山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2019年2月を表示

長尾街道4(當麻寺_忍海)5

歳月 人を待たず
人間の尊さにめざめ 自分の生活も他人の生活も大切にしましょう (生活信条)

無常迅速(むじょうじんそく)
刻不待人(ときひとをまたず)
全てのことは一瞬たりとも停まることなく、無情にも時々刻々、移り変っていくものなのです。
「生死事大 無常迅速 光陰可惜 時不待人」
今年は亥の年ですので時の字を刻にしました。

生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人



来た道を長尾街道へ戻る。


葛城市農村広場を通り葛城市當麻庁舎前の交差点に出る。


石造物が目に留まったので立ち寄る。
道標もしくは石碑?
仏花を退けてみたが、文字は磨耗して読めず。



場所柄、道標だろう。
引き下がって、もう一度撮影。



2月3日(日)18:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道4(當麻寺_忍海)4

受福寺という地図に載っていないお寺を探していたら、北方向にお寺らしき建物を発見したので向かってみる。


クルマ一台がやっと通れる細い道を歩く。
お寺は左側の白壁。



「臨済宗 受福寺」の表札が掛かっている。


「普陀落山(ふだらくさん) 受福寺」

二上山・葛城山を西にま近く仰ぐ当麻(たいま)の里に、小じんまりと清らかな尼寺“受福寺”がある。
近鉄の当麻寺から三、四分のところにあるこの当麻寺を訪れた人は、生きた、本当の尼寺を見出し得た喜びを感じるであろう。
民家とまちがえるような門構えを入ると、庭も本堂も庫裏も実に掃除がゆきとどき、清浄な尼寺という感にうたれる。
“訪れる人を心から歓迎して隔てを作らぬ”庵主さんの態度もうれしいものである。
この寺の清らかなたたずまい、この尼僧のさっぱりした人柄も、この寺が臨済宗妙心寺派に属する禅宗の寺であるときけば、なるほどとうなづく人もあろう。
住職の中津祖薫さん、その弟子の祖祐さんは禅宗の尼僧としての修行を積んだ人であり、傍ら茶道(裏千家)と花道(山村御流)を嗜み、また教えている。
この受福寺は今から約百八十年前、寛政二年(一七九〇年)に創建された。
本尊は契(ちぎり)観音。
------和歌浦の漁師の網にて海中からあげられたが、その漁師の夢枕に、「この観音を一寺に安置すれば願いごとは必ずかなえられるであろう」とのお告げがあった。
そこで漁師や村人はこの観音を背負い、高野街道を通ってこの寺に安置したという。
以来、この“願いごとが必ずかなえられる”という霊験のあらたなる故に契観音と呼ばれている。
受福寺創建の際の導師は慈雲尊者(じうんそんじゃ)である。
当時尊者は七十三歳、葛城山中の高貴寺におられ、学徳兼備(がくとくけんび)の高僧で、朝廷をはじめ道俗(どうぞく)の尊信をあつめておられた。
高貴寺から平石峠を越えて来られたのであろう。
次に、当時第七世の祖栄尼は、幕末の勤皇歌人(きんのうかじん)であり、天誅組(てんちゅうぐみ)の志士でもあった伴林光平(ともばやしみつひら)に和歌を学んで、その歌集も遺(のこ)しているが、幕府の追求から光平を寺にかくまったこともある。
この関係から光平の筆蹟が当寺にかなり遺されている。



扉を開けて境内に足を入れると、横笛を演奏する音が聴こえた。
尼さんが奏でているのだろう。
静寂そのもので、皆でワイワイガヤガヤ境内に立ち入るのは、さすがに気が引けた。
ここで退散することに。



2月3日(日)18:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道4(當麻寺_忍海)3

お地蔵さんの足元。
土台となっている石はお地蔵さんに使われている石と違うように見える。



力石?
力石 - Wikipedia
何か文字が刻まれているようだが判読出来ない。



“嘉永”の銘が刻まれている。
お地蔵さんとの関係は不明。

無縫塔(むほうとう)と呼ばれ僧侶の墓石として使われるタイプの石塔。
塔身が卵形という特徴があり「卵塔」とも呼ばれる。

他のところにあったものを、何かの都合でここへ運び安置したのかもしれない。



地蔵堂を後にして更に南へ向かう。
撮影した画像は朝日を浴びて逆光となっている。



分岐で右折して西方向へ歩く。


2月2日(土)18:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道4(當麻寺_忍海)2

西方向、民家の向こうに金剛山系が姿を現す。

画像中央、クルマが駐車している左奥に地蔵堂のような小堂が見える。



辻に建つお堂。なかなか良い雰囲気。

川砂を敷いて美観にも配慮されている。
アスファルトだったら味気ない。



お堂の前に立つ道標。
「××右 つ本゙さか よしの 加うや道 / ×三年 / 二月吉日」。



常夜燈。
“元文”の銘あり。

※元文(げんぶん)は、享保の後、寛保の前。1736年から1741年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇。将軍は徳川吉宗。



“ドレスアップ”されているので、分かりにくいがお地蔵さんだろう。
新しい仏花が供えられている。



2月2日(土)18:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道4(當麻寺_忍海)1

2019年1月24日(木)は、ササユリの会に参加した。
タイトルは「長尾街道パート4~当麻寺から忍海駅へ~」。

<概要>
スタートは近鉄南大阪線当麻寺駅。ゴールは近鉄御所線忍海(おしみ)駅。
過去、部分的には歩いたことがあるが、当麻寺駅から以南の長尾街道を通して歩いたことはなかった。

長尾街道は奈良県側では下記の通り“下市街道”と呼ばれているようだ。

告示番号: 奈良県告示第30号
告示日: 明治26年3月22日

下市街道
吉野郡下市町大字下市ヨリ起リ木葛上郡葛村大字奉膳ニテ中街道ニ接シ同村大字戸毛ニテ同街道ヲ分岐シ同郡御所町葛下郡盤城村大字長尾ヲ経テ葛下郡二上村大字田尻ニテ河内國界ニ達ス

また、葛城市南今市に設置されていた説明板には長尾街道について下記説明書きがあった。
・長尾街道…大阪・河内から国分街道を越えて御所方面へと結ばれていました。

今回、長尾街道のシリーズを歩いているが“国分街道”という呼び名は初耳。
長尾街道の別名だろうが、長尾近辺では国分街道と呼んでいたようだ。
同じ一つの街道であっても、地域によってその呼び名が違うことはよく知られている。

<コース>
9:32近鉄南大阪線当麻寺駅10:02_中将堂本舗前_近鉄南大阪線の踏み切りを左(東)に見て直進(南)_熨斗(民家の表札)_地蔵堂・道標(××右 つ本゙さか よしの 加うや道 / ×三年 / 二月吉日)・常夜燈・力石?_受福寺_葛城市農村広場前_葛城市當麻庁舎前_石造物(道標or石碑?)_磐城駅前_竹内街道出合い・長尾神社前_長尾街道交差点を右(西)_光照寺前_葛城禅寺_長尾街道を南へ_ガレージライド前の辻 東南角地のブロックに転用された道標(右 つ本゙さか よしの 道)_葛城市立磐城小学校前_JAならけん 当麻支店前_案内板(葛城市南今市案内板)_葛下川に架かる虎橋を渡る(暗渠)_今市地蔵堂・道標を兼ねた地蔵菩薩像(法界菩薩 地蔵尊 つ本゙坂へ三里)・石柱(大磯虎女旧跡地)・説明板(大磯虎女の旧跡)・庚申_石碑(孝女碑)・説明板(本朝二十四孝 伊麻女の史跡 孝女於伊麻畧傳)・トイレ_石鳥居・五重塔・常夜燈_説明板(現徳寺)_道標(本朝二十四孝伊麻石碑 是より十間西にあ里 / 安井清三郎石工寄附 / 指の絵図?)_現徳寺・石柱(蓮如上人御遺跡)・案内板(保護樹木・松柿)_石柱(遥拝所 / 大正四年御即位式記念)_道標(右 大坂 さかい 道 世話人 ×土撰 / 文政六未八月年立之)・常夜燈(太神宮 / 金毘羅大権現 / 春日社 / 文化六己巳年×)_「老人ホーム当麻園」西の道を南へ歩く_道標(左 かうや よしの つ本゙坂 道 / 文化十癸酉年 十一月下旬 世話人 × / 爲太田村南久蔵)_西川石材本店前_太田東交差点でR166高架下を潜る_太田川に架かるくぼばしを渡る_常夜燈(太神宮)_常夜燈(大峯山)_中戸鈴原交差点を南へ_柿本川に架かる橋を渡る_屋敷山公園バス停前_11:54屋敷山公園・昼食12:38・新庄城址・説明板(史跡 屋敷山古墳)・案内板(屋敷山古墳出土の竪穴式石室天井石)_県道30号線の地下道を通る_住吉神社_常夜燈(八幡宮 / 文化四丁卯年 / 世話人 枚岡氏)_葛木御縣神社_道標(右 大坂 さかい 世ハ人)_葛城市公民館桑一分館・覆屋(弘法大師像・役行者像)_バッタリ床机(しょうぎ)_エポックかつらぎ店前_西辻神社・葛城市公民館西辻分館_浄信寺_葛城市西辻コミュニティセンター前_忍海酪農組合前_常夜燈(太神宮 / 天保十己亥七月吉日)・祠(地蔵菩薩)_安位川の左岸を下る_おしみ薬局前_石仏二体_角刺(つぬさし)神社・忍海寺(にんかいじ)・説明板(分水石と九平さん)・説明板(鏡池/かがみのいけ)_葛城博物館前_安位川に架かるトの前橋を右に見送る_近鉄御所線の踏み切りを横断_14:04近鉄御所線忍海駅

<メモ>
・参加者総勢: 13名。
・コース歩行 (当麻寺駅~忍海駅までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約9.8km。
 所要時間: 4時間5分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの正味歩いた時間と推測距離)
 推測距離: 約14.6km。(0.67m×21,830歩=14,626m)
 歩行時間: 3時間26分。
 歩数: 2万2千歩。
・反省会: きはる橿原神宮店(橿原神宮前駅構内) 参加:8人

画像は近鉄南大阪線当麻寺駅から近鉄御所線忍海駅まで歩いたGPSログを表示。



当麻寺駅前に設置されていた「二上山・河内飛鳥周辺ハイキングコース」。
この日は当麻寺駅から南へ歩くが、この地図は二上山・河内飛鳥周辺なので、まったく記載されていない。
それは仕方がないが、長尾街道の表示がないのは寂しい。
まぁ、一般のハイカーは長尾街道を歩かないのだろう。



当麻名物、“中将餅”。
中将堂本舗の玄関先に生けてあったロウバイの花。



ロウバイの横には、早くも菜の花が生けてあった。
この後、町の中を抜け郊外に出ると、畑でも見ることが出来た。



当麻寺駅から南へ歩く。
当麻寺駅は御馴染みだが、南方向は初めて歩くことになる。

この先、“熨斗”という苗字の表札が掛かったお家があった。
珍しい名前だと、皆さんと話した。

【名字】熨斗 によると「現福島県西半部である岩代に熨斗戸村がみられる。近年、奈良県に多く殊に北葛城郡當麻町に多数みられる。」
とある。尚、當麻町は現在、市町村合併で葛城市となっている。



2月1日(金)18:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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