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高槻初詣と摂津峡41

神峰山寺のご由緒。

 神峰山寺は、根本山と号して天台宗に属し、毘沙門天を本尊とする。寺伝によれば、役行者小角が開山し、宝亀年間(770頃)に開成皇子が創建したという。
 当時は仏教の聖地として、比叡山(京都府)や葛城山(奈良県)と並ぶ※7高山のひとつに数えられ、僧坊21・寺領1,300石に及んだ。皇室の崇敬が厚く、また足利3代将軍義満や豊臣秀頼の生母淀殿らの寄進も多く、大いに栄えた。秀頼も諸堂を造営したと伝えられる。
 しかし、江戸時代中期の明和2年(1756)に火災で焼失し、安永6年(1777)に再建された。現在は、宝塔院(本坊)と寂定院、龍光院の3院となっている。
 本堂に安置されている阿弥陀如来座像は、寄木造りで平安時代後期、また2体の聖観音立像は一木造りで同中期と後期の作とみられ、いずれも昭和25年8月に、国の重要文化財に指定されている。
 境内には、本堂のほか開山堂や観音堂、光仁天皇の分骨を納めた十三重塔、開成皇子の埋髪塔という五重塔、九頭龍滝などがある。また当寺は、新西国観音霊場の第14番札所であり、紅葉の美しさでも広く知られている。 
 昭和62年3月  高槻市教育委員会


※7高山とは、①伊吹山、②比良山、③比叡山、④愛宕山、⑤神峰山、⑥金峰山(吉野山から山上ヶ岳までの総称)、⑦葛城山を云う。



自然石を利用した手水舎。「お浄水」となっている。


本堂に向かってまっすぐに参道が続く。


石段を登ると本堂。


こちらも「お浄水」となっていた。湧き水だろう。
後方の住宅の屋根に見える白いものは雪ではなく、光が反射して白く見えている。



1月25日(月)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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