紀路6(六十谷_紀ノ川) |
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| 2016年4月17日(日)は、おおぱこの会に参加した。 紀路パート6で、JR阪和線六十谷駅から南海本線紀ノ川駅まで歩いた。 当初の計画では、淡嶋神社まで足を伸ばし、南海加太線加太駅から帰路に着く予定だった。 ところが、強風等により阪和線が一時不通となるアクシデントが発生。 スタートの時間が1時間弱遅れた(電車到着予定時刻9:32/実際到着10:17)こと、また、午後からの暑さで、歩くペースがスローダウン、行程の途中で切り上げとなった。 この日は朝から降雨があり、天気予報でも午前中雨、午後から晴とのことで、参加者は引率のT氏を含め僅かに4人。
コース JR阪和線六十谷駅_射矢止神社(いやとじんじゃ)_浄國寺_法然寺_伊達神社(いたてじんじゃ)_園部公園前_一楽寺_圓明寺_鳴滝不動尊・昼食_鳴滝倉庫群遺跡を探すも不明_近畿大附和歌山高/和歌山中前_大谷古墳_蓮乗寺_観音寺_南海本線紀ノ川駅
鳴滝倉庫群遺跡の場所について、帰宅後調べると、近畿大附和歌山高/和歌山中の南、テニスコートの付近が鳴滝倉庫群遺跡とみられる。
画像は当日歩いたGPSログを表示している。JR阪和線六十谷駅から南海本線紀ノ川駅まで。
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4月17日(日)21:51 | トラックバック(0) | コメント(3) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり45 |
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| 口縄坂を下って松屋町筋に出る。登り口に掲示されていた住宅地図。 現在地は右上。この地図は上が西。 この後、稱名寺の前を通って、大江神社へ向かい愛染坂を上がり、谷町筋に出て清水坂を下る。 更に天神坂を上がり、この地図には記載がないが逢坂を下る。
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| 口縄坂を振り返って撮影。道幅が広くなく、人が散策するには、程よい道幅だと思う。 挨拶をするにも、声をかけやすい距離。
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| 登り口に設置されていた案内板。
口縄坂
坂の下から眺めると、道の起伏がくちなわ(蛇)に似ているところから、この名が付けられたという。付近の浄春寺には暦学者麻田剛立、画家田能村竹田、春陽軒には国学者尾崎雅嘉、太平寺には医家北山寿安ら、江戸時代に活躍した先人の墓がある。また、梅旧院には芭蕉の供養碑もみられる。
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| 松屋町筋に出て南へ歩く。
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| 稱名寺の山門前。
天王寺 寺町寺子屋-称名寺- によると、このお寺の隣には「 口縄坂(くちなわざか)」と呼ばれる坂がある。称名寺に伝わるこの「口縄」坂の由来は、「海中出現口縄正観世音菩薩」からきている。この周辺は 昔、大江(おおえ)の岸と呼ばれており、その海中から口に縄をくわえた観音菩薩が出現されたため、この観音像をおまつりするようになったそうだ。
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4月16日(土)20:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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京の古道⑦大原街道 |
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| 2016年4月14日(木)は、京の古道シリーズ第7回目として、大原(京都バス・大原バス停)から大原街道を今出川通(京都市上京区大原口町)まで歩いた。距離およそ15km。 前日は雨だったが、当日は午前中曇り、午後からは天気予報通り晴れたので少し暑いくらい。日陰を選んで歩いた。 参加者は主催者のN氏、T氏と私、初参加のYさんの4人。
今回歩いたコースは大原街道と呼ばれている。 しかし、この旧道の呼び方はこれ以外にも沢山あるようだ。
増田 潔『京の古道を歩く』 によると、1.八瀬道、2.大原路、3.大原道、4.大原街道、5.竜華道(りゅうげどう)、6.橡生(途中)越、7.近江路、8.大原朽木越、9.敦賀街道、10.北陸道、11.若狭道、12.若狭街道、13.鯖街道、14.魚道・・・。 これだけ沢山あると、混乱してしまって名前を冠する意味がない。
【参考】下記はこれまで歩いた、京の古道シリーズの踏破記録。 1.2015年10月29日 東海道_小関越(三条大橋_大津) 2.2015年12月01日 山陰道(丹波口駅_亀岡駅) 3.2015年12月16日 西国街道(東寺_山崎) 4.2016年01月14日 奈良・宇治街道(追分_宇治) 5.2016年02月11日 伏見街道(三条_観月橋) 6.2016年03月10日 竹田街道_大和街道(京都駅_大久保駅) 7.2016年04月14日 大原街道(大原_今出川駅)
コース 地下鉄烏丸線・国際会館駅_<京都バス>_大原バス停_大長瀬谷川を渡る_左 敦賀街道/右 魚山(道標)_右 證據(証拠)阿弥陀如来/ 圓光大師二十五霊場(道標)_旅館ますや跡_元三(がんざん)大師道分岐_辻しば漬本舗前_左京消防署大原消防(出)前_ニリンソウ自生地_惟喬親王御墓(道標)_民宿津祢前_京都トレイル分岐_江文神社御旅所_花尻橋バス停前_土井志ば漬本舗・本社製造工場_GoldrattHouseJapan楽月庵前_東京都電機健康保険組合保養所洛北荘前_横川元三大師道(道標)_登山口バス停前_八瀬小学校前_ふるさと前バス停前_八瀬天満宮社_矢負坂地蔵尊_ふるさと(旅館)・史跡かまぶろ_八瀬近衛町高野川河川敷・昼食_八瀬保育園前_宮の田バス停前_神子ヶ渕(みこがふち)バス停前_九頭竜大社前_九頭竜弁天前バス停前_八瀬甲ヶ渕バス停前_養福寺前_ケーブル八瀬駅分岐_八瀬比叡山口駅分岐_エクシブ京都八瀬離宮前_崇道神社・休憩_蓮華寺_三宅八幡宮分岐_宝ヶ池駅分岐_山ばな平八茶屋前_音羽川に架かる山端(やまばな)橋を渡る_十一屋跡(閉店)_比叡山/無動寺/大辨財天道(道標)_赤の宮神社_白川疏水通・休憩_東大路高野住宅前_御影橋分岐_高野川河川敷_高野川に架かる河合橋を渡る_賀茂川に架かる出町橋を渡る_出町ふたば前_枡形出町商店街_今出川寺町交差点北東に建つ道標(慶応四年)_大原口町_同志社大学前_★反省会:松屋・今出川店_地下鉄烏丸線・今出川駅
画像はこの日歩いたコースのGPSログを表示している。 大原バス停から地下鉄今出川駅まで。
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4月16日(土)05:43 | トラックバック(0) | コメント(4) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり44 |
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| 足場が組まれた工事中の建物は、祠か地蔵堂のように見えたが、工事の作業中で立ち寄れず。
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| 右の燈籠には「樂天地北横」、左は「八島洋食店」と彫られているようだ。 最初、この祠に祀られている石仏の名前かと思ったが、どうも寄進者の名前らしい。 香炉の向こうに小窓があったが、足元が悪く、工事の邪魔にもなるので、そのまま通過。
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| ここも急な石段になっている。
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| 「大阪府立夕陽丘髙等女學校跡」の碑。 「霞も 尓(に)ほふ 夕陽丘」と彫られているようだ。 校歌なのかもしれない。
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| 口縄坂を振り返って撮影。 画像のお寺は善龍寺。口縄坂にそそり出ている木はソメイヨシノのようだ。 「海中出現地蔵尊」と彫られた石柱が立つ。
天王寺 寺町寺子屋-善龍寺- によると、戦災で山門を残して全焼。元は松屋町筋沿いにあったが昭和47年再建時に現在の場所に移動。海中出現地蔵尊(かいちゅうしゅつげんそん)が有名。下寺町一帯が大阪湾の海底だったころ、一人の漁師が光り輝くお地蔵さんを発見した。漁師はそのお地蔵さまを家に持って帰った。実はこの漁師の母親は病気で、このお地蔵さまを拝み続ければ治るかもしれないと毎日拝んだ。すると、母親の病気がたちまち治った。それ以来、「口縄坂の身代わり地蔵」として信仰されている。
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4月14日(木)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり43 |
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| 付近の住宅地図。現在地は右の地図の左下と、左の地図の右下。 この先、太平寺を右に見て口縄坂を西へ下る。 この地図は上が西。 それにしてもお寺が多い。
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| 珊瑚寺。
大阪市天王寺区珊瑚寺は水子供養・安産・子授の寺院です - iタウンページ によると、太閤秀吉公の重臣、桑山修理太夫重晴が、秀吉公の武運長久を願って私財を投じて建てられたのが珊瑚寺のはじまりです。重晴は朝鮮出兵の際に朝鮮より持ち帰った小児薬を「桑山丸子(くわやまがんじ)」の名で売り出したところ、評判がよく、のちに近松門左衛門の「心中天網島」の中に、子供に「くわやま」を飲ませるように、とあるように、たちまち有名になりました。この薬は長く大正時代まで作られていました。 また、天王寺七坂のひとつ、口縄坂の傍に珊瑚寺は位置しますが、その坂に面した「延命地蔵尊」は古くより、安産、子育てのお地蔵さまとして広く人々に祈られてきました。このように珊瑚寺は創建当時より、特に子供にゆかりがあるお寺として今日に至ります。先の戦災で消失しましたが、境内には、秀吉公座像、淀殿直筆の書物など秀吉公にゆかりのある品々を保管していた「太閤堂」という建物がありました。
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| 「開運大黒天 / 準提観世音 / 太閤秀吉公 / 珊瑚寺」と彫られた石柱が山門前に立つ。
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| 口縄坂の表示。
※天王寺七坂③口縄坂(くちなわざか)・・・天王寺七坂のひとつ。長さ130m、高低差15m、平均斜度7度。坂下に「口縄坂」と刻まれた石標と案内板がある。坂名の由来は幾つか伝わっている。①口縄は蛇の意で、坂下から見上げると坂が蛇の腹ように見えた。②道が蛇のように曲がっていた。(現在の坂は曲がっていない)③大坂城築城の時に縄を打ち始めた場所。④坂の昇り降りが大変なので縄を手繰って往来した。
坂にはモダンな街灯が設置されている。 そして右側の建物は足場が組まれ工事中。
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| 織田作之助の文学碑。
口縄坂は寒々と木が枯れて白い風が走っていた。 私は石段を降りて行きながらもうこの坂を登り降りすることもあるまいと思った。青春の回想の甘さは終り、新しい現実が私に向き直って来たように思われた。 風は木の梢にはげしく突っ掛っていた。
織田作之助「木の都」より
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4月14日(木)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり42 |
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| やがて左手に大阪夕陽丘学園高校と短期大学の校舎が現れる。 この付近は坂になっており、学園坂と呼ばれている。
※⑨学園坂(がくえんざか)・・・天王寺七坂ではありません。長さ310m、高低差13m、平均斜度2.4度 学校の看板に「学園坂」と記されている。大阪夕陽丘学園高校(旧名大阪女子学園高等学校)の南側に隣接した坂なので、こう呼ばれるようになった。昭和12年(1937)都市計画道路として新設された道。
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| 坂を登り詰めると谷町筋、六万体交差点に出る。 歩道の左、植栽されているサツキがもう開花していた。 サツキは5月の花。開花がとても早い。
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| 六万体交差点を右折。北山不動明王の看板が見える。
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| 「日本三体 / 虚空蔵菩薩 / 十三まいりの寺」の石柱が建つ「太平寺」。 曹洞宗のお寺。
十三まいりのお寺・太平寺(大阪・天王寺区)
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| 東側に一際目立つ寺院が見えた。 天台宗の天鷲寺。(てんじゅうじ)
開創以来1200年 天台宗 大阪最古の名刹 天鷲寺公式ホームページ
尚、撮影した建物は「天台宗聖龍山天鷲寺総本堂根本堂平安精舎」。
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4月13日(水)20:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり41 |
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| この狛犬の視線はかなり上を向いている。
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| ソメイヨシノの古木。でかい!!
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| 光傳寺を後にする。隣は超心寺。
大阪市 天王寺区 Bコース(下寺町) によると、超心寺は、慶長8年(1603)開山、伝。幕末維新を駆け抜けた明治期の歌舞伎作者である勝歌女助(かつかめすけ)の墓がある。他に七代龍王神や柿本人麻呂明神などを奉っている。
天王寺 寺町寺子屋-超心寺-
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| 更に法界寺。
大阪市 天王寺区 Bコース(下寺町) によると、法界寺の門を入ったところに祠がある。「安産地蔵」(別名:住吉の誕生地蔵)。このお地蔵さんには逸話があり、多くの人がお参りに訪れるという。
この逸話について、天王寺 寺町寺子屋-法界寺- によると、このお地蔵さんにはこんな逸話がある。堺の浜にこの お地蔵さんが流されていた 。もったいないと思ったとあるお寺の檀家さんが、自分の寺に運ぼうとこの お地蔵さんを荷車に乗せて引っ張っていた 。ところが このお寺の前で突然荷車が壊れてしまった。 ふと見るとここもお寺。 何かの縁 だとこのお地蔵さんをこのお寺に安置したのだそうだ。
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| 法界寺の山門を過ぎて左折。(東) 道はこの先、右方向にカーブする。この道は一方通行。 珍しく自転車専用道がある。
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4月13日(水)20:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり40 |
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| 宗念寺の隣は光傳寺。 築地塀に小窓があって案内板が掲げてある。
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| 淡嶋明神
この窓の奥に見える當寺に鎮座し奉る「淡嶋明神」は、「災厄身代わり人形流し」で知られる和歌山・加太の淡嶋明神の分社であります。 淡嶋明神は薬王神で、天照大神の第六の姫君で、住吉神の妃になりましたが、婦人病の為、離縁となり、綾の巻物と神宝をもらって空舟に乗り、加太に着いたといわれます。途中嵐にあい、当寺に一時避難されたと古史に伝えられております。 江戸時代に淡嶋願人という僧が各地をまわって女性の衣類や髪を集め、淡嶋堂を建立して納める宗教活動が行われ、当社もそのひとつで婦人病に悩む人たちの信仰を集めております。 右の小門より、ご自由にご参拝下さい。 光傳寺
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| このお寺は、ここまで歩いてきたお寺と違って“ Welcome ”に見えたので少し立ち寄ることにした。
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| 江戸初期、大阪城下の外に形成された寺町の姿を、松屋町筋沿いに二十五もの寺院が連なる歴史情緒あふれる下寺町。その一角にある光伝寺は、桜の季節になると開門し、境内の見事なソメイヨシノを一般に開放している隠れた桜名所です。
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| ソメイヨシノの古木。開花が近い。 赤毛氈が鮮やか。
天王寺 寺町寺子屋- 光傳寺 -
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4月13日(水)20:31 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり39 |
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| 続いて大覚寺の山門。
大阪市 天王寺区 Bコース(下寺町) によると、大覚寺は「千手観音菩薩」が安置され、大阪三十三所観音めぐり 第二十七番札所。
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| 大覚寺の隣は光明寺。 大阪市 天王寺区 Bコース(下寺町) によると、光明寺には、大阪狩野派の大岡春トなどの見事なふすま絵・屏風などが現存する。
大岡春卜 - Wikipedia によると、大岡春卜(おおおかしゅんぼく、延宝8年(1680年)– 宝暦13年6月19日(1763年7月29日))は、江戸時代中期の大坂で活躍した狩野派の絵師。ライバルとも言える橘守国と共に、近世大坂画壇初期を代表する絵師。法眼位に叙せられる。諱は愛翼、愛董。春卜をはじめ雀叱、一翁、翠松などの諸号がある。本姓は藤原で、高平春卜と名乗る時期もあった。
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| 続いて心光寺。
「大坂三十三所観音めぐり 第二十六番札所」で、画像右端の石碑にはご詠歌が彫ってある。 「はるははな なつはたちばな あきはきく いつもたへなる のりのはなやま」。
大阪市 天王寺区 Bコース(下寺町) によると、心光寺は、タージマハルを小さくしたような不思議な本堂がある。
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| これがタージマハルを小さくしたような本堂。
【参考】 心光寺本堂 : レトロな建物を訪ねて
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| 更に宗念寺と続く。
大阪市 天王寺区 Bコース(下寺町) によると、宗念寺の本尊である阿弥陀仏は、左手を上げておられるのが特徴である。右手をあげておられるのが普通。
お寺での慶事・七五三・初参り(お宮参り)浄土宗 宗念寺(そうねんじ)
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4月12日(火)20:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり38 |
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| 源聖寺坂の登り口に到着。坂を振り返って撮影。 大阪市のHPによると、登り口から10mほどの石畳は、昭和44年に廃止された大阪市電の敷石が転用されている。また、源聖寺坂の名は、昔、源聖寺の境内をけずって東西に抜ける道にしたことからこの名がついた。
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| 源聖寺坂を下りきって左折。 再び松屋町筋を南へ歩く。
左(東)に金台寺(こんだいじ)の山門が現れ、山門前に寺標と石碑が立つ。 金台寺は「大坂三十三所観音めぐり 第二十八番札所」。 石碑にはご詠歌が彫ってある。 「なみのおと まつのひびきも なりあひの かぜふきわたす あまのはしだて」。
大阪市 天王寺区 Bコース(下寺町) によると、金台寺は創建当時(慶長11年)の姿を誇り、本堂へと続く太鼓橋が美しい とのことだが、この日は境内に入らず。
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| 続いて萬福寺。撮影した画像は思いっきり逆光になっている―笑。
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| 二基の石碑と案内板が立っている。 左は「第★番 阿弥陀★」。その右は「新選組 大坂旅宿跡」と、その説明板となっていた。
萬福寺(万福寺) | SIGHTS and FACILITIES SEARCH 観光施設検索 によると、萬福寺は、文禄3年(1594)、前田利家の弟の前田次郎兵衛利信と僧開導によって開創され、阿弥陀如来を本尊として祀る。文久3年(1863)~慶応3年(1867)、新撰組の大坂駐屯地とされ、大坂相撲力士との乱闘、町奉行与力内山彦次郎暗殺などの事件はその間に起こった。当時、本堂裏にあった納屋は牢として使われ、慶応元年(1865)、漢詩人・藤井藍田を拷問の上、絶命させた場所である。その他、多くの志士が牢内に捕らえられていたという。現在、境内には四季の風情が楽しめる美しい庭園が広がり、芭蕉句碑がたたずむ。
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| 庭には開花を待つサクラの古木も観られた。
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4月12日(火)20:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり37 |
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| 下って来た源聖寺坂を振り返って撮影。
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| 更に下るが、途中から急坂となり石段に変わる。
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| 坂の途中から住所が生玉寺町から下寺町一丁目に変わる。
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| 先の案内によると長さ120mだが長く感じた。
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| 大阪市のマンホールの蓋。 大坂城と大阪市の花サクラと水流をデザイン。
大阪市下水道科学館によると、 大阪市は水運に支えられ、経済と文化の中心都市として発展した水の都です。下水道の原型は、豊臣秀吉による大阪城築城と城下町の整備に合わせて造られました。その一部は今なお現役で活躍中です。近代下水道の事業着手100周年を迎える平成6年に市民公募による新たなデザインのマンホール蓋が誕生しました。色鮮やかなこのデザインは、下水道の原点とも言える大阪城に市花のサクラと水流を組み合わせたもの。年と水の調和がバランスよく表現されるとともに、下水道の歴史と大阪城の力感が伝わり、将来の大阪市の力強い発展をイメージさせます。
大阪市下水道科学館
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4月12日(火)20:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり36 |
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| お寺の名前は「齢延寺」。(れいえんじ) お寺の人に手渡しで頂いたパンフレットによると、 曹洞宗の寺で元和元年(一六二三年)僧義春の開創。江戸時代は齢延彼岸桜と呼ばれた桜の名所で、現在も桜樹は多い。大樹古墓の多い寺。前田家(スーパー玉出)や、西村家(りくろーおじさん)の墓もある。
画像は南正門(鐘桜門)の仁王像。阿形。
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| 吽形。
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| この柱、一体、お幾らくらいするものなのか想像もつかない。
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| 門扉にも彫刻。
このお寺、毎月第2、第4土曜日に無料で座禅に参加することが出来る。 下記URLは、座禅に参加した人のブログ。 大阪旅めがね 寺町エリア(大阪の寺町 座禅体験ツアー)
座禅に関する情報 生魂山 齢延寺|寺ナビ〈寺院検索〉|曹洞宗近畿管区教化センター
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| 齢延寺を後にし、引き続き源聖寺坂を下る。 石畳や左右の石壁が素晴らしい。
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4月11日(月)20:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり35 |
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| 銀山寺の庭。 まるで京都の観光寺院かと見間違うほど綺麗にされている。
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| すぐ右手(北)に立派な山門が建っている。扁額には「生魂山」。 境内には何人かお参りの人の姿が見えたので立ち寄ってみる。 右の石柱には「藤澤東畡先生墓所」と彫られている。
藤沢東畡 - Wikipedia によると、藤沢東畡(ふじさわとうがい、寛政6年12月13日(1795年2月2日)- 元治元年12月16日(1865年1月13日))は儒学者。讃岐生まれ。名は甫、字は元発、通称は昇蔵、別号は泊園。中山城山に儒学を学び、25歳で長崎に遊学、文政7年(1824年)大坂に出て泊園書院を設立、『原聖志』『思問録』などを出して名声があがり、在坂のまま高松藩に召し抱えられる。長男が藤沢南岳で、明治17年(1884年)に南岳編の『東畡先生文集』が出た。
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| お寺の山門とラブホのツーショット―笑。 このあたりはお寺とラブホが多い。
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| 南正門(鐘桜門)に施された彫刻が素晴らしい。 これは龍。
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| 柱にも彫刻が施されている。
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4月11日(月)20:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり34 |
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| 生國魂神社を後にする。 生國魂神社、表参道の脇に石碑が二基建立されていた。 左は「水戸藩士 / 贈正五位 / 川崎孫四郎自刀の所」。 右は「勤皇 烈士 / 贈正五位島男也之旧居」と彫られているようだ。
石碑の右、関西茨城県先賢士顕彰会が設置した説明文によると、 水戸藩士 川崎孫四郎 萬延元年三月三日の水戸浪士による大老井伊直弼を天誅の桜田門外の変後、大阪挙兵を図り、幕吏に追われ二十三日この地で自刀す 笠間藩士 島 男也 大阪挙兵の謀議のため幕吏に捕われ、江戸伝馬町獄にて死没
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| 生國魂神社の前に生玉公園があり、「休憩適地」と案内されていたのでここで昼食とした。
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| 昼食後、南方向へ歩き出す。分岐となり右折(西)するが。駒札があったので立ち寄る。
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| 源聖寺坂 この坂は登り口に源聖寺があるので、その名をとっている。付近一帯は、寺町として長い歴史を持つ。齢延寺には、幕末に泊園書院を興して活躍した藤沢東畡、同南岳親子の墓があり、銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくる <お千代、半兵衛> の比翼塚が建てられている。
※藤沢南岳・・・道頓堀の「通天閣」や小豆島「寒霞渓」、薬品名の「仁丹」の名付け人。 ※比翼塚=愛し合って死んだ男女を一緒に葬った塚。
※天王寺七坂②源聖寺坂(げんしょうじざか)・・・天王寺七坂のひとつ。長さ120m、高低差15m、平均斜度7度。坂下に「源聖寺坂」と刻まれた石碑と案内板がある。坂上と坂下には石畳が敷かれている。坂の中間は急な石段坂でゆるくカーブしている。
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| 銀山寺。 「天王寺七坂 ご利益いっぱい歴史も満載 スタンプラリー」と記された幟旗が立ってある。 この門は閉められており、案内書きによると、東側入口より出入りするとのこと。 東側入口は歩いて来た道を引き返すことになり、この日は境内に入らず通過した。
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4月11日(月)20:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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上町台地から天王寺七坂めぐり33 |
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| 生國魂神社の表門に到着。 現代的な常夜燈が建っている。
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| 境内に入る。正面が社殿。
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| 生國魂(いくくにたま)神社境内案内図。
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| 社殿より本殿内部を撮影。菊花紋が見られた。 社伝によれば、天皇家の創建。
生國魂神社 - Wikipedia
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| 大鳥居。 寄進者に「サントリー ウ井スキー 本舗 株式会社壽屋 鳥井信治郎」の銘あり。
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4月10日(日)20:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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