山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2019年12月を表示

No.9河内国分_関屋地蔵尊_明神山_三室山

明神山外周遊歩道に降り立つ。

ここは左折するとばかり思っていたが、まさかの右折表示になっていた。
後でわかったが右折して東屋の横にある階段を登った方が近道。



ツワブキの花。


東屋の周辺に植栽されたようだ。
日光を浴びて満開。
群生していると華やか。



東屋の横に頂上を示す道標があった。
位置的にはこの上が頂上。
しかし、今まで何回かここを訪れているがこの道は知らず。
山頂からもこの道に気付かなかったのは意外。



トントン拍子で整備された階段を登ると展望台下に到着。

階段の途中で昼食中の登山者が何人かいたのは、この道はあまり歩かれていないということだろう。
王寺方面からはこの道を歩いて頂上に至る登山者は皆無。
そして、王寺方面以外からの登山者は非常に少ない。

つづく。



12月22日(日)18:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.8河内国分_関屋地蔵尊_明神山_三室山

三度目となる送電線鉄塔下に出る。


暫く道なりに歩く。
このあたり地道ながら幅広い道になっている。
このまま道なりに直進しそうだが、ここは分岐になっており左折する。
左折ポイントには火の用心25が立つ。画像中央左の白い板。



マーキングテープに明神山は左折、直進は林道と表記されている。


左折、明神山を示す私製の道標。
明神山方面の登山口で見た道標と同じ類。



火の用心28、更に29を見て歩くと、前方にピークが見えて来る。
人のざわめきが聞こえ、明神山山頂が目前に迫る。

つづく。



12月21日(土)18:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.7河内国分_関屋地蔵尊_明神山_三室山

十三重石塔が建つ遺蹟?に到着。
比較的新しい時代の建造にみえる。



傍らの樹木に「祖先崇拝会寶塔」と記されている。
国分寺とは関係がないようだ。詳細は不明。



火の用心が立つポイントに到着。
ここは三叉路の分岐となっている。



左(北)はJR河内堅上駅方向。
コースは明神山方面へ直進。



画像は河内堅上駅方向の踏み跡を撮影。
分岐付近からはしっかりとした道が続いているようにみえる。

つづく。



12月21日(土)18:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ジリオラ・チンクエッティ

ジリオラ・チンクエッティ(Gigliola Cinquetti)を視聴してみよう。

GIGLIOLA CINQUETTI - NON HO L'ETÀ



Gigliola Cinquetti - Non Ho L'Età - Eurovision Song Contest Winner 1964 (original performance)



Gigliola Cinquetti - Non ho l' Eta' - 1966



ITALIA 1964 Gigliola Cinquetti Non Ho L'Eta 1970 Spanish Final Performance



Gigliola Cinquetti - Ho bisogno di vederti



「夢みる想い Non Ho L’eta in東京'93」ジリオラ・チンクェッティ Gigliola Cinquetti



Gigliola Cinquetti Non Ho L'eta



12月20日(金)20:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.6河内国分_関屋地蔵尊_明神山_三室山

「真言宗 河内国分寺 境内地」と記された看板が立つ。
河内国分寺へはまだお参りしたことはない。
河内国分寺跡
遺跡霊場 真言宗 河内国分寺



送電線の下に沿って歩く。
付近は潅木が切り取られ視界が良い。



思わず空を見上げる。


火の用心23を見て歩くと、再び送電鉄塔下に出る。
下草も刈り取られ歩き良い。



登山道から北方向、大和川付近の眺望。
この日は霞んでいた。

つづく。



12月20日(金)18:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.5河内国分_関屋地蔵尊_明神山_三室山

アケビの実。
鈴なりで食べ頃だったが食べず。撮影のみ。



プラスチック階段が現れる。
登山道は少しぬかるんでおりスリップに注意して歩く。



「No36香芝・広陵消防組合」が立つ。
関電の送電線鉄塔の巡視路となっている。



火の用心22が立つ。


河内 国分寺分岐。
左折(北)すると国分寺方面。
コースは明神山へ直進(北東)。

つづく。



12月20日(金)18:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.4河内国分_関屋地蔵尊_明神山_三室山

関屋地蔵尊のすぐ手前に分岐がある。
画像は分岐に置かれた私製の道標。
コースは国道165号関屋駅方面を右下りに見送り、明神山方面へ上がる。



関屋地蔵尊にお参りする。
香芝市のサイトによると、
「関(せき)屋(や)地蔵尊(関屋北 8 丁目)像高64㎝、銘文なし
柏原市国分本町・東条から香芝市関屋青葉台住宅の北辺に至る長尾街道(関屋峠越・大峠越)があります。
途中の府県境で、山の稜線に沿って王寺町の明神山に向かう分岐に地蔵石仏を祀る小堂があります。
この石仏は右手に錫杖、左手に宝珠を持った通例像ですが、砂岩製であるため風化による損傷がひどく、また、腹部で2つに割れたのを繋いだ痕跡があり、痛々しい姿です。
昔、初瀬の人が峠の交通安全のため奉納されたと伝えられていますが、日を切って祈願する日切地蔵として信仰されてきました。
山中にありながら、常に供花・供物があり、地域で大切に守り信仰されてきたのがわかります。」



明神山方向への踏み跡を辿る。


オレンジ色の送電線鉄塔が現れる。


送電線鉄塔のフェンスに沿って歩く。

つづく。



12月19日(木)18:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.3河内国分_関屋地蔵尊_明神山_三室山

登山口に取り付けられていた私製の道標。
かなり古いものでこの後もいくつかこの類の道標をみることになる。



登山口付近はササが生い茂っているが、林の中に入るとササはなくなる。


倒木が見られたが、歩きやすいようにある程度片付けられている。


V字形に深くえぐられた登山道。


関屋地蔵尊に到着。
ここは大阪府と奈良県の府県境となっている。

つづく。



12月19日(木)18:14 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

No.2河内国分_関屋地蔵尊_明神山_三室山

コンクリートの舗装道が登山口まで続く。
特に登山口の手前付近は急坂。
周りは果樹園となっており、葡萄やみかんなどが栽培されている。
画像はカラスウリの実。



徐々に高度を稼いでいるので、展望が得られるようになる。


柏原羽曳野藤井寺消防組合が設置した「火の用心7」と記されたポイント板。
この後、明神山付近まで続く。



急坂に喘ぎながらようやく明神山方面の登山口に到着。
ここで小休止する人が多かった。



ここが登山口。
以前に較べると周りの木や下草が刈り取られわかりやすくなっている。

つづく。



12月19日(木)18:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.1河内国分_関屋地蔵尊_明神山_三室山

<概要>
2019年10月27日(日)は山を登る会の第1,061回例会にSaさんと参加した。
集合場所の河内国分駅前でMo氏に出会い、ゴール手前の大和川に架かる大正橋(王寺町と三郷町の町境)付近まで三人で歩いた。

この日歩いたコースの内、河内国分駅から明神山山頂付近までは過去に何回か歩いている。
また、三郷町の三室山にも度々登っている。

ところが、山頂から定番コースの王寺町明神へ下山せず、大和川沿い王寺町藤井の集落への踏み跡は初めて歩く。
踏み跡自体は古くからあるようだ。
最近になってプラスチック階段が設置され、新しい道標も設置されたと、近隣にお住まいの参加者の人から聞いた。

当初、三室山ピストンはオプションコースとして設定されていたが、歩く距離が短いので当日の朝、急遽、本コースに編入された。
これを含めても当日の歩行距離は約10.5km(河内国分駅~三郷駅の実測)で山を登る会としてはかなり短距離なコース設定となっていた。
会の予定表では10km。

<コース>
近鉄大阪線河内国分駅9:24_R25_谷間地蔵尊(石仏)_国分本町7丁目交差点でR25を離れ右折_東春日台公園前_旧道分岐を直進_火の用心7(柏原羽曳野藤井寺消防組合)_ビナンカズラの実_9:56明神山方面登山口・休憩_火の用心15_分岐でR165関屋駅方面を右下りに見送り 明神山方面へ上がる_関屋地蔵尊_送電線鉄塔_No36香芝・広陵消防組合_火の用心22_分岐で河内国分寺方面を左(北)に見送り 明神山方面へ直進(北東)_案内板(真言宗 河内国分寺 境内地)_火の用心23_送電鉄塔下_十三重石塔・案内板(祖先崇拝会寶塔)_分岐でJR河内堅上駅方向を左(北)に見送り 明神山方面へ直進_送電線鉄塔_分岐で直進を見送り 道標(←明神山)を見て左折・火の用心25_火の用心28_火の用心29_外周遊歩道に合流し右折_東屋_分岐道標でユリ群生地直進を見送り 頂上へ左折_11:36明神山・昼食12:06_説明板(亀の瀬地区地すべり対策)_分岐で王寺町明神四丁目方面直進を見送り 藤井方面へ左折・道標(←明神山藤井ルート)_プラスチック階段_ベンチ_プラスチック階段_分岐で平面の地道に降り立ち右折_王寺町藤井(集落)_道標(明神山→)_西蓮寺前_JR関西本線の高架下を潜る_藤井2丁目交差点でR25に架かる横断歩道橋を渡る_大和川に架かる大正橋(王寺町と三郷町の町境)を渡る_道標(龍田川 三室岸 信貴山 / 龍田本宮 東 法隆寺 南都海道)_農住5号公園_三室山(四等三角点 137.06m 点名:三室山)・展望台_火の用心74_大正橋の手前まで往路に歩いた区間をピストン_磐瀬の杜_たこ坊 三郷店(反省会その1)_JR関西本線三郷駅前_稱名寺_JR関西本線(大和路線)の立野踏切を横断_大和川に架かる神前橋を渡る_王寺出合橋バス停前_葛下川に架かる新出合橋を渡る_JR関西本線の踏切を横断_ビアカウンターちょこっと 王寺駅前店(反省会その2)_王寺駅

<メモ>
・個別参加者: 3名。(全員:88名)
・リーダー: N氏
・コース歩行 (河内国分駅~王寺駅までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約12.5km。
 所要時間: 5時間40分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの歩数と歩行時間及び推測距離)
 歩数: 27,867歩。
 推測距離: 約18.6km。(0.67m×27,867歩=18,670m)
 歩行時間: 4時間49分。
・反省会1: たこ坊 三郷店 三郷駅から50m
・反省会2: ビアカウンターちょこっと 王寺駅前店 王寺駅から126m

画像は当日歩いた河内国分駅から王寺駅までのGPSログを表示。



河内国分駅を出発してまずはR25に向う。
R25に出合う角地に祠があったので立ち寄る。

この日は小学生の子供さんが参加していた。(画像左)



後でネット検索するとこの地蔵さんは「谷間地蔵尊」と呼ばれているようだ。
観音扉は開けず、格子越しに眺めたが、涎掛けもあって石像の輪郭はよく分からなかった。



国分本町7丁目交差点でR25を離れ右折し住宅地の中を歩く。
東春日台公園前を通過して更に山の方へ向うと旧道との分岐に出合う。
画像は分岐から旧道方向を撮影。
以前はこの旧道を歩いてここへ到着した。
尚、旧道分岐は直進。



すぐに分岐となり、ここは道なりに直進。

つづく。



12月18日(水)18:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.16木津川下流域(流れ橋_三宅安兵衛の道標)

名残惜しいが展望台を後にする。
春には桜も観られるようだ。



裏参道への降り口に立てられていた道標。
「右 いわし水下り坂 / 左 たいし下り坂」と彫られている。



竹雨水(ちくうすい)と記されている。
湧き水だろう。
このような湧き水があちこちに見られた。



裏参道は急坂だが、その分、時間が短縮出来る。


石清水八幡宮駅(旧名:八幡市駅)前、広く知られている「走井餅老舗」。
元は東海道大津宿付近で創業している。明和元年(1764)創業。
明治時代にここ石清水の麓へ移った。
歴史と由来

おしまい。



12月18日(水)15:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.15木津川下流域(流れ橋_三宅安兵衛の道標)

参道の途中にある「一ツ石」。
お百度石 勝負石とも記されている。
この石の由来については下記参照。
一ッ石



南総門を経て石清水八幡宮御社殿へお参りする。


エジソン碑への道に設置されている道標。
「右 つのく尓(に)そうじ寺みち 大坂下りふ祢(ね)のり者゛(ば)道 / 左 かわちミち / 右 者(は)し本みち」と彫られているようだ。



境内の北にある展望台へ向う途中に建つ「NPO法人八幡たけくらぶ」の建物。
竹細工などを販売していた。



展望台から北方向の眺め。
八幡市は京都市の南隣に位置している。
この日は視界が良く京都市内を一望することが出来た。

つづく。



12月16日(月)18:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.14木津川下流域(流れ橋_三宅安兵衛の道標)

城の石垣を思わす坊跡の石垣と説明板「中坊と椿坊の坊跡」。
説明板によると、
「神仏習合の宮寺・石清水八幡宮では、江戸時代末まで山内に数々の坊があり、「男山四十八坊」と呼ばれていました。
(中略)明治のはじめに神仏分離令によって取り除かれ、現在は石垣を残すだけです。(後略)」



鳩茶屋。
軽食が出来る休憩処。



「愛染堂と南谷の坊跡」の説明板を見て神馬舎へ到着。(画像)


石鳥居。


石鳥居の左手前、せせらぎルート入口に立つ道標。
「右 なら かうや みち」と彫られている。

つづく。



12月16日(月)18:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.13木津川下流域(流れ橋_三宅安兵衛の道標)

前方に太鼓橋が現れる。
安居橋(あんごばし)で、駒札の説明板によると名前の由来は諸説があるようだ。
安居橋 - Wikipediaによると、
「橋が架けられた時期は不明であるが、1614年-1624年に架設されたという一説の記録が最古のものである。
江戸時代の放生川には、今よりも多くの橋があったとされ、川上から「五位橋」「安居橋」「六位橋」「高橋」という順番に架かっていた。安居橋は当初、五位橋の後に架けられたため「相五位橋」と称され、後に訛って「安居橋」へと変化していったという説が有力である。」



太鼓橋は欄干が朱塗りのイメージがある。
元は朱塗りで色あせたようだ。
京阪沿線の名橋を渡る



ここにも道標を兼ねた石碑が立つ。
「安居橋 左 反橋跡半丁 昭和二年十月 京都三宅安兵衛依遺志建之 右 淀屋旧邸 單傳菴」。



参加者の中に石清水八幡宮へお参りしたいという人が現れたのでお参りすることになった。
徒歩組とケーブル組とに分かれる。
後でわかったが、ケーブルに乗っても石清水八幡宮本殿までは歩かなければならない。
また、ケーブルに乗る時間待ちもあって、結局、徒歩組の方が早く到着した。

徒歩組は摂社の高良神社鳥居前から表参道を歩いた。
画像は表参道に立つ道標。



参道の途中に石柱が立つ。
「舊跡 かげ起よ」と彫られている。
“かげきよ”とは、影(姿)を清めるほどの意味で、昔、このあたりにあった清水に己の影を写して心身を祓い清めたことに由来するようだ。

つづく。



12月15日(日)20:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.12木津川下流域(流れ橋_三宅安兵衛の道標)

防賀川に架かる橋を渡らずこれを右に見て左折。(西)
八幡市役所前を経て東高野街道に出る。
以後は街道を北へ歩く。
住所表示板には「八幡市八幡今田」と記されていた。

八幡市立八幡幼稚園、市立八幡小学校の校舎を右に見て市立八幡市民図書館前に到着。
画像は図書館前に立つ道標と石碑。
右の石碑には「金剛律寺故址 京都元標四里三十二丁」と彫られている。
道路元標からの距離を表示しているのは珍しいと思う。
左は東高野街道の道標で「石清水八幡宮一ノ鳥居まで 約0.7km← 松花堂庭園まで 約1.9km他」が彫られている。



こちらは道標を兼ねた石碑。
「正平役園殿口古戦場 左 本妙寺半丁 右 法園寺二丁」と彫られている。



東高野街道を石清水八幡宮方面へ歩き泰勝寺前に到着。
山門の前に石碑を兼ねた道標が立つ。(画像の左下)
「松花堂舊跡 昭和二年十月 京都三宅安兵衛依遺志建之 神應寺二丁 頼風塚」。
道標を兼ねているところが実用的でよいと思う。



やがて相槌神社と覆屋が建ち並び「山ノ井戸」と彫られた石碑が立つ。


こちらの石碑も道標を兼ねており「山ノ井戸 八幡泉坊跡二丁 右 松花堂墓所十間 昭和二年十月京都三宅安兵衛依遺志建之」と彫られている。

画像の右奥が山ノ井戸。
鍵が掛かっており井戸の中は覗けず。

つづく。



12月15日(日)20:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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