矢田山磨崖仏_金勝寺17 |
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| 祠。「丹生社」とあった。鉱物が出るのかもしれない。禁足地になっていた。
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| 松尾寺、入山の注意書き。
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| 大歳神。ここまで来ると、私にはお馴染みの場所。
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| そして、佐吉の千手観音。光不足なので、フラッシュを焚いた。
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| 千手観音が祀られた楊谷観音の祠から三重塔を眺める。
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8月9日(土)08:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺16 |
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| 辿りついた先には、石仏が集められた一角があり、「松尾寺西墓地」と呼ばれているようだが、昔の墓地なのだろうか。五輪塔は最近、建てられたもの。
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| 中央の笠塔婆、T氏によると、文安三年(1446)の銘がある。笠石は行方不明。
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| 来た道を分岐まで戻り松尾寺へ。
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| 鋭い切通し。松尾峠。
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| ここも初めて歩くが、松尾寺の境内に入ったようだ。
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8月9日(土)08:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺15 |
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| 「左 まつのをさん」だろうか。「文化五辰八月」の銘。
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| 石仏を撮影するF氏と、石仏に見入るYさん。
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| 鬱蒼とした山道を歩く。
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| 分岐。白石畑から歩いて来た。道標は「松尾山山頂・矢田寺」しか示していない。
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| しかし、我々は道標に示されていない薄い踏み跡を辿る。
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8月8日(金)21:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺14 |
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| 石仏が二体現れる。かなり埋もれている。
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| よく見ると、分岐になっていた。薄い踏み跡が続くようだが、この日は踏み込まず。
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| 道標。歩いている道は近畿自然歩道だが、「自然散策うるおいの道」でもあるようだ。
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| ここでM氏の願望、つまり歩きよい道を歩くのではなく、少しぬかるんでいそうな“試練の道”を歩くことに。
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| これまた埋もれてしまった道標。まだ新しいようだ。
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8月8日(金)21:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺13 |
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| 右方向への踏み跡の分岐地点に祀ってあった石仏。お地蔵さん。
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| その先に石仏があったので、近くまで寄ってみたが六地蔵だった。この先にお墓があるのかもしれない。
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| 車道に戻る。ここは近畿自然歩道になっていた。
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| やがて車道から離れて地道に入るが、こちらが近畿自然歩道。道標によると松尾山・松尾寺0.9km。
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| 暫く歩きよい道が続く。
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8月8日(金)20:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺12 |
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| 石仏の数だけ湯呑みが用意されているようだ。左は撮影中のF氏。
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| 立派な祠。
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| 祠の中を覗いたが、弘法大師なのかもしれない。
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| 休憩後、松尾寺に向って歩く。画像は神社跡?
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| 右方向に踏み跡があった。今になって思えば、この踏み跡が、先程紹介したサイトの、その昔、白石畑から斑鳩小学校まで歩いて通学した古道の入口なのかもしれない。
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8月8日(金)20:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺11 |
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| 白石畑(しらいしばた)の集落。ここを訪れるのはこれが初めて。
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| 最近、よくある地元が運営している乗り合いバス。白石畑は行政区としては斑鳩町と平群町の2つに分かれるようだ。そして、白石畑の名前が住所名として残っているのは平群町で、斑鳩町の白石畑は斑鳩町大字法隆寺となっていた。
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| 白石畑公民館、安楽寺となっている。ややこしいが、ここの住所は斑鳩町大字法隆寺。 ネット検索すると、昔、白石畑から斑鳩小学校まで歩いて通学した古道があるらしい。一度、歩いてみたいものだ。 ※斑鳩大事典補考 http://www.d4.dion.ne.jp/~s.kage/k-345.html
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| 白石畑公民館、安楽寺に祀られていたお地蔵さん。
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| こちらの方が古いようだ。
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8月7日(木)21:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺10 |
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| 干瓢。大きい。近辺の畑では、干瓢を見たことがない。この先の集落、白石畑の人が育てているのだろう。
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| こちらは茄子だが、周りに雑草が目立つ。
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| 前方に家屋が見えてくる。
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| 道は集落の中へと続いていた。この道も知っていなければ、到底歩けない。
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| 歩いて来た小路を振り返って撮影。
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8月7日(木)21:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺9 |
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| 再び耕作地が現れる。新緑が映える。
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| 獣避けの電線に気をつけながら、田んぼの畦道を歩く。
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| 生駒山方向の眺め。少し霞んでいる。
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| 撮影ポイント。
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| ポーズを決める皆さん。
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8月7日(木)21:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺8 |
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| 石仏が現れる。観音様だろうが、汚れた涎掛けを取る気になれない。松尾寺が近いので千手観音。
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| 観音様の横にあった石碑。どうにか「志」と読めるが、それ以外は判読不明。
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| 突然、前方が明るくなってきた。
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| 山の谷間に開けた僅かな開墾地に出る。
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| このあたりは耕作を放棄されていた。
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8月6日(水)22:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺7 |
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| 再び歩き出す。このあたり、急登だが長くは続かない。
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| 左に貯水タンクらしきものを見て歩く。
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| 落ち葉が積もった感じのよい山道。
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| 再び道標が現れる。「右 松尾道」。
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| ここでも少し休憩して水分補給。
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8月6日(水)21:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺6 |
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| エリゲロン、別名源平小菊。あまり元気がない。肥料が足りない?雑草のように生えていた。
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| 生駒山地方向の眺め。
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| 小川に沿って山道を歩く。涼しくて快適。
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| 大正八年三月の記銘がある道標。「すぐ 松尾道」だろうか。このような指の形をした道標は、矢田丘陵ではいくつか見られる。
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| 道標のある場所で、少し休憩。
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8月6日(水)20:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺5 |
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| 来た道を戻り、民家の庭先のような場所に出た。ここで犬に吠えられる。
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| 山道はこの民家の脇から続いていた。
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| クリの実。
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| このような道は、知っていないとなかなか歩けない。
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| 集落が見えてくる。下へ降りる。
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8月6日(水)20:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺4 |
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| 三里(みさと)古墳。石棚が見えるが、あまり見かけない。珍しいのでは。
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| 案内板。昭和50年に実施された発掘調査で石棺の周囲から豪華な馬具や金銅装ハート形鏡板のやや実用的な馬具、土器類、武器類、ガラス玉等が出土している。(出土遺物も一括で奈良県の指定文化財) 出土遺物より6世紀後半~末頃の築造と考えられている。
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| 石棺?子供用かな。小さい。
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| 石棚の上に乗ってみるH氏。サングラスがよく似合う。
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| すぐ隣は田んぼになっていた。
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8月6日(水)20:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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矢田山磨崖仏_金勝寺3 |
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| 長屋王墓と矢田丘陵。
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| 矢田丘陵に向って歩く。このあたり旧家が多く見られる。
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| R168(平群バイパス)を横断、三里古墳へ。
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| 船山神社分岐を右に見送る。
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| 北へ歩くと正面に民家があり、三里古墳は道標を見て右へ回り込む。
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8月5日(火)21:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
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