山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年1月を表示

高槻初詣と摂津峡13

真上東公園の中に名神高速を横断する橋がある。ここはその取り付き。


道幅が広く歩きやすい。


名神高速の入口にドアはなく、24時間通行可能。


名神高速に架かる天王谷跨道橋を渡る。
京都方向(東)の眺め。片側3車線になっている。名神高速の開通当初は2車線。この為、住宅地が狭められたと聞く。夜だとクルマの通行する音が気になるところ。



名神高速の北側に出て、西方向へ少しばかり歩くと、緑が丘公園に到着。トイレ休憩となる。


1月13日(水)20:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京都トレイル⑧(嵐山_苔寺)

2016年1月12日(火)は京都トレイルの最終日として、嵐山渡月橋から苔寺谷まで約6kmを歩いた。参加者はH氏とY氏、私の三人。
Tu氏は正月に歩いた名古屋近辺の山で、右膝を故障したので参加出来ず。当面、山歩きは自重するとのこと。
松尾山、山頂肩の眺望地では、嵐山・渡月橋を眼下に見下ろせ、素晴らしい眺望が得られた。
そのほかにも随所で潅木が伐採されており、予想外に眺望が得られた。これはおそらく松尾学区自治連合会の手によるものと思われる。

コース概略
JR嵯峨嵐山駅_長慶天皇陵前_安倍晴明嵯峨墓所_角倉(すみのくら)稲荷神社_渡月橋_法輪寺_阪急嵐山駅前_松尾山登山口_四つ辻_眺望地・昼食_嵐山・烏ヶ岳分岐_松尾山頂275.8m_四つ辻_松尾大社分岐_図根点ピーク_苔寺谷・唐櫃(からと)越分岐_山の神さん_西芳寺(苔寺)前_苔寺・すず虫寺バス停_<京都バス>_京都駅

苔寺谷(道標:京都西山トレイルNo.51)への下山時間が13時16分で時間が早いので反省会はなし。

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。JR嵯峨嵐山駅から苔寺・すず虫寺バス停まで。



法輪寺境内では紅梅が開花していた。今年は梅の開花が早いようだ。


松尾山、山頂肩からの眺望。眼下に渡月橋。


1月13日(水)07:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

高槻初詣と摂津峡12

歩行者専用道路はやがて急な下りの階段となる。


階段を降りると右手に名神高速の下を潜る連絡道があったがここは通らず、もう少し先で名神高速を横断した。


真上東公園を右に見て歩く。


住宅の軒下に吊るしてあった。吊るし柿かと思ったが、羽のようなものが見えたので、もしかしてスズメ?近寄ってよく観るとこれが手作りの工作品で生き物ではなかった。


植畑さんと先頭グループの5人。左の女性と後の男性はカップル。植畑さんの後に単独の男性、そして私が先頭集団を構成。結局、ゴールまで同じ顔ぶれだった。皆さん色々と植畑さんに質問をされていた。


1月11日(月)20:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡11

正月3日なのに国旗が掲揚されていた。3日は祝日ではないはず。


やがて丘陵地は下り道となる。付近には住宅が建っている。奥天神町一丁目自治会館前を通過。地元では花見のスポットとなっているそうだ。


祠の中に祀られたお地蔵さん。お化粧をしているみたいでマンガに見えてしまう。


丘陵地なので下り道が終わると一転して上り坂となる。フレンドマート(スーパーマーケット)前を通過。
正面に長い壁が横たわり、クルマの通行する音とが聞こえる。名神高速に出合った。



暫く名神高速の壁を右に見て歩く。
この分岐は直進。クルマは通行止。



1月11日(月)20:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡10

上宮天満宮を出発すると、私はリーダーの植畑さんと並んで先頭を歩くようにした。寄り添っていると色々と話を聞くことが出来る。もっとも、私のほうから質問はほとんどせず、植畑さんが次々とお話しされた。


伊勢寺・乾性寺(かんしょうじ)を示す道標。


やがて五叉の分岐となる。コースは左上に続く道を歩く。右折すると伊勢寺・乾性寺。この日はこれらのお寺を訪れず。付近の住所表示は奥天神町一丁目となっていた。


このあたり少し高台になっており、後を振り返ると眺望が得られた。右の2つ高層ビルがJR高槻駅前で、左のビルはマンションと聞いた。


住宅地の開発によって、新しい住居が建設されている。この分岐は右。
植畑さんが左手に持っているのはマイク一体型拡声器。私は彼と寄り添って歩いていたので、私の右手と植畑さんの拡声器を持つ左手が接触することが何回かあった。



1月11日(月)20:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡9

出発時間待ちの皆さん。オレンジのジャンパーを羽織っているのがスタッフの方々。但し、後半、気温が上昇したので、ジャンパーを脱ぐ人が多くなり、参加者との区別がつきにくくなった。


上宮天満宮を後にする。来た道を天神町一丁目の交差点まで戻る。以前は本殿裏の鎮守の森から、住宅地へと抜けられたが、説明文にあった賽銭狙いの放火事件以降、抜け道は閉ざされたと聞いた。
画像は天神町一丁目交差点付近にて撮影。「JAZZ POPS CHANSON KaRaOke Room」の看板が掛かっていた。演歌も唄えるのかな―笑。



青い鳥幼稚園前を通過。名前がおしゃれ。
この幼稚園の卒園者に著名な人がいると聞いたが、私はその人のことを知らなかったので、名前を記憶していない。



天神山に到着。何のことはない。上宮天満宮の鎮守の森。以前は本殿裏から天神山に行くことが出来たが、今は閉ざされている。


天神山の遺跡の説明板。

高槻市のHPによると、天神山遺跡は、天神山丘陵の先端、標高50mほどの丘陵上にあります。3つの支丘陵に展開する弥生時代の集落跡で、結節部から東西の尾根にかけて住居や墓が発見され、多数の土器や石器、分銅形土製品などが出土しています。
 中央の丘陵からは、高さ約60cm、袈裟襷(けさだすき)という文様が描かれた銅鐸(どうたく)が出土しています。銅鐸は豊作を祈るまつりに使用されたと考えられている祭祀具です。住居など生活の跡がない中央の尾根は、聖なる丘だったのかもしれません。



1月10日(日)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡8

竹造りの本殿。


上宮型狛犬の説明板。

 本殿左右一対の狛犬は、宝暦九年十一月(一七五九年)に芥川在の石大工、西田新九郎正義により作られたもので、高槻市内最古のものである。
 細かい技を生かすことが出来る柔らかい砂石を素材にしたこの作品は、浪速狛犬と総称される 関西圏の多くのものの内、獅子舞の獅子頭に似た四角い顔と毛筋をハッキリ表現した新しいデザインにより上宮型狛犬として主流となった。
 その改良型として、三輪神社(高槻市) の三輪型狛犬(大明五年・一七八八年)がある。
 狛犬はライオンをモデルとしたもので、大阪商人による 寄進を地元有力者が取次ぐという形で、鎮守社に奉納されたケースが多い。



上宮型狛犬、吽形。


地面に何か落ちているらしい。


よく観るとこれが“お米”。意味不明。鳥の餌だろうか。


1月10日(日)18:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡7

上田辺町と天神さんの説明板。


説明文にある本神輿。


そして子供神輿。とても豪華。


初詣だけあって長蛇の列。後でわかったが、本殿脇に立つ石灯籠は鎌倉時代初期の作といわれ、国の重要美術品に指定されている。(昭和17年5月30日指定)

Wikipediaによると、上宮天満宮(じょうぐうてんまんぐう)は、大阪府高槻市天神町にある神社。旧社格は郷社。一般には「うえのみやてんまんぐう」と呼ばれるほか、「北山の天神さん」とも称される。「太宰府天満宮に次いで日本で2番目に古い天満宮」と称され、「上宮」の名も創建が京都の北野天満宮より以前であることから冠せられたといわれる。
 永禄11年(1568年)、芥川山城の三好討伐の際に織田信長が本陣を構えた。天正6年(1578年)、高槻城主となったキリシタン大名の高山右近が当社に火を放ったという。
 天正10年(1582年)の山崎の戦いの際には、豊臣秀吉が参道である「天神馬場」に本陣を置いた。秀吉は戦勝に感謝し、天正18年(1590年)、社地を寄進して社殿を修造した。



竹の本殿の説明板。

 この建物は柱、壁、屋根の殆どが竹でつくられております。竹はわずか5年で成竹となり、 再生可能な木質系資源として国連レベルでも注目を集めております。失われつつある森林は砂漠化の原因ともなり代替材として期待され、研究と実用化が進んでおります。
 弊社は2ヘクタール8千本の竹林を持ちその整備と資源活用を通じて全国各分野の専門集団と関わり世界で始めてとされる竹による外部構造物を完成させ建築/行政/環境分野で反響を呼びました。
 10年をメドに屋根の葺き替えが予定され耐用期間の長期化を計っております。
 尚、天正十八年(一五九〇年)豊臣秀吉により建てられた旧本殿は、平成八年十一月七日深夜裏山から侵入した少年5人組の賽銭狙いで放火焼失しました。
 弊社の諸システム導入による徹底「防犯」体制確立の契機となった出来事です。



1月10日(日)18:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡6

この日(3日)、ふるまわれたのは「芥川」で地元高槻西田本店。


この酒樽は2日にふるまわれた「白真弓」飛騨蒲酒造場。


絵馬堂に掲げられていた「日露戦役凱旋記念」奉納。明治四拾年二月二十三日。


こちらは「皇太子殿下 良子女王殿下 御成婚記念」奉納。大正拾参年壹月。


御輿庫に立ち寄る。


1月9日(土)19:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡5

野身神社と宿祢塚(すくねづか)古墳、車塚古墳の説明板。

野身神社と宿祢塚古墳

 土師器(はじき)と呼ばれる素焼の壷や皿は祭祀用に用いられ、これらを製作する土師氏を率いる族長がノミ〔祈み]のスクネ(直の根)と呼ばれ神に対する直系の長を意味する。 この日神山を北端として、東西一キロ南に三キロの地域は野見郷と云いその族長が葬られ連綿と祭祀された。九二七年に制定され始めての法体系ともいうべき延喜式の神社台帳ともされる「神明帳」に記載されている神社を式内社とするが、野見宿祢を祀るのは四社(三河、尾張、因幡、及び当社)しかなく弊社の原点ともいうべき古社である。 そして明治十二年以降かなりの間、この全域は、古名野身神社が正式名称であった。 日本書紀の説話をもとに相撲の神様としての伝承も定着している。

車塚古墳

 この天神山(日神山)には南北に四つの古墳が築かれている。 境内に二つの古墳があり、その一つが宿祢塚(野身神社)あと一つは参道を下り交差点を左に折れ、急な小坂をあがったところにあり、前方後円墳とハッキリ解る。 この古墳は元来当社境内地であったが、道路建設の為分断された。 猪狩りの様子をあらわした動物埴輪が並んでいる。現在のものは模型であり、生捕りの狩は角力の原義を示し巫女の角笛も見られ全国唯一の角笛埴輪である。 立寄って頂き野見宿祢とのゆかりをしのんでいただきたい。



社殿。


境内のご神木。遠目ではクスノキに見えたが違っているかもしれない。


梅の古木。


お正月三が日は絵馬堂で神酒がふるまわれた。


1月9日(土)19:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡4

この灯籠は倒壊の恐れはない。それにしても随分と埋まっているものだ。どれほどの年月が経てばこのようになるのだろう。


やがて石段はコンクリートの舗装道に変わる。両端には段差の小さい石段。


“三柱山門”と呼ばれている。


上宮天満宮のご由緒。

御祭神 武日照命
      野見宿禰命
      菅原道真命


由緒
 日の神、武日照命の天降って鎮座された此れの太古の杜、日神山一帯は弥生人の住居跡として銅鐸も出土し、南北に並ぶ四古墳のうち、中央の円墳上には式内古社の野身神社が在る。此地は「日本書記」が古代祭儀としての埴輪や相撲の逸話を記した野身宿禰を千数百年も前から斎き祀ってきた島上郡野身里である。彼の率いる祭祀者一族、土師氏は何百年か後に菅原道真、大江匡房始め平安時代に於ける史学、文芸学者たちを次々に生み出すが、殊に右大臣にまで昇った道真公は、然しその後天皇廃立に関わったとされ九州へ追放される。その死後百年近い頃、正暦四年(九九四)に正一位左大臣の位を遺贈する勅使として菅原為理が太宰府へと赴いた。御霊代など奉じての帰途、芥川を遡り当地の上田部(市役所西)に上陸し、領主近藤氏の城館に宿った。ところがいざ出立となると輿が動かず、これを先祖と共に留まりたい霊意と排察して、里人が日神山上に天満宮本殿を造営し改めて三神を併祭し奉った。実際の創建はこれより五十年も早く、京都北野社鎮座以前であり、全国天神社のうち二番目の古社とされている。戦国の天正年間、豊臣秀吉は当社参道「天神馬場」に本陣を置き、明智勢を山崎天王山に討った。その戦勝を感謝して、後に秀吉は社殿を美々しく修造する。これは平成八年に事故により失われた。
 江戸初期には高槻藩主永井直清が拝殿を設け大鳥居も建立、時の天台座主親王天松院宮筆の神額を奉納した。
 古来、近郷の三島地方はもとより遠く京都、大阪始め北攝能勢や北河内方面の崇敬を集め今に至る例祭「初天神」は、延々と露天の連なる京阪神きっての民衆的大祭である。



野身神社に立ち寄る。正面は神門。


1月9日(土)19:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡3

社頭参拝所の脇を通り抜ける。


社頭参拝所の裏側に貼ってあった社殿案内図。

旅が困難だった時代には地域を代表する神社に全国の主要な神々を勧招し、参拝者の便宜を計りました。 とある。



二の鳥居を潜る。


境内に鎮座されている神々。古墳・文化財も案内されている。北海道の名付け親として知られる松浦武四郎が奉納した「大神鏡」が保存されている。


倒壊の恐れがあるので人は近づくなということだろうか。灯籠の倒壊を防ぐものとは思えないが。


1月8日(金)19:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡2

10時15分過ぎに高槻駅を出発。暫く高架歩道を歩く。前方に見える高層ビルは「ジオタワー高槻ミューズフロント」。


西武ビルへの連絡道を歩いて地上に降り立つ。西国街道脇に建つ上宮(じょうぐう)天満宮鳥居。


常夜燈の前に建つ狛犬。文久二年(1862)の銘。


台座に彫られた奉納者の名前。奥川辺郡村×× 能勢郡村×× 口川辺郡村××。


上宮天満宮正面(天神町一丁目の交差点)に到着。クルマは左の道から入り、歩行者は右の階段を登る。


1月8日(金)19:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡1

2016年1月3日(日)は、新年の初歩きとして、JRのふれあいハイキングにH氏と二人で参加した。お天気に恵まれ、最高のハイキング日和となった。やや暑いくらい。

高槻を歩こう会の主催で、題して「高槻初詣と北部名勝「摂津峡」公園を巡るコース」。高槻を歩こう会のウォーキングイベントは過去に何回か参加している。

コースは高槻駅北出口から、上宮(じょうぐう)天満宮を皮切りに、高槻の由緒ある社寺を巡り、大阪府名勝「摂津峡」を散策して神峯山寺(かぶさんじ)へ。東海自然歩道を歩いて上の口バス停より高槻市営バスで高槻駅に帰着し解散。参加者は78人+アルファ。
反省会は餃子の王将・高槻市役所前店。

コース・タイム
9:36JR高槻駅10:15_10:23上宮(じょうぐう)天満宮鳥居(西国街道沿い)_10:25天神町一丁目(交差点)_10:26社頭参拝所_10:30野身神社_10:33絵馬堂・ふるまい酒_10:39上宮天満宮本殿参拝_10:47天神町一丁目(交差点)_10:50青い鳥幼稚園前_10:54天神山の遺跡(案内板)_11:03奥天神町一丁目自治会館前_11:09フレンドマート前_11:16真上東公園前_11:20名神高速道路に架かる天王谷跨道橋を渡る_11:26緑が丘公園・休憩11:35_11:39服部図書館前_11:41地蔵堂(浦堂本町24)_11:43安岡寺(あんこうじ)表参道寺標_11:45安岡寺寺標_11:46総門_11:47女坂分岐_11:48安岡寺本堂_11:48青梅観音堂_11:51叶観音堂_12:02安岡寺裏参道_12:10神服(しんぷく/かむはとり)神社12:14_12:16高槻文化教室前_12:17聞力寺(もんりきじ)前_12:20摂津峡大通り出合い_12:27三好長慶ゆかりの芥川山城(案内板)_12:33美人湯祥風苑前_12:35芥川に架かる塚脇橋を渡る_12:37名勝摂津峡(石標)_12:38摂津峡公園桜広場・昼食・甘酒ふるまい13:20_13:27車止め_13:30山口誓子句碑_13:33茶屋跡_13:34八畳岩_13:36屏風岩_13:39白滝_13:40山頂広場分岐_13:43白滝茶屋前_13:53民謡藤本秀摂会本部前_13:54慶住院前_13:58芥川に架かる摂津大橋を渡る_14:00芥川山城跡入口_14:02芥川漁業共同組合前_14:04東海自然歩道分岐_14:23原老人憩の家・休憩14:30_14:32八阪神社分岐_14:33高槻市農業協同組合原支店前_14:35芥川に架かる大森橋を渡る_14:39どぶろく原いっぱい前_14:40右神峯山寺道(道標)_14:46勧請掛_14:53仁王門_14:55神峯山寺(かぶさんじ)本堂_15:03本山寺・川久保分岐_15:03東海自然歩道(通行止め)分岐_15:22牛地蔵_15:23新名神高速道路・工事用車両出入口_15:32原立石バス停前_15:33東海自然歩道分岐_15:37上の口バス停15:42_<高槻市営バス>_JR高槻駅 ★反省会 16:19餃子の王将高槻市役所前店17:26

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。JR高槻駅から高槻市営バス上の口バス停まで。



蛙股池。曇っているが風はなく寒さをさほど感じない。


この日の集合時間は午前10時だったが、高槻駅には9時過ぎに到着した。
駅前の観光案内図を見る。この地図では、「伊勢寺・能因塚コース」、「桜の園コース」そして「霊峰への道コース」の3つのコースを組み合わせたようなコースを今日は歩く。
尚、駅前の観光案内所は、この日(3日)までお休みだった。以前から高槻市ハイキングコースマップを入手しょうとしていたが、この日も入手出来なかった。



ハイキングの受付の様子。参加費300円。事前予約不要。この日は帰路のバス代200円も一緒に支払ったので合計500円。通常バス代は220円だが、高崎を歩こう会が事前に昼間割引回数券を購入していたので200円の支払い。しかしバスに乗車したのは、昼間割引の時間帯午後3時30分を過ぎていた。通常料金との差額20円は高槻を歩こう会が支払った。


10時過ぎ、この日歩くコースの説明を聞く。リーダーはお馴染みの植畑さん。この日の参加者は78人+アルファ。+アルファというのは、集合時間10時を過ぎて来られた人で、配布されるマップに通し番号はない。受付自体は10時15分までされていたと聞く。この会はルールに厳しい。


1月8日(金)19:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

みえ歴史街道ウォーキング・マップをget

昨年、12月27日おおばこの会の例会で、「伊勢表街道(阿保越)パート1」を歩いた。
その折、行きの電車の中でご一緒したM氏より、三重県が発行しているウォーキング・マップ「みえ歴史街道ウォーキング・マップ」の存在を知った。
マップは全13巻あって、そのうち配布が終了した3巻を除く10巻が無料で入手出来る。

昨年末、三重県環境生活部に、郵送の切手代(全10巻分460円)を同封し、マップ希望の旨依頼したら送付されてきた。
A5(A4の半分)サイズで持ち運びに便利。道標や常夜燈などがカラー写真で載っており、おおいに利用したい。

ウォーキングマップ冊子のラインナップ
1.東海道(配布終了)
2.伊勢街道
3.大和街道
4.伊賀街道・奈良街道(配布終了)
5.伊勢別街道・伊勢本街道
6.初瀬街道
7.和歌山街道・和歌山別街道
8.朝熊岳道・二見道・磯部道
9.青峯道・鳥羽道
10.美濃街道・濃州道・八風道
11.巡見道
12.巡礼道・菰野道
13.熊野脇道(配布終了)


みえの歴史街道















1月7日(木)18:37 | トラックバック(0) | コメント(5) | ウォーキング・散策 | 管理


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