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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


大和川流域の道5(安堂_久宝寺)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2018年1月27日(土)は恒例の土曜会に参加した。
大和川の流域を歩くシリーズの5回目で、近鉄大阪線安堂駅から、旧大和川(現:長瀬川)に沿って久宝寺口駅まで、およそ13kmを歩いた。

<ポイント>
・大和川は約三百年前(1704年)に付け替えられた。
・長瀬川(旧大和川)の始点は、安堂駅の近く柏原市上市で大和川から分かれ柏原市内を北流。
・八尾市二俣で玉串川が右方向に分かれ、やや北西に方向を変えて流れる。
・埋め立てられた旧河道には新田が開発され、開発した商人の名前に由来する名称が残る。
・新田は元々が川底であることから砂地であり稲作には不向き。このため砂地での栽培に適した桃の栽培、木綿の栽培や綿業が盛んになり、河内木綿と呼ばれるまでになった。
・天井川であったために周囲の土地よりも高く水はけが良い点を活かし、旧河道には鉄道が敷設された(大和路線八尾駅~柏原駅、近鉄大阪線長瀬駅~久宝寺口駅)。

<コース概略>
9:30近鉄大阪線安堂駅_大和川付替(1704年)記念碑公園(大和川・長瀬川(旧大和川)分流点付近)・大和川付替三百年記念碑_三番樋_柏原舟ふなだまり跡地(碑)_二俣_弓削(ゆげ)神社_志紀駅前_青少年運動広場_まいど(中華料理)・昼食_竜華寺跡石碑_安中新田会所跡・旧植田家住宅_渋川神社_喫茶ラゼーヌ_14:55近鉄久宝寺口駅

<その他>
・参加者総勢9名。
・実歩行距離約16km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km含む)
・歩数2万3千歩。

画像はこの日歩いた近鉄大阪線安堂駅から久宝寺口駅までのGPSログを表示している。



長瀬川築留樋門(つきどめひもん)付近。
正面が長瀬川。左が大和川の堤防。
柏原市安堂にて。



柏原舟のふなだまり跡地。

画像の左は跡地に立つ石碑。現在、付近は児童公園となっている。
柏原船の最後



長瀬川(左)と玉串川(右)の分岐点。
八尾市二俣にて。

画像の右下は「長瀬川の歴史」
長瀬川は柏原市、八尾市、東大阪市の3市を流れる歴史的に由緒ある農業用の水路です。今からおよそ300年前、大和川の付け替えの時に生まれました。もともと大和川は、今の長瀬川のあたりを流れていましたが、度重なる洪水を防ぐため、宝永元年(1704年)に付け替え工事が行われました。そのため、現在の築留(柏原市上市)付近から西へ流れ堺市で大阪湾にそそぐようになりました。付け替えによって生まれた土地に新しい農地がつくられ、農地に水を送るために長瀬川と玉串川の2つの川がつくられました。そのあと、長瀬川は農業用水や剣先船で物資を運ぶ水路として使用し、川の近くに住む人々には身近な水辺としても親しまれてきました。現在は、ボランティアによる清掃活動や水生植物の植栽活動など、新たな役割をみせています。
長瀬川 (大阪府) - Wikipedia



大和川付替えと新田開発。
ここでは長瀬川は久宝寺川として表記されている。

※中世以降、長瀬川は大阪と奈良を最短距離で結ぶ水路として利用され、流域には八尾・久宝寺といった集落が発達。
この為、中世には一部の地域で“久宝寺川”とも呼ばれていた。
安中新田会所跡・旧植田家住宅にて。



5月2日(水)18:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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