山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年5月を表示

明智越_小倉山20

「土用の霊泉」の説明板によると、「いかなる夏の暑い土用にも、このような高所にどうして清水が涸れないにか誠に不思議な感にうたれる」とある。


ところが、説明書きとは裏腹に泉は完全に涸れていた。


再び歩きはじめる。この日会った唯一の登山者。登山者という服装ではなく、軽い気持ちで登ってこられたようだ。少し道に迷われたようで、私達に道を尋ねられた。


先程の登山者は、この分岐で迷ったようだが、右は送電線鉄塔の巡視路。


暫く歩くとハイキングコースの道標があったので、納得されたようだ。


5月23日(土)17:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山19

明智越ハイキングコースの道標。


三度目の崩壊地。木々をつかんで、左上に続く踏み跡を歩く。


崩壊地からの眺め。沓掛山415mだろうか。


崩壊地を振り返って撮影。


すぐ横に「土用の霊泉」があった。馬の水飲み場となっている。


5月23日(土)16:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山18

自然林の明るい尾根道を歩く。


再び崩壊地が現れる。画像は振り返って撮影。


登山道は緩やかな登りが続く。


このあたりが明智越の最高地点420mなのだが、登山ガイド本に記載されているような広場は気付かなかった。


南方向の「みすぎ山」430m(手前の山塊)方面の眺め。


5月23日(土)16:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山17

やがて「峯の堂」(むねんどう)に到着。小休止となる。清和天皇を祀った「峯の堂」(みねのどう)だが、いつしか光秀公を哀れみ「無念堂」(むねんどう)に変わったと伝えられている。


堂の跡を探したが、どこにもそれらしきものは見当たらず。


また、この場所は通称「いしだぁはん」と呼ばれているらしい。


「峯の堂」を後にする。すぐに「鐘撞堂跡」に到着。ここでも鐘撞堂跡を探したが影も形もなかった。


ここは斜面が大きく崩壊しており、展望が得られたが、山しか見えず。


5月21日(木)23:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山16

尾根筋を歩いているが、潅木に覆われ眺望はほとんどない。


分岐ではないが、水尾を示す道標。


「石堂古墳」の案内板。どこが古墳なのかよくわからず。


前方に登山者の姿。この日登山者を見たのはこの人達だけ。私達と同じく亀岡から歩いて来られた。夫婦連れとみられる。


登山道はやや荒れている感じ。


5月21日(木)23:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山15

切通しの道。


新緑が眩い。


大見晴らし(大目離)に到着。眺望の地となっている。しかしここも木々が生い茂り眺望はほとんど得られず、なので少し休憩してすぐに歩きはじめる。


登山道はえぐれており、このような道を光秀公が馬に跨って山越えしたのだろうか。馬と云っても、サラブレッドではなく、日本古来種なので、ロバのように小さく、山道を歩くことに慣れていたのだろう、と想像する。


所々に設置された明智越ハイキングコースの道標。登山道で迷うことはなかった。


5月20日(水)19:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山14

木漏れ日の中を歩く。自然林も雑じる快適な登山道。


徐々に傾斜が急になってくる。また露岩も多い。このコースは登山靴が必要。


この先、展望が得られそうな場所。


「帯解け石」。“山帰り、肩荷を解く一服場”という意味だそうだ。


木々が生い茂り、展望も望めないので休憩せずに歩く。


5月20日(水)19:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山13

この登り口は通称“簾戸口”(すどぐち)と呼ばれているらしい。保津城口としての通称だろうか。


いきなり樹木が生い茂る薄暗い山道となる。


保津町自治会が設置した保津百景道しるべ。右側に「山坊の甚五郎住処跡」とあるが、甚五郎とは狐らしい。


保津城跡の案内板。この城は明智光秀公とは関係なく南北朝時代の砦跡のようだ。登山口はこの城の搦め手に当たると、先程、登山口で見た説明板に書いてあった。


こちらは明智越ハイキングコースの道標。保津峡方向へ歩く。


5月20日(水)19:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山12

小さな石仏群。一体だけ涎掛けを外してみたが首がないように見えた。


酒の空瓶を積み上げた建物。登山ガイド本によると、このすぐ先に明智越の登山口があるらしい。


案の定、すぐ先に登山口を発見。


明智越ハイキングコースの略図と案内板。ここでも「光秀公」と記されている。この案内板を設置したのは、先程、前を通った酒屋さん。


登山口で見た木。キリだろう。


5月20日(水)19:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山11

どこか懐かしい田舎の風景。


このデザイン。子供の頃、見た記憶があるが思い出せない。


オオデマリ。


アガパンサスに似ているがシラーペルビアナと呼ばれているようだ。


こちらはクレマチス。


5月19日(火)22:09 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山10

明智越ハイキングコースの道標を見る。


洗濯物がよく乾きそう―笑。


シャクナゲ。このあたりは開花が遅いようだ。


民家の石垣。絵になる風景。


この灯籠は愛宕灯籠と呼ばれているようだ。


5月19日(火)22:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山9

こちらがお店。残念ながら店は閉まっていた。タケモは漢字では竹茂と書く。


隣接していた地元の酒屋。


お堂があったが、中の様子がよく見えず。


文覚寺(もんがくじ)に到着。立ち寄ろうとしたが、門が閉めてあったので中には入れず。


分岐となる。左は水尾5km。


5月19日(火)22:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山8

鯉のぼり。


障子は開けられず中はわからなかった。


この石仏はお地蔵さんなのだろう。


養源寺を後にする。愛宕山と彫られた灯籠。


タケモ醤油醸造とある。ここは自宅らしい。虫籠窓(むしこまど)が見えるが、木爪形なので江戸時代だろうか。因みに長方形は明治時代以降という。


5月19日(火)21:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山7

茅葺屋根の民家もこのようにトタン覆いがされている。


お寺。前に畑が広がっている。


養源寺。境内に入ってみた。


障子が少しだけ開いている。風通しが良いのだろう。


額の字、残念ながら読めない。


5月18日(月)22:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

明智越_小倉山6

「亀岡光秀まつり」を知らせるポスター。このポスターでは「光秀公」となっていた。


愛宕山の灯籠と石仏たち。灯籠には文政八酉年九月の銘があった。


ガラス瓶の中にローソクを入れるとして、手前の丸い石は何に使うのかわからない。火消しかも。


石仏が二体。


趣のある土塀。


5月18日(月)22:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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