長尾街道4(當麻寺_忍海)28 |
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| 公民館を後にする。 虫籠窓が見られた。
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| バッタリ床机(しょうぎ)。 現役のようだ。
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| 辻で右折(南)したが、北方向、左側に常夜燈が二基見えた。 太神宮と見られるが立ち寄らず。
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| 酒食市場 エポックかつらぎ店前を通過。
「林堂」の文字が見えるが、このあたりの住所は葛城市林堂(はやしどう)。
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| ミニバス「西辻長池前」バス停を通過。
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2月19日(火)18:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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長尾街道4(當麻寺_忍海)27 |
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| 石仏が祀られている覆屋に立ち寄る。
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| 葛城市(新庄町)公民館桑一分館の表札が掛かっている。
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| 弘法大師像。 着色が残っており比較的新しい? 厨子も新しいようだ。
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| 石作り役行者像。
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| 弘法大師像の台座に文字が彫られている。 道標ではなさそう。 「願主 大坂枚岡屋半兵衛 新庄中」などの文字が彫られている。
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2月18日(月)18:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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長尾街道4(當麻寺_忍海)26 |
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| 礎石ではないようだ。 お旅所?
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| 神社の名前は葛木御縣神社で、境内は狭く住宅地の中にあってわかりにくい。
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| 北へ少し歩き三叉路を右折。(東)
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| 道標。 「右 大坂 さかい 道 世ハ人」と彫られている。 “世話人”を“世ハ人”と彫っているのが面白い。
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| 排水路の溝の中に消火栓が設置されている。
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2月18日(月)18:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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こばこの部 2019_5~2019_10予定表 |
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| こばこの部予定 2019_5~2019_10の予定表。
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2月17日(日)17:59 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理
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おおばこの会 2019_5~2019_10予定表 |
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| おおばこの会 2019_5~2019_10の予定表。
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2月17日(日)17:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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(続)旧摩耶道_学校林道_摩耶山_木の袋谷北尾根_杣谷 |
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| 松の葉の樹氷。 摩耶山山頂、NHK摩耶山テレビ・FM放送所付近にて。
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| アゴニー坂から六甲山牧場の眺め。
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| ササに覆われた斜面をトラバース。 木の袋谷北尾根にて。
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| ロープを伝いながら降りる。 木の袋谷北尾根にて。
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| 杣谷道との合流地点。
画像は杣谷道から後続の人が降りてきたところを撮影。 非常にわかりにくい取り付き。
おしまい。
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2月17日(日)17:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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旧摩耶道_学校林道_摩耶山_木の袋谷北尾根_杣谷 |
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| 2019年1月27日(日)は、山を登る会の第974回例会に単独で参加した。 山域は六甲山系。
<概要> この日のコースの中で「木の袋谷北尾根」は初耳。 六甲山地の山地図を見て場所を確認したが、コースの破線表示はない。
杣谷(そまだに)と木の袋谷との間の尾根で、破線表示がないこともあって、普通の登山者は歩かない。 取り付きは摩耶別山717mから穂高湖へ下るアゴニー坂の途中、奥摩耶ドライブウェイへ出る手前の右手。 ササに覆われ分かりにくいが、獣道程度の踏み跡がある。
その後も獣道とも見られる薄い踏み跡が延々と続き、急坂の連続、ロープがないところは滑りながら下る。 分岐も多く「連れて行ってくれ」と云われても無理。
地図で見ると、距離はたいしてないが、非常に長く感じた。 危険なところが何ヶ所かある。 と云うより、安全なところはほとんどない。 前後の人との“車間距離”を保たないと、“追突事故”を起こしてしまうから危険。 正に山登りというイメージ。
尚、この日、私はTリーダーのすぐ後を歩いた。 コースの最後は杣谷道(別名:カスケードバレー又は徳川道)に合流した。 合流地点も急坂で木々を掴みながら滑り降りた。 この取り付きもわかりにくい。
この日のもう一つの初歩きは旧摩耶道(もとまやみち)と学校林道。 どちらも以前から歩きたいと思っていた。
旧摩耶道の登り口は新神戸駅東側の熊内八幡宮から雷聾寺を経る。 元の摩耶参道で、最も西からの山越え道。 行程は長く小道であまり整備されておらず道標も限られている。 ハイカーは少ないので静かな山歩きが楽しめる。 行者堂跡で青谷道と合流するが、この日はその手前、東山で左折して学校林道を歩いた。
東山分岐からすぐ、送電線鉄塔に沿って北へ歩く。 行程のほぼ半ばで、東西に伸びる送電線鉄塔下(451m)を経て天狗道に合流した。 学校林道は某学校が植林した道だそうだ。 「林道」と名前が付くが一般的な林道ではなく登山道。 私は近くに学校があって、学校へ続く林道かと思っていたが違っていた。
また、雷聾寺(らいせいじ)も初めての訪問。 古刹かと思っていたがそうではなく比較的新しい。 濱田雷聾師が、昭和9年5月10日に讃岐の象頭山松尾寺に奉祀されていた、金毘羅大権現を神戸に迎えたのが始まりという。 霊園や墓地が建っていて現代的な寺院墓地が広がっていた。
<コース> 8:45阪急神戸線神戸三宮駅西改札口9:13_生田川に架かる布引橋を渡る_新神戸駅前_山陽新幹線に架かる跨線橋を渡る_熊内八幡神社前_常夜燈(金毘羅大権現)・旧摩耶道(もとまやみち)登山口_住宅地の中に続く階段を登る_寺標(金毘羅山 雷聲寺)・雷聲寺(らいせいじ)・大雄殿・金比羅山講堂・海員慰霊碑・道標(←雷声寺を経て熊内町0.2km / →旧摩耶道を経て青谷2.4km 摩耶山3.2km)・不動明王坐像の右奥から獣避けの金網の扉を開いて登山道に取り付く_道標(←摩耶山2.8km(学校林道・旧摩耶道)_分岐(東山尾根を経て神戸労災病院方面を右に見送り 摩耶山2.4km方面へ直進 →雷声寺1.0km 新神戸駅2.0km)_ハイキングマップ_10:17分岐(旧摩耶道を経て摩耶山上を右に見送り 学校林道を経て摩耶山上・市ヶ原方面へ左折)・119ばんつうほうプレート ち17-5 ・小休止10:22_<学校林道>_送電線鉄塔に沿って北へ歩く_左下斜面崩落地点_10:43六甲全山縦走路・天狗道合流・ハイキングマップ10:48_ハイキングマップ(六甲全山縦走路 天狗道)_反射板_分岐(地蔵谷を経てアドベンチャールートを経て黒岩尾根分岐を左に見送り 掬星台ゴロゴロ坂方面へ右折)_NHK摩耶山テレビ・FM放送所_ハイキングマップ(黒岩尾根 周辺案内図)_天狗岩_摩耶山頂(三等三角点 698.60m 点名:摩耶山)_分岐(摩耶自然観察園を左に 摩耶山史跡公園を右に見送り 掬星台0.1kmへ直進)_11:34掬星台休憩所・昼食11:58_道標(→オテル・ド・摩耶 森の小径ルート)_オテル・ド・摩耶駐車場横から山道に入る・六甲全縦道標_山御堂 忉利天上寺曽門前_道標(→アゴニー坂・杣谷峠へ)_水道局摩耶接合井を左に見送り アゴニー坂へ直進_<アゴニー坂>_金属製ベンチ_アゴニー坂終点(奥摩耶ドライブウェイ)方面直進を見送り 木の袋谷北尾根へ右折_杣谷道合流_<杣谷道>_道標(→長峰台)_堰堤_ハイキングコース図_車道出合(杣谷登山口)_篠原北町団地バス停前_13:52阪急神戸線六甲駅
<メモ> ・参加者: 85名。 ・リーダー: T氏 ・コース歩行 (阪急神戸三宮駅~六甲駅までの所要時間と距離) 歩行距離: 約12.1km。 所要時間: 4時間37分。 ・当日歩行 (自宅~自宅までの歩いた時間と推測距離) 推測距離: 約19.5km。(0.67m×29,179歩=19,549m) 歩行時間: 4時間37分。 歩数: 2万9千歩。
画像はこの日歩いた阪急神戸線神戸三宮駅から同線六甲駅までのGPSログを表示。
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| 旧摩耶道(もとまやみち)の登り口。
金毘羅大権現と彫られた二基の常夜燈が建つ。 常夜燈には「旧摩耶道→ 階段上って左へ」と貼紙されていた。
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| 東山分岐手前地点に設置されていたハイキングマップ。 薄っすらと雪が積もっている。
新神戸駅方面から雷声寺を経て現在地に居る。 この後、東山分岐で左折し学校林道を歩いて天狗道に合流。 摩耶山頂へ向かった。
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| 東山分岐で旧摩耶道から離れ学校林道を歩く。 送電線鉄塔下から神戸市内・大阪湾の眺め。
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| 天狗道で見られた樹氷。
つづく。
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2月16日(土)18:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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長尾街道4(當麻寺_忍海)25 |
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| 奉納されていた「平成三十一年度 亥」の絵馬。
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| 住吉神社を後にして、引き続き東方向へ歩く。
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| 常夜燈。 「八幡宮 / 文化四丁卯年 / 世話人 枚岡氏」と彫られていた。
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| 神社らしい境内に裏側から入る。
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| 境内に巨樹があった。 ご神木と見られるが、何の木か不明。
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2月15日(金)18:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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長尾街道4(當麻寺_忍海)24 |
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| 地下道から地上へ出る。
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| 葛城市新庄の交差点まで戻り、東方向へ歩く。 前方、左に見える森は住吉神社の鎮守の森。
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| 住吉神社に立ち寄る。
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| 自然石で造られた立派な手水鉢。
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| 拝殿の彫刻。 ヤマタノオロチを退治した須佐之男命(すさのおのみこと)?
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2月15日(金)18:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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2019年1月1日~2月13日のウォーキング |
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| 2019年1月1日~2月13日のウォーキングは下記の通り。 ★=自宅近辺 ・=近郊 (当日正味歩いた時間と推測距離)
★1月01日(火) 菖蒲上池近辺 4.9km 1時間15分 ★1月02日(水) (疋田町)三輪神社近辺 3.2km 43分 ・1月03日(木) 箕面山_六個山_五月山_ひょうたん島コース 山を登る会 16.9km 3時間54分 ★1月04日(金) 大渕池公園近辺 8.1km 1時間38分 ・1月06日(日) 竹内街道(古市~大泉緑地) おおばこの会 20.8km 4時間48分 ★1月08日(火) 大渕池公園近辺 5.5km 58分 ★1月09日(水) 秋篠寺近辺 7.3km 1時間31分 ★1月10日(木) 尼ヶ辻・学園前コース 8.9km 1時間50分 ★1月11日(金) 尼ヶ辻・学園前コース(続) 7.9km 1時間39分 ・1月13日(日) 銀峰_雌岳_原岳_麻呂子山_馬の背 山を登る会 14.2km 5時間2分 ★1月14日(月) 石切参道買い物 9.2km 1時間57分 ★1月16日(水) 尼ヶ辻・学園前逆コース 11.1km 2時間22分 ・1月17日(木) 多武峰から高家を経て生田 14.3km 6時間4分 ★1月19日(土) 蛙股池周辺 7.5km 1時間38分 ・1月20日(日) 近鉄酒蔵みてある記(御代菊)+日本橋周辺 18.8km 4時間37分 ★1月22日(火) 宝来町近辺 5.6km 1時間15分 ・1月24日(木) 長尾街道4(當麻寺_忍海) ササユリの会 14.6km 3時間26分 ・1月26日(土) なにわの熊野街道(天満橋_阿部野橋) 土曜会 14.4km 3時間13分 ・1月27日(日) 旧摩耶道_学校林道_摩耶山_木の袋谷北尾根_杣谷 山を登る会 19.5km 4時間37分 ・2月02日(土) 近鉄酒蔵みてある記(豊祝) 16.5km 4時間1分 ・2月03日(日) 洛西観音霊場4(卒台寺_正覚寺) こばこの部 14.4km 3時間25分 ・2月07日(木) 多武峰から北山を経て今井谷 20.8km 5時間19分 ・2月10日(日) 七福思案処_東山山頂公園_清水山_四つ辻 山を登る会 18.0km 4時間8分 ・2月11日(月) 江包・大西のお綱祭り 11.0km 2時間27分 ★2月13日(水) 追分梅林 9.7km 2時間8分
現在、 ・1月24日(木) 長尾街道4(當麻寺_忍海) を連載中。
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2月15日(金)18:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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なにわの熊野街道(天満橋_阿倍野橋) |
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| 2019年1月26日(土)は土曜会に参加した。 タイトルは「なにわの熊野街道(天満橋~阿部野橋)を歩く」。
<概要> 以前から大阪のど真ん中に通じている熊野街道を歩いてみたいと思っていた。 きっかけは京阪電車が発行している「京阪沿線 ウォーキングまっぷ 大阪市内編 熊野街道コース(天満橋→住吉大社)を見てから。 京阪のウォーキングまっぷ
ところが機会がなく、わざわざ一人で歩くほどでもないと思っていた。 そんな時に土曜会のコースに出てきたので“渡りに船”。
熊野街道のスタート地点は天満橋。 その昔、都の人々は淀川を船で下り、天満橋から熊野に向かって歩き始めた。 京阪のウォーキングまっぷでは、天満橋から住吉大社までがコースとして紹介されている。
熊野街道(熊野古道)とは
熊野古道は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に詣でるための道でした。 熊野は古くから聖地とされ、厳しい道を越えて熊野に足を運ぶことで、来世の幸せが叶うという信仰が生まれました。 さらに江戸時代には、紀州藩が石畳、道標などをつくり、熊野街道としてますます歩きやすく整備されました。
2004年7月熊野古道を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、世界遺産に登録されました。 長い時を経て周りの景色は変われども、今なお熊野街道の様々な軌跡が大阪市内に残ります。 歴史のロマンを感じつつ、古人の道筋をたどり、歩いてみましょう。 (以上、京阪のウォーキングまっぷ より)
この日は主宰者(N氏)の時間の都合で、途中の阿部野橋まで歩いた。 歩行距離は約6.9kmと短めだったので、社寺仏閣などゆっくりと観ながら歩くことが出来た。 昼食をアベノ地下街で済ませその後解散した。
「山を登る会」に代表されるように、ただ黙々と歩くのみ、というのも一つの歩きのスタイル。 今回のようにのんびりと歩くのも一つのスタイルで、私としては一つの形に限定することなく臨機応変に歩きたいと思っている。
<コース> 地下鉄谷町線天満橋駅9:33_大阪キャッスルホテル前_八軒屋浜船着場跡_土佐堀通出合_案内板(熊野かいどう)_土佐堀通を西へ_日刊工業新聞社大阪支社前_土佐堀を左折(南)_坐摩神社行宮(ヰかすりじんじゃあんぐう ざまじんじゃあんぐう 窪津王子跡)_北大江公園前_長光寺前・石柱(維新史蹟 贈正四位僧月性龍護遺跡 長光寺)_東横イン天満橋大手前前_道標(熊野街道 / 大坂天満八軒家から0.5km)_中大江公園前_日本キリスト教団大阪東教会前_阪神高速13号東大阪線の高架下を潜る_石柱(← 太閤下水見学施設)_説明板(太閤下水(背割下水))_道標(熊野街道 / 大坂天満八軒家から1.1km)_南大江公園・水呑地蔵尊・説明板(朝日神明社跡(坂口王子伝承地))_石碑(熊野かいどう)_道標(熊野街道 / 大坂天満八軒家から1.3km)_説明書(榎木大明神の栞・榎木大明神の由来)・文学碑(直木三十五(直木賞)「南国太平記」より)_長堀橋通(R308)を横断 御祓筋を南へ歩く_大大阪藝術劇場前_左折して空掘商店街を東へ歩く_旧ヤム邸前_谷町筋を横断_大衆食堂スタンド そのだ前_道標(熊野街道 / 大坂天満八軒家から2.1km)_右折(南)_大阪キンキ前_大阪市立上町中学校前_道標(熊野街道 / 大坂天満八軒家から2.4km)_道標(熊野街道 / 大坂天満八軒家から2.9km)_天王寺上汐郵便局前_大阪市立生魂小学校前_天王寺郵便局前_まるはちあられ_天王寺警察署前_谷町筋を南へ_道標(熊野街道 / 大坂天満八軒家から4.1km)_四天王寺前夕陽ヶ丘駅前_説明板(四天王寺・椎寺・夕陽丘)_旧町名継承碑(椎寺町)_寺標(妙覚寺)_大阪市立大江小学校前_四天王寺 はやうち(蕎麦)前_四天王寺・中之門・融通地蔵尊・地蔵山_堀越神社前_道標(熊野街道 / 大坂天満八軒家から4.7km)_赤松種苗前_あべちか入口7_12:00とんかつ KYK アベノ地下街店(昼食)12:45_12:53天王寺駅
<メモ> ・参加者総勢: 9名。 ・コース歩行 (天満橋駅~天王寺駅までの所要時間と距離) 歩行距離: 約6.9km。 所要時間: 2時間19分。 ・当日歩行 (自宅~自宅までの歩いた時間と推測距離) 推測距離: 約14.5km。(0.67m×21,607歩=14,476m) 歩行時間: 3時間13分。 歩数: 2万2千歩。 ・昼食: とんかつ KYK アベノ地下街店
画像は地下鉄天満橋駅からJR天王寺駅まで歩いたGPSログを表示。
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| 榎木大明神。 大阪市中央区安堂寺町2丁目3。
榎木大明神の由来
長年に亘り、地元の人達に「エノキさん」「巳さん」と親しみ呼ばれているこの大樹は、正しくは「槐(エンジュ)」という中国原産の樹である。 楠木正成公がお手植えという説もあり、樹齢はおよそ六百五十年と言われている。 豊臣の時代には当地も大阪城域で、この辺りは紀州熊野参りとお伊勢参りの街道筋だった。 だから大きくそびえるこの樹は、何よりの目印になったし、また地元の人達は土地神として、「白蛇大明神」の祠を建てて、代々この樹をお守りしてきた。 昭和二十年(一九四五年)第二次世界大戦の大空襲の折りには、襲ってきた猛火がこの樹の辺りでぴたりと止まり、東側一帯が危うく類焼を免れた。 これも霊験のひとつとして語り伝えられており、毎年春のお彼岸前後には、地元「箔美会」(はくびかい)の人達により、榎木大明神の大祭が挙行されている。 昭和六十三年(一九八八年)、当樹が枯死寸前の状態になったとき、大阪市と「箔美会」からの依頼を受けた山野忠彦樹医の適切な延命治療により、再び元気をとりもどした。 そして現在、樹勢は極めて盛んとなり、地元で生誕され直木賞で有名な直木三十五氏の文学碑とともに、都心のオアシスとなっている。 平成六年(一九九四年)十月吉日 榎木大明神 箔美会
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| 大大阪藝術劇場。 大阪市中央区谷町6丁目17。
古い町屋の残る空掘(からほり)地区に明治時代の長屋を改装したフリースペース。
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| こちらは素人寄席、空堀亭「ふくびき寄席」。 大大阪藝術劇場横の蔵で行われた模様。 入場無料。
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| 融通地蔵尊。 四天王寺境内。
逢坂清水と融通地蔵尊(右) 大阪府有形文化財 地蔵菩薩立像(融通地蔵)
この井戸は逢坂清水の井戸と呼ばれ、もと一心寺の門前西、逢坂の途中にあったが、明治の末、電車道が開かれる道路工事のため融通地蔵尊と一緒を四天王寺の地蔵山に移された。 『摂津名所図会』に「清冽にして四時(四季)増減なし。茶に可なり」との記述がありどんな日照りが続いても、いつも同じような清水をたたえ水枯れせず茶の湯にも適した名水だったことがわかる。 現在は枯れているが、天王寺七名水のひとつである。
おしまい。
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2月14日(木)18:43 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理
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長尾街道4(當麻寺_忍海)23 |
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| 先の説明書にあった竜山石(たつやまいし)を使用してつくられた蓋石(ふたいし)。
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| 屋敷山古墳出土の竪穴式石室天井石
これは、屋敷山古墳の被葬者を長持形石棺に納め安置した、竪穴式石室の天井石の一つです。 大きさは、長さ3.4m、幅1.2m、厚さ30cmで、両端には各1個の縄掛突起がつくり出されています。 兵庫県高砂市で産出する、竜山石と呼ばれる凝灰岩で製作されています。葛城市教育委員会
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| 縄を掛けた突起部分。
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| 屋敷山公園を後にする。 画像の建物は葛城市民体育館。
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| 県道30号線を横断する地下道を歩く。 地上は横断禁止。
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2月13日(水)18:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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長尾街道4(當麻寺_忍海)22 |
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| 屋根のある休憩所があった。 昼食場所として適当かどうか様子を見に行く。
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| 石の階段を登る。
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| 休憩所には大勢が座れる場所があって、眺めもよかったので、ここで昼食となった。
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| 歩いて来た方向を振り返って撮影。 右の建物は葛城市中央公民館。
昼食後、公園内を観て回る。
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| 史跡 屋敷山古墳
葛城市内で最大の規模(全長 135m以上)をもつ前方後円墳です。 古墳の周囲には周濠がめぐらされ、墳丘上には埴輪が立ち並んでいたと考えられます。 出土した品々から、この古墳が造られたのは5世紀中ごろと推定されます。 埋葬施設は、竜山石(たつやまいし 兵庫県高砂市産)を使用してつくられた蓋石(ふたいし)をもつ竪穴式石室で、内部には竜山石でつくられた長持形石棺(葛城市歴史博物館にて展示)が安置されていました。 竜山石は、当時の大王など有力者のみが使用できた石材と考えられ、この古墳の埋葬者が葛城地域の有力な王であったことを想像させます。 『古事記』『日本書紀』にもその名を残し、天皇と親戚関係を結んで大きな権力をもった、古代の大豪族「葛城氏」にかかわる人物が、この古墳に葬られたと考えられます。 1972年(昭和47)に、国の史跡の指定を受けて、周辺も含め屋敷山公園として整備され、現在の姿になりました。葛城市教育委員会
屋敷山古墳 墳丘復元図 全 長:135m以上 後円部径:約77m 後円部高:約15m 前方部幅:約90m
その後の屋敷山古墳の利用(慶長八 (1603)年の絵図による) 平安時代から室町時代にかけて、葛城市南部を本拠とした布施氏の「里の館」として使用されました。 また、江戸時代初期には、新庄藩(2万石)を治めた桑山氏が「陣屋」として使用しました。 「屋敷山」の名称は、これらのことに由来しています。
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2月13日(水)18:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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長尾街道4(當麻寺_忍海)21 |
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| 屋敷山公園は広大な公園でよく管理されている。 この日は公園の整備が行われていた。
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| 池に架かる橋を渡る。
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| シダレサクラ。 開花したら見事だろう。
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| 池には噴水が設置されている。
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| 新庄城址の石柱が立つ。 この日は工事中で立入禁止。
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2月12日(火)18:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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長尾街道4(當麻寺_忍海)20 |
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| 県道30号線の歩道を歩き柿本川に架かる橋を渡る。
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| 葛城市新庄、歩道橋の下を潜る。
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| 昼食場所、屋敷山公園の案内板。
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| 屋敷山公園には、元は屋敷山古墳があり、後世、墳丘の上に城(新庄城)が築かれた。 現在は付近一帯が公園として整備されている。
画像は墳丘の一部が崩れ落ちたと見られ整備されていた。
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| コミュニティバス屋敷山公園バス停前を通過。 この路線は一日五本運行されている。
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2月12日(火)18:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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