山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2020年12月を表示

No.2ワラ・ワラ インカの黄金の声

No.2ワラ・ワラ インカの黄金の声を視聴してみよう。

【過去にアップしたワラ・ワラ(ペルー・インカ)】
ワラ・ワラ インカの黄金の声
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc60I15EB3F992/1/

No.2ワラ・ワラ インカの黄金の声
1.Música Peruana. Wara Wara "Vírgenes del Sol". Pasacalle Andino.(太陽の処女)
2.Música Peruana. Wara Wara "Perú, mi tierra amada" .Valse Peruano.(私の愛する土地、ペルー)
3.Música Peruana. Wara Wara "Naranjitay" Huayno.(ナランジタイ)
4.Música Peruana. Wara Wara "Cuando el Indio Llora". Canción Andina.(インディオが泣くとき)
5.Música Peruana. Wara Wara "Escucha tú" ".Canción Andina.(あなたに耳を傾けます)
6.Música Peruana. Wara Wara "Idilio Roto" . Yaraví con fuga de Huayno.(壊れた牧歌)
7.Música Peruana. Wara Wara "La Pampa y la Puna" . Canción Andina.(パンパとプナ)
8.Música Peruana. Wara Wara "Carnaval Arequipeño".Tradicional de Arequipa.(アレキペニョ・カーニバル)
9.Música Peruana. Wara Wara "Amor Indio" Canción Andina.(インディオの愛)
10.Música Peruana. Wara Wara "Ccori Canastita" . Huayno Peruano.(コリカナスティタ)
11.Música Peruana. Wara-Wara "India Bella". Yaraví Peruano.(美しいインディオ)



12月23日(水)16:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.28宇太水分神社下社_八咫烏神社_平井大師山

一応、クルマが通れるようになっていたが、走るクルマは少ないようだ。


分岐に到着。
平井大師山石仏群へは左へ。
正面は駐車場からの道。



道標が完備されていた。


「平井大師山八十八ヶ所 参拝順路案内図」の案内板がある。
しかし、パンフレット(案内図)を持ち歩かないと、この案内図を見ただけでは要領よく観て回れない。



このパンフレットは、以前、ここを訪問した時に置いてあったもの。
しかし、この日は置いてなかった。

つづく。



12月23日(水)05:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.27宇太水分神社下社_八咫烏神社_平井大師山

分岐に立つ道標。
「東 内牧 奥宇陀道」と彫られている。



正面は「平井八十八ヶ所霊場 是ヨリ三丁」。


こちらの面は逆光で見えにくいが「西 古市場 松山道」。


この先、人家の手前で左折する。
クルマの場合、人家の右に続く道をガードレールに沿って走る。



歩道はこちら。
「平井大師山石仏群→」。

つづく。



12月23日(水)05:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.26宇太水分神社下社_八咫烏神社_平井大師山

「→平井八十八ヶ所霊場 大師山石仏群」と記された看板が見えた。
「数百本の山?・・」。
山の下は“山ツツジ”だろうか。



下草が刈り取られたところに石造物が見えたので立ち寄る。


風化して文字が読み難いが「西國三」などの文字が見える。


奈良県の道標集めのサイトによると、これは道標で「右 いせみち / 左 むろみち」。
「享保十四己酉」の銘があるとのこと。
私は道標とは気付かなかったので確認していない。
0510-宇陀市菟田野平井の道標-1 (東名熱工横)



やがて県道218号から右折し、平井八十八ヶ所霊場(平井大師山)へ向う。

つづく。



12月23日(水)05:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

チャイコフスキー 四季

チャイコフスキー 四季を視聴してみよう。
四季 (チャイコフスキー)
オルガ・シェプス

Tchaikovsky's "The Seasons" complete (Olga Scheps live)
1月 炉端にて Janvier: Au Coin du Feu
2月 謝肉祭 Février: Carnaval
3月 ひばりの歌 Mars: Chant de l'Alouette
4月 松雪草 (雪割草) Avril: Perce=neige
5月 白夜 (五月の夜) Mai: Les Nuits de Mai
6月 舟歌 Juin: Barcarolle
7月 刈り入れの歌 (草刈り人の歌) Juillet: Chant des Moissonneurs
8月 収穫の歌 (取り入れ) Août: La Moisson
9月 狩りの歌 (狩) Septembre: La Chasse
10月 秋の歌 Octobre: Chant d' Automne
11月 トロイカ Novembre: Course en Troïka
12月 クリスマス Décembre: Noël
........................................
Olga Scheps playing Tchaikovsky's cycle "The Seasons / Die Jahreszeiten" Op. 37a live at Stadthalle Germering.
Live recording April 29, 2016.



12月22日(火)17:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.25宇太水分神社下社_八咫烏神社_平井大師山

庚申塚とその右にお地蔵さん。
庚申塔



庚申塚の横に立派な道標が建つ。

「すく 大師山 いせ 道」と彫られている。



こちらの面は「奉四國八十八ヶ所霊場」。
更にこの右面には「春(す)く うた 左 古市場 道」と彫られているようだ。(逆光)



旧菟田野町が立てた道標。
「←平井大師寺 1km / 榛原 8km→」。
菟田野町は榛原町、大宇陀町と合併し現在は宇陀市となっている。



車道の脇に旧道らしきがあったので辿ってみたが、暫くして車道に合流した。

つづく。



12月22日(火)05:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.24宇太水分神社下社_八咫烏神社_平井大師山

「平井庄屋太兵衛碑」の看板があったので立ち寄ってみた。


比較的新しい五輪塔と碑文などが立っている。


「平井庄屋太兵衛(たへえ)」については宇陀市の「広報うだ」(2012.1.1)に詳細が記載されていた。


歩道がない県道218号内牧菟田野線をクルマに注意しながら歩く。


ハチク?
ハチク

つづく。



12月22日(火)05:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.23宇太水分神社下社_八咫烏神社_平井大師山

髙山右近の碑。

下に彫られている文字が読めない。
「定説之路」だろうか。



こちらも右近の碑に刻まれていたマーク。
キリシタンに由来するものなのかもしれない。
人の顔、太陽にも見える。



少年右近像。


高山右近碑を後にする。
沢城址・沢方面分岐を左(北東)に見送り直進。(南)



車道と並行して旧道らしきがあったので安全なこちらを歩く。

つづく。



12月22日(火)05:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

マックス・ローチ&クリフォード・ブラウン

マックス・ローチ&クリフォード・ブラウンを視聴してみよう。
マックス・ローチ
クリフォード・ブラウン

The Best Of Max Roach And Clifford Brown In Concert
1.Jor-Du - Max Roach And Clifford Brown
2.I Can't Get Started - Max Roach And Clifford Brown
3.I Get A Kick Out Of You - Max Roach And Clifford Brown
4.Parisian Thoroughfare - Max Roach And Clifford Brown
5.All God's Chillun Got Rhythm - Max Roach And Clifford Brown
6.Tenderly - Max Roach And Clifford Brown
7.Sunset Eyes - Max Roach And Clifford Brown
8.Clifford's Axe - Max Roach And Clifford Brown
.......................
Clifford Brown (tp)
Harold Land (ts)
Richie Powell (p)
George Morrow (b)
Max Roach (ds)
Live at California Club, LA Aug. 30, 1954



12月21日(月)16:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.22宇太水分神社下社_八咫烏神社_平井大師山

八重咲きのサツキがチラホラと咲いている。
まだ咲き始めでこれから本格的に咲くのだろう。



車道脇にこのような看板が立っていた。
「伊那佐の里 キリシタン大名 髙山右近と大和沢城」。



澤城跡
中世の宇陀地域では、伊勢国司・北畠氏の影響のもと、秋山氏、澤氏、芳野氏が勢力をのばし、三氏は宇陀を代表する勢力となる。
秋山氏は秋山城、澤氏は澤城、芳野氏は芳野城とそれぞれが山城とその麓に居館をもっていた。
澤氏は、伊那佐山から南東にのびる標高約五二四mの山頂に築かれた山城である。
この城は、伊那佐山から南東にのびる尾根を切った二重堀切から大手口をおさえる郭群までの南北約七〇〇m、東西約四〇〇mに及ぶもので、東西両端を堀切で遮断された東西約三〇〇mの郭群が主要部分となっている。
主要部分の東西には、深い堀切があり、東端は三重の堀切となっている。
また、主要部分の中ほどにも堀切が認められ、これを境として東西に郭群をわけることができ、西郭(主郭)群は本丸、二ノ丸等、東郭(副郭)群は出丸、クラカケバと呼ばれている。
永禄二年(一五五九)の松永久秀の大和侵攻で、翌年の永禄三年には澤城も占拠され、城主の澤氏は伊賀へ逃れることになる。
そして、この城には、松永配下の高山飛騨守図書・右近親子らが入部する。
この頃の城内の様子を伝える史料としては、ポルトガルの宣教師ルイス=フロイスの「日本史」がある。
これによると、城は高い山の上にあり、遠くまで眺望でき、城内には、高山図書の妻子や約三〇〇人の兵たちが住んでいたという。
また、小さな砦には、長さ二〇m弱、幅七m余りの教会があり、中には礼拝堂・香部屋・宣教師の宿泊部屋・従者の間だどの施設があったという。
永禄七年(一五六四)には、高山右近をはじめ、多くの人々がこの教会で洗礼を受けている。
永禄十一年(一五六八)には、再び澤氏が城主となるが、天正十三年(一五八五)までに廃城となったと推定される。
大和宇陀高山右近の会



高山右近碑(右)と少年右近像(左)。


有名なキリシタン大名であり、利休七哲の一人に数えられた高山右近が、永禄七(一五六四)年十二月の頃、父ダリヨ飛騨守図書の感化により、「ジュスト」すなわち「正義」の教名をもって洗礼を受け、少年時代を過した大和沢城は、この碑の後方約一キロにそびえる沢山の頂にあったことが、当時西欧え送られたイエズス会の宣教師たちの報告書により知られている。
城主たる右近の父は、まれに見る優雅にして信義深き名将と言われ、右近もまた正義のためには迫害に屈せず身命を惜しまず、その生涯を堅忍不抜の精神をもって貫いた 日本人の亀鑑と称せ得よう。
右近は高槻次いで明石の領主となり 慶長年間その堅信の故に マニラに流され遂に彼の地で昇天するに至った。
ここに高山右近とその父を讃え 郷土の異色ある文化史蹟として沢城址を顕彰する。
昭和四十五年春 榛原町 高山右近顕彰会

つづく。



12月21日(月)06:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.21宇太水分神社下社_八咫烏神社_平井大師山

「子安地蔵尊」の隣に建つ宝篋印塔。
珍しく上部がほとんど損傷していない。



ライトアップにより「嘉永七甲寅・・」の文字が浮かび上がった。

Wikipediaによると、
嘉永七年は1854年。日米和親条約締結。
安政伊賀地震、安政東海地震、安政南海地震は嘉永期の地震で本来「嘉永の大地震」であるが、これらの地震や黒船来航、内裏炎上などの災異が多発したことにより同年中に安政へ改元されたため、嘉永7年を安政元年と解釈し「安政」を冠して呼ばれる。



昼食を終え13時に常楽寺・山路集落センターを出発。
来た道を戻り、途中左折して榛原大貝方面へ向う。



道標。
「←伊那佐山 / 沢城址→」。
沢城址方面へ。



車道に出合い、これを左折。(南東)
「右近の碑→」へ向う。

つづく。



12月21日(月)06:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.20宇太水分神社下社_八咫烏神社_平井大師山

地蔵菩薩だが半跏像に見える。
地蔵菩薩半跏像は頻繁に見ることはない。



常夜燈の中台に「大日如来」と彫られており、このことから後の建物が大日堂とみられた。
建物は中を覗くことが出来ず。



ライトアップにより鮮明に見えた。
馬に乗っている像だろうか。
上部は動物に見えるが、下部の曲線は何を表現しているのかわからない。



これも不明。
左は鳥の目と嘴に見えたりもする。



「一」だろうか、単なる模様とは思えないが・・。
竿の部分に「嘉永」と彫られている。

つづく。



12月21日(月)06:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

エンヤ

エンヤを視聴してみよう。
エンヤ

エンヤ(Official 4k Music Video)
1.Enya - Orinoco Flow (Official 4k Music Video)
2.Enya - Caribbean Blue (Official 4k Music Video)
3.Enya - Only Time (Official 4K Music Video)
4.Enya - Anywhere Is (Official 4k Music Video)
5.Enya - The Celts (Official 4k video)



12月20日(日)17:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.19宇太水分神社下社_八咫烏神社_平井大師山

分岐に立つ道標。
右方向(東)が伊那佐山方面。
道標の右隣にも「十六丁 木田慶三郎」と彫られた丁石がある。

コースは分岐を直進。(北)



榛原山路の集落の中を歩く。
画像はクワの木。
少し実が成っている。
クワ



暫く歩くと南西方向の眺望が開けた。
龍門岳904.09m、熊ヶ岳904m、経ヶ塚山889m、音羽山851.34mと続く竜門山地の山々。
竜門山地



昼食場所の常楽寺に12時11分に到着。
右の建物は大日堂とみられる。
左の建物は山路集落センター。
常楽寺は無住寺院。



境内に「子安地蔵尊」と記された地蔵堂が立っている。

つづく。



12月20日(日)05:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.18宇太水分神社下社_八咫烏神社_平井大師山

芳野川から離れ、山沿いの榛原山路の集落へと向う。

社号標らしきが建っていたので立ち寄る。
「式内 都賀那岐神社」。
社号標の建つ右手の道が神社への参道かと思ったがそうではない。



側面には「昭和七年十月建之 是ヨリ十八丁」と彫られており、道標を兼ねた社号標だった。
それにしても十八丁と云えば、一丁=約109mなので約2kmということになり結構離れている。
都賀那岐神社は伊那佐山の山頂に鎮座される都賀那岐神社かもと思われた。
帰宅してから調べると合致していた。
尚、「都賀那岐」は“つかなき”と読む。



後を振り向くと急な坂道なのがわかる。


「十七丁 今西×」と彫られた丁石。


やがて見覚えのある場所に出た。
ここは何回か登ったことがある伊那佐山への分岐地点。
従来、画像左方向の道からここへ来て山頂方向(右)へ歩いていた。
この日歩いて来た道が都賀那岐神社(伊那佐山頂)の表参道だったことが分かった。

つづく。



12月20日(日)05:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


(3/8ページ)
最初 1 2 >3< 4 5 6 7 8 最後