金剛山(文殊中尾根_香楠荘尾根)4 |
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| 分岐(合流)地点に黒マジックでルートを表示している。 「← 文殊中尾根 / ババ谷→」。
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| 暫く歩くと、右後方から文殊東尾根道と合流。
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| 合流地点から文殊東尾根道を振り返って撮影。
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| イナカギク(田舎菊)だろうか。 あちこちに咲いている。
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| 立入禁止のテープが巻かれていた。 ハチの巣があるらしい。 △中にハチが表示されていた。(赤色丸印) スズメバチかどうかは分からない。 付近にはハチの姿は見えず。 もっとも、危険なので近づいて見ていない。
つづく。
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11月29日(水)06:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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金剛山(文殊中尾根_香楠荘尾根)3 |
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| 文殊中尾根は、そこそこ傾斜が急。 しかし、金剛山では比較的整備された登山道の一つで人気もある。 女性の単独行も多い。
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| ババ谷からの登山道が、ここで文殊中尾根に合流する。(一回目)
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| 容赦のない急登が続く。
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| キンポウゲ科のサラシナショウマ。(晒菜升麻) ショウマ (植物の名)
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| ババ谷からの登山道が、ここでも文殊(中)尾根に合流する。(二回目) ここには簡易ベンチが置かれており、休憩ポイントとなっている。 私たちもここで一息つく。
つづく。
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11月29日(水)06:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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金剛山(文殊中尾根_香楠荘尾根)2 |
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| 文殊中尾根への取り付きに到着。 ここを登る。
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| 伏見峠登山道からの取り付き付近を撮影。
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| いきなりの急登が連続する。
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| 歩いて来た登山道を振り返って撮影。
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| モミジガサ(紅葉笠)だろう。 モミジガサ
つづく。
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11月29日(水)06:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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金剛山(文殊中尾根_香楠荘尾根)1 |
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| 2023年10月17日(火)は、週一恒例、金剛山へNa氏と登った。
百ヶ辻駐車場を利用。 登りは文殊中尾根(別名:穴熊)、下山は香楠荘尾根を下った。
香楠荘尾根を歩いたのは、千早園地でトリカブトを見たかったから。 結果、しゃくなげの路付近で、細々と咲いているのを見ることが出来た。 但し、植栽と思われる。
画像はこの日歩いたGPSログを表示。 周回ルートの左側が文殊中尾根。 右側が香楠荘尾根。
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| 百ヶ辻駐車場。 撮影した画像は駐車場のごく一部。 コースは赤矢印の通り右折し伏見峠登山道を歩く。
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| 伏見峠登山道。 許可されたクルマが通行するので、実際は林道並み。 傾斜が緩やかな箇所は未舗装。 急な箇所はコンクリート舗装されている。(念仏坂ほか)
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| カノツメソウ(鹿爪草)かもしれない。 自信はないが、葉っぱの形状からセリ科なのは間違いないようだ。
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| 今週のツチアケビ(土木通)。
つづく。
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11月29日(水)05:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池22/22 |
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| こちらは庚申さん。
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| そのまま車道を西方向へ歩くと、桜井市上之宮で多武峰街道と交差する。 この交差点を右折(北)し、多武峰街道を北へ歩く。
左に流れる寺川に沿って歩き、寺川に架かる橋を渡って右折。(画像)
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| 「金光教 桜井教会」前を通過。
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| 道なりに北へ。
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| 再び寺川に架かる橋を渡って直進。 14時52分、桜井駅南口に到着した。
おしまい。
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11月28日(火)06:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池21 |
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| このあたりは桜井市浅古(あさご)。 車道に付けられた歩道を西へ歩く。
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| 交差点で市立桜井中学校分岐を左に見送り、引き続き直進。
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| 刈り取った稲を天日干しにしている。 最近、このような景色を見ることは稀。
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| 車道の反対側(北)に石仏が見えたので立ち寄る。
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| 地蔵菩薩立像。 大きくて立派。 歯が彫られているように見えるが・・。
つづく。
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11月28日(火)06:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池20 |
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| 当初のコースでは、ここから聖林寺バス停へ、そこからバスに乗車して桜井駅に向かう予定となっていた。 ところが、ここから桜井市グリーンパーク前を経て桜井駅まで歩く方が、時間的に近いと思われるので、そのグループとに分かれた。 前者のグループだと、遠回りとなる南西方向の聖林寺バス停まで歩いて、バスを待たなければならない。 バスは頻繁に来ないだろう。 一方、後者のグループだと、ゴールの桜井駅に向かって近回りとなる。 私は後者のグループに加わった。 ここで前者のグループとお別れとなった。
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| 車道へと降りる道路を歩く。
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| すると、桜井市グリーンパークの建物が見えて来た。 画像ははっきりと写っていない。
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| この先、車道に出合う。 前方にクルマ止めのチェーンが見える。 この道路は一般車通行止めとなっている。
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| 暫く車道に沿って歩くと、道標を兼ねた石仏が立っていた。 それも、車道に背を向けていた。 この場所へ移動されたとしてもおかしい。 どうやら、後の車道は後の時代に造られたもので、この石仏の手前に古道が通っていたらしい。 道標は「是より半丁上に ふげんぼさつあり」。 【参考】下記サイト 桜井市浅古の道標-2
つづく。
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11月28日(火)06:35 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理
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忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池19 |
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| 堤から北方向の展望。 中央の集落は忍阪。 忍阪の右後方のピークは外鎌山。 奥の稜線は左のピークが三輪山。 三輪山はこの方向から眺めると円錐形には見えない。
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| 堤から南方向の展望。 倉橋溜池と左の稜線は音羽山の稜線。
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| 龍吟橋を渡る。 倉橋溜池は別名「竜吟鏡」(りゅうぎんきょう)とも呼ばれ、その名前を取って龍吟橋となったようだ。 倉橋溜池
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| 歩いて来た方向を振り返って撮影。 右の建物は管理施設。 右後方は音羽山。
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| コースはこの先を歩くが「関係者以外立入禁止」の立て看板が掲げられていた。
つづく。
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11月28日(火)06:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池18 |
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| 古墳の周りに踏み跡が続いていたので歩いてみることに。
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| 振り返って入口の獣避け金網付近を撮影。
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| 踏み跡は小さな森の周囲を周回するようなので、途中で引き返した。
画像は畑の柵に植えてあったツルムラサキ(蔓紫)の実だろう。
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| 倉橋溜池へ向かう。 リーダーによると、今回はいつもと違い時計回りと逆の方向に歩くという。
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| 巨大な堤。ここを歩くのは初めて。 分かりにくいが、前方にクルマ止めのチェーンが掛かっている。 そして、駐車しているクルマの上に少しだけ白い建物が見えるのが、粟原の棚田で見たのと同じ桜井市グリーン・パーク。
つづく。
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11月28日(火)06:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池17 |
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| 獣避けの金網の扉を開閉して入る。
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| 畑に設けられた柵に沿って歩く。
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| 茂みの中へ入る。
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| 右へ。
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| ここが石室の入口。 中に入れるようだが、不気味なので遠慮した。 照明器具を持っていたとしても躊躇してしまう。 誰も中に入らなかったようだ。
つづく。
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11月28日(火)06:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池16 |
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| 天満神社の境内を撮影。 菅原道真公をお祀りするだけあって梅の木が植栽されている。
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| 粟原寺跡を後にする。
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| 来た道をR166下尾口バス停の手前まで戻る。 信号機のある交差点を左折(南)。 次のチェックポイント「←天王山古墳」へ向かう。
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| 桜井市下り尾(さがりお)の集落を南へ歩く。
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| やがて右手に天王山古墳の説明板が立っている。
「史跡 天王山古墳 昭和二九年三月一七日指定」
「東南方から北西方にのびる屋根上に営まれた方墳で、この屋根上には他にも多数の小古墳が散在している。 墳丘の一辺は約四五メートル、高さ約九メートルを測り、うちに家形石棺を蔵する雄大な横穴式石室が南に開口している。 石室は巨大な花岡岩を架構したもので、玄室の長さ約八・五メートル、幅約三メートル、高さ約四・二メートル、羡道の長さ約八・五メートル、幅約一・八メートル、高さ約二メートルである。 玄室の中央には棺身の長さ二・四メートル、幅一・二メートル、身蓋を合わせた高さ約一・八メートルの巨大な刳技式の家形石棺が置かれている。 なおこの棺身の羨道に面した側の上辺中央に方形小孔か彫り込まれているのが注意される。 副葬品については明らかでないが、石室や石棺の型式から六世紀後半に築造されたものと推定される。 この古墳はその名の示すごとく、江戸時代には崇峻天皇陵に擬せられていたもので、墳丘や石室の規模からも、大化前代の支配者層の墳墓を考えられる。 近畿地方における古墳時代後期の代表的な方墳として著名である。 奈良県教育委会」
つづく。
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11月27日(月)06:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池15 |
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| 地蔵菩薩座像と見られるが、なんだか宇宙人っぽく見えたりもする―笑。
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| お堂の中には観音菩薩様らしきが祀られていたが、紅白の幕?が邪魔をしてよく分からない。 高ルーメンのライトを借りて撮影したが、仏像の正体がよくわからないということが分かった―笑。
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| 隣接する天満神社の鳥居と拝殿。
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| 狛犬の台座に刻まれた“献”。 南へんを表現する刻み方が独自。
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| こちらは“奉”だが、これも部首の“大”の部分が面白い形になっている。 “十”を三個並べた下に“ひとやね”らしき部首が見える。
つづく。
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11月27日(月)06:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池14 |
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| 歴史街道の「粟原寺跡(国指定史跡)」案内板。
「粟原集落南端の天満神社境内及び、隣接地に、塔跡・金堂跡が残り、標高二六〇m前後に位置する。 この粟原寺建立のいきさつを刻んだ三重塔の伏鉢(フクバチ)は、談山神社蔵(国宝)として残っている。 その銘文によると、中臣大島(なかとみのおおしま)が草壁皇子(くさかべのおうじ)のために発願し、比売朝臣額田(ひめあそんぬかた)が持統天皇八年(694)から造営を始め、和銅八年(715)に完成したことがわかる。」
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| 十三重石塔前で昼食中。
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| 昼食後、付近を見渡すと、お堂が見えたので立ち寄ってみた。
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| お堂の横に何体かの石仏他が置かれていた。
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| 青面(しょうめん)金剛。 やや眉毛がつり上がっているように見える。
つづく。
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11月27日(月)06:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池13 |
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| ここから先、「2t車以上 通行禁止」となっている。
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| 十三重石塔だが、相輪と呼ばれる上部が傾いている。
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| 「史蹟 粟原寺址」と刻まれた石柱。
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| 役行者像。 かなり年を召されたお姿となっている。
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| 礎石が並んでいる。
つづく。
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11月27日(月)06:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池12 |
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| 更にこの上にも民家が建ってあった。
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| 分岐。 ここは直進したが、右方向にも道があった。
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| こちらが右方向の道。 この先、道は周回していて、どちらから行っても同じところに辿り着く。
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| 巨樹が見られた。 そして、ごく最近、手入れされたようだ。
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| ここまでクルマで登って来られるだろう。 何台か駐車できるスペースがある。
つづく。
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11月27日(月)06:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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