

前を歩くTさんの帽子が汗で濡れているが、私の帽子も汗でびしょびしょ。
汗が目に入って痛いので、眼鏡を外してハンカチで目の回りの汗を拭う動作を繰り返す。



3月22日(木)20:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士6

落葉に覆われた足に優しい登山道を歩く。


堰堤が現れる。


登山道は舗装された道となる。
おそらく先ほどの堰堤を建設する時、重機を搬入する為に舗装したのだろう。



二本松林道に出合う。
コースは林道を横断して直進。

左折すると、天王谷・祇園神社1.6km。
祇園神社は五宮神社の西に位置する神社。
五宮神社の神主は無住で祇園神社の神主が兼ねているようだ。

右折すると、猩々池(しょうじょういけ)。
距離3.1km。

直進は七三峠1.5km・鍋蓋山2.0kmと表示されていた。



ここから見通しの良い尾根道歩きとなるが、結構、傾斜は急。
この日の一番の登りがここから鍋蓋山頂までとリーダーから聞く。



3月22日(木)20:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

金胎寺山城の道

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2017年12月17日(日)は、おおばこの会に参加した。
題して「金胎寺山城の道 ※山のてっぺんで忘年会」。

参加人員、総勢21名。
歩行距離約7km。

コース
南海高野線河内長野駅10:08_石川に架かる諸越橋を渡る_金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)_祠(石仏群)_道標(金胎寺山→)_案内板(金胎寺山登山道案内)_道標(金胎寺山→)_道標(しろやま→)_案内板(金胎寺山(城山)頂上まで徒歩約40分 富田林で一番高い山(296.2m))_常夜灯二基_道標(←金胎寺山(城山))_獣除けの柵を開閉・イノシシ除け鈴の貸し出し_案内板(金胎寺山(城山)登り口 頂上は楠木七城のひとつ金胎寺城の城跡である。標高296.4m富田林で一番高い山で、眺望は素晴らしい。(頂上まで約30分))_案内板(大門跡 金胎寺を含む寺群の入口として大門があった。ここには運慶作の仁王門があったが、現在は天野山金剛寺に祀られている。_道標(←金胎寺山(城山) →嬉野町内))_案内板(金胎寺跡 この付近に金胎寺の他、観音寺初方寺等10棟の建物があったと伝えられている。_<スギ ヒノキの植林帯>_←馬廻し_案内板(金胎寺山頂上まで徒歩15分)_案内板(楠木軍兵舎跡 金胎寺城の守りと見張りにつく兵士達の待機場所であり合計3ヶ所あったと伝わっている。)_案内板(中間展望台 金胎寺山頂上まで徒歩5分)_→桜公園分岐を右に見送る_頂上まで10m→_案内板(あべのハルカスよく見えるところ)_11:12金胎寺山(こんたいじさん 三等三角点 296.08m 点名:嬉)・説明板(金胎寺山(城山))・昼食(忘年会)12:16_桜公園_祠(石仏)_腰神神社(こしがみじんじゃ)・説明板(腰神神社)・藤の老樹の句(道ばたに うっ蒼たるや 藤の森)・力石・宝篋印塔二基・八大竜王・不動明王・井戸(泉)・陽石_伏見堂公民館前_清蓮寺_石川に架かる高橋を渡る_13:59滝谷不動駅 ★反省会 14:23餃子の王将 外環富田林店(8名参加)

画像はこの日の行程、南海高野線河内長野駅から近鉄長野線富田林西口駅までのGPSログを表示。
但し滝谷不動駅から富田林西口駅までの間は近鉄電車に乗車。



金胎寺山(金胎寺城址)山頂からの眺望。
低山ながら素晴らしい眺め。360度パノラマ。



鳥瞰図。
視界が良く遠望が利いた。



金胎寺山山頂。
かつてはここに城が築かれていた。

金胎寺山(城址) 標高296.4m (通称)城山
金胎寺城は後醍醐天皇に仕えた楠木正成が鎌倉幕府と戦うため、南北朝時代の元弘三年(1333)に楠木七城の一つとして築城したものである。
楠公の戦法で有名な山の急斜面を利用した岩石、木材落としをこの城でも行い、幕府軍を苦しめたと伝えられている。その後も南朝、北朝の争いが続き、その結果北朝方の畠山氏が勝利し、正平十五年(1360)に畠山氏の支城となった。
室町時代の中期には畠山氏のお家騒動の時、立てこもった畠山義就が幕府軍の畠山政長に破れ、寛正四年(1463)落城した。
山のふもとに金胎寺が存在したことから金胎寺城と呼ばれているが、地元では城山として親しまれている。
      大阪ミュージアム

金胎寺山(金胎寺城址)



山頂での忘年会を兼ねた昼食会。


3月22日(木)20:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士5

下山途中の単独行の男性と出会う。
水場があるが、この水は飲めないだろう。



登山道は見通しがよくなり周囲が明るくなった。


「落石注意 路肩注意」の看板が立っている。
ここまで歩いてきて、初めてこのような“まとも”な看板を見た。



谷の向こう側に踏み跡が見えた。
この先、合流するようだ。



合流地点に正規の道標が立っている。
「←二本松林道 →五宮1.8km」と表示。
今、我々が歩いて来た道とは違う道が五宮神社から続いているようだ。
ここまで歩いて来た道は、マイナーなルートと言えそうだ。



3月21日(水)21:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士4

ゴミ捨て場とは思えない。
以前、使用していたのだろう。



危なかしそうな橋を渡る。
何人も同時に渡っては危険。
一人ずつ渡る。



ロープが設置され、おまけに倒木がある。
頭上と足元に注意しながら進む。



前方に堰堤が現れる。
奥平野砂防ダムと記されていた。



登山者が少ないのか、落ち葉が多く足元が滑りやすい。


3月21日(水)20:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

大和川流域の道4(三郷_安堂)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2017年12月16日(土)は、N氏主宰によるウォーキング「土曜会」に参加した。
大和川流域の道シリーズの第4回で、JR関西本線三郷駅から近鉄大阪線安堂駅まで、竜田越(亀瀬越)奈良街道と呼ばれた旧道を歩いた。
歩行距離約10km。参加者は主宰のN氏を含めて総勢8名。
反省会は忘年会を兼ねて布施駅前「お好み焼き よしひろ」。

【大和川流域の道】
推古天皇十六年(西暦608)、遣隋使小野妹子と隋の使者裴世清(はいせいせい)が、難波から大和川を舟で遡り海柘榴市に着いた。
彼らが辿った大和川流域の道を、桜井市金屋(かなや)の海柘榴市(宮都飛鳥の外港)から大阪城付近まで全6回シリーズで歩く。
尚、当時の大和川は柏原市安堂町付近から北西に流れ、淀川下流に合流していた。

コース
9:22JR三郷駅9:25_<奈良街道>_磐瀬の杜前_大和川に架かる大正橋北詰・道標(是より二丁西 龍田川 三室岸 ?之道 信貴山 / 龍田本宮 是より 五丁東 東 法隆寺 南都海道)_大正橋北詰を北へ_瓦善前_道標(←峠八幡神社 600m →JR三郷 800m <竜田道> 大阪と奈良の県境)_峠八幡神社・説明板(石造 地蔵菩薩坐像)・道標(松谷御堂是ヨリ 六丁 / 畑地蔵尊 願主×)・道標(←JR三郷 1.5km →亀の瀬 500m)_道標(←峠八幡神社 400m)_案内板(地すべり防止区域)_亀瀬排水隧道第一号_亀の瀬地すべり資料室前_亀瀬岩付近_道標(JR河内堅上駅 900m)_コンクリート祠(石仏)_JR関西本線の高架下を潜る_JR関西本線の青谷踏切を横断_石の祠(石仏)_河内堅上駅前_分岐を左へ_道標(←JR河内堅上 100m→柏原市青少年広場 850m)_コンクリート舗装された畦道を歩く_関西本線に架かる跨線橋を渡る_跨線橋を右に見送る_関西本線に架かる跨線橋を渡る_アクアピアアイスアリーナ前_青谷ゴルフガーデン分岐_大和川に架かる芝山橋を渡る_柏羽藤環境事業組合 芝山衛生センター前_関西本線の高架下を潜る_洗心地蔵尊_11:32国分神社・大阪府国分原標・昼食12:15_松岳山(まつおかやま)古墳・説明板(国指定史跡 松岳山古墳)_宮本地蔵_説明板(奈良街道の道標)_地蔵尊_西町地蔵尊・説明板(奈良街道(国分村))_大和川に架かる国豊橋(くにとよばし)を渡る_柏原市役所前_築留(つきどめ)土地改良区(大和川付け替え)・記念碑(大和川付替三百年記念碑)・説明板(大和川付けかえと中甚兵衛)・絵図(西暦1703年代大和川流域の図)_説明板(築留二番樋)_13:35近鉄安堂駅 ★反省会(忘年会) 布施駅前 お好み焼き よしひろ (近鉄ロンモール布施飲食街)

画像はこの日歩いた三郷駅から安堂駅までのGPSログを表示。



辻堂(地蔵堂)
峠八幡神社石段下にて。



辻堂(地蔵堂)に安置されている地蔵菩薩坐像。
格子戸の影がご愛嬌―笑。

この場所は、江戸時代の亀瀬越奈良街道と雁多尾畑(かりんどおばた)の光徳寺に通じる道が分岐する所です。
道標には「松谷御堂 是ヨリ 六丁」と刻まれ、石榴樹の下に建つ辻堂には石造の地蔵菩薩像が安置されています。
この像は花崗岩を浮き彫りにしたもので、よくみられる立像の声聞(しょうもん)形像と異なり、坐像になっています。
地蔵菩薩は反花(かえりばな)を伴う蓮台の上に半跏趺坐(はんかふざ)し、左手の掌(たなこころ)に如意宝珠を載せ、持物のない右手は膝に垂下(すいか)し、頭部は長楕円形で、眉は鋭く、目・鼻・口の表現は整っています。
製作の年代は刻まれていませんが、こうした半跏趺坐像は鎌倉時代以降に広まるといわれ、技術的にも秀でていることから、鎌倉時代末~室町時代初期の造像と考えられています。
また延命地蔵として今でも広く信仰されています。
  二00八年三月       柏原市教育委員会



西暦1703年代大和川流域の図
元禄十六年(1703)大和川河内国志紀郡字築留ヨリ未流泉州堺浦江川遷図
宝永二年(1705)古大和川之諸川及池沼開墾ス

築留(つきどめ)土地改良区にて。



築留二番樋 文化庁登録有形文化財
この樋は明治四十年頃に築造されイギリス積みと呼ばれるレンガ積みで笠石部が花崗岩の樋である。
逆アーチ型の側壁は美しいカーブを付けて仕上げられており、平成十三年十二月に文化庁の有形文化財に登録されました。
      平成十四年 築留土地改良区


築留土地改良区にて。



3月21日(水)20:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士3

引き続き五宮神社のすぐ東側の小道を歩く。


左右に見えていた建物や擁壁がなくなり、山の取り付きとなる。
コースは左の階段を登らず直進。



眺望のよいところに出る。
ここで服装調整の小休止。



掘っ立て小屋が現れる。
人が住んでいるのかどうか不明。
掘っ立て小屋は、この先にも現れる。



堰堤が現れる。
谷に滑落しないようにロープで柵を作っているが、個人の仕業だろう。



3月20日(火)18:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士2

兵庫県公館(旧兵庫県庁)前を左折。


兵庫県庁前を通過。
正面左側の建物が1号館。右が2号館。



県庁前交差点で左折し、四宮神社を右に見て右折。
北へ歩いて左折すると、神戸山手大学前に出る。



道なりに西へ歩き、神戸五宮郵便局の手前で、右折し細い道を歩く。


五宮神社の社標と一際目立つクスノキのご神木を左に見送る。
クスノキは一部が枯れたのか、切り込まれているが、根元からは若枝が伸びている。



3月20日(火)18:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士1

2018年3月18日(日)は、山を登る会に参加した。
山域は六甲山系、目当ては観梅。

元町駅から五宮神社(ごのみやじんじゃ)へ向かう。
五宮神社のすぐ東側の小道を歩いて平野谷へ。
この谷は道標がなくマイナーなルート。

二本松林道手前付近から道標が現れ、林道を横断。
平野谷西尾根から歩きやすい尾根道が続いた。
左に菊水山、正面に鍋蓋山、そして右に再度山(ふたたびさん)を見ながら歩く。
再度山(神戸富士)は七三峠(しちさんとうげ)から眺めた姿が富士山に似ているのでその名があるという。
今回、初めて七三峠から眺め、その後、再度山にも登った。

鍋蓋山(なべふたやま)から鍋蓋北道を歩いて洞川(どうがわ)湖方面へ。
洞川梅林は再度山の北西、洞川湖の南に位置。
梅の花はほぼ満開でタイミングが良かった。
広く知られていない梅林なので、観客は少なく静か。

再度公園に出て、修法ヶ原池(しおがはら)前で昼食。
食後、再度山に登ったが、低山ながらロープがあってスリリングに楽しめる。
下山ルートには天狗岩と呼ばれる岩場がある。
岩場の上に弘法大師が自ら岩に刻んだとされる亀の石が残されていた。

大龍寺から善助茶屋跡を経て二本松バス停前へ。
堂徳山・市章山、城山分岐を左右に見送り、直進して天神谷東尾根を下った。
下山はなんと、観光客でごった返す風見鶏の館の下、北野町広場に出た。
若い人たちの熱気でムンムン。
中国語や韓国語が飛び交う北野坂をそのまま下って、ゴールは阪急神戸三宮駅西口。
私は阪神電車で帰宅したので、阪神神戸三宮駅へ向かった。

参加者88名。リーダーはT氏。

コース
8:50元町駅東口9:17_兵庫県公館前_兵庫県庁前_相楽園前_神戸山手大学前_五宮神社(ごのみやじんじゃ)前_展望地_<平野谷>_楠木谷砂防ダム_奥平野砂防ダム_水場_登山道出合・道標(←二本松林道 →五宮1.8km)_分岐道標(←天王谷・祇園神社1.6km分岐 →猩々池3.1km分岐を左右に見送り ↑七三峠1.5km・鍋蓋山2.0kmへ直進)_二本松林道分岐を右に見送る_送電線鉄塔下_二本松林道分岐を左に見送る_二本松林道分岐を左右に見送り直進_極楽林道分岐を右に見送り鍋蓋山方面へ直進_七三峠石標?_六甲全山縦走路出合_鍋蓋山(四等三角点 486.14m 点名:鍋蓋山)_六甲全縦を再度公園・大龍寺1.8km・市ヶ原2.5km 方面へ_分岐(六甲全縦を右に見送り 鍋蓋北道・再度公園・洞川湖方面へ)_分岐(再度公園・弘法大師行場を右に見送り 洞川湖・学習の森・有馬街道・鈴蘭台方面へ左折)_分岐(有馬街道1.2kmを左に見送り 洞川湖0.75km 牛の背方面へ右折)_分岐(洞川口0.4km・学習の森0.7kmを左に見送り 洞川梅林0.3km 仙人谷0.6km方面へ右折)_案内地図(洞川梅林周辺案内図)_分岐(学習の森・教育植物園分岐を見送り 仙人谷を経て再度公園方面へ右折)_11:25再度公園・修法ヶ原池(しおがはらいけ)前・昼食11:50_<再度越>_分岐を左へ_石柱(神戸市界 / 明治三十三年建之 / 七十七号)_再度山470m(神戸富士)_天狗岩・亀の石_貴姫大御神_<大龍寺・四国八十八ヶ所巡り第五十八番他石仏・奥の院大師堂・西国三十三観音石仏・仁王門>_分岐を善助茶屋跡へ_石碑(毎日登山発祥の地 善助茶屋跡)_ハイキング地図_分岐(大師道を右に見送り 二本松1km 新神戸駅3km方面へ直進)_道標(→二本松・新神戸駅2.7km 錨山・諏訪山方面へ)_道標(←二本松を経て城山・錨山方面へ)_再度山ドライブウェイに出合これを歩く・道標(城山0.8km 新神戸駅1.2km)_石標(湊川神社神苑)・二本松バス停前_再度山ドライブウェイを横断_地図(城山を経て新神戸駅)_道標(滝山城跡・新神戸駅・堂徳山方面へ)_分岐(イカリ山~スワ山方面分岐を右に見送り 城山コース布引方面へ直進)_分岐(城山(滝山城址)を経て布引の滝1.0km・新神戸駅1.25km分岐を左に見送り 堂徳山国有林を経て北野町4丁目0.8km・北野道方面へ)_<天神谷東尾根>_ベンチ・案内板(堂徳山国有林の治山事業)_道標(北野町方面へ)_獣除けの金網を開閉する・案内板(堂徳山国有林)_沈砂池_萌黄の館前_北野町中公園・北野町広場_<北野坂>_13:06阪急神戸三宮駅西口~13:12阪神神戸三宮駅

コース歩行距離:約14km。

実歩行距離約19.0km。(自宅~最寄り駅等を含む)
歩数2万7千歩

画像はこの日歩いた元町駅東口から阪神神戸三宮駅までのGPSログを表示している。



モクレンの花が三分咲きくらい。
元町駅東口にて。



「こうべリンクル“コベリン”」と呼ばれるレンタサイクル。

神戸コミュニティサイクル こうべリンクル“コベリン”



9時17分元町駅を出発。
絵に描いたお風呂屋さんの前を通る。



元町駅西口から高架下を北側へ通り抜け歩道橋を歩いて神戸生田中学南交差点へ。


3月20日(火)18:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

酒蔵みてある記_河合酒造

2018年3月17日(土)は、近鉄の酒蔵みてある記 河合酒造「出世男」に単独で参加した。

今回の酒蔵の所在地は橿原市今井町。私には比較的近場となる。
また今井町は重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、何回か訪れたことがあるお馴染みの場所だ。

ところが、この日歩くコース中に含まれる社寺仏閣のうち、人麿神社以外はいずれも初めて訪れるところばかりで新鮮味が感じられたので参加した。
・入鹿神社…全国で唯一蘇我入鹿公を御神体とする神社という。
・正蓮寺大日堂…国の重要文化財(正蓮寺大日堂・大日如来坐像)を地元自治会が管理している。明治時代の廃仏毀釈の時、地元自治会が13円50銭で落札し今日に至る。
その他、宗我坐宗我都比古神社、天高市神社も今回が初めて訪問。
尚、人麿神社は10年程前に、すみつけ祭(野神祭)を見物したことがある。

受付で並んでいる時、M氏と出会った。
歩いている途中に、再び出会うと思っていたが、そうにはならず、意外にもS氏と出会い昼食場所の今井町、今井児童公園まで一緒に歩いた。
(彼は昼食を持参しておらず外食だったので昼食場所で分かれた)

コース
9:25近鉄大和八木駅9:50_だんご庄前_近鉄橿原線の踏切を横断_飛鳥川に架かる高橋を渡る(※正規のルートはだんご庄の手前で右折し春日橋を渡る)_石柱(聖徳太子御自作 大日如来 佛起山 普賢寺 / 文化三丙寅季九月建立 施主× / 蘇我入鹿公御舊跡)_<入鹿神社・庚申・説明板(橿原市指定文化財 入鹿神社本殿一棟)・金毘羅大権現・石仏群・明治天皇遥拝所・説明板(大日堂)・正蓮寺大日堂・説明板(小綱町(しょうこちょう)のだんじり)>_<人麿神社_説明板(重要文化財 人麿神社本殿一棟)・歌碑(秋山の黄葉を茂み迷ひぬる 妹を求めむ山道知らずも 柿本人麻呂)>_玉津嶋神社_祠_屋就川(やつぎがわ)に架かる橋を渡る_春日神社前_近鉄大阪線の踏切を横断_近鉄真菅駅前_近鉄大阪線の踏切を横断_<宗我坐宗我都比古神社(そがのそがつひこじんじゃ)・八大夫稲荷神社>_曽我川緑地_曽我川に架かる曲川大橋を渡る_曽我川に架かる省堂橋を渡る_R24高架下を潜る_<天高市神社(あめのたけちじんじゃ)・_説明板(天高市神社)_JR桜井線の高架下(1.6m)を潜る_春日神社前_<今井町重要伝統的建造物群保存地区・11:36今井児童公園・昼食11:54・説明板(今西家内部)・駒札(重要文化財 今西家住宅)・旧西町生活広場_駒札(重要文化財 豊田家住宅)・説明板(称念寺)・夢ら咲長屋(案内所兼休憩所)・駒札(重要文化財 河合家住宅)・河合酒造(試飲3種類・甘酒の振る舞い)>_<今井蘇武橋公園・説明板(蘇武井 そぶのい)・説明板(蘇武橋のエノキ)>_飛鳥川に架かる蘇武橋を渡る_12:29八木西口駅

参加者、約1千1百人。コース歩行距離約9km。

実歩行距離約12.3km。(自宅~最寄り駅等を含む)
歩数1万8千歩

画像はこの日歩いた近鉄大和八木駅から八木西口駅までのGPSログを表示。



大和八木駅南口に設置されていたウォーキングマップ案内図。
この地図の赤線でマークされたコースとほぼ同じコースを歩いた。



なんと「“聖徳太子御自作”大日如来 佛起山 普賢寺」と刻まれている。
側面右は「文化三丙寅季九月建立 施主×」、左は「蘇我入鹿公御舊跡」。
入鹿神社、参道入口付近にて。
公式サイト



右手に錫杖、左手に蓮華のようなものをお持ちなので、長谷型観音だろうか。
今となっては、涎掛けを取り外さなかったことが悔やまれる。
入鹿神社境内にて。



人麿神社、すみつけ祭(野神祭)。
2009年5月4日撮影。



3月19日(月)19:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷76

「港区から暴力団を追放しょう」の看板が掛かっている。
ここ篠原本町には指定暴力団山口組の本部がある。



篠原本町2丁目のバス停前を通過。
六甲川に架かる篠原本町橋を渡る。
画像は六甲川。



六甲登山口(交差点)で右折。(南)


更にその先、六甲登山口南の交差点を左に折れて道なりに進む。


16時44分阪急神戸線六甲駅に到着。
49分発の梅田行普通電車に乗って帰路に着いた。
おしまい。



3月18日(日)20:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷75

長峰坂からの眺め。


坂は延々と続く。


この当たり、特に傾斜が急。
電動アシストでは登れないのでは?
景色はナイスだが。



振り返って摩耶山方向(北)を撮影。


神戸護国神社に到着。
境内に入り、南側に位置する護国神社前公園を通り抜ける。



3月18日(日)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷74

長峰橋から杣谷堰堤を撮影。


長峯山霊苑の石柱が立つ長峰霊園管理事務所前。
長峰霊園へは左上に続く道を進むようだ。



グランドメゾン六甲カネディアンヒル(マンション)前を通過。


長峰坂の説明板。
全長550メートルのこの坂は、区内屈指の傾斜度を誇り、通称「長峰坂」と呼ばれています。
通学路にもなっており、生徒たちはこの急な坂を往復しています。
長峰坂は徳川道の一部でもあり、ここから北へ続く道は杣谷を抜け、摩耶山頂へ続くため、ハイキングコースとしても人気があります。     灘百選



海が見える。
赤い橋は港湾幹線道路だろうか。



3月18日(日)19:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷73

ハイキングコースの案内図。
青谷道→行者堂(跡)→摩耶山→アゴニー坂→穂高湖→杣谷(カスケードバレイ)を経て現在地にいる。



車道に出合う。
ここから先、六甲駅まで舗装道路を歩く。



杣谷道(徳川道)を示す道標。


杣谷川に架かる長峰橋を渡る。
ここから若干、坂道を登り返す。



道標。
現在地から杣谷峠へ2.5km。
阪急六甲駅へは2.0km。



3月18日(日)19:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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