山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2018年12月を表示

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園17

鈴虫寺への近道があるので歩いてみる。
歩行者のみなので、クルマに注意せずに歩けるのがよい。



「アンティーク マイセン・日本画 京都花鳥館」の前を通過。
煉瓦造りっぽい建物。



住宅地の中に続く狭い道を歩く。

前方に小綺麗な庭が見えた。



寺標には「谷ヶ堂 最福寺 開山延朗上人旧蹟地」と彫られている。


こちらにも「開祖延朗上人 最福寺旧蹟地」。
このお寺は洛西観音霊場の番外札所となっている。

洛西観音霊場 によると、安元二年(1176)に延朗(えんろう)が創建。
当時は七堂伽藍が建っていた。その後、1467年の応仁の乱などの兵火によって焼失。
伽藍は再建されず延朗堂だけが建っている。



12月15日(土)18:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園16

手洗石に“解穢”と刻まれている。


モミジの紅葉。

よく観ると葉っぱの先から紅葉している。



月読神社を後にする。


このモミジはピークをやや過ぎている感じ。


鈴虫寺方面へ向う。
距離0.5km。



12月15日(土)18:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園15

鳥居を潜る。
扁額には「月讀大神」と記されている。



駒札。

京都市指定史跡
月読神社境内

月読神社は延喜式では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。
文献によれば、顕宗三年(四八七)阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊がよりついて託宣(たくせん)をしたので、これを天皇に奏上(そうじょう)して山城国葛野郡歌荒樔田の地に社を創建したとされ、斎衡三年(八五六)に松尾山南麓の現在の地に移ったと伝えます。
境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御舟社、聖徳太子社などから構成されています。
月読神社が京都へもたらされるにあたっては渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代京都の神祇信仰やまた渡来文化を考える上で重要な意味をもつ神社であるといえます。
平成五年四月一日 指定 京都市



「桧皮ご奉納のお願い」。
台風二十一号の倒木により本殿屋根に被害をうけていた。



台風の被害を受けた本殿。


解穢(かいわい)の水。
飲用不可。



12月14日(金)18:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園14

水場に立ててあったメッセージ。

・おじぞうさまに おそなえするお水です
・食べものを入れないで下さい
・足など入れてはいけません



引き続き一ノ井川に沿って上流へ歩く。


月読(つきよみ)神社に到着。

ご祭神 月読尊(つきよみのみこと)

子授け・安産のご神徳 「月延(つきのべ)の石」
縁結び・恋愛成就 「むすびの木」
学問の神 聖徳太子を祀る 「聖徳太子社」
海上交通安全・水難除 「御船社」
自己の罪、穢れを除く 「解穢(かいわい)の水」



松尾大社 摂社 式内社
月読神社

約千五百年前に鎮座された古社で古来授福の神・安産の神として人々の尊崇(そんすう)が厚い。

【以下割愛】



この神社でも境内のモミジは見頃。


12月14日(金)18:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園13

松尾大社を後にする。

民家の玄関先に吊るされた注連縄。
右端に吊るされたものは何を意味するのだろう。
このお屋敷は松尾大社宮司のお住まいらしい。



祠が見えたので立ち寄る。

祠の右に溝のようなスペースがあって、メッセージが書き込まれたメモのようなものが見える。



溝というか、水場のようだ。


観音扉を開いて祠の中を見る。
中は清潔に保たれている。



涎掛けをめくったがイマイチよくわからない。
地蔵さんだろう。



12月13日(木)18:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園12

名手酒造店の銘柄「菊御代」のポスター。

モデルは明治・大正・昭和期の女優、栗島すみ子。



お酒の資料館に併設されているお店「京つけもの もり」。
少し店を覗いてみる。
いくつか試食したが美味しかった。



酒かす大根、これも試食した。美味しい。

酒の神様なので“松尾大社限定”となっている。



松尾大社の駒札。正式には“まつのおたいしゃ”と読む。

喜多門から境内に入って来たので、ここで初めて説明板を見た。

松尾大社
大山咋神と市杵島姫命の二神を祀る。
大宝元年(七〇一)に秦忌寸都理が、松尾山大杉谷の磐座の神霊を勧請し、秦氏の氏神として当地に社殿を建立したのが起りと伝えられる。
平安遷都後は王城鎮護の神として、また中世以降は酒造の神として人々の信仰を集めている。
本殿(重要文化財)は「松尾造」と呼ばれる珍しい建築で、天文十一年(一五四二)に改築されたものである。
宝物館には、等身大の男神坐像ニ体、女神坐像 一体(ともに重要文化財)が安置されている。
また、境内の霊泉「亀の井」の水を醸造のときに混ぜると酒が腐らないと伝えられる。
毎年四月の松尾祭には、境内に山吹が咲き乱れ、桂川で神輿の船渡御が行われる。
また、七月には御田祭(市無形文化財)が行われるなど、多くの人々でにぎわう。
京都市



松尾大社を後にする。
苔寺(西芳寺)を目指して東海自然歩道を歩く。



12月13日(木)18:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園11

来年の干支、「亥」の絵馬。

松尾大社の神使い“亀”と、酒神として“盃”をデザインしている。



常夜燈が建ち並ぶ。
酒造関係の寄進も多い。



お酒の資料館に立ち寄る。


神饌(しんせん)用の神具。


左から、御神酒、服酒守、桃花酒。

服酒守は、お酒を飲む人の“御守り”。

松尾大社には三つのお酒に関する御守りがある。
お酒を飲む人・売る人・造る人用にそれぞれ「服酒守」「販酒守」「醸酒守」が用意されている。



12月12日(水)19:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園10

相生の松。(あいおいのまつ)
恋愛成就、夫婦和合の御利益。

相生の松についてネット検索すると、相生の松は雌雄根を同じくする。
同じ根から雌雄の松の木が二股に生えて絡み合い成長したもので、その樹齢は350年を誇った。
しかし、既にその天寿を全う。
昭和31年に一方が枯れると、残されたもう一方も後を追うように翌年枯れた。
そこで昭和47年に注連縄を幹に巻き、覆屋を施した上で保存されることになった。



駒札が立つ樹木。
残念ながら、伐採されている。



説明板によると、「カギカズラ野生地」となっている。

伐採された樹木の説明ではなく、ここ松尾大社のカギカズラ野生地が、分布の北限とされているので、京都市指定天然記念物に指定。



杉玉。
紅白の糸(水引?)が見られるのは珍しいのでは。



「招福 樽うらない」
酒樽に向かって矢を放ち、真ん中に突き刺さったら「大吉」。



12月12日(水)19:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

田山_府庁山_タンボ山_西ノ行者

2018年12月9日(日)は、山を登る会の第1,021回例会に単独で参加した。
山域は金剛山地。

<概要>
スタートは南海高野線千早口駅、ゴールは同線紀見峠駅。

千早口駅へは僅か一ヶ月前の11月18日に、おおばこの会でこの駅を利用していた。
その時は駅から南方向の里を歩いたが、当日は北方向の山々を歩いた。

駅改札(南)から南海高野線下のトンネルを潜り抜け駅の北へ出る。
歩道のある南河内グリーンロードを歩く。

「カフェ 歩絵夢」のシャレた建物を右に見遣る。
歩道は一部途切れるところもあるが、地道を歩いて車道と平行して歩く。

やがて、右方向に登山口が現れる。
登山口は注意して歩いていないと見過ごすほどわかりにくい。
繁みの中にひっそりとある。

クヌギ峠に向かって植林帯の中を歩く。
緩やかな登りが続き、送電線鉄塔の巡視路が現れる。
北和泉No.8方向へプラスチック階段を登ってクヌギ峠に到着。

ここから田山(たやま)、更には府庁山を目指す。
すぐに急登となり、ピークに登り詰めるとまた急登、これが四回続く。
汗が吹き出て眼鏡が曇る。

やっとこせ、田山山頂に到着するも、山頂からの展望はない。
小休止して府庁山を目指す。
府庁山までに送電線鉄塔の下を通過するところが二箇所あり、一回目では眺望が得られた。
二回目は尾根筋を跨ぐ窪地にあったので眺望はなし。

左手に新しい林道が建設されていた。
少しだけ林道と平行して歩く。
縦走路は登ったり下ったりの繰り返しで、平坦なところはほとんどない。

幾つもの擬似ピークを過ぎて、ようやく府庁山に到着。
山頂に「府庁山三叉路」の道標が立ち、旗尾岳への分岐となっていた。
Tリーダーによると、旗尾岳へ登るコースをプランニング中とのこと。
山頂は狭いので、長居は出来ず早々に出発。

ここからも登り下りの繰り返し。
送電線鉄塔が現れ、遠く金剛山の冠雪が見えた。

十字峠を目指して下る。
その手前で林道と合流し、林道脇で昼食となる。

昼食後、十字峠へ下る。
十字峠は、タンボ山への分岐にもなっている。
このルートを歩けば、ダイトレに出るのが容易いが、下見で荒れているとのことなので、このルートをパスし、鳥地獄・林道地獄谷線方面へ向かう。
Tリーダーが単独で、タンボ山へ向かったことを後で知った。

道標を見て石見川・小深方面へ向かう。
鳥地獄方面分岐で右折。
ここから登山道はやや荒れた感じで、倒木を避けながら歩く。
ハイカーが歩いている形跡はなし。

石見川の集落に出る手前で、林道地獄谷線に出合いこれを歩く。
すぐに鳥地獄分岐となるが、鳥地獄には立ち寄らず、林道をそのまま歩く。
鳥地獄で行止りとなるので、立ち寄らなかったと思われる。

林道地獄谷線終点に到着。
ここから先は山道となる。
暫く山道を歩くが、分岐で涸れ沢に取り付いてしまう。
踏み跡が薄く間違いであることに気付き引き返すが、M氏を先頭に一部の人はそのまま突き進んでしまった。

結果、杉尾峠で合流。
事なきを得た。

千早口駅から杉尾峠まで、私は初めて歩いた。
この間、出会った登山者は僅かに一組。

杉尾峠からは、タンボ山、西の行者(祠)、山ノ神(祠)とダイトレを歩く。
ダイトレでは何組かのハイカーと出会った。

タンボ山には三角点があって、この日初めて山頂に立った。
山頂はダイトレから少し外れたところにある。

また、西の行者の祠にも立ち寄った。
ダイトレから1分くらいで辿り着いた。
多くの参加者が後に続いていた。

紀見峠の手前でダイトレから離れ、紀見峠駅へ下った。

<コース概略>
南海高野線千早口駅_登山口_クヌギ峠_田山541.69m_府庁山610m_林道脇・昼食_十字峠_林道地獄谷線_鳥地獄分岐_杉尾峠・ダイトレ合流_タンボ山762.91m_西ノ行者堂733m_山ノ神450m_南海高野線紀見峠駅

<コース詳細>
9:15南海高野線千早口駅9:42_<南河内グリーンロード>_才ノ神南(交差点)_歩絵夢(カフェ)前_登山口_分岐(北和泉線No.7を左に見送り クヌギ峠・北和泉線No.8方面へ右折(東))_クヌギ峠・太井方面直進を見送り 田山方面(南)へ_田山(三等三角点 541.69m 点名:川上)_送電線鉄塔下_林道と平行して歩く_送電線鉄塔下_府庁山610m・旗尾岳方面(西)分岐を見送り十字峠方面(南東)へ_送電線鉄塔下・眺望地(金剛山方面冠雪_道標(十字峠→)_林道合流_11:27林道脇・昼食11:50_十字峠・タンボ山方面(東南)を見送り石見川方面(北東)へ_分岐を石見川・小深方面へ直進_分岐で小深方面直進を見送り 鳥地獄方面へ右折(南)_分岐で小深 観心寺方面を見送り 林道地獄谷線(幅員2.5m)を歩く(右折)_鳥地獄分岐を右に見送り直進_林道地獄谷線終点_涸れ沢を登るも道違いに付引き返す(一部の参加者は涸れ沢を登り杉尾峠で合流)_杉尾峠・ダイトレ合流・道標(金剛山7.8km 杉尾1.5km 石見川・鳥地獄1.8km 紀見峠4.2kmへ)_タンボ山(二等三角点 762.91m 点名:石見川)_西ノ行者堂733m・西ノ行者祠_送電線鉄塔下_分岐で天見駅方面を北に見送り紀見峠方面へ直進_山ノ神450m・山ノ神祠_簡易水道施設_記念碑(岡潔)_峠の茶屋 丹波屋前_祠_紀伊見荘前_地蔵寺前_14:15南海高野線紀見峠駅14:44

<メモ>
・参加者72名。
・リーダーN氏
・コース歩行距離約16km。
・実歩行距離約22km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km、大阪難波駅~難波駅往復1.4km等を含む)
・歩数3万1千歩。(自宅~自宅)

画像はこの日歩いた南海高野線千早口駅から同線紀見峠駅までのGPSログを表示。



田山山頂。展望なし。
三等三角点 541.69m 点名:川上。



府庁山山頂。ここも展望なし。

府庁山の名前の由来は、大阪府が個人所有の山一帯を借りて植林を行ったことにより、地元の人達が府庁山と呼んだことから。



府庁山から暫く尾根筋を歩き、送電線鉄塔の下を通過。
冠雪した金剛山が見えた。
画像はズームで撮影。



西ノ行者堂。
祠の中に役行者像が祀られていた。

おしまい。



12月11日(火)17:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園9

モミジの紅葉。


紅葉は光とバックの青空、深い緑に映える。


拝所と本殿。

本殿の左後に露岩が見える。



露岩をズーム撮影。

ここから眺める限り、祀ってあるような気配はない。



神輿庫。

奉納された数多くの酒樽が並ぶ。



12月10日(月)18:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園8

渡り廊下を踏まないようにして通行する。


境内を流れる小川に架けられた太鼓橋。

少しだけ上へ丸く反ったアーチの橋になっている。



酒樽が並べられている。

松尾大社は「酒神」として酒造関係者の信仰を集めている。



古い形の水車だが、水面から離れており、風車の役割を果たしていない。

周りはヤマブキの群生地で、景観として設置されているのかも。



小川に架かる石橋を渡る。


12月10日(月)18:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園7

お堂の軒下に由緒書きが掲げられていた。


御縁起を読んでわかったが、かつては崖の上にあって、梯子を渡さなければ参拝できなかった。
それで“はしご地蔵尊”の名がある。

梯子地蔵大菩薩の御縁起については。下記、京都風光(京都寺社案内)のサイトにも詳しく紹介されている。

薬師禅寺(はしご地蔵)



こちらの建物が、薬師禅寺の本堂。
薪割りした薪が沢山並べられていた。



薬師禅寺(はしご地蔵尊)を後にする。
参道の石段を下る。



暫く道なりに南へ歩くと、松尾大社の喜多門が現れる。
ここから境内に入る。



12月9日(日)19:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園6

正面に祀られているのが“はしご地蔵尊”。


お地蔵さんは予想していたより小さい。

そして、梯子が奉納されている?



お地蔵さんは坐像で、像高は目測30~50センチくらい。


地蔵堂の横に置かれていた地蔵菩薩立像。
笑顔がいい感じ。



涎掛けをめくってみると、マフラーみたいで暖かそう―笑。


12月9日(日)19:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園5

このお寺も蔵泉寺同様、急な石段を登る。

資材運搬用のモノレールかと思ったが手摺だった。



「やくし禅寺」と記された寺標が笑顔で迎えてくれた。


石段の途中から登って来た方向を振り返って撮影。


「法華塔」と彫られている。


東光山 薬師禅寺の地蔵堂。


12月8日(土)17:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園4

一ノ井川に沿って上流へ歩く。
この先の山田橋を渡る。



橋を渡った辻に祀られていたお地蔵さん。


農家風の建物。
雨戸が閉まっており生活感がない。
もう住まわれていないようだ。



一ノ井川に沿って歩く。

嵐山から南、西山方面では観光客をまったく見ることがない。
私自身も歩いたことがなかったので、とても新鮮な歩きとなった。



次の目当て薬師禅寺の山門前に到着。
石柱に「はしご地蔵尊」と刻まれている。



12月8日(土)17:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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