山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2017年5月を表示

ごろごろ岳_奥池_東お多福山25

奥山貯水池。
後で地図を見ると、奥池よりこちらの池の方が大きい。

奥山貯水池から東お多福山登山道に取り付くが、初めて歩くので、迷ってしまった。

まず、奥山貯水池の湖畔を歩いてすぐの分岐を右へ行くのが正解だった。
この分岐には、芦屋消防署奥池分署があった。

しかし、右折せず直進してしまう。

奥山貯水池から、東お多福山登山道の取り付きとなる、東おたふく山登山口バス停は南西方向なので、まったく見当違いではなかったのだが。



奥池南町の住宅地に入る。

画像ではわかりにくいが、これは黄色のシャクナゲ。
黄色のツツジは知っているが、シャクナゲは記憶がない。



ピンクのシャクナゲだが、左上は八重っぽい。


住宅地の中は袋小路になっていて、西方向へ抜ける道がない。


道なりに下って芦有ドライブウエイに出てみることにした。

今、地図を見ても、上記の消防署のところで右折しなかったのがまずかった。



5月7日(日)20:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ごろごろ岳_奥池_東お多福山24

昼食後、奥山園地緑地を出発する。

隣の施設は「奥池 あそびの広場」となっていたが、閉園中となっている。
ネット検索すると、今年のGWに期間限定で特別開園していた。

2017年 GWの開園について



歩いて来た方向を振り返って撮影。

どうでもよいことだが、先ほどの道標には、「奥山園地緑地」と表示されていたが、ここでは「奥池園地」となっている。

そして案内板では、駐車場は有料となっている。
ここに遊びに来るには、有料の芦有ドライブウエイを走って、入園料と駐車料金まで取られるらしい



この看板は「奥池園地」。


奥池の隣に奥池と同じくらいか、それ以上に大きい池がある。


その池の名前は「奥山貯水池」。
奥池の隣が奥山貯水池。



5月7日(日)20:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ごろごろ岳_奥池_東お多福山23

ベンチがあるこの近辺で昼食にすることに。
時間は13時少し前。



シダレザクラが見頃。
平地より随分と開花が遅い。



日陰のベンチで昼食タイムとなった。


昼食をした場所は「奥山園地緑地」となっている。


左が奥池。
前方に見える建物は手持ちの山地図ではホテルとなっていたが、現在ではホテルではないかもしれない。

最新の地図ではシスメックスGCCとなっている。
GCCはグローバル コミュニケーション センターの略。



5月6日(土)20:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ごろごろ岳_奥池_東お多福山22

突然、海の如く広い湖?奥池が現れる。
まったく、いきなりという感じ。

池には鯉がおり、私達の方へ近づいてきた。
(画像右下)



あいにく鯉に与える餌はない。

この直後に登山者と出会った。
どちらから来られたのかと、尋ねられたので、ごろごろ岳と返事すると、少し怪訝な顔をされた。
相手の人たちは観音山を経て鷲林寺へ下山するとのこと。



奥池の湖畔(奥池湖畔遊歩道)に沿って歩く。

道標が現れる。
ごろごろ岳の登山道で見たものと同じスタイルの道標。
ここは林山の方向へ歩く。



分岐。
ここにも道標が立っている。

熊笹峠を経て六甲最高峰を右に見送り、奥池遊びの広場を経て奥山方面へ進む。



歩いて来た湖畔を振り返って撮影。


5月6日(土)20:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ごろごろ岳_奥池_東お多福山21

境界見出標。大阪営林局が設置したもの。

歩いていた時は、市境を表すものと思ったが、今見るとそうではなかった。
山地図を見ると登山道は市境に続いている。



ザラザラと滑りやすい登山道を下ると、赤ペンキで岩にマークしてある。


踏み跡が薄くなっており、この手前の分岐を右折したのが違っていたようだ。


薄い踏み跡を辿ると、しっかりした登山道に出合い渡渉。

画像ではわかりにくいが、右上に薄い踏み跡(沢の上流方向)があり、そこを辿ってここへ来た。

左上の道はこの後の進行方向とは逆方向の観音山方面とみられる。



左側にフェンスが現れ、フェンスに沿って右へ歩く。
フェンスに沿って左に続く道があり、本来この道を歩くはずだった。

しかし、分岐には道標がないので、一度歩いたくらいでは、スムーズに歩けない。



5月6日(土)20:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ごろごろ岳_奥池_東お多福山20

登山道の左側は道路から民家の住宅地に変わっていた。

私有地に付、立入禁止の看板が掛かっている。



やや藪っぽい場所。
だが、下草は刈り取られている。



この先、眺望が開けそう。


進行方向(北西)に六甲山系の山並み。


この後、分岐がいくつか現れる。
左へ進むと奥池が近いようだが、踏み跡は薄い。

薄い踏み跡は敬遠して、多くの人が歩いていそうな方を歩いた。

こうして分岐を2回とも薄い踏み跡を左に見送り右折したが、ここまでは正解だった。
画像は1回目の薄い踏み跡。



5月5日(金)20:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ごろごろ岳_奥池_東お多福山19

分岐。

左の階段を降りずにフェンスに沿って直進したが、これが正解。
階段を降りると住宅地の中を歩くことになる。



フェンスに沿って下る。


フェンスは、いつの間にか、有刺鉄線となっていた。
そしてその向こう側に道路が見える。



ここでは道路に降りられるようだった。
しかし道路への踏み跡はほとんどない。



剣谷自然保護地区の看板。
西宮市が立てたもの。

地図を見ると、現在地は西宮市と芦屋市の境。



5月5日(金)20:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ごろごろ岳_奥池_東お多福山18

左折は鷲林寺となっており、これも進む方向ではない。
道を間違っていた。
先ほどの分岐まで戻る。



分岐へ戻った。
画像の左上方向から分岐へ来た。
右折したが、これが違っていたので左折する。
画像では右上方向へ歩く。



分岐からすぐ、赤テープがあったが、ここまでに赤テープを見たのはこれが初めて。


フェンスに沿って歩く。
フェンスの左側は住宅ではない様子。



フェンスの向こうは芦屋市の水道施設。

そして、いつのまにか、西宮市から芦屋市に変わっていた。
地図を見ると、ごろごろ岳の山頂が市境。



5月5日(金)20:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ごろごろ岳_奥池_東お多福山17

フェンス越しに民家の庭が丸見え


なおもフェンスに沿って下る。


分岐。

左側の道は、民家のフェンスに沿って続いていた。
ここは右の道を歩いたが、奥池へ向かうには左の道が正解。
再びここへ戻ってくることになる。



下草がまったく見られない。
今は葉っぱが落ちているが、夏場は鬱蒼としているのかもしれない。



分岐に道標が立っていた。

ゴロゴロ岳から来た。右は剣谷となっている。
“剣谷”は、ガベノ城の東に位置する“剣谷町”かその近辺の谷を指していたようだ。
ガベノ城方向=剣谷へは行かない。



5月4日(木)19:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ごろごろ岳_奥池_東お多福山16

歩きはじめは一方的に下るのみ。


この道標はひっくり返っていた。
起こして見ると、「観音山・ガベノ城方面ハイキング道→」となっている。

観音山は歩いたことがあるが、ガベノ城は知らなかった。
先ほどの、日本経済新聞の記事によると、頂上付近に岩がそそり立つ「ガベノ城」は麓から見ると頂上付近が城のように見える。調査の結果、城跡ではないと判明したが慣れ親しんだ「城」の名前は変わらない。「ガベノ」の由来は不明だが、絵に描いた餅「画餅(がへい)」の城、がなまったとの説もある。



左のフェンスに沿って歩く。


人が歩くことによって、土砂が流出したようだ。


左側、フェンスの向こう側は民家。


5月4日(木)19:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ごろごろ岳_奥池_東お多福山15

ゴロゴロ岳山頂に設置された山名板。

標高が、565.6メートルで、山名の由来となっている。
この山名板は個人の寄進。



山頂の隣は民家。
こういうケースは少ないのでは



昔、ここに「人間灯台」というものがあったらしい。
今はないが、その形跡があるかもしれないと思って、私だけで少し探索してみた。

画像は柿谷ハイキングコースを示す道標。
「 ←水車谷バス停から阪急芦屋川 現在地:柿谷コース」と記されており、少し歩いてみた。



山頂からは下り道で、地図に記載のある「人間灯台跡」は、山頂のすぐ横となっているが、見当たらないので引き返した。

六甲に「人間灯台」 正体は?



山頂から奥池方向へ下る。

道標に表示されている「観音山~鷲林寺」へは行かない。



5月4日(木)19:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ごろごろ岳_奥池_東お多福山14

この先、森を抜けるようだ。


フェンスが現れ、前方に建造物が見えた。


建造物は民家で、付近は住宅地として開発されている。
低い石垣の向こう側は民家の庭。



そして、ごろごろ岳山頂を示す道標。


この先、山頂。

驚くことに、山頂のすぐ横にまで住宅地が建っていた。



5月3日(水)20:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ごろごろ岳_奥池_東お多福山13

石を並べて階段にしたようだ。


ここでもミツバツツジが迎えてくれた。


一面の花盛り。


送電線鉄塔が現れる。

地図によると、ここから先、ごろごろ岳の山頂まで比較的傾斜は穏やか。



地図の読み通り、なだらかな道を歩く。


5月3日(水)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ごろごろ岳_奥池_東お多福山12

基準点が打ち込まれた岩付近からの眺望。

阪神高速5号湾岸線らしきライン、人工島は左から甲子園浜、西宮浜、芦屋浜と見られる。

これらの人工島と陸地を隔てる海が、まるで運河のように見えた。



道標が現れる。
ここまで歩いてきて、道標を見たのはこれが初めて。

ゴロゴロ岳 奥池方向へ進む。
苦楽園方向からここへ来た。
六麓荘方向分岐を左(南)に見送る。
“六麓荘”は「六麓荘町」を指すようだ。



画像、手前に積まれた木の枝、登山道を整備して出た枝を集めて置いてあるように見えた。


この辺り、岩場がなく歩きよい登山道が続く。


暫く歩くと、すぐにまた石や岩が現れる。


5月3日(水)20:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

中山道4(醒井_垂井)

2017年4月28日(金)は、N氏と二人で中山道を歩いた。

コースは中山道六十九次のうち、六十一番目の醒井宿から、五十七番目の垂井宿まで。
現在の行政区では、滋賀県米原市醒井から岐阜県不破郡垂井町までとなる。
距離、およそ20km。

当初は関ヶ原宿まで歩く予定であったが、快適に歩くことが出来たので、その先の垂井宿まで足を伸ばした。

今回歩いた宿

【4回】2017年4月28日
六十一番 醒井宿(さめがいしゅく)
六十番  柏原宿(かしわばらしゅく)
五十九番 今須宿(いますじゅく)
五十八番 関ヶ原宿(せきがはらじゅく)
五十七番 垂井宿(たるいじゅく)

柏原宿は見所が多く、これまで歩いてきた中山道の中では、一番のお気に入りとなった。

街道歩きではなく、観光目当てなら、醒井宿が楽しめる。
関ヶ原宿は、古戦場のイメージが強く、中山道としての魅力は乏しいかも。

コース
8:39東海道本線醒ヶ井駅8:47_米原市醒井宿資料館(旧醒井郵便局局舎)前_十王水_料理旅館 夛々美家前_案内板(地蔵川ハリヨ生息地保護区)_案内板(日本遺産 中山道醒井宿)_割烹本陣樋口山前_説明板(ハリヨ_バイカモ)_説明板(醒井延命地蔵尊縁起)_居醒の清水_加茂神社_案内板(鮫島中将の歌碑)_道標(中山道 醒井宿)_説明板(見附跡、枡形)_説明板(鶯ヶ端)_石仏群_案内板(佛心水)_一色(いっしき)バス停前_石碑(中山道 一里塚の跡)_一色八幡神社前_石仏群_道標(中山道)_ホテルリスボン前から旧道に入る_駒札(米原市梓区 中山道松並木)_説明板(推定横河の駅家(うまや)跡)_八王子神社参道前_梓川に架かる梓橋を渡る_慈圓寺前_石碑(ここは清流の里 河内)_梓河内バス停前・道標(←中山道柏原宿 2.3km / →中山道醒井宿 3.8km)・石仏群_道標(中山道 / ←東山道横河駅跡 梓 / →江戸後期大和郡山領 柏原宿)_案内板(街道並び松(古木) ←梓 12本 0.9km / →柏原宿 6本 1.3km)_石仏群_分岐道標(江戸後期 旗本西郷氏領 梓河内村(東地先)を左に見送り 右→中山道へ歩く)_説明板(番の面遺跡)_石柱(集落跡 番の面遺跡)_駒札(菖蒲ヶ池跡)_道標(柏原宿枝郷 長沢)_説明板(小川の関)_長沢集会所前_白山神社前_道標(→西薬師0.8km ↑柏原宿1.8km JR柏原駅2.1km)_道標(従是明星山 薬師×)_駒札(掃除丁場と並び松)_駒札(鶯が原)_道標(←北畠具行郷之墓0.4km ↑柏原宿歴史館0.8km)_説明板(東山道と九里半街道)_駒札(西見附跡)_石柱(柏原一里塚跡 復元)_説明板(復元 柏原一里塚)_天野川に架かる丸山橋を渡る_常夜灯(金毘羅山)_中井川に架かる中井川橋を渡る_駒札(郷宿跡 ごうやどあと)_駒札(「やくし道」 道標)_駒札(柏原銀行跡)_駒札(西の荷蔵跡)_日用百貨の店 さわや前_日枝神社前_柏原宿歴史館_道標(→JR柏原駅0.5km 寝物語の里2.3km)_伊吹もぐさ総本舗(亀屋佐京商店)_市場橋を渡る_常夜灯(秋葉山)_駒札(高札場(札の辻)跡)_石柱(文久元年(一八六一) 皇女和宮宿泊 柏原宿本陣跡地)_駒札(柏原宿本陣跡)_蝋燭屋 助三郎_道標(←寝物語の里1.9km 成菩提院0.7km)_八幡神社前交差点_八幡神社_駒札(芭蕉と伊吹山)_石柱(寺院跡 竜宝院遺跡)_駒札(東見附跡)_説明板(照手姫笠掛地蔵・蘇生寺と由来記)_案内板(柏原宿の略史)_<楓並木>_東海道本線の踏切を横断_神明神社前_石柱(旧東山道)_道標(長比城跡登り口)_<楓並木>_道標(寝物語の里0.6km 中山道今須宿1.0km)_石碑(寝物語の由来)_滋賀・岐阜県境_石碑(舊蹟 寝物語美濃國不破郡今須村)_東海道本線の車返踏切を横断_今須交差点にてR21を横断_石柱(これより 中山道 今須宿 関ヶ原町)_常夜灯_八幡神社前_真宗寺前_駒札(常夜灯)_駒札(問屋場)_垂井警察署 今須警察官駐在所前_今須中学前_妙応寺参道前_駒札(中山道今須宿 本陣跡・脇本陣跡)_中狭川に架かる今須橋を渡る_石柱(一里塚跡 今須宿)_石柱(これより 中山道 関ヶ原宿山中 関ヶ原町)_駒札(今須峠)_東海道本線の山中踏切を横断_駒札(常盤地蔵)_道標を兼ねた石仏_駒札(常盤御前の墓)・昼食_東海道新幹線の高架下を潜る_駒札(鶯の滝)_駒札(黒血川)_道標(←常盤御前の墓250m 7分 / →不破関跡・不破関資料館1km 20分 / ↑大谷吉継の墓600m 15分)_石柱(高札場跡 関ヶ原町)・駒札(高札場跡)_若宮八幡神社参道前・道標(←大谷吉継陣跡310m 大谷吉継墓620m 松尾山眺望地240m)_説明板(大谷吉継墓、大谷吉継陣跡)_駒札(立場)_R21に架かる歩道橋を渡る_石柱(これより 中山道 関ヶ原宿藤下 関ヶ原町)_道標(←150m弘文天皇御陵候補地 自害峯の三本杉)_道標(←10m矢尻の池(井) →大谷吉継墓1km)_若宮八幡神社参道前_駒札(関の藤川(藤古川))_駒札(不破関西城門と藤古川)_不破関守址_駒札(不破関守跡)_道標(←不破関の庁舎跡 60m 2分 大海人皇子の兜掛石・沓脱石)_石柱(郷社 井上神社)_駒札(美濃不破関 東山道と東城門跡)_常夜灯(両皇太神宮)_R365関ヶ原西町交差点を横断_駒札(七つ井戸跡)_若宮八幡神社_祠(馬頭観音)_関ヶ原町非公認 無料休憩所_案内板(ここの地名 桃配山)_分岐(徳川家康最初陣地)_説明板(六部地蔵)_駒札(山内一豊陣跡)_駒札(野上「七つ井戸」)_平木川に架かる平木川橋を渡る_石柱(伊富岐神社)_道標(←垂井宿2.0km / →今須宿7.3km / ここは関ヶ原宿)_駒札(史跡 垂井一里塚・関ヶ原の戦い 浅野幸長陣跡)_駒札(日守の茶所)_道標(南宮江近道八町)_東海道本線の踏切を横断_垂井町保健センター前_駒札(松島稲荷神社の由来)_愛宕神社前_道標(八尺堂地蔵尊道)_本龍寺・石柱(明治天皇垂井御小休所)_駒札(小林家住宅主家)_お休み処 長浜屋_駒札(南宮大社大鳥居)・常夜灯_駒札(中山道 垂井宿本陣跡)_15:13東海道本線垂井駅15:17

画像はこの日歩いた東海道本線醒ヶ井駅から垂井駅までの内、醒ヶ井駅から今須橋(岐阜県不破郡関ケ原町今須)までのGPSログを表示している。



残りの区間、今須橋から垂井駅までのGPSログを表示している。

【参考】これまでに歩いた宿

【3回】2016年11月17日
六十四番 高宮宿(たかみやしゅく)
六十三番 鳥居本宿(とりいもとじゅく)
六十二番 番場宿(ばんばしゅく)
六十一番 醒井宿(さめがいしゅく)

【2回】2016年11月4日
六十六番 武佐宿(むさしゅく)
六十五番 愛知川宿(えちがわしゅく)
六十四番 高宮宿(たかみやしゅく)

【1回】2016年10月31日
六十八番 草津宿(くさつしゅく)
六十七番 守山宿(もりやましゅく)
六十六番 武佐宿(むさしゅく)



5月2日(火)20:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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