山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2018年3月を表示

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷54

この日は子供たちを対象にカヌー教室が行われていた。

画像の右奥に見えるピークはシェール槍。“槍”という名前が面白い。



暫くカヌー教室を見学して杣谷峠へ向かう。
距離0.2km。



穂高湖に隣接して、自然の家がある。

神戸市立自然の家



杣谷峠へ行くには、一旦、頭上に見える車道に出なければならない。


車道(奥摩耶ドライブウェイ)に出てこれを横断。
道標には「←杣谷・長峰尾根へ」と記されている。

画像の左に見える建物はトイレ。



3月7日(水)19:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

和泉葛城山(塔原_大威徳寺)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2017年11月7日(火)は、和泉葛城山に塔原(とのはら)から登った。
山頂で昼食後、一等三角点を訪問。
丁石地蔵道(お地蔵さん登山道)を歩いて、牛滝山 大威徳寺(だいいとくじ)に下山した。
参加者はY氏、H氏と私の3人。

登りで塔原道を歩くのは二回目で、下山の丁石地蔵道を歩いたのは初めて。
和泉葛城山の登頂はこれで通算3回目。

コース概略
JR阪和線東岸和田駅から、9時35分発南海バス塔原行に乗車し終点で下車。
バス停で降りた登山者は私達の他にハイカーのカップルが一組。
10時13分、塔原バス停から歩き始める。

本谷林道分岐を左に見送り、葛城山登山道を歩く。
この分岐には道標が置かれている。
「右 かうや こ加王(こかわ) / 左 やまみち」。

暫くして、先程のカップルに追い抜かれた。
彼らとはその後、山頂で再開した。

蕎原(そぶら)集落からの登山道と合流。
合流地点には石仏道標がある。
「右 塔原 岸和田 / 左 そば者ら(そばはら) 水間」。

このあたりから、登山道の距離を表した石柱が現れる。
最初に見つけたのは「二千六百米」。
以後、山頂に近づくにつれて表示距離は少なくなる。

枇杷平(びわだいら)と呼ばれる平坦なところに出る。
二基の常夜灯の残骸が残る。
この手前、山地図を見ると三角点が表示されていたので探したが見つからず。

枇杷平には先程の石柱とは別に丁石があった。
「二十丁」と記されており、これも山頂に近づくにつれ、数字が小さくなる。

やがて本谷林道に出合い、これを横断。
ここに置かれた石柱は「二千米」。

再び、本谷林道に出合いこれを少し歩く。
本谷林道を離れ山道へ。ここで「一千八百米」。
傍らに置かれた丁石は「十四丁」。

「大阪みどりの百選」と記された石柱とベンチのある広場に到着。
丁石「八丁」、石柱「八百米」を過ぎると、「玉冷泉」と記された道標が現れる。
道標の側面に「是より拾五間入志× / 天保四癸巳×」と記されていた。
一間(けん)=約1.8mなので、拾五間は約27m。
前回は訪れなかったので、この日訪れることにした。

湧き水(玉冷泉)を飲むコップが置かれていたが、土砂で埋まっており、とても飲めたものではない。
土砂を取り除くと、澄んだ水が湧き出てくると思われる。
尚、玉冷泉から先、踏み跡があったので少し辿ってみたが、最近、歩いた形跡がなく消滅に近い状態。

登山道に戻り、丁石「四丁」、石柱「四百米」を過ぎると、ウッドデッキが現れる。
ウッドデッキからは、特にブナ林の眺めが良いというわけではない。
このあたりから、ブナ林に立ち寄らないように、保護柵が登山道脇に設けられている。

蕎原(そぶら)集落から続く登山道と合流すると、正面に石段が現れ、これを登ると葛城神社。
葛城神社は、別名、高龗(たかおかみ)神社と呼ばれ、古来より水の神の社で雨乞いに詣でた。

葛城神社は和泉の方向(北)を向いている。
一方、これを背に、紀州の方(南)を向いて龍王神社が祀られている。
この神社も水の神、雨乞いに詣でた。

山頂から南方向、和歌山県側は葛城山園地として整備されている。
東屋で昼食後、道標を見て鍋谷峠方面へ歩き、山地図に記載されている一等三角点865.6mを訪問した。
片道20分。

電波塔が複数建ち並んでおり、手前から一番奥に位置する電波塔を右に見て歩き、鍋谷峠分岐を右に見送る。
植林帯の中に関西電力かつらぎ無線中継所の電波塔が現れ、その横に三角点が埋まっていた。
三角点からの展望はなく、一般のハイカーは訪れないエリア。

和泉葛城山頂の手前まで、来た道を戻り、下山は牛滝林道を歩く。
舗装された林道歩きが続き、途中、本谷林道分岐を左に見送って直進。

この分岐から先、0.7kmで、二十一丁地蔵と呼ばれるお地蔵さんが祀ってある。
ここから牛滝林道を離れ、左折して地道の丁石道(地蔵さん登山道)を歩く。

この道は旧道で、この先、牛滝林道と合流する。
合流地点には七丁地蔵が祀られていた。

牛滝林道と合流してすぐ、再び旧道に入り、「牛滝園地」と呼ばれる渓流歩道を歩いた。
錦流の滝、吊橋(錦流橋)、三の滝、二の滝、一の滝と渓流に沿っての歩道歩きが楽しい。

その後、大威徳寺の境内に入り、本堂、多宝塔(重文)、鐘楼、山門などを観て回った。
モミジが黄葉しており、タイミングが良かった。
尚、境内に一丁地蔵が祀られている。

牛滝山バス停はすぐ近くにあったが、バスの発車時間待ちが一時間弱あったので、近くの「いよ(森)やかの郷」へ向かい、牛滝温泉せせらぎ荘前バス停からバスに乗った。

「いよやかの郷」は温泉で、宿泊、日帰り、キャンプ、バーベキューなどが楽しめる。
バスは平日、一日に8本。ドニチは5本で、いずれも岸和田駅前行。

画像は塔原バス停から牛滝温泉せせらぎ荘前バス停まで、この日歩いたGPSログを表示。



白壁と紅葉が美しい。
塔原バス停付近にて。



十一丁石地蔵。
丁石道(地蔵さん登山道)にて。



錦流の滝。迫力がある。
あまり観光化されておらずワイルドな渓流歩きが楽しめる。
雨天時は通行出来ない。
「牛滝園地」渓流歩道にて。



モミジの黄葉。
平日ということもあり観光客はまったく見なかった。
大威徳寺の境内にて。大阪府指定名勝。
大威徳寺は現在無住職。(福智院のご住職が兼務)



3月7日(水)18:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷53

徳川道(西国往還付替道)
徳川道は、日本が開国を迎えた江戸時代の末期(1868年)に、外国人とのトラブルをさけるため、海沿いの主要幹線である「西国街道」を大きく迂回する石屋川から杣谷・小部・藍那・白川・高塚山を経て大蔵谷に至るバイパスとして、幕府の命により完工しました。
しかし、実際には利用されないまま開国を迎え、この道は廃止されましたが、大正時代より六甲を歩くハイカーたちに利用され、いつしか「徳川道」と呼ばれるようになりました。
現在、六甲山系のルートでは、森林植物園区間において、一部ヌケ谷を通る区間に付替えられています。
平成26年6月 神戸市森林整備事務所


この地図に記載されている摩耶山周辺の道のうち、現在地から西に伸びる徳川道、摩耶山頂から北西に伸びる桜谷道、穂高湖から西に延びるシェール道(マムシ道を含む)は、いずれもまだ歩いたことがなく、機会があれば歩いてみたい。
※この日(2017年9月26日)の後、2017年11年21日にシェール道を穂高湖から桜橋出合まで踏破した。

今日はこの先の穂高湖から杣谷峠を経て、徳川道の一部(別名:カスケードバレイ、別名:杣谷道)を歩いて下山する。



この急な階段は徳川道を経て市ヶ原・新神戸駅方面。
※この日はここから先には踏み込まず。



穂高湖へ。距離僅かに100m。
道標にある穂高湖周遊路を当初は歩く予定だったが、時間がなくカット。
これにより約30分程度時間の短縮が計れた。



穂高湖に到着。
ここを訪れるのはこれが初めて。
雰囲気がとてもよい。



しかし予想していたより湖は小さい。
湖ではなく池という表現が合っている。

穂高湖 - Wikipedia によると、穂高湖(ほだかこ)は兵庫県神戸市の瀬戸内海国立公園六甲山地区にある人工湖である。六甲山地の山上にある湖沼の中では修法ヶ原池(しおがはらいけ)に次ぐ大きさである。森林と一体化しているような風情があって上高地の大正池に似ているところから命名されたといわれている。付近にはシェール道などのハイキングコースが通り、また湖の周囲には遊歩道が整備されているので、ハイカー等が立ち寄るスポットになっている。夏にはカヌーが楽しめる。隣接して神戸市立自然の家がある。



3月6日(火)22:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷52

車道が右にカーブするあたり、左に山道への取り付きがある。


穂高湖の入口。
ここで車道を離れ左折。



道標を見て、穂高湖、徳川道・シェール道方面へ左折。


この先、穂高湖方面は右に下る。

前方、山の上に見える建物は六甲山牧場。



左折すると徳川道を経て、市ヶ原・新神戸駅方面。
奥の分岐を右折すると穂高湖。



3月6日(火)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2017年11月5日(日)は、山を登る会の第971回例会に単独で参加した。
山域は奈良県竜門山地の音羽三山。

竜門山地 - Wikipedia

コース概略
桜井駅を10時ジャストに出発。多武峰街道を歩いて県道37に合流。
下居バス停前を過ぎ、寺川に架かる橋を渡って音羽山観音寺に向かって歩く。

百市(もものいち)分岐を右に見送り、観音寺(善法寺)で小休止の後、万葉展望台で昼食。(11時44分→12時2分)
食後は谷筋の旧登山道に合流せず、尾根を直登して音羽山851.7m山頂に到着。
経ヶ塚山889m、熊ヶ岳904mを縦走し反射板859mを経て大峠へ。
大峠からは先の台風で荒れた林道を歩き、針道(はりみち/はりんど)の集落を経て不動滝へ下山した。

当初の予定では、不動滝バス停からバスに乗車することになっていた。
ところが県道37が土砂崩れの為、倉橋池口バス停以南、談山神社方面は中型車以上(マイクロバスを除く)通行止となっていた。
先頭を歩いていたTリーダとM氏、私の3人は往路と同じく多武峰街道を歩き、14時48分桜井駅にゴールした。
尚、この日のリーダーN氏は倉橋池口バス停からバスに乗車したとみられる。

歩行距離約19km。
(当初の予定である桜井駅から音羽三山を経て不動滝バス停まで約13km+バス不通による不動滝バス停から桜井駅まで約6km)
参加者68名。リーダーはN氏。

画像は桜井駅を起点に音羽三山を周回したGPSログを表示。



「嘉永三戌年… 音羽村藤…」の銘のある地蔵菩薩。
音羽山観音寺参道にて。



「ようこそ お参り」と、尼さんの人形が迎えてくれた。
音羽山観音寺本堂にて。



この日は生憎、霞んでいて遠望は利かず。
画像中央奥のピークは多武峰の御破裂山618m。(ごはれつざん)
音羽山万葉展望台付近にて。



大峠から針道への林道では、台風の被害が予想以上に大きく、いたるところで舗装道路が押し流されていた。


3月6日(火)21:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷51

車道のアスファルトが見えると、アゴニー坂は終わる。


車道脇に降り立つ。
この車道は奥摩耶ドライブウエイ。
横断して右方向へ歩く。



アゴニー坂の案内図。

この地図では、先程の「摩耶の石舞台」を単に「岩の丘」としている。
「岩の丘」より「摩耶の石舞台」の方がインパクトがある。
こうした名前の付け方が神戸は上手だと思う。

岩の丘→摩耶の石舞台。
展望台→掬星台。
国民宿舎 神戸摩耶ロッジ→オテル・ド・摩耶など。

ちなみに、掬星台(きくせいだい)の名前は、"手で星を掬(すく)える"ほどの絶景の夜景が由来。



車道よりアゴニー坂から降り立った取り付きを振り返って撮影。


奥摩耶ドライブウエイに沿って六甲山牧場方面(北)へ歩く。


3月5日(月)20:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷50

アゴニー坂へ差し掛かる。
こちらから向かうと下り坂。



岩や石がゴロゴロしており、慎重に降りる。


小石もあってズルズルと滑りやすい。


ベンチ。

展望は得られず。
登りの人が休憩で一息つく為に設けられたものだろう。



V字型にえぐれた登山道を下る。
下草が刈り取られているので歩きやすい。



3月5日(月)20:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

牛滝街道から神於山へ

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2017年11月3日(金・祝)は、おおばこの会、こばこの部に参加した。
題して「牛滝街道から神於山へ」。
歩行距離約14km。参加者16人。

コース概要
JR阪和線久米田駅から久米田古墳群の一部、貝吹山古墳(伝橘諸兄(たちばなのもろえ)公塚)、無名塚古墳を見て歩き、隣接する久米田寺にお参りした。
久米田寺のすぐ南に位置する大阪府最大のため池、久米田池から牛滝街道を歩く。

牛滝川に架かる念仏橋を渡り、以後は暫く牛滝川に沿って歩く。
包近(かねちか)町に入り、牛滝川に架かる長滝橋を渡って、桃や蜜柑の果樹栽培が盛んな丘陵地を越える。

車道に出合いこれを暫く歩き、やがて府道230を横断。
蜻蛉池(とんぼいけ)を左に見て歩き、府営蜻蛉池公園に入って、大池の近くで昼食タイム。

食後は展望台に登り、360度パノラマの眺望を楽しんだ。
蜻蛉池公園を出て、近畿職業能力開発大学校の前を通り、道の駅愛彩ランドに立ち寄った。

愛彩ランドの南に位置する神於山(こうのさん)に東登山口(林道)から登った。
台風の影響で斜面が倒壊し道路を補修中だったが、徒歩では通行出来た。

まったく展望の利かない国見の森広場を経て、展望台のある山頂へ。
ところがこの展望台も、植栽された桜の木が生長し、ほとんど展望はなかった。
山頂には三角点がある。標高295.20m、三等三角点、点名:土生滝。

下山は神於寺コースを歩いて 神於寺に下山。
すぐ近くに神於バス停があったが、発車時間までかなり時間があったので、当初、下山予定だった宮の台バス停まで歩こうとした。
途中、歩く方向が間違っていることに気づき、河合町(交差点)まで戻った。
河合町(交差点)で台風の影響で府道39が、土生滝(交差点)から河合町(交差点)まで通行不可となっていることを知った。
この為、結局、徒歩は諦めて、河合バス停まで戻り、ここから南海バスに乗って東岸和田駅へゴールした。

反省会は、天王寺駅近く、阿倍野センタービルB1Fのアサヒビアケラーアベノ店。
反省会の参加者8人。この後も二次会があったらしい。


下記は、岸和田市公式ウェブサイト よりの一部。


◆久米田寺 拝観自由
行基が天平10年(738年)に開基しましたが、永禄年間(1558~1570)の三好氏と畠山氏の戦火で焼失しました。 現在の建物は、江戸時代中期に再建されたものです。 久米田寺所蔵の文書の内「楠家文書」(くすのきけもんじょ)などが、国の重要文化財として、指定されています。 4月21日は久米田寺の縁日で、近隣の住民は「21日のおだいっさん」と親しみ、また、春は桜の名所として有名です。

◆貝吹山古墳(伝橘諸兄(たちばなのもろえ)公塚) 写真ネガの入っている紙袋には諸兄塚(もろえづか)と記されています。 当時はまだ、橘諸兄(たちばなのもろえ)の墓であるとされ、1997年まで墳丘上には宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建っていました。 現在では橘諸兄の墓は、京都府綴喜郡井手町にあるものとされています。 発掘調査の結果では古墳時代前期後葉の築造とされており、もちろん橘諸兄の墓ではありません。 貝吹山古墳の名称は、久米田合戦の際に陣城(じんじろ)となり、法螺貝(ほらがい)を吹き鳴らしたという伝承にちなみます。

◆神於山(こうのさん)の歴史

命の水の源
神於山は、古代から私たちの祖先にとっては「神のおられる山」として、神様が自分の守っているところをながめる山、別名「国見山」とも呼ばれ、神体山として山そのものが崇拝の対象となっていました。 古代から和泉国は、気候が温和で、めぐまれた湧き水があり、多くの人々がくらしていました。 弥生時代に発生した水稲耕作は、水が必要不可欠なものであったが、当時の技術では牛滝川・津田川は大河であり、谷も深く、この水を利用することは難しかったと考えられます。 このため、神於山に源を発する春木川・天の川が稲作に利用できる唯一の流水であり、その水の源である神於山は、「命の水」を発するところとして大切にされていました。

◆神於山の地形

独立峰で多くのため池に囲まれている山
神於山は、南を旧国道170号、東を牛滝川、西は津田川によって囲まれ、独立した山塊を呈しており、標高は296.4メートルの高さがあります。 神於山の周辺は、気候的に天水が不足し、農作物の主要な生産地一帯は水の浸食が強い大阪層群の上にあることから水不足をきたすことが多いところでした。 そのため、灌漑対策が必要不可欠であり、谷の下方をせき止めて水を貯める方法で谷の出口に多くのため池が人工的につくられました。 このため、大小のため池が周辺にひろがっています。

花崗岩でできた山
日本列島がまだ深い海の中にあった時代に、領家花崗岩という下部にあった地層の上に和泉層群やニ上層群が堆積しました。 その幾層にも重なった地層が、60~200万年前に断層(中央構造線)をともなって隆起し、和泉山脈が形づくられました。 その和泉山脈の低地部(海側)の堆積層が、長年にわたって風雨などにより削り落とされ、浸食に強い基層の領家花崗岩が顔を出しているのが現在の神於山であるといえます。

◆神於寺
神於山の南麓に位置する天台宗寺院。
神於山は古来神体山として崇敬され、山内からは弥生時代の流水文銅鐸が出土しています。 かつて当寺に伝わった神於寺縁起絵巻(南北朝期)は中世の縁起絵巻の優品として有名ですが、絵画部分が寸断されて米国や国内のコレクター、美術館などに分散して保管されています。 縁起によれば役行者の開創で新羅から飛来した宝勝権現を山内に祀り、一旦荒廃したのちに百済僧光忍が奈良期に中興したそうです。 また、修験道との関わりが強く、葛城修験の一霊場として発展しました。 中世にはしばしば戦場ともなり、織田信長が紀州攻めの際に付近に逗留したこともありました。


画像はこの日歩いたJR阪和線久米田駅から南海バス河合バス停までのGPSログを表示。



トンボのオブジェ。
府営蜻蛉池(とんぼいけ)公園にて撮影。



鬼瓦風たい焼き。
愛彩ランドにて。



ウバメガシ地蔵。
神於山東登山道にて。
ウバメガシの木の傍に祀られているからその名がついたのだろう。



神於寺への下山道。
紅葉した落葉がいい感じ。



3月5日(月)14:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷49

駐車場の奥に進むと、右側に分岐があって、六甲全縦の道標が立っている。
ここを右折。

画像は単独行の男性。
半ズボン、半袖で涼しそう。



小山に石仏らしきものが置かれている。

立ち寄らなかったが、先程歩いてきた旧天上寺、奥之院の八十八ヶ所の小堂の中に安置されていた石仏をここへ移動されたのかもしれない。



天上寺の山門を左に見送る。
天上寺にはお参りせず。

「山御堂 忉利天上寺曽門」と記されている。



「曽門」の横に立つ道標。
このまま六甲全縦を歩く。



分岐。
神戸市水道局摩耶接合井分岐を左に見送り、アゴニー坂へ進む。
左方向への道標は光が反射して文字が読めない。

尚、接合井(せつごうせい)とは水道工事で、濾過池(ろかち)と配水池をつなぐために、その間に作られた井戸。



3月4日(日)20:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷48

オテル・ド・摩耶が現れる。

「オテル」とは、“ホテル”ほどの意味だろう。
このホテルの元の名前は、国民宿舎 神戸摩耶ロッジで、名前だけで随分とイメージが違ってしまう。



六甲・摩耶こもれびの道マップ。

この後、六甲全山縦走路を暫く歩く。
オテル・ド・摩耶前を経て、穂高湖に立ち寄り、杣谷峠からカスケードバレーを下る。



「自然の家」方面へ。
自然の家は穂高湖の傍にある。



外観は南欧風リゾートホテルというイメージで、一度、宿泊してもよい気になった。


ホテル前の駐車場に降りる。

私達はわざわざホテルの玄関前を通った。
ホテルに用がなければ、左下から続く車道を歩くとここで合流する。



3月4日(日)20:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

行基遺蹟(家原寺_土塔)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2017年10月26日(木)は、ササユリの会に参加した。
題して「行基遺蹟を訪ねて~家原寺から大野寺土塔へ~」。

JR阪和線津久見駅からスタート。
堺市立総合医療センター前から家原城跡小道を歩く。

倉敷紡績津久野社宅前を通り、奈良時代の高僧行基(668~749)が、生家を寺に改めたのが始まりとされる家原寺(えばらじ)へお参りした。
拝観料200円。(志納)

府道28に沿って歩き、伊勢路川に架かる花見橋を渡って掘上(ほりあげ)公園で休憩。
更に伊勢路川に沿って歩き、「ソフィア・堺」(文化会館)と、隣接する「市立中図書館」に立ち寄った。

このあたりから、やたらと目立つ教会風の建物の正体を知るべく、その施設「アンジェリカ・ノートルダム」(結婚式場)及び「リストランテ・クラブ・ヴィアージュ」(レストラン)に立ち寄った。
その後、野々宮神社にお参りし境内で昼食。

食後は水賀池公園(みずがいけこうえん)を散策。
行基が建立したとされる大野寺跡の仏塔“土塔”(どとう)を訪問。

大野寺前、土塔神社、土塔地蔵尊、菰池(こもいけ)を経て、大阪府立大学中百舌鳥キャンパス 第2学生会館シュライクでコーヒータイム。
府立大学の西に位置するニサンザイ古墳を見て周り、再び府立大学のキャンパスに入って自然観察コースを歩いた。
府立大学を出てから、西高野街道を歩き、地下鉄御堂筋線なかもず駅にゴールした。

歩行距離約10km。
参加者は主宰のT氏を含め8人。

コース
9:43JR阪和線津久野駅10:10_堺市立総合医療センター前_“どろんこ坊や”(親子象モニュメント)_説明板(家原城跡)_家原城跡小道を歩く_倉敷紡績津久野社宅前_家原寺(えばらじ)_南大門(仁王門)_拝観入口_駒札(家原寺)_不動堂_北向地蔵尊_水かけ清水地蔵・石仏群_行基菩薩誕生塚_開山堂_ぼけ除け観音像_本堂_南大門(仁王門)_南海バス平岡町バス停前_堺家原寺郵便局前_伊勢路川に架かる花見橋を渡る_掘上(ほりあげ)公園で休憩_伊勢路川に沿って上流へ歩く_清水町だんじり庫前_ソフィア・堺(文化会館)_堺市立中図書館_健康カフェ前_アンジェリカ・ノートルダム(結婚式場)_リストランテ・クラブ・ヴィアージュ(レストラン)前_駒札(野々宮神社)・野々宮神社・昼食_水賀池公園(みずがいけこうえん)を散策_南海バス深井東町バス停前_土塔(どとう)町公園_説明板(瓦葺と文字瓦・土塔の盛土工法・史跡土塔・土塔を造った僧行基)_駒札(大野寺)_土塔神社_土塔地蔵尊_菰池(こもいけ)_東百舌鳥小学校前_大阪府立大学 中百舌鳥キャンパス_第2学生会館 シュライクでコーヒータイム_説明板(ニサンザイ古墳)_にさんざい公園_府立大学 なかもずキャンパス 自然観察コース_道標(西高野街道)_南海高野線中百舌鳥駅前_15:33地下鉄御堂筋線なかもず駅

下記は、堺観光ガイド のサイトより。

◆家原寺(えばらじ) 奈良時代の高僧・行基の生誕地で「知恵の文殊さん」で知られ、入学試験シーズンは多数の参拝客が訪れ本堂の壁・柱が「合格・昇運・祈願」と書かれたハンカチで埋まります。1月の無病息災祈願「大とんど」は有名。

◆野々宮神社 創建時期は不明、永正年間の兵火で消失後現在地に移転。境内には「寛文三年」の銘のある石灯籠一対など注目すべき石造遺物があり、「常陵郷の森」は市の保存樹木に指定されています。

◆水賀池公園(みずがいけこうえん) 堤の全長が約800m、最深部が5mの大きな池。堤周辺のヒラドツツジなど約2万本のツツジ、大輪の花が白・ピンク・赤紫・紅など多彩に咲き誇り4月下旬~5月上旬が見ごろです。 ◆土塔(どとう) 奈良時代の僧行基が建立したとされる大野寺の仏塔。発掘調査によると土を盛り上げた一辺53.1m、高さ8.6m以上の十三重の塔で、各層には瓦が葺かれていたようです。平成21年4月復元整備によって創建当時の姿が再現されました。

◆ニサンザイ古墳 百舌鳥古墳群南東端にある全長約300mの全国7番目の大型前方後円墳。前方部が大きく広がった姿は古墳群で最も精美で新しい、5世紀後半の築造とされ、名称ニサンザイは「陵」が語源と考えられます。


画像はこの日歩いたJR阪和線津久見駅から地下鉄御堂筋線なかもず駅までのGPSログを表示。



堺市立総合医療センター前の“どろんこ坊や”(親子象モニュメント)。
夏季はお母さん象の鼻から水が出るらしい。
鍛金彫刻家:安藤泉作。



ぼけ除け観音像。
家原寺境内にて。



LINCOLN(リンカーン)。
アンジェリカ・ノートルダムにて。



史跡土塔(どとう)。

奈良市内に頭塔(ずとう)と呼ばれる国指定史跡があるが似ている。
頭塔のパンフレットによると、本来の“土塔”が、なまって“頭塔”と呼ばれるようになったとされる。

頭塔 - Wikipedia



3月4日(日)18:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

2017_10_25~2018_02_14の記録について

2017年10月25日から2018年2月14日までの期間、ぶっとびねっとブログにアクセス出来ない状態が続きました。

ついてはこの期間にアップロード出来なかった記録の一部を順次公開して行きます。(連載ではなく完結版)

画像は2017年10月25日から2018年2月14日までの歩いた記録。この中から一部を公開予定。



3月4日(日)18:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷47

遊歩道並に整備された登山道。

ここから東方向に展望が得られた。



分岐で右上に続く石畳の道を歩く。


木漏れ日の中、緩やかな登りが続く。


摩耶の石舞台分岐に到着。

H氏とTu氏は、初めてなので立ち寄った。
Y氏と私はここで暫く待つ。



石畳の小道を下る。


3月3日(土)18:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷46

大きな休憩所に戻る。
ここは冬場や雨の時に利用される。
この建物の横がトイレ。



バス停前に戻る。


この後、摩耶自然観察園分岐、オテル・ド・摩耶前、摩耶山天上寺前、そして、自然の家前に向かう。
ここから自然の家前まで2.3km。
※六甲山牧場には行かない。



摩耶自然観察園分岐を左に見送る。


天上寺、オテル・ド・摩耶、アゴニー坂へと進む。


3月3日(土)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

三温糖 きなこねじり

きなこを使ったお菓子で口当たりが良く、歩きなどで疲れている時に食べるのに重宝する。

札幌第一製菓という会社が製造元。
どこのスーパーでも売っているというわけではないようだ。
イズミヤ新大宮店でゲットしたけど、自宅からだとイズミヤ学園前店の方が近い。
但し、学園前店に置いているかどうかはわからない。

ところが、ネット検索していると、100均のダイソーに置いているらしい。
製造元は同じ。

価格を比較すると、

イズミヤ 235円 170g
ダイソー 108円 80g

ダイソーの方が若干お得。
今度、ダイソーへ行ったら探してみたい。



札幌第一製菓

三温糖きなこねじりの美味しさ!きなこ好きならはまるおすすめお菓子です。



3月3日(土)18:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | グルメ | 管理


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