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行基遺蹟(家原寺_土塔)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2017年10月26日(木)は、ササユリの会に参加した。
題して「行基遺蹟を訪ねて~家原寺から大野寺土塔へ~」。

JR阪和線津久見駅からスタート。
堺市立総合医療センター前から家原城跡小道を歩く。

倉敷紡績津久野社宅前を通り、奈良時代の高僧行基(668~749)が、生家を寺に改めたのが始まりとされる家原寺(えばらじ)へお参りした。
拝観料200円。(志納)

府道28に沿って歩き、伊勢路川に架かる花見橋を渡って掘上(ほりあげ)公園で休憩。
更に伊勢路川に沿って歩き、「ソフィア・堺」(文化会館)と、隣接する「市立中図書館」に立ち寄った。

このあたりから、やたらと目立つ教会風の建物の正体を知るべく、その施設「アンジェリカ・ノートルダム」(結婚式場)及び「リストランテ・クラブ・ヴィアージュ」(レストラン)に立ち寄った。
その後、野々宮神社にお参りし境内で昼食。

食後は水賀池公園(みずがいけこうえん)を散策。
行基が建立したとされる大野寺跡の仏塔“土塔”(どとう)を訪問。

大野寺前、土塔神社、土塔地蔵尊、菰池(こもいけ)を経て、大阪府立大学中百舌鳥キャンパス 第2学生会館シュライクでコーヒータイム。
府立大学の西に位置するニサンザイ古墳を見て周り、再び府立大学のキャンパスに入って自然観察コースを歩いた。
府立大学を出てから、西高野街道を歩き、地下鉄御堂筋線なかもず駅にゴールした。

歩行距離約10km。
参加者は主宰のT氏を含め8人。

コース
9:43JR阪和線津久野駅10:10_堺市立総合医療センター前_“どろんこ坊や”(親子象モニュメント)_説明板(家原城跡)_家原城跡小道を歩く_倉敷紡績津久野社宅前_家原寺(えばらじ)_南大門(仁王門)_拝観入口_駒札(家原寺)_不動堂_北向地蔵尊_水かけ清水地蔵・石仏群_行基菩薩誕生塚_開山堂_ぼけ除け観音像_本堂_南大門(仁王門)_南海バス平岡町バス停前_堺家原寺郵便局前_伊勢路川に架かる花見橋を渡る_掘上(ほりあげ)公園で休憩_伊勢路川に沿って上流へ歩く_清水町だんじり庫前_ソフィア・堺(文化会館)_堺市立中図書館_健康カフェ前_アンジェリカ・ノートルダム(結婚式場)_リストランテ・クラブ・ヴィアージュ(レストラン)前_駒札(野々宮神社)・野々宮神社・昼食_水賀池公園(みずがいけこうえん)を散策_南海バス深井東町バス停前_土塔(どとう)町公園_説明板(瓦葺と文字瓦・土塔の盛土工法・史跡土塔・土塔を造った僧行基)_駒札(大野寺)_土塔神社_土塔地蔵尊_菰池(こもいけ)_東百舌鳥小学校前_大阪府立大学 中百舌鳥キャンパス_第2学生会館 シュライクでコーヒータイム_説明板(ニサンザイ古墳)_にさんざい公園_府立大学 なかもずキャンパス 自然観察コース_道標(西高野街道)_南海高野線中百舌鳥駅前_15:33地下鉄御堂筋線なかもず駅

下記は、堺観光ガイド のサイトより。

◆家原寺(えばらじ) 奈良時代の高僧・行基の生誕地で「知恵の文殊さん」で知られ、入学試験シーズンは多数の参拝客が訪れ本堂の壁・柱が「合格・昇運・祈願」と書かれたハンカチで埋まります。1月の無病息災祈願「大とんど」は有名。

◆野々宮神社 創建時期は不明、永正年間の兵火で消失後現在地に移転。境内には「寛文三年」の銘のある石灯籠一対など注目すべき石造遺物があり、「常陵郷の森」は市の保存樹木に指定されています。

◆水賀池公園(みずがいけこうえん) 堤の全長が約800m、最深部が5mの大きな池。堤周辺のヒラドツツジなど約2万本のツツジ、大輪の花が白・ピンク・赤紫・紅など多彩に咲き誇り4月下旬~5月上旬が見ごろです。 ◆土塔(どとう) 奈良時代の僧行基が建立したとされる大野寺の仏塔。発掘調査によると土を盛り上げた一辺53.1m、高さ8.6m以上の十三重の塔で、各層には瓦が葺かれていたようです。平成21年4月復元整備によって創建当時の姿が再現されました。

◆ニサンザイ古墳 百舌鳥古墳群南東端にある全長約300mの全国7番目の大型前方後円墳。前方部が大きく広がった姿は古墳群で最も精美で新しい、5世紀後半の築造とされ、名称ニサンザイは「陵」が語源と考えられます。


画像はこの日歩いたJR阪和線津久見駅から地下鉄御堂筋線なかもず駅までのGPSログを表示。



堺市立総合医療センター前の“どろんこ坊や”(親子象モニュメント)。
夏季はお母さん象の鼻から水が出るらしい。
鍛金彫刻家:安藤泉作。



ぼけ除け観音像。
家原寺境内にて。



LINCOLN(リンカーン)。
アンジェリカ・ノートルダムにて。



史跡土塔(どとう)。

奈良市内に頭塔(ずとう)と呼ばれる国指定史跡があるが似ている。
頭塔のパンフレットによると、本来の“土塔”が、なまって“頭塔”と呼ばれるようになったとされる。

頭塔 - Wikipedia



3月4日(日)18:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

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