山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年5月を表示

六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)6

突然、目の前に現れた男性。
シャツ、パンツ、帽子、靴、靴下まで青と黒で統一。
素晴らしいコーディネート。感心した。

画像の橋、塩谷川に架かる月見橋を渡って塩谷川の左岸を歩く。



ランナーはあっと云う間、風の如く我々を抜き去った―笑。


今は甲子園大学の矢印を見て歩く。


道標。右は「寳塚不動尊」。左は「寳塚大黒・・・」と彫られている。
比較的新しい時代のものと見られる。
これらの道標が、具体的に何処の社寺仏閣を指しているのか不明。



最近、この花をよく見かける。
アベリアに少し似ている。

※コバノランタナと教えて頂きました。(2016年6月2日)



5月10日(火)20:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)5

鳥の形をした香炉だろう。
自然石で作られている。



祠の観音扉を静かに開けてみる。
十一面観世音が彫られていた。
そして右に「十一面観世音」、左に「潮泉山 塩尾寺」と彫られているようだ。



左から続く道。逆瀬川方面からの参詣道とみられる。


左から続く道から祠と合流地点を撮影。
民家が迫っている。宝塚駅からは祠の向こう側の道を歩いて来た。



付近の住所表示。武庫山二丁目となっている。この“武庫”の名前について、

武庫 - Wikipedia によると、 武庫(むこ)とは兵庫県摂津地方の古地名で、尼崎から兵庫までの沿海部を言う。武庫の名は神功皇后紀にはじめて見え、務古とも書いた。(『摂津郷土史論』『古事記』『日本書紀』)

武器を埋めたところ(『神社考』『元亨釈書』)、椋(むく)のある山(加茂真渕『万葉の解釈』)、御子(みこ)の訛(『住吉大社解状』)、向こうの意(『冠辞考』)など諸説ある。

上古文化の中心地である大和を出、難波から船を出さんとするとき、遥か対岸の地を望んで「向こう」と言ったとする説は無理の無い解釈として一般に認められている。 しかしながら、はるか難波の対岸から見えない場所や河川名にまで、武庫の名がつけられていることから、疑問がないわけではなく、古くからいくつかの説がある。  吉田東伍は「大日本地名辞書」、廣田神社の項で、祭神名天疎向津姫(あまさかるむかつひめ)に関して、向か津は武庫津に同じと指摘していることと、かつて向か津峰と呼ばれた武庫山=六甲山全山が往古、廣田神社の社領であったことは、考慮に値する。摂津国風土記(逸文)は武庫の由来について次のように伝えている。

「(神功)皇后は摂津の国の海浜の北岸の廣田の郷においでになった。いま廣田明神というのはこれである。その故にその海辺を名づけて御前(みさき)の浜といい、御前の沖という。またその兵器を埋めた場所を武庫(むこ)という。今は兵庫という。」

この伝承は、兵庫県の旧家である 北風家が寛政7年(1795年)まで家宝として神功皇后の鎧を伝えていたことと整合する。



5月10日(火)20:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)4

楓の赤い種、プロペラ。


宝塚市のマンホールの蓋。
日本マンホール蓋学会によると、市の花・スミレと周囲は音楽と文化の街のロゴマークである鐘。

宝塚市のマンホール



先ほどのインド料理のレストランの駐車場らしい。一台しか駐車できないようだ。


宝塚市の広報板。こんなにぎっしり掲示されている広報板は見たことがない。
市民参加のイベントや催しが沢山あるようだ。



やがて三叉路となる。左からの道と合流していたが、合流地点に祠が見えたので立ち寄る。「六甲山 武庫山 塩尾寺 十一面観世音」と表示されている。
祠は左からの道に向かって正面に祀られていた。
気になったので、帰宅後、この道を地図で見たら、逆瀬川方面からの参詣道とみられる。



5月9日(月)20:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)3

宝来橋南詰交差点でインド料理のレストランの左に見える細い道を行く。


店を過ぎてすぐ右手に道標が二基立っていた。
「左 塩尾寺 是ヨリ十五丁」。“塩尾寺”は“えんぺいじ”と読む。
刻銘は確認出来なかったが、ネット検索すると、大正時代らしい。



もう一つはその左に立つ道標で「六甲山 / 塩尾寺 / 十一面觀世音 / すぐ十五丁」。


そして左側面(西)には「厄神明王」と彫られている。これも刻銘は確認出来なかったが、先ほどと同じくネット検索すると明治時代。
ネット検索したサイトは、
【宝塚】たからづかの道標その弐: 驕れる人も久しからず



左右に住宅が建ち並ぶ狭い坂道を歩く。


5月9日(月)20:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)2

「ソリオのお地蔵さま」と呼ばれている。
再開発に伴い、周辺に祀ってあった幾つかの石仏をここに集めたらしい。
“ソリオ”とは駅近くにある商業施設の名前。



Y氏によると、元は「島屋」という旅館が建っていた。
今は「島屋 ワシントンホテル」となっている。



武庫川に架かる宝来橋を渡る。


武庫川上流方向(北西)の眺め。


宝来橋を渡ったところにある与謝野晶子の歌碑。

 宝塚にてよめる

  「武庫川の 板の橋をば ぬらすなり かじかの声も 月の光も」  与謝野晶子

     歌碑建立主旨
宝塚市を代表する文化の一つ、宝塚歌劇の機関紙「歌劇」の創刊号に日本を代表する歌人、与謝野晶子の「武庫川の夕べ」と題する歌三首が掲載されていました。与謝野晶子は女性の自立と反戦平和にかかわり貢献した人でもあります。その晶子が夫鉄幹と共にこの宝塚を訪れたことはあまり知られていません。緑連なる六甲、長尾連山とこの武庫川が街のシンボルとして自然が体感できる自然保護に配慮した山や川であることをより多くの人たちと共に願い、私たちの街の劇場文化の発展と武庫川の自然保護を祈念してこの碑を建立するものです。
  平成十一年四月十三日  宝塚ライオンズクラブ会長(第三十七代) 堀本雅也



5月9日(月)20:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲全山縦走①(宝塚駅_宝殿橋バス停)1

2016年5月7日(土)は、第一回目となる六甲全山縦走として、阪急宝塚駅から、芦有(ろゆう)ドライブウエイ、宝殿橋バス停まで歩いた。この区間は「東六甲縦走路」と呼ばれている。
また、近畿自然歩道、そして山陽自然歩道にもなっている。

当初、東六甲分岐点から石宝殿に立ち寄り、六甲最高峰に登る予定だったが、予定時間を過ぎていたので、この部分は次回に歩くこととした。
この日は薄曇で午後から時々晴れ。霞んでいて視界は良くない。

兵庫県勤労者山岳連盟所属の神戸ウオーキング協会が主催した「第22回六甲山分割縦走(4)」が当日開催され、参加者約200人程度と出会った。
幸い私達は食事中だったので、登山道が混雑することはなかった。

神戸ウオーキング協会
リンク切れ注意

今回、初めて東六甲縦走路を宝塚から歩いたが、印象として登山者は多くないように思われる。
歩きやすい登山道が続くが、急な上り下りが所々あったり、石があって歩きにくいところもあった。
宝塚駅から塩尾寺まではアスファルトの急登になっている。
トイレはまったくなかった。
参加者はY氏と私。

コース・タイム
8:51阪急宝塚駅9:16_9:19武庫川に架かる宝来橋を渡る9:20_9:21与謝野晶子歌碑_9:22道標(左 塩尾寺 是ヨリ十五丁)_9:26祠(十一面観世音)_9:28塩谷川に架かる月見橋を渡る_9:29道標(寳塚不動尊)_9:37紅葉ガ丘地域住宅図_9:44甲子園大学8号館前_9:51宝塚市水道局紅葉谷中 配水池前_9:56旧道出合い_9:56塩尾寺休憩所10:01_10:08眺望地_10:13神祠_10:20道標(塩尾寺二丁)_10:21旧道分岐_10:28塩尾寺(えんぺいじ)10:41_10:55砂山権現_11:03生瀬分岐_11:06岩倉山反射板を経て猪谷ゆずり葉台分岐_11:08岩倉山頂11:12_11:15送電線鉄塔_11:17眺望地_11:21ゆずり葉台分岐_11:28赤子谷分岐_11:41岩原山分岐_12:06大谷乗越(棚越新道横断)_12:19奥池分岐_12:27NTTドコモ専用道路出合_12:28古道分岐_12:35大平山分岐(フェンス沿い)_12:39大平山分岐・昼食13:11_13:12大平山頂_13:14大平山分岐13:22_13:28おじぎ岩_13:50船坂峠(清水谷道分岐)_14:03土砂崩れ通行止迂回路_14:26露岩_15:10縦走路分岐点(東六甲分岐点)15:17_15:21白山神社(石宝殿)分岐_15:37宝殿橋バス停15:53_<バス>_16:30阪神芦屋駅

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。宝塚駅から宝殿橋バス停まで。



朝の蛙股池。どんよりとした天気。
天気予報では終日曇りだったが、実際もその通りとなった。



宝塚駅前、夢広場に建つオブジェ。


宝塚観光プロムナードマップとなっている。
地図に記載されている宝来橋を渡り、六甲全山縦走路を歩く。



宝塚駅を後にする。


5月8日(日)18:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

大阪市渡船場巡り_なみはや大橋30

アーケードを抜けると正面に地下鉄中央線の高架。
車道を横断して中央線に沿って右折。(東)



左(北)に大阪市立中央体育館の立派な建物が現れる。


生駒方面行きの電車が到着したが、この電車には間に合わないので次の電車にした。


中央体育館に続いて大阪プールが現れた。
付近一帯は緑が多く八幡屋公園となっている。



大阪プールの東正面が地下鉄中央線朝潮橋駅。
生駒駅で近鉄奈良線に乗り換えて帰宅した。
おしまい。



5月6日(金)18:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場巡り_なみはや大橋29

港区三先(みさき)二丁目の住所案内板を見て北へ歩く。
左に市立三先小学校。
更に北へ歩くと三先公園に出合い、これを右に見送って左折。(南西)



三先商店街を道なりに南西方向へ進む。


八幡屋商店街のアーケードの手前、右側に喫茶店がありテータイム休憩となった。


30分ほど休憩し15時頃、喫茶「カフェ ヒュッゲ」を出る。


八幡屋商店街。
アーケード内に駐輪する自転車。



5月6日(金)18:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場巡り_なみはや大橋28

三十間掘川に架かる福崎橋を渡らずに三十間掘川に沿って右折。
福崎橋の向こうに、先程歩いて来た「なまはや大橋」が見えた。



右手に杉村ゴルフセンターを見ながら歩く。


マンションと見られる高層住宅が現れる。
地下鉄中央線・朝潮橋駅が近いようだ。



花壇に植えられた花たち。


アオイ科のアニソドンテアかも知れない。
自信がない。



5月6日(金)18:12 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場巡り_なみはや大橋27

港区側に到着。下船する人達。


下船してすぐ信号機のない車道を横断。


甚兵衛渡船場、港区側の乗り場を振り返って撮影。


このあたり、大阪臨港線の跡地のようだ。

大阪臨港線 - Wikipedia



やがて三十間掘川に出合う。


5月5日(木)20:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場巡り_なみはや大橋26

大正区側発の時刻表。
14時台は1時間に4便で、これまで乗ってきた渡船と比べると本数が一番多い。



やがて出発時間となったので停泊中の船に乗船する。


最大搭載人員48人。
これまで乗ってきた渡船と比べると小さい。
これは川幅が狭いので、大型船は運航しにくいのだろう。
そのために2隻用意されている。



この船も徒歩で乗船したのは私達だけ。
他の人は自転車と一緒。



尻無川水門。
台風などで押し寄せてくる大阪湾からの高潮をせき止めるためのもの。

尻無川 (大阪府) - Wikipedia



5月5日(木)20:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場巡り_なみはや大橋25

防波堤に描かれた絵。この壁の向こう側が待合所。
そして2階が乗組員の詰所になっていた。



たった今、船が到着したようだ。
下船する人達と出会う。



錦絵「浪花百景」-しりなし漆づつみ甚兵衛の小家」(なにわの海の時空館所蔵)
※「なにわの海の時空館」には行ったことがあるが、その後、閉館されたと聞く。

絵画に描かれている紅葉した木はウルシ科のハゼノキらしい。

しりなし漆づつみ甚兵衛の小家



乗り場には2隻の渡船が見えた。


甚兵衛渡船場の案内板。

甚兵衛渡船場

 昔、尻無川の堤は紅葉の名所でした。「摂津名所図会大成(せっつめいしょずえたいせい)」に、「この河の両堤に黄櫨(はぜ)の木を数千株うえ…紅葉の時節にいたりては川の両岸一円の紅(くれない)にして川の面に映じて風景斜ならず河下に甚兵衛の小屋とて茶店あり 年久しき茅屋(ぼうおく)にして世に名高し」とあります。この甚兵衛渡しの小屋は「蛤小屋(はまぐりごや)」と呼ばれて、名物のしじみ、はまぐりを賞味する人が絶えなかったそうです。大正区側の「泉尾(いずお)」の町名は、元禄15年(1702年)に開発された「泉尾新田」によりますが、その名称は開発者の出身地(和泉(いずみ)国踞尾(つくの)村)に由来しています。(現堺市西区津久野町)
 大正区泉尾7丁目と港区福崎1丁目を結び(岸壁間94m)、朝のラッシュ時は2隻の船が運航しています。
 大正区の花「つつじ」      大阪市



5月5日(木)20:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場巡り_なみはや大橋24

千歳渡船場、北恩加島側乗り場を振り返って撮影。
渡船が運航しない時は、防波堤の扉は閉められるのかもしれない。



ボタンだが、このような黄色はあまり見かけないように思う。


新千歳バス停前を通過。
この先の交差点で左折。(西)



目印となる佐川急便西大阪店を右に見送る。


やがて甚兵衛渡船場の看板が現れる。
この先を左へ入る。



5月4日(水)20:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場巡り_なみはや大橋23

船から下船する乗客の皆さん。自転車に乗る人ばかり。


徒歩で乗船したのは私達だけ。


最大搭載人員72人となっていた。


鶴町側の渡船場を振り返って撮影。
頭上は千歳橋。



北恩加島側に到着。
下船する人達。私達もこの後下船した。



5月4日(水)20:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場巡り_なみはや大橋22

大阪市の渡船場案内図。

現在大阪市には8ヶ所の渡船場がある。
※画像の赤枠は私が記入した。

1.天保山(てんぽうざん)渡船場
2.甚兵衛(じんべえ)渡船場
3.千歳(ちとせ)渡船場
4.落合上(おちあいかみ)渡船場
5.落合下(おちあいしも)渡船場
6.千本松(せんぼんまつ)渡船場
7.船町(ふなまち)渡船場
8.木津川(きづがわ)渡船場

この日は上記の8ヶ所のうち、1.2.3.の三ヶ所を巡った。



大正内港を航行する船。


渡船が到着し係りの人が開けるまで台船は立入禁止。


対岸の北恩加島側を出発した渡船がこちらに向かってやって来た。


接岸のロープを持ち、岸壁のビットに掛けようとする乗組員。


5月4日(水)20:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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