京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)41 |
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| ほどなくケーブル八瀬駅に到着。
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| 僅かな乗車時間だったが、旅行気分が味わえた。
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| ケーブル八瀬駅を振り返って撮影。
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| 叡山電車八瀬比叡山口駅まで少し歩く。
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| 高野川に架かる橋を渡る。高野川では子供たちや若者が水遊びに興じていた。
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7月4日(土)20:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)40 |
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| いよいよ出発。このケーブルは高低差が561mあり、ケーブルカーとしては日本最大。最初は薄暗い樹海の中を下る。左に階段が見えるが点検する為に歩く道だろう。
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| いよいよ下界が見えてくる。
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| ズーム撮影。相変わらず薄曇で視界は悪い。
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| この先、右にカーブする。
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| この鋼索線は単線で、麓のケーブル八瀬駅とケーブル比叡駅を同じ時間に出発し、この場所で行違いをする。この間、停車はなかった。
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7月4日(土)20:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)39 |
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| Y氏の希望により駅前で写真撮影となった。
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| 改札口にて。右は一番乗りを狙う男性。尚、改札は発車の5分前に行われた。
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| ケーブルカーは乗車券がなく改札口で現金を払っただけ。私は前から10番目くらいに並んでいたが、前の乗客がケーブルカーの後ドアから乗り込んだので、私は前のドアから乗り込み、最前列の一番よい場所を確保した。
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| 最前列からの眺め。
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| 一番乗りを狙っていた男性は最前列の右端に座っていた。つまり私の席の右。そして、私の席の左には運転手さん。女性だったので、少し驚いたが、観光ガイドも兼ねていたので一石二鳥。
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7月4日(土)17:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)38 |
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| 霞んでおり眺望は得られなかったが、雨が降るより余程良い。ここからは西に広がる風景を見ることが出来た。宝ヶ池、そして北隣のグランドプリンスホテルと京都国際会館。同志社中高等学校など。また遠く山の向こうには京都東北部クリーンセンターの建物と煙突が見えた。
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| 「千種忠顕郷の碑・対陣水のみ場跡」を示す道標。太平記ゆかりの地となっている。
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| 京都一周トレイル東山コース案内図。東山コースを3回に分けて踏破した。(SさんとH氏、私の3人)
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| 京都トレイルはまだ続く。次は北山コースを歩く。これが次回の出発点。京都トレイル1(北山)の道標。
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| ケーブルに乗って下山する。歩いて下山することも考えたが、下りは事故が多いし、今日は十分歩いたので文明の利器を使った。
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7月3日(金)20:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)37 |
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| 左下に廃屋を見遣る。
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| そして古道。
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| 正面に叡山ケーブル・比叡ケーブル駅が現れる。クルマが見えたのは興醒め―笑。
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| この階段はケーブルを利用せずに麓へ下る道。歩いたことはない。
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| そして本日のゴールとなる京都トレイル74の道標。東山トレイルはこの番号が最終。14時28分に到着した。北白川仕伏町のバス停を9時44分に出発してから、4時間44分経っていた。そしてこの近くに北山トレイル1の道標がある。※後でその場所を確認した。
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7月3日(金)20:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)36 |
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| ようやく電波塔に到着。笑顔がこぼれる。電波塔は3基建っていた。
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| 比叡ビュースポットの案内板。天気の良い日には大阪のビル群も見られるという。この日は生憎の天気で遠望は利かず。この後、案内板にある比叡ケーブル駅へ向かいケーブルで下山する。
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| 「やどり地蔵」に立ち寄る。
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| 案内板によると、子宝が授かるという。
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| 鎌倉時代とされる。
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7月3日(金)20:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)35 |
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| 京都トレイル73-1の道標。この道標から標識番号に枝番が出てくる。分岐となっており、左に旧ルートを見送り右の新ルートを歩く。
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| 手持ちの地図によると、新ルートは「行者道」と呼ばれており電波塔を経由し眺望が得られる。
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| 京都トレイル73-2の道標を通過。丸太の階段が続く。比叡ビュースポット・電波塔への最後の登り。
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| 道標。これは京都トレイルの道標ではない。ここは分岐となっており、延暦寺方向へは行かない。左折し電波塔へ。
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| 京都トレイル73-3の道標。延暦寺分岐を右に見送る。
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7月3日(金)20:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)34 |
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| やがて分岐(千草分岐)となる。京都トレイル72の道標あり。また画像の案内板もあった。ここは一旦、京都トレイルから離れ、千草忠顕(ちぐさただあき)碑に立ち寄る。
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| 急登だが、すぐに到着。
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| 「千種忠顕卿戦死之碑」とある。 ※ネット検索すると、「千種忠顕は後醍醐天皇の側近で建武中興の功臣。足利尊氏勢と比叡山山麓の水飲で戦い戦死した場所を示す石碑。この近くに水飲対陣跡の石碑がある。」
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| 大正十年五月建立とある。南北朝時代の人物の石碑が大正時代に建立された時代的な背景がよくわからない。 ※ネット検索すると、「明治維新後、新田義貞、北畠顕家、楠木正成らが再評価されたことに伴い、大正8年(1919年)11月15日に忠顕は従二位を追贈された。」 「千種忠顕卿戦死之碑」が建立された時期と一致している。
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| 京都トレイルとの合流付近で見た「千種塚址」。
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7月2日(木)20:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)33 |
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| この分岐で少し休憩。手作りのベンチに座る。
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| 再び歩き出す。
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| 前方から登山者。ここにきて登山者とは度々出会う。
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| 今度は後から追い抜かれた。
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| 穏やかな傾斜の登山道。
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7月2日(木)20:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)32 |
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| 左手に展望が開けそうな場所に出る。ルートは右の階段を登る。ここで少し休憩。潅木が生い茂り、残念ながら展望はほとんど得られない。冬枯れした時季だと、見渡せたかもしれない。
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| 京都トレイル70の道標。京都トレイル東山コースの最終は74番なので、あと4つということになるが、枝番がある。
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| このすぐ上の登山道が崩壊しているので注意。
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| 登山道は相変わらず切り通しとなっている。
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| 分岐に到着。京都トレイル71の道標。左はケーブル比叡駅・比叡山。右も同じ。ここは右へ。左は破線表示となっており旧ルートと見られる。
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7月2日(木)20:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)31 |
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| 深くえぐれた登山道。水飲対陣跡碑を過ぎてからは登山者と時々出会うようになった。北白川からのルートより、雲母坂からの方が多く歩かれているようだ。
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| 歩きよい道が続く。
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| 「浄刹結界址碑」と彫られている。 ※ネット検索すると、「比叡山延暦寺の境界を示す石標で、修行僧はここからは下ることができないことを意味している。かっては山中に何本か点在していたが、現在も残っている貴重な一本。」
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| 人が歩くことにより、登山道がえぐれたのだろう。かっては、左右の木の根元近くに道があったと考えられる。
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| 登山道は必要な手入れはされているというかんじで、過剰整備とはなっていない。
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7月2日(木)20:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)30 |
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| 「水飲對陣之跡」と彫られた石碑。 ※ネット検索すると、「南北朝時代、南朝(後醍醐天皇・新田義貞・楠木正成等)方の公家千種忠顕率いる軍勢と、北朝方足利尊氏の弟足利直義率いる軍勢がここで対陣、戦となったことを伝える碑である。」また“水飲”とは山中の地名らしい。
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| 曼殊院・方面そして赤山禅院・方面への分岐を見送る。
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| すぐに眺望が得られる場所が現れる。
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| この日は生憎視界が悪く、遠望は利かなかった。
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| 登山道脇で見た巨樹。残念だが、何の木かわからず。
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7月1日(水)20:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)29 |
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| 二回目の渡渉。こちらは沢。
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| 左下に音羽川の流れ。ゴーゴーと音をたてていた。
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| そして三回目の渡渉。これらの沢は音羽川に流れ込んでいる。
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| 少し登り返すと、見覚えのある場所に飛び出した。
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| 水飲対陣跡碑に置かれていた京都トレイル69の道標。ここは分岐となっており、京都トレイルのコースはケーブル比叡駅方向。他に赤山禅院(せきざんぜんいん)と、雲母(きらら)坂を経て修学院離宮への分岐にもなっている。尚、赤山禅院への下山道は雲母坂梅谷道と呼ばれている。
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7月1日(水)20:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)28 |
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| 石鳥居に置かれていた京都トレイル67の道標。この先、京都トレイルは左折となる。直進は比叡山ドライブウェイ。右は比叡アルプス・比叡山ドライブウェイ・一本杉となっている。
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| 直進方向へ歩く。比叡山を正面に仰ぎ見られるこの場所で昼食とした。先ほどの道標にあったように、直進は音羽川に向かって道路が続いており、これは比叡山ドライブウェイに至る道。また、北東方向の踏み跡は比叡アルプス・比叡山ドライブウェイ・一本杉への道。画像ではわかりにくいが、今日はこの後、頭上に見える電波塔、比叡ビュースポットまで登る。
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| 昼食後、再び歩き出す。ここから水飲対陣跡碑まで、概ね下り道で、途中に沢を三つ渡渉する。下り始めは激下り。
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| 音羽川を渡渉。丸太を掛けただけの簡単な橋。
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| 雨後なので水量は多く、やや濁っているという印象。
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7月1日(水)20:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)27 |
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| てんこ山分岐を左に見送り、水飲対陣碑・比叡山方向へ歩く。このあたり植林帯となっておりやや薄暗い。
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| 一乗寺風呂(ふろ)。「風呂ヶ谷」かもしれない。
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| 「三十五丁」と彫られた丁石。その下に何か彫られているが寄進者の名前だろうか。この丁石は無動寺大弁財天の参道に置かれている丁石らしい。
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| ようやく石鳥居に到着。分岐となっており、鳥居の右下から続く山道とここで合流する。この山道は山中越から地蔵谷を登ってくる無動寺大弁財天への、もう一つの参道とされる。それにしても、2基の石灯籠の位置がおかしい。移動されたようだ。
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| 石鳥居を振り返って撮影。鳥居の右の道を歩いてきた。鳥居を潜る道とここで合流する。
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7月1日(水)20:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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