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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


松尾山_嵐山(城址)_烏ヶ岳8

西芳寺川に沿って暫く歩くと、苔寺の衆妙門前に到着。
入山待ちの人が何人かいた。

画像の橋は邀月橋(ようげつきょう)。



白いサルスベリが満開。


この先、車道がなくなるので、「(クルマは)この先行き止まり」と表示。

西芳寺川に架かる橋を渡る。



駒札と付近の案内図が立っている。


    松尾学区古墳群
 松尾学区の松尾山、西芳寺川、衣笠山、唐櫃越周辺には約百二十基の古墳がある。桂川(葛野川・大堰川)の右岸、現松尾中学校建設に伴う発掘調査で発見された「松室遺跡」では、弥生時代の竪穴住居跡から古墳時代後期までの掘立柱建物跡・遺構などがあり、この遺構が六百年以上に亘る集落遺跡であることがわかっている。
 この「松室遺跡」に暮らした人々は、松尾山の南の端、特に西芳寺川左岸の西芳寺山を楞伽窟(りょうがくつ)と呼んでいた。楞伽とは宝を意味するほか、一種の秘境のことだとも言われており、西芳寺川の一号橋付近の渓谷では、当時の様子をうかがい知ることが出来る。
 西芳寺古墳群には、四十三基の墳群があり、京都盆地とその周辺部の群集墳中、最も密集度が高い。
 現在は、この西芳寺古墳から西芳寺川の上流にかけて、近年新たに発見されたものを含め一括で「西芳寺川古墳群」と名称変更された。これらも築造は古墳時代後期だが、このうち、旧ボウジョウ古墳群には、石室の形状をよく残すものが三基ある。
                     京都市



8月11日(金)20:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

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