山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2017年8月を表示

松尾山_嵐山(城址)_烏ヶ岳6

石段が現れ、これを降りる。


石段を降りたところに東海自然歩道の道標。

コースはここで東海自然歩道を離れ、苔寺方面へ左折(西)する。



こちらは北方向、鈴虫寺(華巌寺)方面。=東海自然歩道。

この分岐で、赤マークの矢印が見つからなかったので、少し探した。

すると、後方からKリーダーが現れ、「ここは左折」と話された。
赤マークの矢印がないのは、「誰かが知らずに剥がしたのではないか」とも。



分岐正面に「かぐや姫竹御殿」の看板が掛かっていた。

かぐや姫 竹御殿 - Wikipedia によると、金閣寺を模して作られた竹の御殿である。豊かな竹林が広がり、竹取物語の舞台とも言われる京都松尾の地に、竹工の名人・長野清助が27年の歳月をかけて独力で建造した。現在は占い師をしている親族が管理しており、一般公開されている。願い事を書いた色紙で折鶴を折って、竹御殿の中に安置されたかぐや姫像に捧げると、願い事が叶うという。鈴虫寺、苔寺、地蔵院などの名所が散在するこの地において、独特の存在感をかもし出している。



苔寺方面へ歩くと、左側に京都バスの「苔寺・すず虫寺」バス停が現れる。


8月10日(木)20:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

松尾山_嵐山(城址)_烏ヶ岳5

分岐を右折(北)し、正規のコースに復帰する。
歩き出してすぐ、左手に「衣笠山 地蔵院 竹の寺 全景」の絵図が掲げられている。
右横には「細川護熙元首相筆 襖絵公開中」。

細川護熙元首相と地蔵院は関係がありそうだ。


地蔵院(竹の寺・細川護煕氏の 襖絵・京都市西京区)



山門前。

今度は「一休さん 生誕の地」と掲げられている。



細川元首相や一休さんのことは、駒札に説明されていた。


      地蔵院
 衣笠山と号する臨済禅宗の寺で、通称、谷の地蔵、又は、竹の寺とも呼ばれている 。
 この地には、もと歌人の衣笠内大臣藤原家良の山荘があったが、家良の没後、貞治六年 (一三六七)に、管領の細川頼之が、宗鏡禅師に深く帰依して当寺を建設した。宗鏡は、恩 師夢窓国師を開山に請じて、自らは第二世となった。
 以後、当寺は、細川家の庇護を受け 、次々と伽藍を建立し、境内塔頭三院、末寺二十三寺を数える一大禅刹となったが、応仁の 乱により諸堂悉く焼失してしまった。その後、江戸時代の貞享六年(一六八六)に、第十四 世古霊和尚によって寺観が整えられた。
 現在の本堂は(地蔵堂)は、昭和10年(一九三五) に再建したもので、堂内には、本尊の延命安産地蔵菩薩のほか、夢窓国師、宗鏡禅師、細川 頼之の木像を安置している。また、方丈前には、「十六羅漢の庭」と呼ばれる枯山水庭園が あり、本堂南には、宗鏡禅師、細川頼之の墓がある。尚、一休禅師が幼少の頃修養された寺 でもある。
              京都市



左は地蔵院の駐車場。


道なりに北へ歩くと、右手に立派な屋敷塀が現れる。
個人宅のようだ。



8月10日(木)19:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

松尾山_嵐山(城址)_烏ヶ岳4

この道は、過去に「京の古道」の一つ「唐櫃越」(からとごえ)で歩いている。


左右に竹林を見ながら歩く。

撮影した画像では分かりにくいが辺りは薄暗い。



暫く歩くと、視界が開け墓地が現れる。
桜谷(五ヶ寺)共有墓地で六地蔵が迎えてくれた。
ここで今日歩くコースはこの道ではないことに気付いた

この先、墓地を過ぎると、“丁塚”(ちょうづか)と呼ばれる分岐地点があり、分岐から苔寺方面へ山道が通じていることは知っていた。

しかし、実際に歩いたことはなく、分岐までの距離もそこそこあるので、ここは引き返すことにした。



画像は引き返す途中で撮影。


唐櫃越分岐に戻って来た。
9分程度ロスした。
こんな日もある



8月10日(木)19:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

松尾山_嵐山(城址)_烏ヶ岳3

分岐に到着。

カーブミラーの左に東海自然歩道の道標が見える。
南北に通じている。



ここにも淨住寺を指す道標がある。
「左 淨住寺」。
この右にも石の道標があるが、この日は看板が掛けてあったので道標が見えない。
道標には「→右 地蔵院」と彫られている。

以前に撮影した画像

ここで「山を登る会」の赤の矢印マークを見落としてしまった。
右折すべきところを直進してしまう



分岐から先、道幅が狭くなる。


こんなところにも浄住寺を示す道標がある。

右の人がバイクから降りたので、偶然、見つけることが出来た。
「浄住寺 ×みち」。×の部分は判読不明。



最奥の住宅を通り過ぎる。


8月9日(水)20:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

松尾山_嵐山(城址)_烏ヶ岳2

山田岐れ(やまだわかれ)の交差点に到着


交差点の角に淨住寺を指す道標。「右 淨住寺」。
裏面には「昭和四年一月 何某」と彫られた銘。

近くに淨住寺はあるが、この位置から右方向ではない。
道路工事なとで移動されたようだ。



山田岐れの交差点を直進。


別のハイカーのグループに追いついた。
20名程度。
唐櫃越を歩く様子。



この粋な建物は「アートギャラリーKYO」。


8月9日(水)19:58 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

松尾山_嵐山(城址)_烏ヶ岳1

2017年8月6日(日)は山を登る会に単独で参加した。
山域は京都西山。

この日は、天気予報の熱中症指数で危険マークが付いていた。
大阪の予想最高気温は38℃。

帰宅後のニュースによると、島根県益田市で観測史上1位となる39.3℃の猛暑を記録するなど、全国的に猛暑日となった。

この為、スタート時点で、急遽、リーダーのT氏よりコンディションを考慮し、コースの短縮を告げられた。

当初のコースは、スタートが阪急嵐山線上桂駅。
苔寺谷から松尾山に登り、嵐山城址、嵐山、烏ヶ岳へと縦走し、北松尾ロータリーで昼食。
昼食後は山地図に記載のない踏み跡を辿って、トロッコ保津峡駅へ。
落合、清滝バス停を経て、ゴールは嵐山駅。歩行距離約15km。

短縮コースとして、下記、3コースが設定されていたが、

A.トロッコ保津峡駅でゴール。
B.山陰本線保津峡駅でゴール。(トロッコ保津峡駅から徒歩約15分)
C.清滝バス停でゴール。バス停から阪急嵐山駅行のバスに乗る。(トロッコ保津峡駅から徒歩約40分)

C.をこの日の正式コースに変更された。
歩き足りない人は、オプションコースとして、当初の嵐山駅まで歩く。

私は、短縮コースB.を歩いた。歩行距離約9km。
ゴールの清滝バス停に行っても、阪急電車を利用しないので、利便性が悪い。

松尾山は京都トレイル西山コースで歩いたことがあるが、そこから北へ続く尾根道は歩いたことがなく、この機会を逃すと、次はいつ歩けるかわからないので、暑い時季ではあったが参加することにした。

今回も無理のない程度に歩いて、先頭グループをキープしょうと考えていたが、唐櫃越分岐を右折せずに直進してしまった。
この分岐では他のグループの人と一緒となって歩いたが、これに気をとられて分岐を見落とした。

その手前、山田口交差点で、信号が赤に変わってしまい、先頭グループと分かれてしまった。
その後、追いつこうとして歩いたが、私の周りには、山を登る会のメンバーの姿はなかった。
私がこの区間を単独で歩いていたことも、道迷いの原因の一つ。

桜谷共有墓地で、これに気付き引き返した。
墓地から先を歩き、分岐で竹薮の中を京都トレイルの松尾山方向へ続く道があることは知っていたが、歩いたことがなく、ここは単純に戻る方がよいと考えた。
ロスした時間9分(9:23→9:32)。
参加者は猛暑にも関わらず88人。

【嵐山城】
室町時代、明応六年(1497)。山城下五郡の守護代であった香西元長(こうざい もとなが)の築城とされる。
永正四年(1507)に元長没落と共に炎上して廃城となった。

嵐山城

コース
8:40阪急嵐山線上桂駅_9:05京都中央信用金庫上桂支店前・コースの説明9:16_物集女街道・山田口交差点_青山音楽記念館バロックザール前_山田岐れ(交差点)_道標(右 淨住寺)_道標(左 淨住寺)・唐櫃越分岐_桜谷共有墓地・道迷い_唐櫃越分岐_地蔵院前・駒札(地蔵院)_石段を降りて左折_苔寺・すず虫寺バス停前_石仏_西芳寺(苔寺)前_西芳寺川に架かる橋を渡る_駒札(松尾学区古墳群)・地図(松尾学区古墳・史跡地図)_駒札(山の神さん)_唐櫃越方面分岐_案内図(嵐山へのぬけ道 ハイキングコースの入り口)_道標(京都一周トレイル 西山50)_道標(京都一周トレイル 西山49~44)_眺望地_道標(京都一周トレイル 西山43~38)_四つ辻・道標(京都一周トレイル 西山32)・案内図(西山コース案内図)_道標(京都一周トレイル 西山37~36)_松尾山頂276.1m・道標(京都一周トレイル 西山35)_道標(京都一周トレイル 西山33)_眺望地ピストン_道標(京都一周トレイル 西山33)・京都トレイルのコースから離れる_尾根筋の眺望地_西方向の眺望地_嵐山城址_嵐山381.5m_分岐を左折_フイックスロープ_烏ヶ岳398m_分岐(西芳寺川l林道17橋方面を左に見送る)_分岐を左_分岐(西芳寺川l林道方面を左に見送る)_獣除けネットに沿って歩く_12:12北松尾ロータリー10・昼食12:34_フイックスロープを伝って下る二箇所_嵯峨野観光鉄道の陸橋下を潜る_フイックスロープを伝って保津峡の旧舟曳徑へ降りる_旧舟曳徑を歩く_嵯峨野観光鉄道トロッコ保津峡駅前_保津峡に架かる橋を渡る_府道50号出合い・分岐(清滝川方面分岐を右に見送る)_府道50号壁岩直下のトンネルを潜る_分岐(水尾分岐を右に見送る_13:20JR山陰本線保津峡駅13:28

画像はこの日歩いた阪急嵐山線上桂駅からJR山陰本線保津峡駅までのGPSログを表示。



阪急嵐山線上桂駅下車、踏切を渡って西方向へすぐ、京都中央信用金庫上桂支店前に集合。

Tリーダーよりこれから歩くコースの変更点や注意事項、昼食適地など説明を聞く。



9時16分出発。西に向かって歩き出す。


物集女街道(府道29)山田口交差点で、信号が赤に変わり、先頭グループと分かれてしまった。


青山音楽記念館バロックザール前を通過。
以前、この道を歩いたことがあるが、このようなホールがあることに気付かなかった。

京都・青山音楽記念館バロックザール



8月9日(水)19:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑40

地蔵堂には鍵が掛かっておらず、観音扉を開けると、自然石っぽい石仏。

涎掛けの下に、僅かに両手を合せているように見えなくもない。



この民家の板塀は伝統的な焼き杉板を使用。

そして石を積んだ擁壁(石垣)がここでも見られた。



近鉄大阪線の踏切。踏切は渡らずに右へ。

前方は柏原市役所とリビエールホールとなっている。



安堂駅周辺案内図。
この地図は上が西。

安堂駅の西に「大和川付け替え記念公園」が記載されている。
現在の大和川はここから西方向へ向きを変える工事が行われた。
地図に見える長瀬川が旧大和川とみられる。



近鉄大阪線安堂駅に13時14分に到着。

暑い時季でもあり、この程度のウォーキングが丁度よい。
おしまい。



8月8日(火)20:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑39

住宅地の中を歩く。


分岐で左方向に提灯と寺標「曹洞宗 大日禅寺」が見えた。

左分岐を見送り直進。



素敵な小路。

この一角だけにグリーンベルトと石段が設けられていた。



画像中央のお寺は正休寺。

右の建物は「安堂葡萄生産組合集荷場」。



集荷場の横に地蔵堂らしきが見えたので立ち寄る。


8月8日(火)20:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑38

安堂池から先、急坂を下る。

この辺りからの眺めが良い。



眼下に墓地が現れる。
安堂・太平寺共同墓地。



「←木沢長政の墓」の案内板と説明板が立つ。


伝 木沢長政の墓

【要約】
戦国時代の武将、木沢長政の墓と伝えられる五輪塔。天文11年(1542)と刻まれている。木沢長政は河内の守護代として権勢を誇ったが、天文11年、落合川の合戦(太平寺の戦い)で遊佐長教らに敗れ、この地で討ち死にした。

【説明文】

 この五輪塔は、もとは太平寺の北のはずれ「キソドノ墓」「喜増土ノ墓」と呼ばれる地に建っていたもので、戦国時代の武将・木沢左京亮長政の墓と伝えられています。地輪には四面に梵字、うち一面に「天文十一年 法界衆生 宗澤禅定門 平等利益 三月十七日」と陰刻され、空・風・火・水輪は後補したものですが、市内では珍しい大形の五輪塔です。
 長政は生駒山系に連なる飯森城(大東市~四條畷市、標高三一六メートル)を築城して拠点とし、さらに田原城・津田城・信貴山城・二上山城などの支城に拠り、河内国半国の守護代として山城・北河内・大和に権勢をふるいました。天文二年(一五四二)三月十七日、高尾城(羽曳野市)の遊佐長教らと大和川・石川の合流点で「落合川の合戦(太平寺の戦い)」となり、太平寺「上の畠」に布陣した長政はこの地で敗死、信貴山城も焼き払われました。

 平成二十四(二〇一二)年十二月
                柏原市教育委員会

木沢長政 - Wikipedia



「←平尾山古墳群 雁多尾畑光徳寺 4km」。

この道標には「雁多尾畑」を“かりんどおばた”ではなく“かりんどばた”と表記している。



8月8日(火)20:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑37

ぎっしりと積まれた石垣。

今日は至る所でこれを見た。



前方に車道の陸橋が現れ、この下を潜る。


こちらのぶどう畑は、最初、耕作を放棄されたのかと思った。

ところが、そうではないようだ。
自然農法と呼ばれるものかな、雑草を刈らずに栽培している。
土をむき出しにせず、雑草と一緒に植える農法らしい。

自然農法



道路の左側に池が現れる。

池の名前は「安堂池」。



池を通り越したところで分岐となり、道標が立っていた。

「← JR高井田駅 1200m → 近鉄安堂駅 500m ↓ 横尾 2000m」。
ここは右折。



8月8日(火)20:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

松尾山_嵐山(城址)_烏ヶ岳

2017年8月6日(日)は山を登る会に単独で参加した。
山域は京都西山。

この日は、天気予報の熱中症指数で危険マークが付いていた。
大阪の予想最高気温は38℃。

帰宅後のニュースによると、島根県益田市で観測史上1位となる39.3℃の猛暑を記録するなど、全国的に猛暑日となった。

この為、スタート時点で、急遽、リーダーのT氏よりコンディションを考慮し、コースの短縮を告げられた。

当初のコースは、スタートが阪急嵐山線上桂駅。
苔寺谷から松尾山に登り、嵐山城址、嵐山、烏ヶ岳へと縦走し、北松尾ロータリーで昼食。
昼食後は山地図に記載のない踏み跡を辿って、トロッコ保津峡駅へ。
落合、清滝バス停を経て、ゴールは嵐山駅。歩行距離約15km。

短縮コースとして、下記、3コースが設定されていたが、

A.トロッコ保津峡駅でゴール。
B.山陰本線保津峡駅でゴール。(トロッコ保津峡駅から徒歩約15分)
C.清滝バス停でゴール。バス停から阪急嵐山駅行のバスに乗る。(トロッコ保津峡駅から徒歩約40分)

C.をこの日の正式コースに変更された。
歩き足りない人は、オプションコースとして、当初の嵐山駅まで歩く。

私は、短縮コースB.を歩いた。歩行距離約9km。
ゴールの清滝バス停に行っても、阪急電車を利用しないので、利便性が悪い。

松尾山は京都トレイル西山コースで歩いたことがあるが、そこから北へ続く尾根道は歩いたことがなく、この機会を逃すと、次はいつ歩けるかわからないので、暑い時季ではあったが参加することにした。

今回も無理のない程度に歩いて、先頭グループをキープしょうと考えていたが、唐櫃越分岐を右折せずに直進してしまった。
この分岐では他のグループの人と一緒となって歩いたが、これに気をとられて分岐を見落とした。

その手前、山田口交差点で、信号が赤に変わってしまい、先頭グループと分かれてしまった。
その後、追いつこうとして歩いたが、私の周りには、山を登る会のメンバーの姿はなかった。
私がこの区間を単独で歩いていたことも、道迷いの原因の一つ。

桜谷共有墓地で、これに気付き引き返した。
墓地から先を歩き、分岐で竹薮の中を京都トレイルの松尾山方向へ続く道があることは知っていたが、歩いたことがなく、ここは単純に戻る方がよいと考えた。
ロスした時間9分(9:23→9:32)。
参加者は猛暑にも関わらず88人。

【嵐山城】
室町時代、明応六年(1497)。山城下五郡の守護代であった香西元長(こうざい もとなが)の築城とされる。
永正四年(1507)に元長没落と共に炎上して廃城となった。

嵐山城

コース
8:40阪急嵐山線上桂駅_9:05京都中央信用金庫上桂支店前・コースの説明9:16_物集女街道・山田口交差点_青山音楽記念館バロックザール前_山田岐れ(交差点)_道標(右 淨住寺)_道標(左 淨住寺)・唐櫃越分岐_桜谷共有墓地・道迷い_唐櫃越分岐_地蔵院前・駒札(地蔵院)_石段を降りて左折_苔寺・すず虫寺バス停前_石仏_西芳寺(苔寺)前_西芳寺川に架かる橋を渡る_駒札(松尾学区古墳群)・地図(松尾学区古墳・史跡地図)_駒札(山の神さん)_唐櫃越方面分岐_案内図(嵐山へのぬけ道 ハイキングコースの入り口)_道標(京都一周トレイル 西山50)_道標(京都一周トレイル 西山49~44)_眺望地_道標(京都一周トレイル 西山43~38)_四つ辻・道標(京都一周トレイル 西山32)・案内図(西山コース案内図)_道標(京都一周トレイル 西山37~36)_松尾山頂276.1m・道標(京都一周トレイル 西山35)_道標(京都一周トレイル 西山33)_眺望地ピストン_道標(京都一周トレイル 西山33)・京都トレイルのコースから離れる_尾根筋の眺望地_西方向の眺望地_嵐山城址_嵐山381.5m_分岐を左折_フイックスロープ_烏ヶ岳398m_分岐(西芳寺川l林道17橋方面を左に見送る)_分岐を左_分岐(西芳寺川l林道方面を左に見送る)_獣除けネットに沿って歩く_12:12北松尾ロータリー10・昼食12:34_フイックスロープを伝って下る二箇所_嵯峨野観光鉄道の陸橋下を潜る_フイックスロープを伝って保津峡の旧舟曳徑へ降りる_旧舟曳徑を歩く_嵯峨野観光鉄道トロッコ保津峡駅前_保津峡に架かる橋を渡る_府道50号出合い・分岐(清滝川方面分岐を右に見送る)_府道50号壁岩直下のトンネルを潜る_分岐(水尾分岐を右に見送る)_13:20JR山陰本線保津峡駅13:28

画像はこの日歩いた阪急嵐山線上桂駅からJR山陰本線保津峡駅までのGPSログを表示。



8月7日(月)18:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑36

分岐。

この先の三叉路を左折する。



三叉路の角に道標が立っている。


「← 安堂・高井田2.1km」と表示。

「このあたりはブドウの名産地」とのコメント。



道なりに歩く


右の丘陵地にもぶどう畑が見られる。


8月6日(日)20:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑35

「ぶどう直売所」の看板が掛かっていた。

箱売りだったので買わず。
まだ、2キロ程度歩かなければならない。
ばら売りも出来たかもしれない。
しかし一房や二房は買えないだろう。

この後、安堂駅近くで買い求めようとしたが、付近に店はなく、結局、買いそびれた。



擁壁というか石垣の上にぶどう畑が続く。


覆屋があったので立ち寄る。


こちらも「どんどう不動尊」と同じような自然石っぽい。


こういった石仏?は、このあたりのトレンドなのだろう。
そして涎掛けは近年の流行。

右の石仏?は尖っている。



8月6日(日)20:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑34

分岐に到着。

初めて見る種類の道標。
「(財)まちづくり市民財団助成事業」が設置している。

道標によると、左右に繋がる道は“竜田道”で、この辺りは“上徳谷”(じょうとくだに)。
現在地は“横尾集荷場”。
“横尾”は、「大字・雁多尾畑」の「小字」らしい。

左折は「青谷・堅上2km」。右折は「安堂・高井田2.5km」となっている。
“堅上”とは河内堅上駅を指しているのだろう。
この日のゴールは近鉄大阪線安堂駅なので、ここは右折する。



ふと、うしろを振り向くと道標が立っていた。

「勅願所松谷御堂」と彫られている。
これは“光徳寺”を指している。
この日は訪れず。



やっと道は平坦になった。

画像は進行方向左(西)の景色。
丘陵地を開拓してぶどう畑にしている。
まだ新しそうに見える。



前方からハイカーが現れる。

単独行の男性で、年齢は20才後半から30才代くらい。
古道を歩いているのだろうか。
すれ違いざまに挨拶したが、のんびりと物見遊山的に歩いているという様子ではなく、あまり余裕がないような歩き方。



この人家も玄関先が道路から傾斜し、扇形の階段になっている。
蔵が建つ旧家。



8月5日(土)20:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑33

幸い覆屋には鍵が掛かっておらず。
観音扉を静かに開く。

涎掛けは外さず。
自然石のように見えたが、そうではなく結合されているらしい。

どんどう不動尊(柏原市雁多尾畑)



こちらは「どんどの滝」の説明板。

   どんどの滝     雁多尾畑(かりんどおばた)
 どんどの滝は、ここから一キロあまり北に位置する畑大池から流れ出た細い川が渓流となり、巨岩が露出する山地斜面の急峻な場所で小さな滝になったものです。この場所は、東山の山麓に位置する安堂や太平寺から、東山山中の生津(なまづ)・横尾の集落を経て雁多尾畑へ向かう道の途中にあたります。周囲には樹木が繁り、いつも日陰をつくっていることから、交通手段としての自動車やバイクが発達する以前は、険しい山道の途中で一息つき、清冽な滝の水で喉の渇きを潤す場所でもありました。滝から下流は上徳谷(じょうとくだに)を東へ下って青谷川に注いでおり、清涼な水は降水量の少ない青谷地区の貴重な水源になっています。なお、滝の前には「どんどう不動尊」が祀られており、細い流れに架かる橋は「どんどう橋」と呼ばれています。
  二〇〇八年三月
              柏原市教育委員会



これが説明板にある「どんどの滝」。
かなり期待ハズレ。

セメントで固めてあるが、これは水を堰きとめて、田畑などへ水を引く為のもの。
滝の落ち口の後方に、水を引く為の水路が作られていた。



時間が正午少し前で、この後、昼食の適地がないことから、ここで昼食とした。
この道はクルマの往来が多い。



昼食後、再び歩き出す。
左右にぶどう畑を見ながら下る。



8月5日(土)20:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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