山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2020年5月を表示

No.20岸和田城と周辺散策

岸和田市役所別館を右(東)に見て歩くと、別館前に「江戸時代の岸和田城下絵図」が置かれている。
地図によると現在地は紀州街道沿い▲の位置。
この地図は上が東南を指している。



紀州街道と、こなから坂との辻に道標や説明板が立つ。


紀州街道

紀州街道は大坂高麗橋から、住吉・堺・岸和田城下を通り、和歌山に至る街道である。
近世以前では熊野街道が泉州地域の主要幹線道であった。
しかし、海沿いの町が発展していくにつれ、慶長7年(1602)頃に沿岸部を結ぶ街道として成立したようである。
五街道などの主要街道ではなく、海運の発達した大坂湾岸での補助的な街道であった。
江戸時代初期、紀州徳川家は、大和街道を通り伊勢松阪を経由して参勤交代を行っていた。
しかし、第六代宗直以降は、紀州街道を通り大坂、京、東海道を抜け江戸へ向かう道程へと改めている。
これは第八代将軍徳川吉宗を出した紀州徳川家の家格に見合うように、行列の威容を道中で示すためであったと言われている。
このように参勤交代に使用されることで、いっそう街道の整備が進み、町場の発展とともに多くの商家や町屋が建ち並んだ。
また、堀の両端で鍵方型に曲がっているが、これは城下町でよく見られる遠見遮断によるものである。



岸和田市道路元標。
地面をコンクリートで固め大切に保管されていた。



「右 紀州街道 / 左 こなから坂 / 平成四年三月 岸和田市」と彫られた道標。

こなから坂(こなからざか)は、大阪府岸和田市にある坂。
漢字では「小半坂」と表記され、半分の半分、すなわち4分の1勾配の急な坂という意味を持つ。
岸和田だんじり祭では、城内に鎮座する岸城神社へ宮入するため、だんじりが勢いよく駆け上がる姿が見られる、名所の一つである。

つづく。



5月3日(日)04:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ジュニア・ウェルズ

ジュニア・ウェルズを視聴してみよう。
ジュニア・ウェルズ

Junior Wells' Chicago Blues Band With Buddy Guy - Hoodoo Man Blues (Full Album)
1. Snatch It Back And Hold It
2. Ships On The Ocean
3. Good Morning Little Schoolgirl
4. Hound Dog
5. In The Wee Wee Hours
6. Hey Lawdy Mama
7. Hoodoo Man Blues
8. Early In The Morning
9. We're Ready
10.You Don't Love Me, Baby
11.Chitlin Con Carne
12.Yonder Wall



5月2日(土)18:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.19岸和田城と周辺散策

「円成寺」の説明板。
先ほどの説明と重複するので由緒等は割愛。
・・現在でも紀州街道の景観を構成する上で欠かせない寺院であり、町家と一体となった景観は、守り伝えてゆきたい岸和田城下町の風景の一つである。



鐘楼が美しい。
最近、リニューアルされたのか新しく観える。



蓮の花を形をイメージしたものかもしれない。


和陶器の店 「やわらぎや」。


「五十一銀行跡」の説明板。

かつてここに五十一銀行が建っていた。
昭和56年に解体され、今は往時の写真が残るだけ。

岸和田ボランティアガイド(リンク切れ)によると、

第五十一国立銀行跡
明治になり、新しい時代がスタートして、国づくりや産業の発展のため銀行が必要でした。
もと士族や有力商人がお金を出し合い、明治十一年(1878)、この岸和田の地に第五十一国立銀行が開業しました。
それ以来岸和田の産業の原動力として貢献しました。
明治三十一年法律が変わり、株式会社第五十一銀行として再出発しましたが、昭和十五年(1940)に、国の政策により、泉州の各銀行が合併して、「阪和銀行」となり、昭和二十年には「住友銀行」に合併されました。(1945)
その後住友銀行は移転し、岸和田市が建物を所有しますが、老朽化のため、昭和五十六年に取り壊されました。

つづく。



5月2日(土)05:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.18岸和田城と周辺散策

こちらの虫籠窓は、やや丸み掛かった長方形をしている。
先ほどは四角い長方形。

建築された時期によって形状が異なる。
・江戸時代中期:木瓜型(丸形)
・江戸時代後期:横長丸形
・明治時代:長方形
・大正時代:高さが高くなった長方形

この区分では、画像の虫籠窓は江戸時代後期。
先ほどのは明治時代だろうか。



「吉田松陰の逗留(とうりゅう)地」の説明板。

嘉永6年(1853)2月、長州藩の尊皇論者・思想家である吉田松陰は大阪沿岸の警備状況を視察するために森田節齋と岸和田を訪れ、塩屋平衛門宅(現久住家)に滞在した。
松陰は、岸和田に滞在中、藩儒でもあった相馬九方ほか藩士らと、藩校講習館の一室で囲炉裏を囲み、茶を飲み、せんべいをかじりつつ、夜を徹して時勢や詩文について論議を重ねた。
この時、松陰は頻繁に姿を現すようになった外国船に対し海防が手薄であることを繰り返し説いていたといわれている。

文中にある“塩屋平衛門宅(現久住家)”は、先ほど通過した「久住清子邸」を指しているようだ。



円成寺。


円成寺は信濃国住人加藤主計(法名釈専称)が天文5年(1536)建立したと伝える。
真宗大谷派。現在の本堂は江戸初期の建築。



円成寺寺標。

つづく。



5月2日(土)05:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.17岸和田城と周辺散策

無料で利用出来る施設「まちづくりの館」。
休憩所、地元観光物産の案内など。



「木彫刻 賢申堂」の看板が掛かっていた。
地車(だんじり)や太鼓台などの彫刻を請け負っている工房。



趣のある重厚なイメージの町家。
医院だったのかもしれない。



この付近の紀州街道には町家がズラリと並ぶ。
虫籠窓のある町家。



「久住清子邸」の説明板。

つづく。



5月2日(土)05:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.2タンパレッド

No.2タンパレッドを視聴してみよう。
タンパレッド
【過去にアップしたタンパレッド】
タンパレッド

Tampa Red ‎– Bottleneck Guitar 1928-1937
1.Frankie "Half Pint" Jaxon-It's Heated (1929)
2.Tampa Red-You Got To Reap What You Sow (1929)
3.Tampa Red-What's That Taste Like Gravy
4.Gertrude 'Ma' Rainey-Black Eye Blues 1
5.Tampa Red-The Duck Yas Yas
6.Madlyn Davis-It's Red Hot (1928)
7.Georgia Tom & Tampa Red-If You Want Me To Love You
8.Tampa Red-No Matter How She Done it - 1932
9.Tampa Red-Through Train Blues
10.Tampa Red-Seminole Blues
11.Madlyn Davis-Too Black Bad
12.Tampa Red And His Hokum Jug Band-Come On Mama, Do That Dance
13.Tampa Red-Denver Blues
14.Lil Johnson-House Rent Scuffle



5月1日(金)17:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.16岸和田城と周辺散策

市指定史跡 紀州街道本町一里塚跡(一里塚弁才天)

一里塚とは、江戸幕府の命により慶長9年(1604)、江戸の日本橋を五街道の基点と定め、36町歩を一里と定め一里ごとに塚を築造し、榎(えのき)、松などを植えさせたのが始まりだといわれている。
紀州街道は脇街道※、紀州往還道であるため、大坂の高麗橋を起点として和歌山城下まで一里塚が設けられていた。
由緒によれば弁才天は元々は一里塚に植えられていた松の下に小祠があったものを、天保7年(1836)8月頃に弁才天として社殿をつくり現在の所に遷座したものとされており、現在も街道を往来する人々を見守り続けている。
※主要街道(五街道)に対し補助的な役割を持つ街道。脇往還とも言う。



「虎野治男邸」の説明板。


犬矢来のような機能を持つものかもしれないが、それにしては立派過ぎる。不明。


角地に立つ町家。
自転車を路上に駐車しないで敷地の中に置いている。
通行の邪魔にならない。



何かの信仰に基づくものだろう。

つづく。



5月1日(金)04:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.15岸和田城と周辺散策

岸和田市の雨水管マンホールの蓋。

中央に市の花バラ、その周りに市の木クスノキの葉、岸和田城のデザインのカラー版。
そして「きしわだし」「うすい」の文字。
日本マンホール蓋学会のサイトによる。



紀州街道を練り歩く。
歩行者専用道路ではない。
車両は北東方向からの一方通行となっている。
路面に車道と歩道の区分があって歩きやすい。



街道脇に置かれていた農具唐箕


「史跡 紀州街道本町一里塚跡」の道標と社殿が建っている。
立ち寄ってみた。



「一里塚辯財天」と彫られている。
隙間から社殿の中を覗いたが、よく分からなかった。
辯財天を祀っているが水場など水に関するものが付近にはなかったようだ。

つづく。



5月1日(金)04:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.14岸和田城と周辺散策

全国各地で行われているだんじり祭りのポスターの展示。


だんじり会館、待合コーナーの様子。


岸和田だんじり会館を後にして紀州街道を歩く。
紀州街道は府道204号堺阪南線の一つ西側に通じている。

画像中央右の家屋は「前河電気商会」。
早い話が町の電気屋さん。
とてもそのようには見えない。
景観の維持に多くのお金を使っているのでは。



ここに立つといきなり江戸時代にタイムスリップした気分になれる。


「川崎喜陸邸」の説明板。

当家は屋号「八坂屋」で先代まで八百屋の卸業を営んでいたというが、それ以前は両替商であったという。
【以下割愛】

角地に建つ町家の好例とされている。

つづく。



5月1日(金)04:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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