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長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)12

小さなピークを登り詰めたところに鎮座されており、石垣が強固に組まれている。


説明板。

大坂山口神社

祭神 大山祇命(おおやまつみのみこと)・須佐之男命(すさのおのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)

式内社(しきだいしゃ)大坂山口神社は、古代大坂越えの大和から河内に至る入口に位置し、近世では長尾街道に面する交通の要衝に鎮座(ちんざ)されます。
本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の銅板葺(ぶ)きで、文化十三年(一八一六)の再建とされますが、寛永ニ年(一六二五)以来の棟札(むねふだ)が残されています。それには、背後の山の石巌(せきがん)を掘削して神域を広げたことを記すもの、祇園宮寺(ぎおんぐうじ)とみえ、神宮寺の存在が確認できるものがあります。拝殿は間口五間、奥行ニ間の割拝殿で、棟札によると延享元年(一七四四)の再建になります。また、平成元年三月には、本殿屋根を銅板葺きに改修、あわせて拝殿脇殿、上段の塀、手水舎(ちょうずや)などが新築されています。
近世の『大和志(し)』には、「在穴蒸村 今称牛頭(ごず)天王」とみえ、牛頭天王社(祇園宮)と称されていたことがわかります。秋の大祭には、この牛頭天王に奉納する宮相撲が行われ、「馬場のお宮さんの相撲」といい、相当な賑わいであったといわれています。拝殿には、文久二年(一八六二)や明治十九年(一八八六)の奉納板番付があり、境内には馬場組記念碑や石垣を組んだ桟敷(さじき)席があり、近年まで土俵(どひょう)も残されていました。この馬場組をリードしたのは、大阪相撲で活躍した地元出身の力士、大(おお)の松為次郎(一八五九~一九ニ一)で、大正四年(一九一五)境内で引退相撲を行ったあと、素人相撲の世話役として活躍されました。
また、近世以降、当麻・勝根・鎌田・五位堂・良福寺など、村名を冠した相撲組が『竹園(たけぞの)日記』などにみえ、周辺の墓地には古い力士墓があります。二上山麓の村々では相撲が大変盛んであったことがわかります。
なお、式内社大坂山口神社は、当社とその北東約六〇〇mに位置する逢坂のニヶ所に所在し、ともに式内社と称しています。
 平成二十八年三月 香芝市



絵馬堂に奉納されていた絵馬。
鹿が描かれている。
安政六未年八月吉日の銘。
(安政六年=1859年)。今からおよそ160年前。



急な石段を登る。


石段から振り返って撮影。

先の台風21号による被害。
拝殿(絵馬堂)の屋根に倒木が直撃したと案内されていた。



11月15日(木)19:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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