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京の古道⑥竹田街道_大和街道40

広野公民館。門は開いていた。
建物の右奥に道標らしきものが見えたので、直接、そちらへ向かう。



古い道標は敷地内に、フェンスの外(右の道)からでも見えるようにして保管されていた。
しかも、フェンスはこの道標がある部分のみ透明の板になっている。
これは外から眺めたりカメラで撮影する人のことを考慮したのだろう。
「左 京 道」。



こちらは東方向から見た位置で、「左 なら道」。
そして、右にも道標らしきものが見えた。



「寛政四壬子 / 志方家内安全 / 施主何某」。
“ 志方”という漢字だが“四方”は忌み数で縁起が悪いのかもしれない。
尚、道標の正面は肉眼では見えたが、カメラでは撮影出来なかった。
この後、敷地の外へ出て正面から撮影した。



    宇治屋の辻の道標 

 京道と宇治道が分岐する宇治屋の辻は、東北角と西北角に近年まで二本の道標が建っていた。東北角の等身大の道標は、蓮華を持つ十一面観世音菩薩が浮彫りにされており、「 左 なら道(東面) 右 うぢミち(南面) 左 京道(西面) 」と刻まれている。碑は、中書島の人によって建立されている。
 一方、西北角の道標は、南面に「すく くぎぬき地蔵道」と刻まれている。すくとは真っ直ぐに行くという意味で、くぎぬき地蔵とは、久御山町大字中島にある華台寺の釘抜地蔵尊のことである。建立は、江戸時代の寛政四年(一七九二)に伏見の人によって久御山町に建てられたが、何かの事情でこちらに移された。
 宇治屋の辻は、昔も今も多くの人々が行き交い、特に近年の自動車の交通量が特に多くなり、その為に交通事故によって道標が被害を被る事が多くなり、文化財を保存する立場からこの位置に移転し、保存することになった。 

   平成十年三月     宇治市教育委員会



3月28日(月)20:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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