山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年12月を表示

御土居1(京都駅_円町駅)

2016年12月8日(木)は、京の古道シリーズの第14回として、「御土居(おどい)第1回」を歩いた。
御土居はシリーズで全3回に分けて歩く予定となっている。

この日歩いたコースは京都駅から円町駅までの区間。
この区間は御土居の大部分が取り壊され、残念ながら現在ではその遺構をほとんど見ることが出来ない。
よって、この日は御土居とは直接関係のない、周囲に点在する社寺仏閣、石碑、跡地などを見て回った。

御土居の遺構は次回訪れる北西部に比較的よく残されている。
御土居の延長22.5キロメートルは、大阪環状線の路線距離21.7キロメートルに相当する。

参加者は、T氏、M氏、Ki氏、Ku氏、初参加のF氏と私。
主宰のN氏を含め総勢七人。

※御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街を守る堤防として、天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁。 台形の土塁と堀(堀の一部は川、池、沼を利用)からなり、その延長は22.5キロメートルに及び、東は鴨川、北は鷹ヶ峯、西は紙屋川、南は九条あたりにそって築かれた。 土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び、要所には七口を設け、洛外との出入口とした。鞍馬口、丹波口などの地名はその名残。

京都市情報館 京都市 御土居

コース
京都駅_リーガロイヤルホテル京都前_JR線の高架下を潜る_伏見稲荷大社御旅所_東寺_<慶賀門(東門)_北大門_小子坊_金堂前_南大門>_羅城門址_説明板(羅城門跡)_石碑(羅城門遺址)_唐橋羅城門公園_石碑(史蹟西寺阯)_説明板(史跡 西寺跡)_浄土宗西山禅林寺派 西寺(西寺舊跡)前_道祖神社_JR線の高架下を潜る_JR西日本 京都貨物駅前_牛澤串吉前(焼肉店)_七条新千本(交差点)_七条通を横断_西向役行者像_豆之子稲荷_角屋もてなしの文化美術館前_駒札(角屋)_説明板(角屋)_誠の湯・味処 花車・昼食_駒札(輪違屋)_島原大門_駒札(島原)_説明板(島原)_延命地蔵_聖護地蔵大菩薩_五条壬生川(交差点)に架かる横断橋を渡る_京都産業大学むすびわざ館前_石碑(肥後藩屋敷跡)_旧神先家住宅前(京都清宗根付館)_壬生寺_<表門_一夜天神_宝篋印塔_夜啼き地蔵_阿弥陀堂前(歴史資料館)_中院_弁財天_水掛地蔵_本堂_千体仏塔_地蔵尊_三界万霊碑_常夜灯(壬生地蔵尊前 / 延享三丙寅年二月吉日 宿坊 南之坊 取次 何某)_常夜灯(壬生地蔵尊前 / 天保四癸巳年七月 宿坊 何某 取次 何某)_駒札(壬生寺)>_新徳禪寺前_新撰組壬生屯所跡前(八木邸)_新撰組屯所旧前川邸前_京福電鉄嵐山本線の踏切を横断_武信稲荷神社_駒札(平野国臣殉難の地)・六角獄舎跡・記念碑(山脇東洋觀臓之地)_地蔵尊_駒札(三条台若中会所)_三条大宮公園前_駒札(二條陣屋)_神泉苑_<駒札(神泉苑と謡曲「鷺」由来)_駒札(神泉苑)_法成橋_石人(せきじん)>_石碑(東町奉行所跡)_駒札(此付近東町奉行所跡)_二条城西南隅櫓前_駒札(平安宮 式部省跡)_朱雀高校前_千本旧二条バス停前_石柱(出世稲荷跡)_説明板(平安宮朝堂院跡)_石柱(平安宮朝堂院跡)_内野(大極殿)公園_説明板(平安宮朝堂院大極殿跡)_記念碑(大極殿蹟阯)_丸太町七本松バス停前_京都アスニー_御前通を横断_石柱(平安宮西限 藻壁門跡)_説明板(平安宮西限と左馬寮跡・藻壁門跡)_紙屋川に架かる西ノ京橋を渡る_JR山陰本線円町駅

画像はこの日歩いた京都駅から円町駅までのGPSログを表示している。



現代の地図に、御土居の位置をオレンジ色で記入した。その1、京都駅付近。


同じくその2、円町駅付近。


GPSログ記録に、上記2つの御土居の位置を黒色の長方形で加えた。


12月9日(金)18:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

天上ヶ岳_箕面大滝15

石の階段を登る。
瀧安寺への古くからの参詣道だろう。



先程、少し中を覗いた音羽山荘の建物を上から眺める。
紅葉が綺麗。



分岐が現れる。
道標を見て滝道(瀧安寺)方向へ歩いた。(右)



再び分岐となる。
道標が見える左の道を歩く。



四辻の分岐に到着。
ここは野口英世像の方向へ歩いた。



12月8日(木)18:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

天上ヶ岳_箕面大滝14

一の橋まで来たが、橋は渡らずにここでUターンする。

一の橋から箕面大滝まで2.4km。
箕面駅まで0.4kmと表示されていた。

正面の建物は橋本亭。
明治四十三年に建てられた木造三階建ての旅館。



建物の中は電燈が灯っていたが、入口が閉ざされ、休業されていた。


橋本亭



大正時代の写真が掲示されている。


一の橋からの手前からUターンする。
画像右の滝道から、ここへ来た。
左の階段を登って瀧安寺へ向かう。

画像の警備員は、単車や自転車をここから先、進入させないよう、監視しているようだ。



案内図があったが、この日、我々が歩くコースは記載がなかった。
左は箕面国定公園の図で、右はその内、箕面大滝までの拡大図。
どちらも、一般観光客向けで、ハイカー向けの山地図ではない。



12月8日(木)18:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

タマネギの植付

11月末に早生種のタマネギの苗を購入。
土作りをして丁度1週間が経った。

この間、ホームセンターで藁を買い求め、タマネギの植え付けを行った。
画像は購入した園芸用わら2束。



特徴と云うか使用方法、用途。


100本植え付けた苗の一部。


別の角度から撮影。


藁を敷いた後。
藁は1束使った。
この後、畝の底に土を足して、その上に残りの藁を敷く。

昨年もタマネギを植えたが、思うように育たなかった。
今年は「家庭菜園 タマネギの植え付け」でネット検索し、一番上にヒットしたサイトの植え付け方法を参考にした。


家庭菜園 タマネギの植えつけと作業のコツ



12月8日(木)18:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 園芸 | 管理

太閤道_若山_西国街道

2016年12月6日(火)は、北摂の低山を歩いた。
高槻市の磐手橋バス停から太閤道を歩き、金竜寺跡を経て若山に登り、若山神社へ下山した。
その後、西国街道を山崎駅まで歩いた。

太閤道は秀吉が信長の無念をはらす為、そして上手くいけば天下人になれる野心を懐いて、天王山の主戦場に向かうために越えたとされる古道。

登山口まで高槻駅から歩いても30分程度とみられるが、高槻市営バスに乗って磐手橋(いわてばし)バス停で下車した。

下山した若山神社から北、天王山方面は歩いたことがあるが、南方面を歩くのは初めて。

磐手橋バス停付近は、新名神高速道路・高槻ジャンクション橋工事の為、少し道に迷った。
金竜寺跡まで、十三丁の丁石が続き、自然林の中を歩く気持ちよい登山道。
尾根筋に出てからは、穏やかな道が続き、いつの間にか若山山頂に到着。
四ツ辻の手前で、南方向の大眺望(淀川三川合流眺望)が開けた。

四ツ辻を過ぎてからは、新大阪GCフェンスに沿って下る。
フェンスが終わってから、若山神社境内まで、激下りが続いた。
300m程度の低山とはいえ、歩いたことがない登山道は要注意。
この日、ストックを持参して正解。

下山した時間が早く、また当初から少し歩き足りないコース設定だったので、島本駅から西国街道を山崎駅まで歩いた。

参加者はH氏とY氏、そして私の三人。
この日の山歩きはH氏の休日に合わせて企画したもの。
ところが、H氏は風邪気味で体調不良の為、若山神社から帰宅した。

※太閤道
天正十年(1582)6月2日、光秀の謀反により信長が倒れた本能寺の変は、備中高松城を水攻めしている羽柴秀吉に、さっそく報じられた。
秀吉は急いで毛利と和議を結び、7日には姫路に帰城。
「川角太閤記」によると秀吉の作戦参謀、黒田官兵衛は、光秀と天下分け目の合戦をすすめたと云う。
9日に姫路を出発した秀吉は池田恒興や丹羽長秀を加え、13日主戦場になった天王山で、光秀を破り天下人への道を切り開いたのである。太閤道は秀吉が天王山へ向かうため越えたといわれる道。

コース
JR東海道本線高槻駅_<高槻市営バス>_磐手橋バス停_道路工事による道迷い(高槻市安満御所の町2付近)_御所の橋前_説明板(金龍寺への一丁石 高槻まちかど遺産)_一丁石(従是到山上龍池十三丁…)_道標(金龍寺)_説明板(新名神高速道路 高槻ジャンクション橋工事 平成28年11月進捗写真)_道標(金竜寺跡 太閤道コース)_二丁石_四丁石_五丁石_六丁石_石仏(左岸 岸壁)_鳥居_石柱(三好大明神)_七丁石_八丁石_白馬石_道標(磐手橋 金竜寺跡)_九丁石_十丁石_十一丁石_十二丁石_座禅石_十三丁石_龍池?_石仏二体_五輪塔_金龍寺(こんりゅうじ)跡_道標(金龍寺跡 / 磐手橋1.2km / 若山神社3.4km)_石仏_石柱(摂僧大界第七ひょう(てへん+票))_石塔(霊空大和尚遺衣塔)_六角柱石塔(當山開祖千觀尊者塔 / 元文四己未年十月四日)_七重石塔_寳篋印塔(一部欠損)_石柱(摂僧大界第二十ひょう(てへん+票))_悠久(ゆうきゅう)の丘分岐_岩神神社分岐_送電線鉄塔_分岐_反射板_若山山頂 三等三角点315.26m_送電線鉄塔_送電線鉄塔_崩壊地_雨乞いの岩分岐_送電線鉄塔_三叉路_眺望地_自販機_送電線鉄塔_道標(四ツ辻 川久保3.5km 若山神社1.5km_<新大阪GCフェンスに沿って歩く>_案内板(若山神社大阪府自然環境保全地域)_<激下り>_道標(太閤道コース 金竜寺跡3.4km)_若山神社・昼食_<本殿_絵図(淀川三川合流眺望)_百山大神_三好大明神_峯好大明神_天満宮_常夜灯(西八王子社 / 明和四丁亥四月)_社標(祭神 素戔嗚尊 若山神社 創建 大宝元年(701年))>_島本町消防本部前_小野薬品工業研究所前_島本町役場前_島本町立体育館前_JR東海道本線の踏切を横断_旧西国街道出合_道標((東面)右 柳谷 / 左 西ノ宮そうし寺 道 / (南面)右 京 伏見山崎 道)_中堤橋を渡る_大谷 水無瀬出張所(佃煮)_阿弥陀院前_第一小学校前_社標(官幣大社 水無瀬神宮)_水無瀬神宮_<常夜灯_説明板(水無瀬駒について)_石柱(水無瀬駒発祥の地)_駒札(離宮の水)>_地蔵堂_水無瀬川に架かる水無瀬人道橋を渡る_道標(官幣大社 水無瀬神宮 左へ三丁 / 昭和十四年三月×)_道標(柳谷観世音菩薩道 / 明治三十四年六月 是ヨリ三十丁)_関戸町地蔵尊_石山家門前 句碑碑(ありがたき 姿おがまむ 杜若 芭蕉)_石柱(従是東山城國)_関大明神社_<常夜灯(春日社)_常夜灯(関大明神御神×)_説明板(関大明神社)_石碑(十禪師宮)>_説明板(山崎宗鑑)_道標((東)右 西國道 /(南)これよ里ひだ里 大坂みち 橋本わたし / 元禄五年九月十五日)_離宮八幡宮_案内板(山崎の渡し跡 450m)_妙喜庵前_JR東海道本線山崎駅

画像はこの日歩いた島本駅から山崎駅までのGPSログを表示している。



金龍寺(跡)参道の一丁石とみられる。
従是到山上龍池十三丁…。



金龍寺境内跡に残された七重石塔。


四ツ辻手前からの眺望。
(淀川三川合流眺望)



離宮八幡宮の紅葉。


12月7日(水)18:59 | トラックバック(0) | コメント(1) | 山歩き | 管理

天上ヶ岳_箕面大滝13

箕面川に架かる聖天橋を渡ると、箕面大滝へのメインストリートに出合う。
道標に見える「西江寺」方面からここへ来た。



画像は箕面大滝方向。
この後、一旦、大滝とは逆の方向(箕面駅)へ歩く。



箕面川の流れ。
紅葉は見られたが、一部では落葉が始まっていた。



「音羽山荘」。
大正十五年建築の邸宅を改装した寿司会席の料理旅館。

明治の森 箕面 音羽山荘



中を少しだけ覗いてみた。


12月6日(火)20:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

天上ヶ岳_箕面大滝12

道なりに下って行くと、途中に「密教禅 山瞑想場」と記されたところに出た。
イスが何脚か置いてある。



イスと並んで、テーブルのようなところに梵字が彫られている。
梵字は“ア”と読み、「胎蔵界大日如来」を表しているようだ。

撮影した画像の右上に、梵字「胎蔵界大日如来(ア)」を貼り付けた。



更に下ると、「南無不動明王」の幟が現れる。


ここには不動明王が祀ってある。
この先にも梵字が見えたが、鎖が掛けてあったので、中には入らず。
梵字は、「不動明王」を表す“カーン”かと思ったが、そうではなく、先程と同じ「胎蔵界大日如来(ア)」とみられる。

※“ア字”は梵字の中でも、特別な働きをもっており、胎蔵界・大日如来だけではなく、どんな仏様も表せる、オールマイティーな梵字として使われる。



聖天山緑地案内図。
“聖天山緑地”という名前から、ここは「聖天宮 西江寺」のエリアなのだろう。



12月6日(火)20:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

加茂街道・石仏巡礼

2016年12月4日(日)は、こばこの部に参加した。題して「加茂街道・石仏巡礼」。
コースは、御霊神社を皮切りに、木津川市の旧加茂町エリアの古刹を訪れ、地蔵院前にて昼食。
その後、予定を変更して、観音寺峠を越えて鹿背山へ入り、木津駅にゴールした。
当初は鹿背山不動尊を訪れる予定だったが、天気予報通り午後から空模様が怪しくなったのでカットされた。
案の定、JR奈良駅に到着した頃には小雨がぱらついていた。
コースを短縮して正解。
参加者は目測17名。

コース
JR関西本線・加茂駅_新川に沿って川堤を歩く_新川に架かる西光寺橋を右に見送る_地蔵石仏群_新川に架かる灯明寺橋を渡る_御霊神社(燈明寺跡)_<旧燈明寺三重塔跡_脇障子舞楽図_旧燈明寺本堂跡_燈明寺型石灯籠(模作)_梵鐘 貞享五(1688)年_石造十三重塔 鎌倉時代末期>_灯明寺橋を渡る_兎並(うなみ)バス停前_道標(右 なら× 加茂大明神 / 左 いか いせ / 天保十壱年 庚子五月吉日 施主 何某)_新川に架かる薬師橋を渡る_現光寺_薬師寺前_薬師橋を渡る_関西本線の高架下を潜る_新川に架かる新川橋を右に見送る_新川に架かる岡田橋を渡る_道標(左 いか いせ道 / 石標 施 何某 / 天保九年××)_鴨神社(岡田鴨神社)_岡田橋を渡る_木津川に架かる恭仁(くに)大橋を右に見送る_木津川に沿って川堤を歩く_加茂量水標_木津川距離標30.0km 勝田達江 筆_渦之樋樋門_赤田川に架かる橋を渡る_春日神社・勝手神社_残念石_案内板(大阪城修築残念石)_観音寺バス停前_石碑(御大典記念 字 観音寺青年会)_観音寺区集会所前_寺標(浄土宗 地蔵院)_地蔵院・地蔵院前・昼食_地蔵堂_道標(右 やま / 左 きず)_石仏_石仏・一石五輪塔_道標(観音寺峠)_鹿背山元気プロジェクト 里山再生活動現場_地蔵堂_案内図(鹿背山の里 案内図)_道標(左 西念寺)・道標(左 鹿背山城址)_常夜灯(八王子 恵美須 神社 / 国家安泰五穀成就 / 施主 何某 / 大正六年十月吉日)_地蔵磨崖仏(回復地蔵磨崖仏又は貝吹く地蔵磨崖仏)_西念寺(さいねんじ)_鹿背山城址登城口_案内図(鹿背山城跡)_旧鹿背山分校前_石仏群_関西本線の高架下を潜る_道標(左 加茂 かさぎ / 右 ふとう道)_道標(右 ふとうみち)_双石仏_石柱(峠町)_燈籠寺墓地前 地蔵菩薩_井関川放水路に架かる燈籠寺橋を渡る_JR関西本線・木津駅

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。
JR関西本線・加茂駅から木津駅まで。



こちらは木津川市が発行している観光地図。


12月5日(月)19:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

天上ヶ岳_箕面大滝11

本堂には役行者作日本最初の大聖歓喜天が祀られている。

聖天宮 西江寺



ここにも巾着の印。


聖天宮 西江寺を後にする。
そのまま北へ向かって進むと境内の外に出られる。



外に出ると右上に踏み跡があり。展望台へと続いている。
(踏み込まず)



直進すると、山腹を巻く道を通って、箕面大滝へのメイン通り「もみじst.」の聖天橋へ降りることができる。
画像に写っているのは「もみじst.」の「いちのはし」の北詰、駐輪場のあたり。



12月4日(日)19:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

天上ヶ岳_箕面大滝10

こちらにも落葉の絨毯。
社務所の人が落葉を掃き清めていたが、ちょっともったいない気がしないでもない。



魚板に似ているが形は魚ではない。
呼び鈴の代わりに用いる?
木槌で打ち鳴らし、「たのもう」や「おたのもうします」の時に使うのだろう。



本堂への石段を登る途中、境内を振り返って撮影。


本堂。


本堂前のお香立て。
聖天さんのシンボルである巾着の形。



12月4日(日)19:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

天上ヶ岳_箕面大滝9

聖天閣。
客殿とみられる。



五輪塔だろうか。
水輪に水を表す梵字(バ)が彫られた五輪塔は見たことがあるが、この水輪には梵字がいくつも彫ってある。

丁度、境内を掃除されていた社務所の人に話を聞くことが出来た。
専門の人が、珍しい石塔だと、話していたとのこと。
どのような専門の人なのかはわからない。



自然石の手水鉢。
鋭く尖っており印象的!



こちらは宝篋印塔。


落葉が美しい。


12月4日(日)19:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

天上ヶ岳_箕面大滝8

ご神木だろう。
このご神木にも、先程と同じく、二股に分かれたところに、杭のようなものが刺してあり、注連縄はその杭に引っかかっていた。

石碑には、「歡喜天 役小角 出現對談石」と彫られている。
略縁起に記された対談石だろう。

“…大聖歓喜天、出現せられ…境内に安置する対談石はその時、行者が歓喜天に拝答した…”

対談石は二つある。石碑の右にある丸っこい石と、もう一つ、その後にある石。
後の石は画像には写っていない。



蟲塚と彫られた石碑。
年に一度、虫の法要をされている。

境内には、このほかに筆塚、花塚などがあった。



後でわかったが、ここは隠れた紅葉の名所のようだ。
境内には紅葉が沢山植えられている。
観光客の姿はまったくない。



紅葉は幾分、ピークを過ぎていたが、落葉も十分楽しめる。


弘法大師と、西国七福神「大黒天尊」を祀るお堂。


12月3日(土)19:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

天上ヶ岳_箕面大滝7

左の石柱には「萬民豊楽」。
皆が豊かに楽しく暮らせる(ことを願う)という意味だろう。



右の石柱は「宇内静謐」。
世の中が平和で穏やか(なことを願う)という意味だろう。



ご神木と観られるが、二股に分かれたところに、杭のようなものが刺してある。
注連縄はその杭に引っかかっている。
撮影した時は気がつかなかった。
杭の意味は不明。



大辯財天堂。
ここには「弁財天尊」と「役行者尊」が祀られてある。
中を覗いてみたが・・・。



厨子の中に安置されていた。
元旦から三ヶ日のみ厨子の御開帳がある。



12月3日(土)18:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

天上ヶ岳_箕面大滝6

松浦清居句碑
 ほととぎす
   箕面ここより山ふかし



略縁起

 当山は斉明天皇四年(西暦六五八)、役の行者小角の開祖なり。
寺伝に行者この地を開くべく、五香の滝に参籠一代の苦行せられること幾歳月、山獄鳴動して大光明輝き、光彩の中に、大聖歓喜天、出現せられ、当山を日本最初の霊場とし、万民の諸願を成就せんがため、ここに姿を現わしたと伝う。境内に安置する対談石はその時、行者が歓喜天に拝答した伝説を有す。
この地は摂津豊島郡片手村を称したが、これより箕面村と称す。神亀、天平年間より聖武天皇の勅願を受け、両部神道として、摂津國神宮寺と称したが、織田信長の兵火等、再々の盛衰を重ね、明治十九年 神仏分離により聖天宮西江寺と改称し、宮寺として現在に至る。
           箕面山聖天宮 西江寺



「日本最初大聖歓喜天出現霊場」と彫られた石碑。


一旦、境内から出て、もう一方の門から入る。


こちらが正門。
右に、「元摂津国神宮寺 真言宗 聖武天皇勅願所 西江寺」と、左に「日本最初 霊場 歓喜天出現 聖天宮」の寺標と社標。



12月3日(土)18:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

天上ヶ岳_箕面大滝5

歩いてきた坂道を振り返って撮影。

後方から団体さんがやって来た。
よく見るとクリーンハイクの人達。



紅葉が鮮やかなスポットに到着。


扁額に「聖天宮」と記されている。


聖天宮と西江寺

 聖地箕面の玄関にあたる中ノ坂の上に聖天宮があります。それは箕面寺を核にした密教的宗教世界、また寺院で営まれる各種法会の平穏無事と院内安穏を図るために、外界世俗からの障害危難を克服守護する威力神の「聖喜天」を祀ったことに由来します。したがって、こうした聖地の一角に所在している箕面地区では、地域の守護鎮守の神として歓喜天を祀っています。
 摂津の国の神宮寺と称された西江寺には、大黒天像(室町時代)や、木喰以空上人作と伝えられる石灯籠(写真)等、貴重な文化財が残されています。
          箕面市教育委員会



クリーンハイクの皆さんが追いついて来た。
手にビニール袋を持ち、ゴミを拾われていた。
「こんにちは ご苦労様です」。



12月2日(金)18:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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