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太子道(筋違道)15

広峰神社の説明板。説明書きに記されている慶応三年は西暦では1751年ではなく1867年。また西暦1751年が正しいとすれば宝暦元年となる。いずれにしても間違っている。


牛頭天王(ごずてんのう)社と彫られた石燈籠。火が灯っていた。
※斑鳩大事典によると、「現在の広峰神社は、石段の上の鳥居の中に小さな社があるだけの村社で、成福寺からは真東500㍍ほどにあり、創建は不詳ですが、1598(慶長3)年「安堵社神験記」に、社地は聖徳太子の居られた飽波の宮地に当たるといい、牛頭天王とよばれ、境内に神宮寺の万福寺というお堂がありました。
『安堵町史』には、もと飽波神社の置かれたところで、聖徳太子が父用明天皇の病気平癒と伽藍守護を祈願して勧請した場所とあり、1006(寛弘3)年恵心僧都によって極楽寺(東安堵)が再興された際に現飽波神社に正遷宮された、といいます。鳥居の前の井戸は「太子鏡井戸」といわれ、周辺が旱(ひでり)になっても枯れることはなかった、と伝えられています。このことからも広峰神社は太子道の斑鳩側の基点と考えられます。」



拝殿。


拝殿越しに本殿を拝む。


「業平姿見の井戸」の説明板。前述の斑鳩大事典に記載されている「太子鏡井戸」のことだと思われるが、紛らわしい。


7月9日(木)20:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

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