山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2018年6月を表示

(続き)本光明寺_村屋神社_脳梗塞予防講座

脳梗塞の民間療法薬を作る作業手順。
K氏宅、作業場にて。



ビニールの袋に入っているのは蕗(ふき)の葉。
さぁ、これから頑張るぞっ!!



蕗の葉をちぎる。
葉の筋(葉脈と呼ぶらしい)は残す。画像左。
一人4枚、蕗の葉を使用する。
私は5枚使った。
まずは、すり鉢の中に2枚投入し、左手で左回し(時計回りと逆)に潰す。
折を見て残りの3枚を追加した。画像右上。



13:36撮影。
すり潰しを始めて21分経過の状態。(13:15開始)



皆さん、思い思いのやり方で、作業を続けておられる。
私は腰がだるくなってきた。
腰がだるかったのは作業をしている時だけ。
幸いにも左腕や肩は、当日や翌日も特に不都合はなし。



6月6日(水)18:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

本光明寺_村屋神社_脳梗塞予防講座

2018年6月3日(日)は、こばこの部に参加した。
タイトルは「大和国中(くんなか)の道~笠縫から柳本へ」。

<概略>
近鉄橿原線笠縫駅に10時半に集合。
田原本町千代(ちしろ)の本光明寺(ほんこうみょうじ)と、隣接する春日神社を訪問。
続いて田原本町笠形(かさがた)の春日神社へ。
更に田原本町蔵堂(くらどう)の村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)境内にて昼食。

午後からは天理市内のK氏宅にて脳梗塞の民間療法薬を作った。
この作業に約2時間強かかった。(13:15→15:26)
その後、K氏宅にてお寿司をご馳走になり、最寄のJR桜井線柳本駅から帰路についた。

<コース>
近鉄橿原線笠縫駅_近鉄橿原線の踏切を横断_石柱(寺田鹿×)_常夜灯(太神宮 春日大明神 金毘羅大權現 文化七年 九品寺村講中)・祠(石仏)_多村道路元標_寺川に架かる橋を渡る_地蔵尊・庚申塚_R24千代(ちしろ)交差点を横断_本光明寺(ほんこうみょうじ)・春日神社_石碑(孝子庄右衛門誕生地 昭和三十年十月尚歯会)_祠_地蔵尊・庚申塚_春日神社(笠形)_中ツ道道標1(<西> 天保九戊戌年 西國同行中 家内安全 <南>南無佛 三界萬× <北> 右 かうや道 左 三わはせ <東> いせ)_中ツ道道標2(右 ならみち 左 保う里うし / 梵字 西國遍路供養)_村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)・昼食_常夜灯二基(大神宮 金刀比羅大権現)_しきのみち はせがわ展望公園9号・トイレ_淨福寺前_蔵堂児童公園<石柱(蔵堂 三濱本家宅地)・發王地大神 梅龍王大神>_<徒歩>_K氏宅にて脳梗塞の民間療法薬作り_<徒歩>JR桜井線の踏切を横断_JR桜井線柳本駅

<その他>
・参加者総勢18名(15+ウォークなし2+K氏)
・実歩行距離約15km。(自宅~最寄り駅等を含む)
・歩数2万1千歩。

画像はこの日歩いた近鉄橿原線笠縫駅からJR桜井線柳本駅までのGPSログを表示。



笠縫駅前、北東のT字路に建つ常夜灯と祠(右)。
竿に「太神宮 春日大明神 金毘羅大權現 文化七年」、土台石には「九品寺村講中」と刻銘。
常夜灯は壁で囲われている。
ネット情報によると、昭和60年の時点では、毎晩、交代で灯を点していた。
右の祠には石仏が祀られている。(画像左下)



本光明寺(ほんこうみょうじ)境内の池に祀られている石仏。
将軍地蔵、或いは勝軍地蔵とも呼ばれている石仏かもしれない。

本光明寺の“光明”は光明皇后が開かれたお寺であることを表している。
話せば長くなるが、元は天理市石上平尾山に、光明皇后が補陀落山観音院本光明寺を開かれた。
その後、第51代平城天皇の御子阿保親王が場所を天理市石上町、現:在原神社に移し、本光明山補陀落院在原寺と改名。
江戸時代の中頃以降、天理市森本の東方にあった、元:大光明寺が本光明寺の寺号を譲り受けた。
明治十四年に盗賊が入って住僧が殺害され、その後衰微して廃寺となる。
明治二十六年、十一面観音(重文)などの安置物は本山の西大寺(奈良市西大寺)に搬入。
明治末期に、西大寺から磯城郡多村千代八条(ちしろはっちょう)の勝楽寺跡地に迎え入れられ、寺号を本光明寺に改名。

在原寺跡/天理市
本光明寺の十一面観音/田原本町



石碑。
「孝子庄右衛門誕生地 昭和三十年十月尚歯会」。
江戸時代の孝子説話。

江戸時代孝子列伝 大和国八条村の庄右衛門
「孝子庄右衛門誕生地」の石碑



中ツ道と橘街道の辻に立つ道標。
「<西> 天保九戊戌年 西國同行中 家内安全 <南> 南無佛 三界萬× <北> 右 かうや道 左 三わはせ <東> いせ)」。



6月6日(水)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

二ノ瀬ユリ_貴船山_魚谷山_奥宮47

堰堤が現れる。
この手前で、更にM氏、Yさんに追いついた。



堰堤を越える。


下山地点の貴船神社奥宮WCに到着。
M氏、Yさん、F氏、Mさんと私、ほぼ同時間に五人揃って下山。



正面の建屋がトイレ。


ここからは車道に沿って叡電貴船口駅まで歩く。
以後、山道はない。



6月5日(火)20:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

二ノ瀬ユリ_貴船山_魚谷山_奥宮46

イメージとして真下を見ている感じ。
これが出発の時に聞いた「ザラ谷」。
こんな急斜面でも、九十九折に下らず、直に降りる踏み跡が右にある。



赤の矢印を見て降りる。


渡渉する。
この手前で先行していたF氏とMさんに追いついた。
F氏は下りがやや苦手らしい。

一方、Mさんは登りも下りも“快速”の名がつく通り、ガンガン進む。
F氏は私と同世代だと思うが、Mさんはおそらく30歳代だろう。
年令がまったく違うので、私達とは比較にならない。

Mさんは私が追いついてくるのを予想していたという。



簡易水道用の施設だろうか。
いずれにしても、これがあるということは下山地点は近い。



パイプが散見される。
トイレ用の水とは思えない。



6月5日(火)20:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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