No.1金剛山(松の木道_黒栂谷) |
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| <概要> 2019年10月1日(火)は恒例となっている金剛山にNa氏と二人で登った。 登りは松の木道、下山はセト経由黒栂(くろとが)谷道。
松の木道は高畑道とほぼ並行して山頂に向かって伸びる尾根筋道で、高畑道のバリエーションルート的な道。 途中の分岐で高畑道への連絡道を確認しておいた。
以前、高畑道を歩いた時、この分岐の存在は知っていたが、分岐を探索せず沢に沿ってそのまま直進した。 この分岐を左折すると松の木道に繋がる。 連絡道の距離は50mもないだろう。 松の木道の分岐地点から眼下の高畑道の踏み跡がはっきりと見えた。 高畑道からは松の木道の踏み跡は見えない。
松の木道はその名の通り、尾根筋の登山道に松の古木が多く見られる。 松の枯葉が積もった道は、クッションが効いて足の裏に優しい。 石コロが多い谷筋道とは大違い。 また、松の枯葉の香ばしい匂いも好き。 一部、痩せ尾根を歩くところがあるが、注意して歩けば危険なことはない。
途中、釜谷道と釜道からの合流地点を注意して歩いていた。 釜道との合流地点は、それらしきところがあったが、様子見しなかったので確証はない。 釜谷道の合流地点はまったく気付かなかった。
下山時、キン63(電柱)が立つ分岐から、黒栂尾根への踏み跡を確認しておいた。 また、そのうちに歩くことになるだろう。
【金剛山方面 2019年2月からマイカーを利用しての登山記録】 1.2月21日 金剛山(千早本道_千早城跡) 2.2月25日 金剛山(水越峠_ダイトレ) 3.3月08日 金剛山(千早本道) 4.3月13日 大和葛城山(天狗谷道) 5.3月20日 金剛山(水越峠_ダイトレ) 6.3月26日 金剛山(青崩道) 7.4月09日 大和葛城山(水越峠) 8.4月18日 大和葛城山(天狗谷_水越峠) 9.5月07日 金剛山(青崩道) 10. 5月15日 大和葛城山(北尾根_櫛羅の滝) 11. 5月29日 金剛山(黒栂谷) 12. 6月05日 金剛山(ガンドガコバ) 13. 6月13日 金剛山(太尾東尾根) 14. 6月20日 金剛山(太尾西尾根) 15. 7月05日 金剛山(念仏坂_伏見峠) 16. 7月10日 金剛山(文殊中尾根) 17. 7月15日 金剛山(久留野峠_念仏坂) 18. 7月24日 金剛山(文殊東尾根) 19. 7月30日 金剛山(太尾東尾根_狼谷) 20. 8月06日 金剛山(青崩道_太尾西尾根) 21. 8月12日 金剛山(太尾東尾根_狼尾根) 22. 8月21日 金剛山(寺谷) 23. 9月03日 金剛山(細尾谷) 24. 9月10日 金剛山(馬の背) 25. 9月17日 金剛山(紅葉谷本流_サネ尾根) 26. 9月24日 金剛山(高畑道_千早本道) 27.10月01日 金剛山(松の木道_黒栂谷)
<コース> さわやかトイレの駐車場9:42_三叉路を左折_クルマ止ゲート前で右折_立入禁止の看板が立つ橋の前で右折_緊急通報B-1_分岐で高畑道方向直進を見送り 左上松の木道に取り付く_<急登>_支尾根に出てからも急登が何回か続く_分岐(右下へ下り 高畑道との合流地点を確認 分岐へ戻り分岐を直進)_分岐(左後方からの踏み跡は釜道からの道とみられる 分岐を直進)_高畑道と合流(以後高畑道を歩く)_分岐(右下からツツジ尾谷からの道に合流)_石仏一体・分岐(右下からツツジ尾谷からの踏み跡とみられる道と合流)_分岐で墓地を右に見送り直進_六地蔵_分岐でカトラ谷方面(通行止)を左に見送り右折_11:30国見城跡・山頂広場・昼食11:50_売店横_転法輪寺(てんぽうりんじ)_鎮宅霊符尊(ちんたくれいふそん)をビストン_分岐を右へ_分岐に戻り左へ_分岐を右へ(左は売店横)_四叉路(紅葉谷本流源頭)を北へ_四叉路を直進しセト方面へ_黒栂尾根分岐・キン63電柱_黒栂尾根道を様子見_青崩道と並行する山道を歩く_キン62電柱_青崩道に合流_再び青崩道と並行する山道を歩く_青崩道に合流_セト・青崩道から左折し黒栂谷道を下る_林道を横断_林道に合流_アケボノソウ(草花)_カトラ谷分岐を左に見送り 引き続き黒栂谷道を歩く_<林道長谷線>_車止めゲート_ツルニンジン(草花)_13:28さわやかトイレの駐車場
<メモ> ・参加者: 2名。 ・コース歩行 (さわやかトイレの駐車場を起点に金剛山を周回した所要時間と距離) 歩行距離: 約6.9km。 所要時間: 3時間45分。 ・当日歩行 (自宅~自宅までの歩数と歩行時間及び推測距離) 歩数: 20,521歩。 推測距離: 約13.7km。(0.67m×20,521歩=13,749m) 歩行時間: 3時間41分。 ・反省会: 酒房 ワビスケ 大阪市阿倍野区阿倍野筋1-5-1 あべのルシアス B1F
画像はさわやかトイレの駐車場を起点に金剛山を周回したGPSログを表示。 (登り:松の木道 / 下山:黒栂谷)
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| さわやかトイレの駐車場にクルマを駐車。 料金は600円/1日。
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| 山の豆腐前に「カトラ谷 がけ崩れの為 危険」の立て札がある。 “通行禁止”にはなっていない。
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| 突き当たりの三叉路で左折するが、前回訪れた時にはなかった立て看板があった。 「←セト経由山頂 登りやすい 自然満喫コース」となっている。 “セト”は売出し中なのだろう。 この後も登山道の途中に“セト”を示す道標が幾つも立っていた。 この道標を見て、今日の下山道はセトを経由して黒栂谷道を歩くことに決めた。
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| クルマ止ゲイトの手前で右折する。 松の木道は途中まで高畑道を歩く。
つづく。
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11月15日(金)18:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.19七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 志賀の大仏の説明板。
「大津市指定文化財 彫刻 石造阿弥陀如来坐像(志賀の大仏)一軀 (大津市滋賀里町) 高さ約三・五メートル、幅約二·七メートルの花崗岩に、厚肉彫に彫出した高さ約三・一メートルの阿弥陀如来坐像です。 十三世紀頃につくられたと考えられ、上半身に彫刻の主力をおいたゆったりとした雰囲気のただよう石仏です。 この石仏の横を通る道は、崇福寺跡から山中町を経て京都の北白川へぬける旧山中越(志賀の山越)で、大津側の入り口に位置するこの場所と、山中町の西教寺門脇、京都の北白川に石仏があり、いづれも山中越を利用した旅人が道中の安全を祈願したともいわれています。 現在、地元で「大仏講」がつくられ、大切にお守りされています。 昭和63年11月11日 大津市教育委員会」
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| 志賀の大仏を後にして下ると、辻の角地に磨崖仏が祀られていた。 街道から石段を五段ほど上がった平坦なところにあって、傍らには常夜灯が一基立つ。 元は何か建屋があったほどの広いスペース。
ネット検索すると、鎌倉時代の阿弥陀磨崖石仏とされる。 志賀の大仏と同じく、京へ旅立つ人は道中の安全を祈願し、京から来た人は、旅の安全が成就したことにお礼参りされたのだろう。
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| 「百穴古墳」の道標があったので立ち寄る。
百穴古墳の説明板。
「国指定史跡 『崇福寺跡』内 百穴古墳群 (大津市滋賀里町甲) 百穴古墳群は、今から約一四〇〇年前(古墳時代後期)に造られた墓が多く集まったところです。 これらの墓は、大きな石を上手に積み上げて造られた石の部屋(横穴式石室)を土でおおったものです。 石の部屋は、死んだ人を納める場所(玄室)と、これと外とを結ぶ細い通路(羨道)とにわかれています。 表から見ると、この通路の入り口が穴のように見えます。 この穴がたくさんあることから、「百穴」という名前がつけられました。 石室の壁の石は、天井に向かうにつれて少しづつ迫り出して積まれているため、天井はドーム状になっています。 石室内には二、三人の人が葬られており、死んだ人は、時には金のイヤリングや銅のブレスレットなどで飾られ、木や石の棺桶にいれられました。 また石室内には、多くの土器(土師器·須恵器)もいっしょに納められました。 この中には、お祭り用のミニチュア炊飯具セット(カマド·カマ·コシキ·ナベ)も含まれています。 古墳時代後期、古墳群は全国各地でたくさん造られましたが、この百穴古墳群のように、石室の天井がドーム状で、ミニチュア炊飯具セットが納められているという特徴は、大阪·奈良·和歌山の一部にも認められますが、ほとんどが大津市の坂本から錦織にかけての地域だけに見られるものです。 現在までの研究では、これらの特徴は、遠く中国や朝鮮半島からやって来た人たちと、深く関係するのではないかと考えられています。 昭和16(1941)年1月、国指定の史跡となりました。 大津市教育委員会 平成4(1992)年3月」
画像は上記説明板にある“穴のように見える通路の入り口”でこの穴が沢山あることから「百穴」という名前になった。 石室の中にミニチュア炊飯具セットを納めたというのも面白い。
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| 百穴古墳群を後にして、東方向へ歩く。 このあたりから、ようやく琵琶湖が見えてきた。
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| R161(西大津バイパス)高架下を潜って、京阪石山線の踏切を横断し、京阪南滋賀駅前を通過。 京阪電車に乗っても、結局JRに乗り換えることになるので、ここはJR大津京駅を目指して歩く。 JR湖西線の高架下に沿って南へ歩き、14時52分JR湖西線大津京駅へゴールした。
おしまい。
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11月14日(木)17:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.18七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 「金堂跡 講堂跡 100m→」の道標が立つ、崇福寺跡分岐を左に見送り直進。
分岐には「国指定史跡 崇福寺跡」の説明板が立つ。 崇福寺跡 「志賀寺、志賀山寺ともいい、天智天皇が夢のお告げにより勅願して建立された。 平安時代には十大寺に数えられる位に繁栄したが、延暦寺と園城寺の争いに巻込まれ鎌倉時代後半に廃絶。 金堂、講堂などの礎石だけが残っている。」
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| 志賀峠からここへ来た。 「志賀の大仏・百穴古墳群→ 京阪滋賀里駅1.0km」へ向う。
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| 岩を取り囲んだような建物が見えた。 磨崖仏?
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| 正面から観ると、これが「志賀の大仏(おぼとけ)」。 光の入り具合が中途半端で、上手く撮影出来ず。 第一印象は“手頃な大きさの大仏さん”というイメージ。 親近感が持てる。 お顔の表情にどこか可愛らしさを感じる。
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| 少し離れて撮影。
お堂の壁に御詠歌が掲げられていた。 「見世 大佛 みろく菩薩 御詠歌 ありがたや みちのくの 慈悲は かぎりなき しずむ われらを すくい給わん 一行山 稱念寺尼講」
つづく。
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11月14日(木)17:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.17七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 登山道は山道から林道に変わる。 「ぬかるみに注意 大津市」の注意板が設置されていた。 画像は、崇福寺跡まで0.5kmを示す道標。 「←崇福寺跡0.5km / ふれあいのもり1.0km 志賀峠1.0km」。
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| 磨崖仏があったので少し驚いた。 事前に知らなかったので。
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| 磨崖仏を接写。 磨耗しているが、全体的に彫が浅い感じで、素朴なイメージ。 ネット検索すると「三尊磨崖仏」となっている。
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| 暫く歩くと林道脇に苔生した野仏が祀られていた。
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| 水場。 昔、志賀越えをした旅人たちは、この水を飲んだのだろうか。 流石にこの水は飲む気がしなかった。
つづく。
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11月13日(水)18:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.16七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 「ふれあいのもり」分岐を右に見送り左折するとトンネルに出た。 このトンネルの上は比叡山ドライブウェイ。 そしてここが「志賀峠」ということになる。
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| トンネルを出ると登山道を見失うほど下草が生い茂っている。
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| 「志賀峠」からは当然ながら下り道。 倒木が片付けられていた。
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| 険しい登山道を連続して下ると、下草がない植林地をトラバースするようになる。
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| 「急坂の為注意 大津市」の注意板が設置された箇所を下る。
つづく。
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11月13日(水)18:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.15七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 「志賀峠0.7km→」を指す道標。 このあたり下草が生い茂っている。
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| ほとんど歩く人がいないようだ。 谷筋を詰める。
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| 「中央広場・放牧場方面→」の道標を右に見送り直進。
登山道は整備されておらず。 足元に注意しながら歩く。
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| 登山道を示す黄色のテープ。
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| 「→志賀峠・崇福寺跡を経て京阪滋賀里駅方面→」と記されたやや古い道標が立つ。
つづく。
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11月12日(火)19:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.14七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 「志賀峠1.5km→」の新しい道標を見て、府道30号下鴨大津線を離れ右折する。
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| 車両通行止めの鎖を跨いで通る。
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| 暫く歩くとY字形分岐となり右上方向へ。
鼠谷川支流に沿って歩くようになり、大きな砂防ダムが現る。(画像)
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| 再びY字形分岐となり右へ進むと、今度は小規模な砂防ダムが現れる。(画像)
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| 登山道から少し離れたところに白骨化した動物の骨が見られた。 鹿の骨だろう。
つづく。
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11月12日(火)19:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.13七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 京阪バス比叡平二丁目バス停前を通過。 大津比叡平簡易郵便局前から、ここまで北方向に歩いていたのを、道なりに北西方向に進路を変える。 比叡平三丁目東バス停前、比叡平三丁目バス停前を過ぎて比叡平口バス停前に到着。(画像) ここが比叡平住宅地の北端となる。 コースは比叡平を南端から北端まで歩き通したことになる。
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| バス停前にあるファミリーマート大津ひえい平店。 この店は府道30号下鴨大津線沿いにあって比叡平の入口にあたる。
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| イートインでクールダウン。 これで生き返った。休憩時間は長めの15分。(12:34→12:49)
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| 休憩後、炎天下、府道30号下鴨大津線を北へ向かって歩きはじめる。 日傘を持参しなかったことが悔やまれた。
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| 「シャモ亭比叡山」の看板を右に見て、京阪バス・京都バス山中上バス停前を通過。 この先の信号機のない横断歩道を渡る。
つづく。
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11月11日(月)17:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.12七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 住宅地に咲くキンモクセイの花。満開。 キンモクセイは蕾の時の方が強く匂うようだ。
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| 住所表示板によると現在地は大津市比叡平二丁目3。
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| 炎天下、住宅地の中を延々と歩く。 京阪バス比叡平バス停前を通過すると、左手に木下美術館が現れる。(画像)
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| 比叡平からは比叡山が北正面に見える。 この角度から比叡山を眺めることは今までなかった。
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| 大津市のマンホール。 日本マンホール蓋学会によると、 ・市制施行から100年目の大津市の景観をモチーフにした、琵琶湖、琵琶湖大橋、ミシガン船、ヨット、観覧車、 市の鳥・ユリカモメ、市の花・エイザンスミレ、市の木・ヤマザクラ、 花火大会、レガッタ、びわ湖花噴水、犬などと市章に下水の「下」を組み合わせたマークが描かれている。 ・平成10年10月1日に市制施行100周年を迎え、その記念に蓋のデザインを公募し、最優秀賞に選ばれた作品が元になったデザイン。
つづく。
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11月11日(月)17:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.11七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 境内を見渡したが、本尊の池ノ谷地蔵が祀られているのはこの建物の中らしい。 境内に石仏は何体かあったが本尊ではないようだ。
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| 格子の隙間からガラス越しに中を覗くと地蔵菩薩らしい石仏が祀ってある。
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| 金色の立派な法衣をまとわれ、近寄りがたき“御導師様”的存在。 画像はズーム撮影。
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| 足早に池ノ谷地蔵を後にして比叡平方面へ歩く。 この三叉路は左(北)。
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| 暫く車道を歩くと比叡平住宅地が現れる。
つづく。
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11月10日(日)17:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.10七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 建設資材の置き場らしい建物の横を歩く。 今は使われていない様子。
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| 大文字山を示す私製の道標。
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| 東山鳥獣保護区区域図。 地図によると現在地は池の谷地蔵尊のすぐ近く。
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| 獣除けの網を潜り抜ける。
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| 池ノ谷地蔵に到着。 ここは初めての訪問。 ざっと境内を見て回ることにした。
つづく。
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11月10日(日)17:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.9七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 林道に出合う。 最近、造られたようだ。 コースはここを左折。
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| 50メートル程度歩いて林道を離れ左折して山道に入る。
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| 大文字山からは穏やかな下り道が続く。
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| 登山道脇に石柱が立つ。 「白川 従是御領?」と彫られているようだ。 “領”の下にも何か彫られているかもしれないが、埋まっているので不明。 ネット検索すると、大文字山の最深部 白川御領山の境界標石 南ヶ原の旧地名がヒットした。
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| 暫く穏やかで静かな下り道が続き、やがて建物が現れる。
つづく。
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11月9日(土)18:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.8七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 119番通報ポイント「A-14」。 エリアは山科区安祥寺山。
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| 通報ポイントからすぐ11時10分に大文字山に到着。 (三等三角点 465.31m 点名:鹿ケ谷)
山頂からは眺望が得られる。 暑いので日陰を探して昼食タイム。
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| 昼食後、再び歩きはじめる。 先頭は10:50着11:20発。 私は11:10着11:33に出発した。
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| ここから先、池ノ谷地蔵方面は初めて歩く。 一旦、京都トレイル方向に戻るが、先程の通報ポイント「A-14」で左折する。 画像の男性が立っている手前を左へ。 右方向のメインの道と較べると踏み跡はやや薄い。
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| このあたりはしっかりとした踏み跡が続いていた。
つづく。
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11月9日(土)18:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.7七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 伐採された大量の材木を運搬しやすいように切断し野積みしている。
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| 休憩コーナーかと思った正体は、なんと木材運搬用の重機。
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| この先、林道に出る。 ここで西洋人のハイカーを見た。(画像左)
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| 林道を横断し京都トレイルの道標(山を登る会の矢印)を見て大文字山へ。 林道を建設しているのは「彩りの森復活プロジェクト」の一環らしい。
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| 京都トレイル東山No.45の道標。 大文字山はあと少しの距離。 尚、大文字山の山頂は京都トレイルから少し離れたところにある。
つづく。
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11月8日(金)17:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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NO.6七福思案処_大文字山_志賀峠_志賀の大仏 |
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| 登山道に戻ってすぐ、突然眺望地に出た。 この日の京都盆地はやや霞んでいた。
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| 少しの区間だが露岩が現れる。
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| 伐採・搬出 作業中の看板があった。 この日は日曜日で作業はなかったようだ。
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| 倒木が未処理のまま。 順次、整理されるのだろう。
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| 最初にこれを見た時、休憩コーナーかと思った。 しかしそうではなく、近寄ってみて分かった。
つづく。
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11月8日(金)17:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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