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萱生道入口 再考

萱生に住む、いとこが、子供の頃、竜王山へ登ったが、その当時の話を聞いていると、萱生道の入口は、石仏が数体ならぶ三叉路“萱生道の入口”とされる場所こそ、元来の萱生道への取り付き(=入口)ではないかと思うようになった。


上空から撮影された写真を見ると、地図に表示した“入口”が、萱生道の入口で、尾根のはじまりになっている。ここがスタート地点だと思う。


入口の三叉路を南方向へ3mほど歩くと、東方向に登り道があった。下草が刈り込んであったので、神社か何か、祠でも祀ってあるのかと思い、登ろうとしたが、登山道が崩壊していて前へ進めなかった。
ところが、三叉路を東に向かって10m程度歩くと、右後方へ急な登り道があった。
おそらくこの道は、先程の崩壊した道の変わりに、後からつけられた道だと思う。
画像は、その右後方への登り道を東側から撮影したもの。



この道は、すぐに東方向に向きが変わり、右側がみかん畑、左側が雑木林で、その下は谷になっていた。
みかん畑の最上段は、なだらかになっていて、ここからの眺めもよい。もしかすると、この場所が、以前、Fさんが話されていたヤスンバと呼ばれた場所かもしれない。画像がその場所で地図ではB地点と表示。
その先、東方向は、雑木林になっていた。



3月28日(木)20:28 | トラックバック(0) | コメント(6) | 石仏 | 管理

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コメント

 1: 三叉路の・・・

一番右の自然石の道しるべらしきもの
何が刻まれているかが判りました。
「右ふどう 左弁斉天」ということです。
やはり此処が萱生道の入口で間違いないようです。


 by たいしん | 7月27日(土)23:58

 2: 弁財天はどこでしょう

こんにちは。毎日、暑いですね。このクソ暑いのに、野外活動に明け暮れています―笑。
具体的には、庭の雑草抜きや庭木の剪定、自転車に乗って近辺をぶらついたりしています。
自転車だと、“ぶらつく”とは云わないでしょうが、自転車から降りて押して歩くので、ぶらつくことになるでしょう。
今朝は西大寺の野神神社と、西大寺の塔頭、体性院へ行って来ました。
日本一大きいとされる叡尊五輪塔がありました。

前置きはここまでにして、萱生道の入口ですが、道しるべを読まれたのですね。
何か、特殊な方法というか、テクニックがあるのでしょうか。
拓本くらいしか、思い浮かびませんが。

弁斉天、弁財天のことでしょうね。
あの近くに弁斉天があるのでしょうか。
また、「右ふどう 左弁斉天」なら、竜王山から萱生道を下ってきて見る道しるべなのでしょうね。
そうだとすると、左弁斉天は、位置としては、みかん畑の方向(南)を指すのでしょう。
萱生道を下ってきたら、並木不動は右(北)なので。
ちなみに、南方向へも歩いてみましたが、みかん畑で行止りでした。

あるいは、全然関係なくて、どこか他の場所にあったものを何らかの理由で移動したのかも。
一寸考えにくいですが。


 by oka-nara | 7月28日(日)18:20

 3: 或る方から・・・

戴いた資料に記載されていたのを見つけました。
昭和五十三年の資料ですので恐らく拓本で読みだされたものと思われます。

弁斉天は弁財天のことでしょう。

私は普通に、下から上ってきて「右直進で竜王山不動石仏
左に曲がって弁斉天(並木不動方面)だと思っていますが・・・

今日は私の癒しの場のひとつ、大和高原を一周してきました。
勿論石仏めぐりで~す(^_^)v


 by たいしん | 7月28日(日)19:21

 4: 素直に考えれば

そういうことになるのでしょう。
あそこは三叉路だから、左か右しかないし、弁斉天は池をイメージするので、そうなのでしょう。
なので、萱生道の入口ということですね。
それにしても、“右ふどう”が竜王山不動石仏を指しているとは驚き。


 by oka-nara | 7月28日(日)21:14

 5: 町おこし

ます、ます萱生道の復活を夢見てしまいますね。

萱生の町おこしでなんとかならないかな。

竜王山不動石仏をみなさんに見てもらいたいですね。

見果てぬ夢かな。


 by タケチャンマン | 7月29日(月)16:42

 6: 竜王山の

周回コースの一つとして、竜王山不動石仏を目玉にすると、とてもよいコースになると思うのですが。
さて、実現の可能性は、どうなんだろう。

地元、萱生の人たちの意識というか、考え方でしょうね。
町おこしなんか必要ないと思われたら、それまでなのでしょう。
萱生はあまり辺鄙なところではないので、町おこしという動機は弱いかも。

それより、竜王山不動石仏を管理維持されているのは、藤井の人たちでしょう。


 by oka-nara | 7月29日(月)22:51


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