山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2014年1月を表示

開運松原六社参り16

路地を歩いて、右に西徳寺、正面に銭湯がある角を右折。


すると、すぐ右に阿保(あお)神社があった。迷路のようになっていて、場所がわかりにくい。


阿保の名は「土佐日記」の作者、在平業平の父、阿保親王に由来。狭い境内は参拝者で混雑していた。


この神社は正月に書初めが行われていた。


本殿の後に見えるクスノキのスケール、存在感が圧倒的。


1月11日(土)19:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り15

屯倉神社の境内に祀られている三宅龍王講行者堂。


役の行者の弟子とされる夫婦の鬼のうち、壷を持つ妻の後鬼。


こちらは、斧を持つ夫の前鬼。


屯倉神社を後にして、中高野街道を南へ歩く。画像は屯倉神社南参道入口。


三宅小学校を右に見て歩き、阿保(あお)5丁目の交差点を過ぎて左折、路地のような細い道を歩く。


1月11日(土)19:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り14

屯倉(みやけ)神社、境内の注連縄石。


拝殿。菅原道真公を主祭神とする。


比較的新しいものと思う。それにしても、葉っぱが茂っている時は、よく見えないのだろう。


屯倉神社のご由緒。


こちらの神社も、ご神木はクスノキ。


1月11日(土)19:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り13

このあたりも行政区は大阪市になっている。


銀杏並木の歩道を歩き、三宅中歩道橋を渡る。画像は歩道橋から撮影。


この道は、「中高野街道」と呼ばれる古道。


古い町家が見られる。


やがて、ようやく四つ目の神社、屯倉(みやけ)神社が左に現れる。


1月10日(金)21:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り12

大和川の堤防沿いに続く道は一般車進入禁止となっており、クルマに注意せずに歩くことが出来る。


大和川河川敷公園にはベンチも幾つかあったので、ここで少し早めのランチタイムにすれば良かった。というのも、この後、昼食をする適当な場所がなく、結局、ゴールの松原駅構内で食べることになったので。


大阪港の河口から10km。


やがて前方に阪神高速が見えてくる。


コースは阪神高速高架下を潜り右へ曲がって、阪神高速高架下の側道を歩く。


1月10日(金)21:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り11

阿麻美許曽神社を後にする。北方向へ歩き、七郷橋を渡る。


右折して大和川の堤防沿いに東へ歩く。


近鉄南大阪線の踏切を横断。


丁度、電車がやって来たので撮影した。尚、この時、上下合わせて4本の電車が通過するのを待った。


大和川西青少年運動広場。


1月10日(金)20:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り10

阿麻美許曽神社の説明板。“天美”の地名の由来となった古社とされる。奈良市の春日大社との関わりも記述。尚、この神社の所在地は大阪市東住吉区矢田となっているが、松原市天美地区の氏神とのこと。
(参考)松原市のHP 阿麻美許曽神社と渡来人
http://www.city.matsubara.osaka.jp/10,113,51,258.html



説明板にあった拝殿前に建っている「注連縄石」。


これも説明板にあった「天見山」の銘がある狛犬の台座。


樹齢500年以上のクスノキ。


クスノキは境内に何本か林立しており、大阪市指定保存樹林になっていた。


1月10日(金)20:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り9

階段を降りてすぐ、側道を歩き、車道(本線)下の地下道を潜る。


このあたりはラーメン激戦区なのだろう。そういうわけで、先ほどの天理のラーメン屋があったのが頷けた。


天美西5丁目の交差点を右折(東)、街路樹が植えられた道を歩く。


南海バス天美西バス停の前を歩いて交差点を左折(北)し、右に「関西出雲久多美神社」の立派な鳥居を見て歩く。この神社は今回の「開運松原六社参り」の中には含まれていなかった。


そのまま道なりに北に進むと、三つ目の神社、阿麻美許曽(あまみこそ)神社の鳥居の前に出てきた。


1月9日(木)21:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り8

来た道を少し戻り、押しボタン信号のある狭い道を歩く。


この花は民家の玄関に置かれていたが、オキザリスの園芸品種、“桃の輝き”だろう。蕾だが目を引く。気温がある一定の温度にならないと開花しない。


こんなところに、奈良ではよく知られた天理のラーメン屋があったのには驚いた。後で調べると、松原店で大阪府下には4店舗展開しているようだ。


西除川に架かる天美大橋を渡る。画像の前を歩く女性たちは、今日のウォーキングイベントに参加していたかどうかは不明。多分、違うだろう。


天美大橋から西方向に西除川を見る。


1月9日(木)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り7

狛犬阿形。ずんぐりとしている。


ご神木、クスノキと思われる。


境内社:白髭社。


由縁について記載されているが、一部、字が消えて読めない。瘤がある木もクスノキ(樟)と記されている。


我堂八幡宮を後にする。画像は石の祠に祀られていた地蔵菩薩。


1月9日(木)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り6

我堂八幡宮の説明板。京都の石清水八幡宮の分霊を勧請したもの。創建は延宝八年(1680年)で約330年前。


こじんまりとした神社で、ここにもご神木が見られた。


旧我堂村は東西に分かれ、戦前まで村の若衆たちが互いに力を競い合ったという。


その時の力石が境内に並べられていた。


こちらは本殿。厄災を祓い清める神として信仰されている。(厄除神)


1月9日(木)20:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り5

布忍神社の説明板によると、本殿に使用されている木材を、年輪年代測定で調査した結果、南北朝時代の1372年+アルファ(50~100年)に山野から伐採されたことがわかるという。


布忍神社を後にして、西除川遊歩道を北西に向って歩く。


松原市が設置した西除川遊歩道案内図。


やがて、西除川遊歩道と分かれる。右手に高橋を見て左折し、南海バス天美我堂バス停前を歩く。


バス停からすぐ、左手に我堂(がどう)八幡宮が現れる。


1月9日(木)20:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り4

この神社では、若い人に「恋みくじ」なるものが人気らしい。


「開運松原六社参り」を希望する人は、布忍神社で絵馬(500円)を購入し、夫々の神社の参拝印(六社分)を集めると、最後の柴籬(しばがき)神社で、「開運干支張り子」が頂けるという。画像は絵馬を求める人たち。


画像がその絵馬。参拝印を頂く場所が六ヶ所ある。ちなみにこの方は、昨年も六社参りをされたという。ご利益があったのだろう。


白と赤のよだれかけが狛犬にかけられていた。


可愛いし、なかなかよく出来ていると思う。ズレ落ちないように針金で括られていた。


1月8日(水)22:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り3

西除川左岸につけられた道、最初は歩道と思ったが、違っていて車道だった。道の左に見える石畳の部分が歩道。


鎮守の森。ここが布忍神社だった。


宮橋に取り付けられた御神燈の提灯。対岸にはお寺が見える。(大林寺)


布忍神社正面。“布忍”という地名について、松原市のHPによると、布忍神社の社記には「祭神の素戔鳴命を同社の北18町(2km)に鎮座する天美の氏神である阿麻美許曽神社から、白布を敷いて現在地へ迎えたので、社名を布忍、村名を向井とよぶようになった」と伝えています。」
他にも諸説があるようだ。



神社の境内に焚き火が拵えてあったので、少し暖まる。


1月8日(水)22:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

開運松原六社参り2

阿保(あお)神社と柴籬(しばがき)神社の六社。


本日歩くコースの地図も張り出されていた。先程駅員さんから頂いた地図と同じ。


こちらの地図は、私が実際に歩いたGPSログ。


布忍駅を出発する。


布忍橋を渡り、西除川(にしよけがわ)の左岸を歩く。


1月8日(水)20:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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