山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2013年12月を表示

矢田寺と大和郡山の魅力22

あじさい園の石仏たち。「矢田型地蔵」ではない一般的な地蔵菩薩。


こちらは、双体石仏と呼ばれているものだろう。かなり磨耗している。


“明和五戊子九月”と彫られている。明和五年は西暦1772年。なので241年前。江戸中期。


こちらの石仏は、元は“舟形光背”があったのだろう。


あじさい園の散策は、これくらいにしておく。


12月21日(土)14:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力21

蓮花池。弁財天を祀ってあるのだろう。


見頃のモミジもあったが、多くは遅かった。


シーズンオフだが、あじさい園に行ってみる。


落ち葉が積もってなかなかよいカンジ。私たち以外に、散策している人は誰もおらず。


大きなカエデ。外国産だろうか。


12月19日(木)22:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力20

こちらは、よく知られている「味噌なめ地蔵」。以下は矢田寺のHPより。
「その昔、近在の農婦が自家製の味噌の味が悪くなり、困っていました。 ある夜のこと、夢の中に石のお地蔵様があらわれて、「我にその味噌を食べさせてくれたら、良い味にしてやろう」とお告げになりました。 翌朝、矢田寺へ参って参道を見ると、夢に立たれたお地蔵様がおられたので、早速くだんの味噌をその口許にぬったところ、家の味噌は味が直っていたそうです。これを伝え聞いた里人たちは、新しい味噌を作ると味が良くなるようにと、こぞってお地蔵様の口許へぬるので、誰言うとなく「みそなめ地蔵」と呼ばれるようになったのです。」



矢田寺、西国八十八ケ所霊場めぐり。この日は、時間の関係で霊場めぐりは割愛。


矢田寺の本堂と石灯籠。


十三重石塔。地蔵講と彫られていた。


一般的な、お地蔵さんスタイルかな。


12月19日(木)22:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力19

この霊水(地下水)は何時飲んでも美味しい。


“娑羅双樹の花の木”とされているが、日本ではツバキ科のナツツバキを指す。釈尊が入滅した時、臥床の四辺にあったというサラソウジュとは別の木。


こちらも塔頭の一院、念佛院。右の標石は「奉供養大峰山先達奥通修行記念碑」と彫られていた。“奥駈道”を“奥通”としているところが面白い。


黒光りしている衝立。


「郡山停車場 三十丁」「富雄停留所 四十五丁」そして、「是より 東明寺 八町」。


12月17日(火)23:00 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力18

「見送り地蔵」の前に、画像のような遺物があったが、どのようなものなのか分からない。


矢田寺境内の配置図。


参道から西正面に本堂を望む。


大門坊(だいもんぼう)と呼ばれる塔頭の一院を右に見る。


大門坊の山門の東側に立つ北向地蔵尊は室町時代のもの。(矢田寺のHPより)


12月17日(火)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力17

残念ながら、紅葉は遅かった。霜が降りると、このように葉っぱが、色あせてクシャクシャに縮んでしまう。


祠の中にお地蔵さん。


ふくよかなお顔で、安らぎを感じる。


この階段を登り詰め、右に曲がると、境内に通じる道に出るが、左手にお地蔵さんが見える。


このお地蔵さん、今まで、この場所にあることを知らなかった。私にとっては新発見だ。階段からは背を向ける格好で立っておられ、気をつけて見ないと、通り過ぎてしまう。元はこのお地蔵さんの前に参道があったと思われる。そして、このお地蔵さんの表情も、先程と同じように微笑んでいるように見える。
※このお地蔵さんは「見送り地蔵」と呼ばれ、右手に錫杖を持たず親指と人差し指で輪をつくった姿は「矢田型地蔵」と呼ばれている。



12月17日(火)21:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力16

「ヴィラ矢田山荘」。ライブもやっているらしい。入口は昔風の造りだが、中の様子はここからはわからない。


いつも迎えてくれるお地蔵さん。


ヤブムラサキの実だろう。


山門に到着。矢田寺というのは通称で、正式には金剛山寺(こんごうせんじ)という。


山門を潜って石段を登る。アジサイの時季は、右に見える建物のところで、入山料を徴収される。確か400円だったか。それ以外の時季は境内自由。


12月17日(火)20:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力15

暫く旧道を歩くと車道に出た。県道189号で、近くに矢田バス停があった。この車道を西方向の矢田寺へと歩く。ここから矢田寺は見えない。


柿がたわわに実っているが渋柿。


これは陽明学者、熊沢蕃山の石碑。


熊沢蕃山の説明板。


やがて、右手に矢田寺前バス停を見て、急な坂道を登る。ここから先、一般のクルマは通行出来ないようだ。


12月16日(月)21:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力14

「伝承 二之矢塚」。伝承について、付近には記述されていなかった。


参拝するH氏。


この神社は別名「矢落大明神」と呼ばれていて、先の海軍大将の標石やプロペラもこれと関係がありそうだ。


矢田坐久志玉比古神社を後にして、矢田寺へと向う。駅でもらった地図を見たが、そのルートを歩くより、近道がありそうだった。手持ちのカーナビを徒歩モードに切り替え、目的地を矢田寺に設定したら、音声で案内してくれた。やはり近道がある。旧道を歩く。この土蔵、面白い窓だ。


突然、牛を見た。これにはビックリ。黒い牛なので、もしかすると黒毛和牛かもしれない。


12月16日(月)21:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力13

この道標、下の部分がアスファルトに埋もれて字が読めない。「左 やた」か、右はまったく読めない、“ミ”のように見えるが。


右前方に鎮守の森らしき森が見える。


道標がある辻を曲がった所にあったのが矢田坐久志玉比古神社。この標石、海軍大将有馬良橘敬書と彫られていた。


本殿は室町時代のもので、重要文化財。画像は楼門。


本殿前の楼門には、木製のプロペラが掲げてあり、「航空祖神」源田実 と記されていた。源田実とは、真珠湾奇襲作戦の立役者で、戦争末期は松山の343空で傑作防空戦闘機「紫電改」を率いて活躍した源田大佐のことで、木製のプロペラは彼から寄贈された中島製(現富士重工)の91式戦闘機のプロペラだそうだ。


12月14日(土)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力12

矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)の道標を見て、ここへ行く予定だった。


鉄工場を右に見る。ここを過ぎてすぐに右折すべきところを直進してしまう。この為、大回りとなってしまった。


主人神社。“ぬしと”と呼ぶらしい。矢田坐久志玉比古神社の御旅所。この神社には参拝せず。


「左 やたさん」だろうか。


道標があった。大回りとなるが、せっかくなので、神社へ行ってみることにした。矢田坐久志玉比古神社に行くのはこれが初めて。


12月13日(金)21:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力11

旧前坊家住宅。説明板によると、「前坊家はもと吉野山の門前町筋にあって金峯山寺仁王門と発心門(銅鳥居)のほぼ中程、大道を北面して屋敷を構え、代々吉野水分神社の神官を勤めたと伝える家。」
現在、金峯山寺付近には、このような住宅は見られないと思う。



こちらも、杉を使っている。“焼杉板”と呼ぶらしい。杉板の表面を炙って炭化させることにより杉板が腐食するのを緩和し丈夫な外壁材になるという。


一部、二階建てとなっている。


そろそろ次の場所へ移動する。時間は正午前。


まずは「少年自然の家」を目印にして、そこへ向う。画像は大和民俗公園内に設置されている道標。


12月13日(金)21:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力10

吉野集落の住宅は平地ではなく、傾斜地に建っており、実際もそうだったのだろう。


旧木村家住宅。説明板によると、もと吉野郡十津川村大字旭字迫に所在していた山間の家で、農林業を営み、幕末頃には村役を務めたと伝えられている。建物の建築年代は主屋が文政4年(1821)、納屋および表門は19世紀中頃。この家が所在した所は「迫と背中は見ずに死ぬ」と言いいならわされたほど山深い峡谷の地である。画像は座敷に置かれた駕籠。


囲炉裏。


からうす(唐臼)。柄の端を足で踏んで杵(きね)を上下させて穀類を搗(つ)く仕掛けのもの。一般的には家の中に置かれていた。


説明板によると、奥吉野地方では、この家のように屋根を杉皮でふき石を乗せる。


12月12日(木)21:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力9

矢田丘陵には古民家が良く似合う。


旧松井家住宅。


この棒竿には、洗濯物を干したのだろう。吊るし柿も干したかもしれない。


最後に吉野集落を見て回る。


吉野は今まで見てきた住宅と、かなり違っていた。


12月12日(木)21:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

矢田寺と大和郡山の魅力8

まず旧八重川家住宅。説明板によると、当住宅は山辺郡都祁村大字針に所在していた。代々農業を営んでいたと伝えられている。


弓と矢。家を建てた時に大工が作り“魔除け”として取り付けられたという。


茅葺屋根。


こちらは、唐箕(とうみ)。Wikipediaによると、
「収穫した穀物を脱穀した後、籾殻や藁屑を風によって選別する農具」



縁先。外側に雨戸があって、障子一枚で室内と区切られている。


12月12日(木)20:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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