山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年10月を表示

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)37

薬王坂からは下り道。「坂」と呼ぶより「峠」と呼ぶほうが適切と思われるが、「坂」は古い呼び方という。尚、「峠」という漢字は和製漢字で、中国から伝来した漢字ではなく、日本で作られた漢字。


静原側も急坂だったが、こちらも勝るとも劣らない急坂。おまけに石ころが多い。


突然、祠が現れる。


祠は新しいが、石仏は古い時代のものだろう。


登山道は切り通しとなるが、相変わらず石ころが多く歩きにくい。


10月8日(木)19:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)36

二尊板碑のすぐ横にバンガローがある。違和感を感じずにはいられない。


二尊板碑を後にして再び歩き出す。


ほどなく薬王坂(やっこうざか)に到着。案内板が沢山立っていて賑やか。北山道標は40番。東海自然歩道は鞍馬まで0.6kmとなっていた。


薬王坂から北に尾根筋を歩くと天ヶ岳へと続くようだ。南尾根方向の竜王岳は道標がなかった。


そして薬王坂の説明板。


10月8日(木)19:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)35

バンガローの入口に「不法侵入禁止」の張り紙。


バンガローのすぐ横に「阿弥陀二尊」と書いた立て札と石仏。板碑のように見える。板碑なら「二尊板碑」と呼ぶべきか。


阿弥陀二尊をズーム撮影。


「一参拝人」が記した説明板。
説明によると、赤松の根に巻かれ立っている板碑で、南北朝時代中期 貞治三年(1364)の銘がある。



この巨樹が赤松という。今となっては確認出来ないが、ほんとうに赤松だったのだろうか。


10月8日(木)19:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)34

急登はなおも続く。前を歩くのは静原神社で一緒だった女性の3人連れ。


ここから舗装道路が途切れ地道となる。


急登でもやはり地道の方が歩きやすい。


薬王坂0.3km。


こんな上にもバンガローがあった。


10月7日(水)18:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)33

かなりの急登。呼吸を整えゆっくりと登る。


面白い形をした木。ヒノキだろう。


幹にトゲのあるカラスザンショウ。


バンガローのような建物が所々見られたが、今は使われていない様子。


このバンガローは傾いている。あたりはジメジメしていて湿気が多い。


10月7日(水)18:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)32

正面に見える山は竜王山500m。京都トレイルはこの山には登らず、薬王坂から鞍馬へ下る。


この先を右折。角に北山道標38の道標が立っている。(画像右)


左に田んぼを見て歩く。


東海自然歩道の案内板。


ここから先、舗装道路の急登となる。
この場所、薬王坂の登り口の標高は213m。薬王坂の最高地点は375m。なので標高差162m。



10月7日(水)18:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)31

静原に入って3基目となる愛宕灯籠。


屋根と建物の間に空間がある珍しい家屋。この地域の特徴なのだろうか。他の家屋もこれと同じものが幾つか見られた。


北山道標37の道標。


薬王坂へ。


舗装道路を道なりに歩く。


10月7日(水)18:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)30

分岐。東海自然歩道は左へ。右は民家へと続くようだ。


このような狭い道を歩く。一瞬、違うのではないかと思ったくらい。


道は下り坂となる。


集落の中なので分岐が多いが、道標が完備されているので迷うことはない。


北山道標36の道標。


10月6日(火)21:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)29

城跡への道標。静原神社境内の裏から静原城跡(通称城山)480mへと続く踏み跡。


城跡への分岐から京都トレイル(東海自然歩道)方向を撮影。


静原集落の石垣も大変立派。


これは白色のハギだろう。


東海自然歩道の道標。この区間は京都トレイルと重複している。薬王坂まで1.3km。


10月6日(火)21:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)28

狛犬。吽形。目だけ青色というのはどうも不自然。


陰陽石っぽい。


この日は何人かのグループが、私達と同じように京都トレイルを歩かれていた。


ご神木の前、拝殿に腰を下ろして昼食タイムとなった。


昼食後、静原神社を後にする。隣の児童公園には新しいトイレが設置されていた。


10月6日(火)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)27

児童公園のイチョウの巨樹。枝から垂れ下がるように下に伸びた棒状の突起物を“乳根”(ちちね)と呼ぶらしい。因みにイチョウは雄雌異株あるが、雄株でも見られるそうだ―笑。


まずは神社へお参りする。


ご神木の杉。


静原社由緒。
社伝によれば、成務天十二年三月午日に山城国愛宕郡志津原に鎮座す。伊奘諾尊が高天原に坐し。瓊瓊杵尊が日向の高千穂に天降り、はじめは静原楢小川の上流「河合谷意美和良川」鎮まられた。古来、御本社に伊奘諾尊、奥御前に瓊瓊杵尊をまつったが、そのため合わせて「二宮社」と呼ばれる。また、天武天皇が逆徒に襲われ此所に臨幸され、玉体安らかに御心も静にあそばされた為、静原と称す。そして、刀・弓・矛等を奉納されたため江州浅井郡の地三三0石を御寄付され、和銅四年三月三日より祭祀を始める。現社地を「真路山」、御旅所を「天皇社山」と称す。天正検地で三三0石没収されるも、秀吉公より下鴨社領として三0石が定められ明治に至る。そのため、静原沙汰人と称して、下鴨社の御蔭祭に奉仕する例が現在も続いている。静原神社。



狛犬。阿形。目が青色。元々青色だったのだろうか。


10月6日(火)21:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)26

コスモス畑で沢山のコスモスを観るのもよいが、どちらかと云えば、一輪咲きの方がコスモスには合っていると思う。


金毘羅大権現の石碑。


ほどなく静原神社に到着。左に北山道標35-2の道標。右は東海自然歩道。薬王坂1.4km。鞍馬2.0km。


そして東海自然歩道の案内板。


静原神社の横に静原児童公園があった。手前の階段を登ると児童公園。


10月5日(月)21:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)25

キク科のメランポデュームだろう。


愛宕大神と彫られた灯篭。愛宕灯籠と呼ばれている。昭和七年一月の銘あり。
※「静原を楽しむ会」によると、静原の集落には9つの愛宕灯籠があり、毎夜各戸持ち回りで灯明を点す習慣があるという。
「静原を楽しむ会」愛宕灯籠のサイト
http://shizuhara.net/%E8%A6%8B%E6%89%80%E6%83%85%E5%A0%B1/%E6%84%9B%E5%AE%95%E7%81%AF%E7%B1%A0/



この道は公道なのだろうが、民家の庭にでも入って来たような錯覚を覚える。


どこか懐かしい風景。傾斜地になっているので日当たりがよさそう。


ここにも愛宕灯籠があった。


10月5日(月)21:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)24

北山道標35-1の道標。この道標から静原川沿いから離れる。


薬王坂方向へ。


住所表示は左京区静市静原町となっていた。


民家の庭先で見たムラサキシキブ。


静原の集落に入って行く。


10月5日(月)21:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)23

フラワーパーク静原の里は名前の通りフラワーパーク。温室もあるようだ。こちらの建物は「ル・ヴォン・ドゥー」という名前の売店。レストランかと思ったが。


軒下に吊るしてあった。タカのツメだろう。


これは不明。


静原神社へ向かう。


静原川の流れと、地元の静原小学校の生徒が作成した啓蒙掲示板。


10月5日(月)21:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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