山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年3月を表示

乃が美

昨日(3/8)、「日本のおいしい食パン名品10本」に選ばれたという店で食パンを買ってきた。
乃が美(のがみ) はなれ 奈良本店で、“生”食パン専門店。

所在地は帝塚山大学生駒キャンパスの向かい。生駒市東生駒1-528-3。
「シャトレーゼ」の東隣で、マンションの一階。

10時30分開店ということで、10時15分頃、車で到着。
ゾロゾロと人が並び始めたので、私達も並ぶことに。



高級「生」食パン専門店で、食パン以外はない。
テイクアウト専門でイートインは不可。



お店のパンフレット。
スライスせずに、手でちぎって食べる。

高級「生」食パンの乃が美 公式ホームページ



これが実物。1斤を2個購入。税別800円。(2斤相当)


今朝(3/9)、手でちぎって焼かずに、何もつけないで、そのまま食べたが甘い。
玉子やショートニングは使っていないようだ。
撮影した画像の通り、市販の食パンに比べヘタの幅が狭い。
市販の食パンはスライスしているので、スライスしていない市販の食パンと食べ比べたいものだ。
また、今度は焼きたてを食べてみたい。

しかし、わざわざ並んでまで買うものかどうか私にはその価値がわからない。



3月9日(水)08:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | グルメ | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)54

伊達町の交差点を横断して更に南へ歩く。
左側(東)にJR奈良線がありJR奈良線と平行して歩いていた。
画像はJR奈良線の高架。



伊達町の交差点を過ぎてから、予定の歩く道より一本東側の道を歩いていたことに気付く。
次の休憩場所である藤森神社に向かって西方向へ歩こうとするが、広大な京都教育大学の敷地があってなかなか西方向へ行けない。
迂回してようやく京都教育大学の正門前を通過。



ほどなく藤森神社に到着。手前の町屋は民家に見えたが、綺麗にリニューアルされている。


藤森神社の石鳥居。


石造鳥居の駒札。

石造鳥居

 正徳元年(一七一一年)の銘有り。この鳥居には額が無いが、むかし後水尾天皇宸筆(しんぴつ)の額がかかげて有り、江戸時代 前の道が西国大名参勤交代の道筋にあたっていたので 各大名は神社前を通る時駕籠からおり拝礼をして槍などをたおして通行しなければならなかった。しかし幕末動乱の時代となりこのような悠長なことでは時代に即しないと 新撰組の近藤勇がはずしたと云われている。社務所



3月8日(火)18:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)53

三叉路になっており左折(南)すると、地福寺の山門が右側(西)に現れたが、立ち寄らずそのまま通過。


やがて名神高速が現れる。高架下を潜る。


付近の住宅地図。所在地は京都市伏見区深草瓦町。


名神高速の高架を振り返って撮影。


伏見区ではよく見られるお化粧?したお地蔵さん。


3月8日(火)18:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)52

少しだけ境内に立ち寄る。
「盥漱(かんそう)水」と彫られた手水舎。右は「華榮井」だろうか。



嘉祥寺の駒札。

嘉祥寺(かしょうじ) 
 嘉祥四年(八五一)二月、文徳天皇は先帝、仁明天皇の菩提を弔うために、その陵の傍らに清涼殿の建物を移して寺とし、年号をとって嘉祥寺とした。開山は真雅。元慶二年(八七八)には定額寺となって官寺の扱いを得、寺域も広大な大寺であったが、平安時代の後期には衰徴して仁和寺別院となり、更に室町時代の応仁、文明の大乱により焼亡した。
 しかし、寛文年間(一六六一~一六七三)に、かつて深草十二帝陵の管理に当たっていた安楽行院を空心律師が再興し、その際、同院境内に聖天尊を祀って嘉祥寺も再興され、更に元禄十二年(一六九九)、勅許を得て本堂が上棟された。
 ただし、再興された嘉祥寺は位置も旧寺域とは離れているため、その名を継ぐだけとなっている。なお、堂内には十一面観音や不動明王像が安置されている。
 俗に深草聖天と呼ばれ、開運招福祈願の信仰がある。
               京都市



嘉祥寺を後にし、深草北陵(十二帝陵)に到着。


この陵には歴代十二代の天皇が祀られている。
一つの天皇陵に一人の被葬者とは限らないようだ。

深草十二帝陵



JR奈良線の踏切を横断。


3月8日(火)18:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)51

京都トレイルの道標が現れる。「東山F27」となっている。
東山コースの伏見・深草ルート(標識F1~F35、9.5km)は、京阪・伏見桃山駅から大岩山を経て伏見稲荷大社に至る新しいルートで、2014年開設された。
奥社で東山コース(標識東山1~74、24.5km)と接続している。
尚、私は東山コースの伏見・深草ルートを踏破していない。

コース & 見どころ〔京都一周トレイル〕



やがて右側に「三施福神 深草聖天(嘉祥寺)」と書かれた案内板を見る。この先、右折。


寺標。「日本最初 歓喜天 深草嘉祥寺」。


左の寺標には「三ヶ所随一 歓喜天」と彫られているようだ。
それにしても、右側の掲示板は手入れがされていない。



門が開いていたが、この日は時間の都合で立ち寄らず。


3月7日(月)21:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)50

霊光寺を左に見て歩くと、「元政上人舊跡 草山瑞光寺」(げんせいしょうにんきゅうせき そうざんずいこうじ)と彫られた道標が現れる。

京都市情報館によると、元政(1623~68)は、彦根藩士であったが出家して、詩人として有名になった。明暦元(1655)年,草庵(竹葉庵)を建て、父母と共に住し、深草山瑞光寺と称した。その墓は境内西隅にあり、遺命により塔を建てず封土の上に元政が好んだ竹を三本立てただけの簡素なものである。毎年3月18日に元政忌が行われ遺品が公開される。この石標は元政の旧跡瑞光寺を示すものである。

元政上人 - 瑞光寺



瑞光寺の駒札。

瑞光寺(元政庵)(ずいこうじ)(げんせいあん)

 深草山(じんそうざん)と号する日蓮宗の寺である。この地は、もと極楽寺薬師堂の旧跡で、応仁の乱により荒廃していたが、明暦元年(一六五五)、元政上人が日蓮宗の寺とし、瑞光寺と名付けたといわれている。
 上人は、京都に生まれ、俗名石井吉兵衛と称し、彦根藩に仕えた武士であったが、後に出家してここに草庵を建て、父母を引き取って孝養に努め、学者、文人、又は孝子として知られるようになった。寛文七年(一六六七)、母親の死の直後に四六才で没した。上人の墓は、境内の西隅にあり、遺命によって竹を三本立てただけの簡素なものである。
 本堂寂音堂(じゃくおんどう)は、丸みを帯びた萱葺屋根の建物で、寛文元年(一六六一)に建立されたものである。
 堂内に安置する本尊釈迦如来座像は、中正院日護の作で、胎内に法華経一巻及び五臓六腑を形作ったものが納められている。
 毎年三月十八日には「元政忌」が行われ、上人の遺品等が公開される。
                京都市



この日は時間の都合で瑞光寺には立ち寄らず、嘉祥寺、十二帝陵へと向かう。


道標に見える「弘法の滝」750mとなっている。「白菊の滝」、「青木の滝」など稲荷山にあるお滝行場の一つとみられる。

深草トレイルMAP



石碑のようなものが見えたので立ち寄ったが読めない。
「摂僧界西北角・・・」。
「摂僧界」とは清浄な領域と普通(もしくは不浄)の領域とを区切る結界のことだろう。

Wikipedia結界



3月7日(月)21:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)49

宝塔寺を後にする。道標。「右 七面瀧 (本)熊鷹瀧 / 道」と彫られている。
七面瀧と熊鷹瀧は下記サイトに紹介されている滝のようだ。
稲稲荷山の「お滝」について
七面瀧
(本)熊鷹瀧

更に下記のサイトにも稲荷山の滝について詳しく紹介されている。
あなたの知らない伏見稲荷山



手持ちの絵図には七面ノ滝、熊鷹本滝として記載されていた。
「伏見稲荷全境内名所圖繪」吉田初三郎 鳥瞰図 1925年(大正十四年) 複製
これらの滝の場所と、道標が設置されていた場所との位置関係が一致する。



暫く歩くと、このような手作りの看板があった。「月とうずらの里」。
この深草の地が昔は月やうずらの名所として知られていたようだ。うずらとは鳥のことだろう。



「深草トレイル 自然観察」の案内板。


そしてこちらは「歴史探訪」バージョン。


3月7日(月)21:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

紀州街道②(井原里_樽井)

2016年3月6日(日)は、おおばこの会の別会、こばこの部に参加した。
紀州街道の第二回目で、南海本線・井原里駅から樽井駅まで歩いた。参加人員は目測18人程度。

紀州街道は大阪と和歌山を結ぶ主要街道。
江戸時代は紀州藩や岸和田藩の参勤交代の街道として使われた。
区間は大阪の高麗橋から和歌山城まで。(明治36年大阪府誌)

この日歩いたのは「孝子越え」と呼ばれる、泉佐野市の鶴原で紀州街道から分岐して、田尻、樽井、尾崎、淡輪と海沿いを進み、孝子峠を越え和歌山に至る道の一部。

一方、紀州街道の本道は、泉佐野市の鶴原で「山中渓」を越えて紀ノ川沿いに和歌山に至る。

街道歩き_紀州街道TOP

コース概略
南海本線・井原里駅_住吉神社_泉佐野ふるさと町屋館_いろは蔵_青空市場_松の公園(泉佐野市営松原団地住宅内)・昼食_羽倉崎夷神社_田尻漁港市場_田尻歴史館_春日神社_日限寺_南海本線・樽井駅

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。井原里駅から樽井駅まで。



3月7日(月)08:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)48

多宝塔。重文。室町時代(1438年を下らず)。
京都市内では現存する最古の多宝塔。
京都市内は応仁の乱で多くの寺院が灰になっている。

京都府の塔 宝塔寺多宝塔



多宝塔から南の墓地に入ると、伏見桃山城が遠望出来た。


墓地から多宝塔とその後に本堂。


来た参道を戻る。
途中にあった旧極楽寺の礎石「伽藍石」。平安時代。



そしてこれは特に説明書きはなかったようだが、“車石”だと思われる。

車石・車道とは



3月5日(土)18:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)47

太鼓楼。


太鼓楼の創建から現在に至るまでの修理等の記録。

元禄五年(一六九二)創建
安永六年(一七七七)修理
昭和六十年(一九八五)葺替
平成十五年(二〇〇三)張替



太鼓楼を潜ると七面宮への参道となる。この日は立ち寄らず。


本堂前から仁王門を望む。


「大本山妙顯寺歴代廟所」と彫られている。
妙顯寺は宝塔寺の本山にあたり、ここには妙顯寺歴代廟所があって墓碑が並んでいる。



3月5日(土)18:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(生駒_上田)

2016年3月5日(土)は、近鉄の「 酒蔵みてある記 上田酒造 嬉長(きちょう) 」に単独で参加した。
途中、Yさんに出会ったが、楽器の演奏仲間のTさんと一緒だった。
その後、酒蔵・上田酒造から帰りの生駒駅までご一緒した。
上田酒造では5種類のお酒の試飲が出来た。その他、甘酒はお代わり自由。
お土産に酒粕を購入。(500g 税込320円)
Yさんはお楽しみ抽選会で2等賞の大当たり―笑。
尚、当日の参加人員は1178名。

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。
近鉄生駒線・東山駅から一分(いちぶ)駅まで。

コース概略
近鉄生駒線・東山駅_まぐわ淵渓谷(通称まんが淵)_平群北公園_見晴橋_野鳥公園前_ひがし山公園前_歓喜乃湯・足湯に浸かって休憩_万葉歌碑_大瀬ふれあい公園・昼食_南生駒駅(トイレ)_竜田川に架かる有里橋を渡る_第二阪奈道路の高架下を潜る_竜田川に架かる陸橋を渡る_上田酒造(酒蔵訪問_試飲)_近鉄生駒線・一分(いちぶ)駅



まぐわ淵渓谷。初めて見た。


案内板。


歓喜乃湯で足湯に浸かる参加者の皆さん。
注)私の足はほとんど写っていません。画像左下に少しだけ写っている―笑。



山乃かみ純米酒。大神神社のササユリから採取した酵母で醸したお酒。


3月5日(土)18:15 | トラックバック(0) | コメント(4) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)46

仁王門の天井に描かれた牡丹の花。
先の説明書きの通り、寛文十年(一六七〇年)と平成十二年(二〇〇〇年)に丹塗、天井画が復原された。牡丹の花は250枚描かれているという。



仁王門を潜ると本堂が現れる。
重要文化財。慶長13年(1608)創建。平成15年(2003)半解体修理。



「七面大天女 寳徳講」と彫られた石柱。

Wikipediaによると、七面大明神(しちめんだいみょうじん)は、七面天女とも呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神。七面天女は当初、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。その本地は、山梨県南巨摩郡早川町にある標高1982mの七面山山頂にある寺(敬慎院)に祀られている神で、吉祥天とも弁財天ともいわれる。伝説によると、日蓮の弟子の日朗と南部實長公が登山して、永仁五年(1297年)九月十九日(旧暦)朝に七面大明神を勧請したと言われている。



高麗門。奥に客殿。客殿の左に方丈がある。


石塔。


3月4日(金)20:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)45

やがて仁王門が現れる。


簡単な説明書きがある。
「仁王門 宝永八年(一七一一年)十八世日実上人代再興 松平紀伊守信庸の助資あり。右、康楷。左、康圃作。寛文十年(一六七〇年)、平成十二年(二〇〇〇年)丹塗・天井画復原」



仁王門の金剛力士像。康楷作の那羅延金剛。(ならえんこんごう)


仁王門より歩いて来た方向を振り返って撮影。石畳の参道が素晴らしい。


仁王門に吊るされていた橘紋の大提灯。
大提灯の下に見える堂宇は本堂。



3月4日(金)20:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)44

「荼毘處」と彫られた石柱。一番下の漢字は「處」の異体字。
なので「荼毘処」。



日像上人は、ここ宝塔寺で荼毘に付された。


「日像菩薩 荼毘霊蹟」。


塔頭、霊光寺。
京都寺社案内 霊光寺〔宝塔寺〕



更に塔頭が続く。
慈雲院。



3月4日(金)20:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)43

七面大明神と彫られた常夜灯。側面には天明六丙午九月の銘あり。


四脚門(しきゃくもん)と呼ばれる総門を潜る。室町時代の創建で重文。昭和十三年修理と記されていた。


宝塔寺の塔頭、大雲寺。(だいうんじ)
「大雲寺 宝塔寺塔頭 七面山御旅所」



同じく塔頭、直勝寺。(じきしょうじ)
本堂まで石畳の参道に沿って塔頭が建ち並んでいる。



観光寺院ではないので、この塔頭も拝観は出来ないが、柵の手前から庭を撮影してみた。


3月3日(木)20:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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