山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年8月を表示

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)25

説明板によると、このあたりモミの天然林となっている。


よく整備された登山道。いかにも東海自然“遊歩道”と云った趣。


「元三大師道(がんざんだいしみち)三十三丁目」と彫られた道標。


ここにも立派な道標がある。「横川 元三大師道」、「→是より三十二丁」。


登山道脇に小さな石仏たちが現れる。


8月16日(日)19:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)24

北山No.10-1の道標。ここも枝番となっている。仰木峠まで5.4km。


居士林齋食道場を過ぎてからは山道となる。


先に奥比叡ドライブウェイを歩道橋で跨いだが、今度はドライブウェイ下のトンネルを潜る。


玉体杉1.7kmの道標。ここから玉体杉まで、50分程度かかった。暫く東海自然歩道を歩くので、歩きよい道が続く。暑さはそれほどでもない。


この山道(=東海自然歩道)は“回峰行道”でもあるが、右に奥比叡ドライブウェイが平行しているので、やや調子抜け。


8月15日(土)20:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)23

釈迦堂を後にする。仰木峠(おおぎとうげ)まで5.6kmと表示されていた。この峠までは、尾根筋歩きとなる。


北山No.9-2の道標。枝番が出てくる。


参道に立つ若山牧水の句碑。
「比叡山の 古りぬる寺の 木がくれの 庭の筧を 聞きつつ眠る」。
“筧”とは、地上にかけ渡して水を導く、竹や木の樋 (とい) 。かけどい。



やがて居士林研修道場が現れる。


玄関まで近づいたら、中では研修中(修行中)だった。表札は居士林齋食道場(こじりんさいじきどうじょう)となっていた。


8月15日(土)20:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)22

寿塔の傍らに祀られていた石仏たち。中央の石仏は灯籠だろう。真ん中の四角は火袋。


石段を降りて「釈迦堂」に到着。

※延暦寺のHPによると、転法輪堂は現在の西塔の中心をなす大堂で、ご本尊釈迦如来を祀ることから、釈迦堂の名で親しまれています。延暦寺に現存する最古のお堂で、元は大津の園城寺(三井寺)の金堂であったものを豊臣秀吉の命により、文禄四年(一五九六)に山上に移築したもので、造営年代は園城寺の記録から南北朝の貞和三年(一三四七)と認められます。細部様式もその頃をよく表しており、根本中堂と同じく天台様式の典型で、内陣は土間中央に本尊を安置する宮殿を壇の上に設けています。



釈迦堂前は広場になっており、ベンチもあったので、時間は11時半で少し早いが、ここで昼食とした。Y氏によると、この後、適当な昼食場所がないとのことで、ここにはトイレもあった。


流石に巨樹が多く見られる。しかし、これらは植林されたもの。


一箇所にまとめて祀られていた石仏群。磨耗が激しい。


8月15日(土)20:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)21

普賢菩薩を本尊とする法華堂。法華三昧を修する。文禄四年(1595)建立。

※デジタル大辞泉によると、「法華三昧」(ほっけざんまい)は仏教用語。法華経を通して真理に悟入する方法。天台宗で、法華経・観普賢経によって真理を観ずること。また、その境地に達するために法華経などを音読すること。



先程の説明にあったように、弁慶がこの廊下を天秤棒にしてお堂を担いだという伝説から「にない堂」と呼ばれている。


廊下を潜ると、長い石段を降りる。石段の正面に見えるのが「釈迦堂」(転法輪堂)。


石段の途中に円戒国師寿塔や幾つかの石仏が見えたので立ち寄る。

※寿塔とは、生前あらかじめ造ったお墓です。この塔は、円戒国師・慈摂大師真盛上人(一四四三~一四九五)が、最初建立された。上人は、西塔南上坊で二十年間修学されていたが、十年間におよぶ応仁文明の大乱でおきた世の惨状を見るに忍びず、遂に意を決し、社会浄化に身を挺するために、三千宗徒との交わりを辞し、黒谷青龍寺へ隠棲されるが、その直前に建てられた。決死の覚悟の表明である。上人建立の寿塔は、元亀の兵災で破壊され、現在の寿塔は、天保十年(一八三九)知恩院二品尊超親王、西教寺二七世真尚上人ら八人が施主となって建立されたものである。



こちらがその寿塔。天保年間に再建。


8月15日(土)20:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)20

「椿堂」の説明板。「椿堂」の名前の由来について記されていた。
Y氏によると、聖徳太子が生きていた時代と、最澄が比叡山・延暦寺を開山していた時代には乖離があるとのこと。聖徳太子(574-622年)、最澄(767-822年)。



「椿堂」の前に掲示されている説明板。

※「御本尊千手観世音菩薩を安置す 昔聖徳太子帝良の郷にみ幸し給ふに艮岳(こんがく)に宝塔を現するを見給い尋ねてこの山に登り給ふ時 堂を建て椿の御杖を堂の傍に立て給ふ この杖枝葉繁茂す故に椿堂といふ」



「椿堂」を後する。谷筋を登ると正面に朱色の二つのお堂が現れる。常行堂(左)と法華堂。画像左の石標には「親鸞聖人旧跡」と彫られていた。


正面に渡り廊下が見える。

※延暦寺のHPによると、向かって右側の法華堂と左側の常行堂が渡り廊下で結ばれていて、この渡り廊下を「にない棒」に見立て武蔵坊弁慶が肩で担ぎ上げたという逸話から「にない堂」と呼ばれています。向かって右側の法華堂は普賢菩薩を本尊としてお祀りし、左側の常行堂は本尊に阿弥陀如来をお祀りしています。



にない堂では「常行三昧の修業中」だったので立入禁止となっていた。

※デジタル大辞泉によると、「常行三昧」(じょうぎょうざんまい)は仏教用語。天台宗で、四種三昧の一。90日間を1期とし、堂内に安置された阿弥陀仏のまわりを常に歩行し、その仏名を唱え、心に仏を念ずる行法。



8月13日(木)21:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)19

道なりに進むと、詩碑がある。「弁慶飛び六法 勧進帳を観て」草野天平の詩。


こちらは「五重照隅塔」。説明書きもなく、どういうものかまったくわからない。

※ネット検索すると、“照隅”という字にヒントがあって「個々人が、思いやりの心を持って一隅を照らす人になる」との願いが込められているらしい。



少し手前へ引き返す。京都トレイルはこの道標(北山No.8)を見て、右に下るのがルートだった。


薄暗い谷筋へ下る。


すると、正面に「椿堂」が現れる。


8月13日(木)21:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)18

H氏が指を指していたのは、このお香。あまり見かけないものだが、どこだったか、見た記憶が薄っすらとある。


Y氏によると、この建物の中で、先ほどの説明板に記されていた“侍眞”が今も修行されている。


浄土院を後にする。画像は参拝者入口の門の左、築地塀の外に置かれた手水。この水が驚くほど冷たかった。


東海自然歩道の道標。玉体杉まで2.1kmとなっている。


この先、西塔地域に入る。

※西塔は東塔からは北に1kmほどのところにある。第2世天台座主となった寂光大師円澄(えんちょう771-836)によって開かれ整備された。西塔の本堂が釈迦堂(転法論堂)。



8月13日(木)21:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)17

参拝者入口の門を入ると、前庭の白砂は掃き清められ、同心円と流紋が描かれている。


参道は石畳となっている。左に見えるのは蓮弁から水が数条の細流となって滴り落ちる多角形の池となっていた。


拝殿。
Y氏によると、一般の参拝者は、大抵ここでUターンして戻るらしい。



ところが、拝殿を右に回り込むと、その背後に御廟があった。


香炉。
香炉の上の方に、H氏が何やら指を指しているのが写っている。



8月13日(木)21:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)16

浄土院の手前に立つ道標。浄土院を観た後、釈迦堂・にない堂へと向かう。


西塔の配置図。椿堂、にない堂、釈迦堂、居士林研修道場を経て、横川方面に向かう。


浄土院(伝教大師の御廟)の説明板。

※ここは比叡山の開祖、伝教大師最澄上人のご廟所で、比叡山中で最も清浄な聖域です。大師は一生を大乗戒担院の独立に捧げられ、弘仁十三年六月四日(八二二)中道院に於て、五十六歳で入寂されました。弟子の慈覚大師円仁が、仁寿四年七月(八五四)この地に中国五合山竹林院を模してご廟所を建立し、大師の御遺骸を祀り、以来ご廟を守る僧侶を侍眞といい、一生山を降りない覚悟で昼夜を分かたず、厳しい戒律のもとに身心を清浄にして、生身の大師に仕えるように、今も霊前のお給仕に明け暮れしています。またご廟前玉垣の辺りには、沙羅双樹と菩提樹が植えられ、極楽浄土の雰囲気がかもし出されています。侍眞は、早暁より薄暮まで勤行と掃除勉学修行に励んで、十二年間山を降りない籠山修行の内規に則って、生活しています。



正面の門から境内を観る。唐門の扉、菱格子の模様が目につく。


正面の門から築地塀に沿って左に進むと、参拝者入口の門があって、門の入口に「浄土院御廟」という表札が掲げられており、その下に、何故、浄土院と称するのかが説明されていた。

「宗祖傳教大師ノ創建ニシテ御自作ノ阿弥陀佛ヲ安置ス故ニ浄土院ト称ス 弘仁十三年六月四日大師入滅ノ後御遺骸ヲ此所ニ葬リ廟堂ヲ建立ス萬治四年徳川家光公之ヲ改造セラル」。



8月12日(水)22:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)15

山王院堂を後にする。石段を降りて、正面に見える奥比叡ドライブウェイに架かる陸橋を渡らずに右へ。


左の道標、「← 法然上人 廿番霊場 黒谷青龍寺 十三丁」。
右の道標、「← 元三大師霊場 本覺院 是ヨリ六丁 」。

※青龍寺、Wikipediaによると、「比叡山延暦寺は東塔、西塔、横川(よかわ)の3地区に分かれ、それぞれがさらに「○○谷」と称される小地区に分かれる。これらを総称して「三塔十六谷」というが、これらとは別に、「三塔十六谷」に含まれない「別所」が2か所(黒谷、安楽谷)ある。青龍寺はこのうちの黒谷別所に位置する。黒谷は西塔の釈迦堂から北に約1.5㎞離れた山中である。青龍寺の位置は京都府・滋賀県境にまたがる比叡山の京都市側にあり、行政区分のうえでは京都市左京区八瀬秋元町に位置するが、住所の表示は延暦寺と同じく「滋賀県大津市坂本本町4220」となっている。開基は天台座主良源(慈恵大師、通称元三大師)と伝える。」



「傳教大師御廟道 → 是より一丁」。


この先、長い石段を下る。


石段を下った正面に見えたのが浄土院。


8月12日(水)22:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)14

山王院堂の説明板。

※詳しくは法華鎮護山王院といい、第六祖智証大師圓珍の住房で後唐院ともいった。千手観音を祀るので千手堂とか千手院の名でも知られるが、圓珍座主の滅後百年、圓珍派と慈覚大師圓仁派の学僧の間に紛争が起こり、圓珍派はここから智証大師圓珍の木像を背負うて大津三井寺(園城寺)へ移住したといわれる。このお堂は歴史上きわめて重要なお堂です。



趣のある石段を登る。


山王院のお堂。「山王院」の表札の下には、「本尊千手観世音菩薩」「六祖智証大師円珍御住坊」と記されていた。


宝篋印塔。宝永三年(1706年)建立。


空海だろう。どういうわけかお堂の横に置かれていた。


8月12日(水)22:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)13

延暦寺の境内に入る。いつの間にか京都府から滋賀県に入っていた。


マルミノヤマゴボウだろう。


北山No.6の道標が現れる。ここは左折し奥比叡ドライブウェイに架かる陸橋を渡る。直進は東海自然歩道で、根本中堂0.6km、ケーブル延暦寺駅1.3kmとなっていた。


橋の下、奥比叡ドライブウェイを走るクルマ。


橋を渡った正面が山王院堂(さんのういんどう)。この先ルートは左だが、石段を登って山王院堂に立ち寄る。


8月12日(水)22:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)12

「鎮護國家」と彫られた石仏碑。

※Wikipediaによると、「鎮護国家(ちんごこっか)は、政府が仏教を利用して内政の安定を図ろうとした政策、または、仏教には国家を守護・安定させる力があるとする思想。」

※世界宗教用語大事典によると、「仏教の教法により国家の安泰をはかること。そのための修法に用いる『仁王般若経』『金光明経』『法華経』を鎮護国家の三部という。奈良・平安の仏教はこれが特色の一つだった。国分寺はこの思想に基づく。」



石仏の彫刻が素晴らしい。惚れ惚れするほど良いお顔をされている。右下に「東郷ハガネ 河合佐兵衛 建立」。また左下には「東京堀切 山岸?久堂作」と彫られている。


こちらの石灯籠にも、「河合佐兵衛」、「東郷ハガネ」の銘がある。

※東郷ハガネと羽山円真のHP
http://ohmura-study.net/006.html

尚、画像に写っている人たちは台湾からの旅行者。



「横川(よかわ) 元三大師(がんざんだいし)近道」。

※Wikipediaによると、「良源(りょうげん、延喜12年9月3日(912年10月15日) - 永観3年1月3日(985年1月26日))は、平安時代の天台宗の僧。諡号は慈恵大師(じえだいし)。一般には通称の元三大師(がんざんだいし)の名で知られる。第18代天台座主(天台宗の最高の位)であり、比叡山延暦寺の中興の祖として知られる。また、中世以降は民間において「厄除け大師」など独特の信仰を集め今日に至る。」



暫く下り道が続く。


8月11日(火)20:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)11

道は左に大きくカーブする。


この先、延暦寺の境内に入るが、境内を見学せずに通過する場合、拝観料は不要。


立派な建造物が見えたので立ち寄る。その手前に幾つかの道標がある。


「左 曹洞宗 宗祖 道元禅師得度」。“得度”の下の字が読めない。この道標を左に下ると、道元禅師得度霊跡に出るらしい。


北山No.5の道標。この後、「延暦寺 西塔(釈迦堂) 約1.2km」へ向かう。


8月11日(火)20:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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