山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2020年3月を表示

No.26信貴山奥の院

昼食場所から南西方面の眺め。
中央に先ほど居たイタヤカエデらしき木立。



修景池の南側、冒険広場(西宮城跡)のスライダー。


説明板。

県指定 史跡 西宮古墳 昭和三一年八月七日指定

この古墳は、廿日山丘陵(はつかやま)丘陵の南端に築かれた三段築成の方形墳ある。
墳丘は一辺約三六mの正方形で墳丘高は正面で七·二m以上あり、本来の高さは約八mと思われる。
墳丘斜面は約三五度の勾配で、墳丘全体と東側周溝底には貼石が施されている。
墳丘の東西と北側は台形状に大きく掘削され周溝をめぐらせている。
横穴式石室は南に開口し、玄室は墳丘中央部に位置する。
石室は切石を用いた精美なもので平群町越木塚で産出する石材によって築かれ、石室床面は墳丘二段目のテラス面に合わせている。
石室の全長は約一四mで玄室の長さ約三.六m、幅·高さが約一 ·八mである。
石室内部に収められた刳抜式の家形石棺は棺蓋が失われ棺身のみであるが兵庫県産の竜山石で製作されたものである。
石棺の長さは二二四㎝、幅一一五㎝、高さ七六㎝である。
石室前方の墓道より須恵器の杯蓋・高坏片が出土している。
七世紀の中頃から後半の築造と考えられ、平群谷を代表する終末期の古墳として重要である。

平成十一年十一月 奈良県教育委員会



南側の開口から石室に入ってみる。


説明書きにある刳抜式(くりぬきしき)の家形石棺。
棺蓋は失われている。
こんなところにも、盃状穴が観られた。

つづく。



3月26日(木)06:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.25信貴山奥の院

日差しが差して暑いくらいなので、日陰となる、おあつらえ向きの昼食場所があったと思ったが・・。


トイレの向こう側にビッグサイズの東屋が見えた。
地面だとシートを敷く必要があるが東屋だとそうとは限らないし座る方がラクチン。



画像はイタヤカエデかもしれない。


東屋には誰もおらず貸切状態で昼食タイム。


東屋から眼下の池を眺める。
平群町中央公園のサイトによると、眼下の池は「修景池」。
ここ東屋が建つところが歴史の広場で下垣内城跡。

つづく。



3月26日(木)06:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.24信貴山奥の院

イチョウの黄葉が美しい。
幾分、密集して植栽しているようだ。
イチョウは大きくなるので、この間隔ではいずれ間伐が必要となるだろう。



トイレと昼食場所の東屋を探して上の方へ向う。


とてつもなく大きい葉っぱ。
小学校の運動場にもあったと思う。
プラタナスの葉かもしれない。



紅葉が青空に映える。


こちらはドウダンツツジの紅葉。

つづく。



3月25日(水)05:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.23信貴山奥の院

住宅地(初香台)の中を歩く。


白髭大明神と記されていた。
造園業者或いは地元の人達?がクリーンアップ中。
丘陵地の一番高まったところにある。
付近が住宅地になる前から祀られていた神社だろう。



「↑道の駅1.5km 西宮古墳0.5km」の道標を見て直進。


“へちま”とみられる。
どういう用途に用いるのだろうか。
それとも、放置してあって自然に生えているのかも。



三叉路となり「西宮古墳→0.2km」の道標を見て右折。
すぐ左手に平群中央公園 駐車場が現れる。
駐車場から平群中央公園へ入る。

つづく。



3月25日(水)05:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.22信貴山奥の院

この先の分岐は越木塚方面へ直進。


モクレンの花芽かもしれない。


暫く左右に雑木林を見て歩き、やがて越木塚の集落に入る。
この先の分岐は左折。



分岐に立つ自然石に彫られた道標。
「右 い古ま道 / 文久三? 施主? 塚基治」。



傍らに立つ道標。
「→竜田川駅1.5km ↑剣上塚古墳0.5km」。
剣上塚古墳方面へ向う。

つづく。



3月25日(水)05:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.2ミン・ヘギョン

No.2ミン・ヘギョンを視聴してみよう。

【過去にアップしたミン・ヘギョン(閔海瓊 민해경 Min Hae-kyung)】
ミン・ヘギョン

민해경 2집 - 어느 소녀의 사랑이야기 / 우리들의 올림픽 (1981)
【ミン・ヘギョン 第2集 ある少女の愛の物語 私たちのオリンピック】



민해경 - 어느 소녀의 사랑이야기 他 2곡 (2014-09-07)
【ある少女の愛の物語他2曲】



민해경 - 내마음 당신곁으로 他 2곡 (2016-07-09)
【私の心はあなたのそばに他2曲】



3月24日(火)19:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.21信貴山奥の院

引き続き県道250号線を下る。
幅が広く歩きやすい歩道が続く。

正面の山塊は生駒山。



分岐で県道250号線から右折。
右に見える建物は旧平群西小学校。(廃校)



歩いて来た道を振り返って撮影。
陸橋が県道250号線。



旧道歩きとなり人家がポツポツと現れる。


人家の軒下に吊るされていた干し柿。
懐かしい風景。

つづく。



3月24日(火)06:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.20信貴山奥の院

山門の方へ戻る。

画像は牛頭天王社の拝殿。
神仏習合が見られる。



時々、バタバタとドングリが落ちてくる。
まともに頭に当れば痛いくらい。
風が吹くと大量に落ちて来た。



山門を潜って境内の外に出る。
この時、道標は光が直接当らず文字を読むことが出来た。

「十三峠 古?塚 生駒山 ○(瓢箪の絵図)山 大坂 / 安政二戼年九月 世話× / 施主 ○(屋号)播磨屋× ○(屋号)三田屋×」と彫られているようだ。
“戼”は“卯”の異字体だろう。
これと同じ瓢箪の絵図を使った道標が千光寺の山門前にもある。



道標が示す方向。
千光寺・宝山寺まで繋がる中腹の参詣道。
昔はよく歩かれていたとみられる。
今は所々寸断されているようだ。



来た道を県道250号線 信貴畑自治会 案内板まで戻る。

つづく。



3月24日(火)06:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.19信貴山奥の院

多聞天王像。
光の当たり具合で上手く撮影出来ない。



吉祥天女像。


不動明王像。
像の正面から光を受けているのではっきりと撮影出来た。
忿怒の相で火災を背負ったお馴染みの様相。



先ほどの自然石。
「やけ古゛め」と彫られていた。



鬼瓦が陳列されていた。
少し埃っぽい―笑。

つづく。



3月24日(火)06:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.18信貴山奥の院

説明板。

「日本最初 毘沙門天主出現霊場 當山縁起と焼米の由来」

當山に御安置申し奉ります御本尊毘沙門天王は、聖徳太子の御作で守屋大連討伐の御時、毘沙門天王が阪部大臣と化身して先鋒を振るわれましたので、御尊像に汗をかかれたと申します。
聖徳太子歓喜の余り此處に堂宇を建立し御安置申され、千四百有余年の今日に到る迄、汗かき毘沙門天と申し、御霊験極めてあらたかで有ります。
なかにも當山の浄域より不思議にも地中より焼米が湧出します。
この焼米の由来は毘沙門天王福徳無量にして、寶米積む事、山の如く聖徳太子守屋大連討伐の御時尊天より兵士への兵量として授かりましたが、有難きお米でありますのでその幾分をさいて焼米として後世迄も残し、尊天の御成徳を輝かし奉らんとこの浄域に納められました。
諸人是を拾えども更に尽きる事なく、故に山号を米尾山と申します。
信人堅固にして仁慈を行い毘沙門天に帰依して、この焼米を頂く者は如何なる病も立處に除き福壽増長して眞の寶米を得られると云う誠に有難い御寶米であります。

米尾山多聞院 信貴山奥之院



説明板に記載されている地中より焼米が湧出する“浄域”。


人造物ではなく自然石のように見えた。
人が立っているシルエットに見えなくもない。



境内の一番奥まったところにやって来た。
画像の左側は多聞天王像を真ん中にして、左に善膩師童子像、右に吉祥天女像が安置されている。
善膩師童子は聞き慣れないが、毘沙門天(別名:多聞天王)と吉祥天女の子供。



多聞天王像。

つづく。



3月23日(月)06:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.17信貴山奥の院

「佛恩」。
これを見て、よく聞く言葉に「仏恩報謝」が浮かんだ。



「毘沙門天王」と記された扁額と献灯。
信貴山 奥の院のご本尊は毘沙門天王で秘仏。(毎年7/3ご開帳)



八大龍王。


「奥之院の大寅」と呼ばれる木彫りの寅。
光の加減で上手く撮影出来ない。



顔をズーム撮影。

傍らの説明書きによると、毘沙門天のご真言は「オン ベイシラ マンダヤ ソワカ」。
これを唱えながら大寅のからだに触れるとお力が授かる。

つづく。



3月23日(月)05:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.16信貴山奥の院

モミジの紅葉を別のアングルから撮影。
一般にモミジの木は生長が遅く、これらのモミジは相当な年数が経っていると思う。



深沙堂。
扁額によると毘沙門天の化身「深沙大将」(じんじゃだいしょう)が祀られているようだ。



鐘楼。


境内に置かれていた石仏。


本堂に掲げられていた寅の絵図。
尻尾が全部描かれておらず何か不自然な構図。

つづく。



3月23日(月)05:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ベートーヴェン ピアノソナタ 第14番 月光

ベートーヴェン ピアノソナタ 第14番 月光を視聴してみよう。
ピアノソナタ第14番 (ベートーヴェン)

Beethoven Moonlight Sonata Op 27 No 2 FULL



Beethoven Sonata # 14 "Moonlight" Op. 27 No. 2 Valentina Lisitsa



Beethoven : Sonata No.14 Op.27 No.2 ("Moonlight") / Valentina Lisitsa



ベートーベン ピアノ・ソナタ 「月光」 辻井伸行



3月22日(日)20:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.15信貴山奥の院

山門。


寺標。
「毘沙門天 出現? 當山米尾」と彫られているようだ。(左に文字をなぞって貼り付けた)
“出現?”は“出現霊場”かもしれない。



道標。
生憎光が強すぎて文字が読めない。
お寺を出る時に、もう一度撮影したがその時の方が分かりやすい。
(後で撮影した画像をアップ)



側面。
「安政二」以下は読みにくい。



丁度、モミジの紅葉が見頃。
青空に映える。

つづく。



3月22日(日)05:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.14信貴山奥の院

駐車場としても使えそうな広場に出る。
正面は住職のお住まいだろう。
その左にお寺の山門が見える。



見慣れないものがあったので立ち寄ってみる。


登り窯かもしれない。


山門へ向う。
お寺は右手の山門を潜って右側に位置している。



説明板。

信貴山真言宗 信貴山 奥之院
(米尾山 多聞院)

一、開基:聖徳太子
一、本尊:汗かき毘沙門天王
一、焼米:湧出の霊場

当院は信貴山塔頭なりしも今は奥之院と称す。
初め太子用命天皇の二年守屋御討伐の御時、尊天当山に御出現、万戦必勝の秘法を授給う。
凱旋後太子御自作の汗かき毘沙門天を奉祈し当院を建立す。
また守屋御討伐時の兵糧米を法を持って焼き供えし、現在でも焼米地中より湧出す。
大楠公の幼名多聞丸は蓋し当院に因まれしものなるべしと伝う。

※守屋御討伐 五八七年七月、竜田川の西南の大和川沿いには蘇我馬子率いる大和朝廷軍二千人の兵士が仏敵の大連物部守屋布陣を討伐をする出来ごと。
※大楠公 楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。

つづく。



3月22日(日)05:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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