山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年12月を表示

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)8

松尾神社朱雀旅所前のバス停でバスを待つ夫婦連れらしきお二人に、このすぐ近くにある「権現寺」の場所について尋ねたところ、そのようなお寺は聞いたことがない、とのことだった。


付近は商店街が軒を連ねていて、お寺らしきところはまったく見当たらない。


ところが、商店街の間の路地のような狭い道の入口に「清光山権現寺」の寺標を見つけた。非常に分かりにくい場所に入口があって、思わず見過ごしてしまうところだった。


源為義(みなもとのためよし)公墓。墓の入口には鍵が掛けられており、墓域内には入れないが、塀の外側から見ることができた。


画像の右、五輪塔が源為義の供養塔で、その左が顕彰碑らしい。


12月9日(水)18:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)7

これも先の説明文にある、「角屋もてなしの文化美術館」の看板。新撰組の刀傷のほか、重要文化財、与謝蕪村筆「紅白梅図」が公開されている。入場料は1,000円。


美術館の入口から中を少し覗いてみた。


やがて七条通に出てこれを横断。画像は振り返って撮影。上の高架はJR山陰本線。


ここから七条通商店街が軒を連ねる。なにげなく撮影した八百屋。なんと創業90年とある。1925年なので大正14年。


付近の案内図。この地図は上が南。私達は千本通を歩き七条通を横断。この後、七条通を西方向へ歩く。


12月9日(水)18:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

六甲全山縦走

2015年は年初に京都トレイルを歩くことを決め、これはあと1回を残すのみとなった。

【実行】
2015_05_01京都トレイル①(伏見稲荷_尊勝院)
2015_05_09京都トレイル②(蹴上_北白川)
2015_06_20京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)
2015_08_01京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)
2015_09_21京都トレイル⑤(戸寺_山幸橋)
2015_11_03京都トレイル⑥(高雄_嵐山)
2015_12_05京都トレイル⑦(山幸橋_高雄)
【予定】
2016_01_12京都トレイル⑧(嵐山_苔寺谷)



2016年は京の古道を歩くことを決め、これも既に2回実行出来ている。

【実行】
2015_10_29京の古道①東海道(三条大橋_大津)
2015_12_01京の古道②山陰道(丹波口駅_亀岡駅)
【予定】
2015_12_16京の古道③西国街道(東寺_山崎)

これと平行して2016年は六甲全山縦走路を歩きたい。
六甲全山縦走は六甲連山50数kmを1日で歩き通すというもので、古くから知られている。
山陽電鉄須磨浦公園駅を早朝に出発し阪急宝塚駅に21時頃までに到着する。

もっとも1日で踏破することは考えておらず4回に分けて歩きたい。
また、スタート地点は須磨浦公園駅では面白くないので、逆コースとして、阪急宝塚駅からスタートする。

第1回は宝塚駅から六甲山最高峰まで(4時間5分+バス停まで35分)を予定している。添付参考コースタイム表。

尚、縦走するには神戸市が発行している地図が必要だが、まだ入手出来ていない。
入手出来た時点で、この計画表を更新したい。



12月8日(火)21:09 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)6

「きんせ旅館」。
※「きんせ旅館」のサイトによると、推定築年数250年の木造建築で、もとは『揚屋』として作られた建物だが、時代の移り変わりとともに旅館となり、現在は『きんせ旅館』という名前をそのままにし、カフェとして、または文化交流サロンとして営業。



玄関のところに置いてあったが、どういうものかわからない。


やがて立派な屋敷が現れる。


角屋の駒札。
角屋(すみや) 角屋は江戸時代に繁栄した旧花街・島原を代表する揚屋(あげや・現在の料亭)で、明治時代にお茶屋業に編入された後も、昭和六十年(1985)まで営業が続けられた。島原は、我が国最初の官許の花街で、当初は二条柳馬場に開かれ、その後、六条三筋町に移転し、更に寛永十八年(1641)にこの地に移された。正式な地名は西新屋敷というが、急な移転騒動が、当時の九州で起こった島原の乱に似ていたことから、島原と呼ばれるようになった。島原には、揚屋(あげや)と置屋(おきや)があり、揚屋は太夫・芸妓などを一切抱えず、置屋から太夫等を呼んで宴会を催す場であった。角屋の建物は、揚屋建築唯一の遺構として昭和二十七年(1952)に重要文化財に指定された。また、円山応挙・与謝蕪村など、当時の一流画人の作品を多く蔵し、蕪村の大作「紅白梅図」は重要文化財に指定されている。江戸中期には、俳檀が形成されるなど文化サロンとしての役割も担い、また、幕末には西郷隆盛・久坂玄瑞などの勤王の志士たちが、軍用金調達のために時の豪商を招いて会議を行い、彼等を探し求めた新撰組が乱舞した場所でもあった。こうした江戸時代の社交遊宴文化の余香を今に伝える角屋は、現在「角屋もてなしの文化美術館」として一般に公開されている。京都市



先の説明文にある、揚屋建築唯一の遺構。昭和二十七年(1952)に重要文化財に指定。


12月7日(月)19:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(2015.12~2016.02)

毎年恒例となっている近鉄の「酒蔵みてある記」。もうそろそろパンフレットが出ている頃だと思う。
ネットで近鉄のホームページへアクセスするも、ネット上ではパンフレットとして、まだ公開されていないようだ。
個別に検索すると、イベント情報としてみることが出来た。但し2016年2月までの予定で、3月はまだアップされていないようだ。

下記は大阪・奈良・京都の予定。(愛知・三重・岐阜を除く)

対象期間(2015.12~2016.02)
【2015年】
・12月19日(土)稲田酒造 最寄駅:天理
【2016年】
・1月17日(日)喜多酒造 最寄駅:飛鳥
・1月26日(火)西内酒造 最寄駅:桜井
・1月30日(土)齋藤酒造 最寄駅:桃山御陵前
・1月31日(日)中本酒造 最寄駅:菖蒲池
・2月06日(土)豊澤酒造 最寄駅:天理
・2月11日(木)北岡本店 最寄駅:吉野神宮
・2月13日(土)長龍酒造 最寄駅:五位堂
・2月20日(土)久保本家 最寄駅:榛原
・2月27日(土)黄桜   最寄駅:竹田



12月6日(日)18:15 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理

京都トレイル⑦(山幸橋_高雄)

2015年12月5日(土)は、第7回目となる京都トレイルを山幸橋・高橋バス停から高雄・栂ノ尾バス停まで、およそ12kmを歩いた。途中、氷室町手前の小峠で、山歩きのサークルでいつも一緒に歩いている大阪在住の女性グループに、同じ歩行方向で出会った。総勢15名程度。その中に、紅一点ならぬ、その逆の男性が一人参加されていた。私たちは氷室町で氷室跡を探索したので、グループとは別行動となった。参加者はY氏とH氏、それに初参加のTu氏と私の4人。

コース概略
高橋(たかばし)バス停_山幸橋(さんこうばし)バス停_盗人谷(ぬすっとだに)一の橋_盗人谷二の橋(崩壊)_盗人谷三の橋_小峠(ことうげ)・十三石山分岐_氷室跡(探索)_氷室神社_昼食地_氷室配水池前_京見峠_上ノ水峠_沢ノ池_仏栗(ほとぐり)峠_福ヶ谷林道_白雲橋_栂ノ尾バス停 ★反省会:餃子の王将・七条烏丸店

画像はこの日歩いたGPSログで山幸橋・高橋バス停から高雄・栂ノ尾バス停までを表示している。



12月5日(土)22:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)5

「島原大門」を後にし、花屋町通を西に歩く。すぐ右に折れて坊城通へ入ると左に「輪違屋」(わちがいや)が現れる。


入口には「観覧謝絶」の立て札が掛かっていた。


「輪違屋」の説明板。(一部割愛)
輪違屋は、大夫や芸妓をかかえていた由緒ある置屋で、元禄年間(一六八八~一七〇四)の創業と伝える。現在の建物は、安政四年(一八五七)に再建されたといわれるが、その後増改築がなされて、明治四年(一八七一)にはほぼ現在の姿になっていた。
【割愛】
輪違屋は、建築的に質が高く、また古い置屋の遺構として貴重であり、昭和五十九年六月一日 京都市指定有形文化財に指定された。



輪違いの紋。
※「輪違屋」建物の内部を紹介されているサイト。
「ちょっとそこまで」



「輪違屋」を後にする。
この建物、二階の窓がユニークな構造になっている。



12月4日(金)20:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)4

「島原の大門」に設置されていた「島原」の説明板。
島原は、江戸時代以来、公許の花街(歌舞音曲を伴う遊宴の町)として発展してきた。寛永十八年(1641)、官命によって、島原の前身である六条三筋町から現在の朱雀野の地に移された。その移転騒動が、九州で起きた島原の乱を思わせたところから、一般に「島原」とよばれてきたが、正式地名は「西新屋敷」という。この島原は、単に遊宴を事とするにとどまらず和歌、俳諧等の文芸も盛んで、ことに江戸中期には島原俳壇が形成されるほどの活況を呈した。しかし、明治以降の島原は次第にさびれてゆき、現在では揚屋(今の料亭にあたる店)の「角屋」、置屋(太夫や芸妓を派遣する店)の「輪違屋」、それに島原入口の「大門」、これら三箇所がわずかに往時の名残をとどめるものとなっている。平成十三年十一月吉日 島原伝統保存会



「島原大門」。慶応三年(1867)五月建築。京都市登録有形文化財。


時代劇の舞台にありそうな光景。


京都市が設置した「島原」の説明板。駒札となっている。内容は先ほどの島原伝統保存会が設置した説明板とほぼ同じ。


先ほどの説明板にあった通り、島原“西新屋敷”上之町となっている。“西新屋敷”が正式名称。右の地図はベニヤ板のような木片を利用して作られていた。


12月4日(金)18:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)3

付近の住所表示板。現在は「下京区中堂寺鍵田町」で、以前は「丹波口通坊城東入」だったのだろう。
“旧丹波口通”という表記は、この場所が昔の丹波口に通ずる道であったことを意味する。



御伺地蔵尊、鍵が掛けられており、厳重に警戒されている。悲しいことに、お地蔵さんが牢屋に入れられたように見えてしまう。


趣のある町屋。二軒長屋だろう。


この先、道は更に狭くなる。


やがて「島原の大門」が現れる。


12月3日(木)20:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)2

丹波口駅の周辺は京都市中央卸売市場となっている。「モートラ車」と呼ばれる荷物の運搬用に使われる車が面白い。立ったままクルマを運転する。


大銀杏の案内板。
島原住吉神社の旧境内地北端に植わっていたこの大銀杏は、明治維新後の廃仏毀釈により、社格株のない住吉神社が廃社になるも、神木として遺された。その後明治三十六年(1903)に神社は再興されたが、境内はこの大銀杏のところまで拡大されるには至らなかった。昭和五年(1930)にこの樹の根元に弁財天が祀られることにより、さらに神木として崇められ、今では樹高(二十米)、幹周り(三.五m)ともに樹齢三百年相応の島原一の巨木となっている。平成十三年十一月吉日 島原伝統保存会



こちらがその大銀杏。


細い旧道。


歌舞練場跡(かぶれんじょうあと)記念碑。
島原歌舞練場は、明治六年(1873)上之町に島原女紅場として開設され、青柳踊や温習会が上演されていたが、同十四年頃には衰微を極め、青柳踊等も頓挫した。その後景気の回復により、太夫道中が再興され、歌舞練場が常にその巡行の拠点としての役割を果たしていた。しかし、当初の歌舞練場は、狭隘にして、かつ貸座敷組合事務所との共用であったため、昭和二年(1927)に中之町の現在地に移転し、本格的な劇場施設として新築された。それ以来、この新歌舞練場は、歌舞会にあたる養柳会が運営にあたり、歌舞音曲の練習発表の場として、毎年温習会が開催された。戦後の同二十二年以降は島原貸席お茶屋業組合の事務所としても使用されてきたが、平成八年(1996)同組合の解散に伴い、歌舞練場を解体し、歌舞練場百二十余年の歴史を閉じることとなった。また、天保年間の島原鳥瞰図によると、当地はもと稲荷社が鎮座していたことから、この大榎には、歌舞練場解体時までその根元に祠が祀られていた。約二百年の樹齢を誇るがごとく、樹高は十五米、幹周も二米となり、今なお神木としての威厳を留めている。ここに、記念碑を建立し、花街の象徴であった歌舞練場と古木の由来を刻するものである。平成十三年十一月吉日 島原伝統保存会



12月3日(木)18:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)1

2015年12月1日(火)は、京の古道②として山陰道を丹波口駅から亀岡駅まで歩いた。距離およそ20km。
この企画の提案者及び世話人はN氏。参加者はT氏と私の計3人。

コース・タイム
9:20JR山陰本線・丹波口駅9:28_9:34大銀杏(島原)_9:37歌舞練場跡(かぶれんじょうあと)記念碑_9:42島原大門_9:46輪違屋(わちがいや)前_9:50角屋もてなしの文化美術館前_9:59七条通商店街_10:02松尾神社朱雀旅所前(松尾大社氏子總代)_10:04清光山権現寺・源為義公墓_10:15北向山不動明王_10:25西高瀬川に架かる月読橋を渡る_10:31石仏群_10:35松尾七社之一 松尾三宮社石灯籠前_10:38葛野七条(交差点)_10:41出在家阿弥陀堂_10:44天神川に架かる七条大橋を渡る_10:48延命地蔵菩薩_10:50愛宕山常夜燈(天保六年)_10:52愛宕山大権現(常夜燈_嘉永五年)_10:55八条通と合流_10:56桂大橋バス停前_10:57桂川に架かる桂橋(桂大橋)を渡る11:01_11:02中村軒・麦代餅を食べて店で休憩11:17_11:19桂離宮バス停前_11:23桂川街道を横断_11:24桂地蔵寺11:27_11:33道標(西京区川島北裏町)_11:35西山御坊(本願寺西山別院)11:38_11:40阪急京都線桂駅の大阪寄りの踏切を横断_11:41松尾七社之一 大宮社・常楽寺前_11:51樫原(かたぎはら)バス停前_11:53樫原交差点で物集女(もずめ)街道を横断_11:54郷倉(ごうぐら)_11:57「揚げ素戸ばったり床机」の人家_11:59樫原陣屋跡(本陣)前_12:06三ノ宮神社御旅所・三ノ宮バス停前_12:08三宮神社石碑_12:12墓地_12:14樫原札の辻 三士殉難の地_12:17樫原秤谷(交差点)_12:31地福寺_12:37三ノ宮神社前_12:39下狩(しもかり)川に架かる下狩橋を渡る_12:40京都市立大枝(おおえ)小学校前_12:41茅葺民家_12:43称念寺前_12:47兒子神社(ちごじんじゃ)・昼食13:25_13:29桂坂口バス停前_13:34愛宕山大権現(常夜燈・西京区大枝沓掛町)_13:36沓掛バス停前_13:37大枝(おおえ)神社13:41_ 13:43桓武天皇御母御陵参道道標_13:44関明神・大江の関跡・愛宕山石灯籠_13:53京都成章(せいしょう)高校前_13:55京都霊園入口_13:58管理事務所前_14:04京都縦貫道のトンネルを潜る_14:05洛西散策の森(京都府立大学大枝演習林)・休憩14:22_14:30分岐を右(左ゲート・右チェーンを跨ぐ)_14:33林道終点(舗装→地道)_14:38京都市西部クリーンセンターへ通じる道路の下を潜る_14:40首塚大明神14:44_14:45道標(従是東山城國)_14:46大暑山・小塩山方面分岐_14:51「京都の自然二百選 老ノ坂峠(山陰道)道標・愛宕山石灯籠_14:57京都縦貫道(上り・下り)のトンネルを潜る15:00_15:01R9合流手前を左折(旧街道)_15:06R9を横断_15:08山陰古道入口(道標)_15:15占い石(道標)_15:18三軒屋(道標)_15:21船着場跡(道標)_15:25府道402号線出合・京つけもの もり_15:25王子神社(篠町王子)15:28_15:42篠村八幡宮15:51_16:11西川にかかる西川橋を渡る_16:14愛宕山石灯籠(亀岡市篠町柏原町頭)_16:16愛宕山石灯籠(柏原公民館前)_16:19愛宕山石灯籠(年谷橋東)_16:19年谷川に架かる年谷橋(としたにばし)を渡る_16:21千本松(野橋立)跡_16:22愛宕山石灯籠(亀岡市三宅町野々神)_16:23亀岡市三宅町住民センター前_16:26府道402号線(山陰道)を右折しクニッテルフェルト通り_16:30光忠寺前_16:30丹波亀山城雷門跡(道標)_16:38内堀(南郷公園のお堀)前_16:41JR山陰本線・亀岡駅16:44 ★反省会 17:20京都駅構内塩小路カフェ18:11

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。

下記は参考とした書籍及びWebサイト
・増田 潔『京の古道を歩く』光村推古書院 2006年。
『街道歩き旅 山陰道・老ノ坂峠越』(京都丹波口~亀岡駅)



早朝の蛙股池。手入れの為、池の水位は低下している。


京都駅山陰線32番ホーム乗り場。9時17分発の亀岡行に乗車。


乗車時間3分で丹波口駅に到着。画像は付近の観光案内図。


丹波口駅を後にする。


12月3日(木)11:05 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理


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