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山陰道(丹波口駅_亀岡駅)4

「島原の大門」に設置されていた「島原」の説明板。
島原は、江戸時代以来、公許の花街(歌舞音曲を伴う遊宴の町)として発展してきた。寛永十八年(1641)、官命によって、島原の前身である六条三筋町から現在の朱雀野の地に移された。その移転騒動が、九州で起きた島原の乱を思わせたところから、一般に「島原」とよばれてきたが、正式地名は「西新屋敷」という。この島原は、単に遊宴を事とするにとどまらず和歌、俳諧等の文芸も盛んで、ことに江戸中期には島原俳壇が形成されるほどの活況を呈した。しかし、明治以降の島原は次第にさびれてゆき、現在では揚屋(今の料亭にあたる店)の「角屋」、置屋(太夫や芸妓を派遣する店)の「輪違屋」、それに島原入口の「大門」、これら三箇所がわずかに往時の名残をとどめるものとなっている。平成十三年十一月吉日 島原伝統保存会



「島原大門」。慶応三年(1867)五月建築。京都市登録有形文化財。


時代劇の舞台にありそうな光景。


京都市が設置した「島原」の説明板。駒札となっている。内容は先ほどの島原伝統保存会が設置した説明板とほぼ同じ。


先ほどの説明板にあった通り、島原“西新屋敷”上之町となっている。“西新屋敷”が正式名称。右の地図はベニヤ板のような木片を利用して作られていた。


12月4日(金)18:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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